2013/06/04

森と農業

 森の中で働く――男だったら――ことを夢見ます。

 なぜ?・・・幼い時過ごした福島県の田舎で友だちとよく森の中で遊んだことを思い出すからかも知れません。杉などの茂った森へ友だちと遊びに行き、こわい話(天狗の)をしたり、少し離れた所にある(所有地の)林に姉や母と枯木を取りに行ったり(風呂を炊くため)、蚕にやる桑の葉を採りに行ったことを思いだします。その時食べた赤く実った桑の実のおいしさ!甘さ!――その頃は戦時中、お菓子などありませんでしたから。

 そして、そこから眺めた下方の町並みの向こうの低い山並・・・山並の向こう側には何があるのだろう。自分たちの町と同じような町があるのだろうか、自分たちと同じような人々が暮らしているのだろうか――と思ったことを覚えています。日本という国のことも、他の国々のことも、地球のことも知らずに。広い世界があることも知らずに。

 でも、そうした幼い頃は、「人が悩む」ということも知らずに無邪気に遊ぶ楽しい日々でした。

 9才で名古屋に来てからは、大家族から養父母と3人の生活になり、さびしさを感じましたが、夢に出るのは兄弟など大勢で過ごした広い家の様子や友だちと遊んだ野原や森や林でした。

 さて、私にとっては懐かしい森や林が、日本国土からも、世界(地球)からもどんどん減って行っていること、このままでは生物は生存できなくなることを宮脇昭先生の著書「森の力」を読みながら(うすうすは知っていましたが)、その切実さを改めて知りました。

 そして、森と同じように農業も、地球の自然環境にとって重要であることも知りました。(「農から環境を考える――21世紀の地球のために」) 

 食料の自給率が30~40%だということも聞き、輸入ができなくなったらどうなるのだろうか、と心配でなりません。

 私たち生命あるものを支える自然環境、それはきれいな空気と水と土であり、それを保つのは森林であり、農業生産であること・・・宮脇先生は、沢山のポット苗(広葉樹の実を埋めて苗を作る)で世界中に森を作っているそうですが、今は行動できませんが、いつかそうしたことがしたい、と夢見ています。

国民性と心の苦しみ

 今の社会状況、そして思うように生きられず、悩み苦しむ青年たちと親の方たちのことを考えると、様々なことが押し寄せてくる感じで、整理できず、方向性も定かでない・・・

 親にも心を閉ざし、殆んど自室にいる場合、「どうしたいのか」「どうしてほしいのか」も分からぬまま、「本人がこれを望んでいるなら、それを受け入れてあげるべきでは?」と思い悩む親の方も、また「子どもを愛情こめて一生懸命育てたはずなのに」と思う方もおられます。

 生来の気質や、育つ環境(人間関係)、様々なことが重なって、今の状態になるわけですが、イギリス人と日本人について書かれた本を読んで、日本人の国民性もあるのでは、と思いました。日本人の心は複雑です。シンプルに生きられない。シンプルに生きられたら、ひきこもることも、悩み苦しむこともないと思われます。

 日本人の国民性(みんなが、というわけではありませんが)、真面目、完ぺき主義、協調性、我慢強い、頑張る――などがあげられると思います。

 農業が中心の生活だった時代は、お互いに助け合わなければならず(例えば、田んぼの水を上から順番に流していく)、また、文化が緩やかだった頃はこれらの気質が生かされたと思います。でも高度成長の時期にはこれらに”競争心”が加わって「みんなに遅れてはいけない」さらに、頑張ることが要求され、優しく繊細な子はその波に乗れずに、不登校やひきこもることになって行きます。

 でも、”人並みにならなければ”という思い、人並みになれない自分を責める・・・人並みに働いて仕事を持って安定した収入がある生活・・・でも、長く社会から離れていると、ほど遠い・・・友だちは医者になったりしているのに・・・

協調性、完璧主義

 親は子どもに幸せになってほしい、と願います。「いい学校」「いい就職」「いい生活」を願ったり・・・

 人から「いい子」「いい人」だと思われることを、そのような生き方をして来た親は、子供がそうなることを求めたりします。子どもは親に認められたいし、優しく、守ってくれる居心地のよさに、親の求める”いい子”になろうとし、他の人の中でも、そうなることを努力します。親は外向的な性格で、”いい人”であることが、そんなに無理でなくても、子どもは内向的で、繊細な場合、無理しなければならず、人に合わせる生活に生き辛さを感じるようになる。そして、自分にひきこもりがちになったり、そういう自分(人とうまく交われない)を責めたり・・・に陥る。

 真面目で完璧主義――も、社会に出ていないことのコンプレックスから必死に「完璧にやらなくては」「常識をわきまえていなくては」という思いが強くなり、そうできない自分を責める、ということも。

頑張ること・・・

 不登校になったり、ひきこもったり(働かない)することは、頑張りが足りないからでしょうか。私はむしろ真面目で頑張ったから、無理したから、不登校になったり、外(社会)に出られなくなったのだと思います。また、頑張る目標が以前のようにはっきりしなくなった、ということがあるかもしれません。これ以上、経済成長をし、生産性を上げることは、地球環境の悪化につながることを、青年たちは(ひきこもっていない青年も)無意識に感じてるかもしれません。

他と違ってもいい、自立

 イギリス人と日本人との大きな違い、イギリスでは人と”違う”ことを当たり前と思い、むしろ”違う”ことが評価されます。そして子育ての目標は”自立”させることだとはっきりしています。

 日本では、真面目がいい、頑張ることがいい、人にいやな思いをさせてはいけない、迷惑をかけてはいけない――などを、繊細で感受性が強い青年は、敏感に感じとってしまい、今の社会では生き辛くなってしまうのだろうと思います。

 感性も知性も豊かなのに、社会からは、はずされている、という思いになり、社会に出る意欲を失くしている面があると思います。

 生きる力、自立の力をどうつけて行ったらいいのでしょうか。まず第一に「自己肯定感」が持てることだと思いますが、それにはどうしたらいいのでしょう。「高い目標」に向けて頑張るのではなく、今できることを精一杯やることだと思います。それを続けて行く。親もまわりも、そういう思いで接することではないでしょうか。

2013/05/01

季節の巡り

  街路樹もすっかり黄緑の若葉におおわれ、また低いつつじの生垣も黄緑の中に鮮やかなピンクの花を咲かせています、家々の庭も様々な色の花が心地よさそうで、晴れた日は外を歩くと軽やかな気分になります。東北の被災地も津波にもめげず生き残った桜の木がうす桃色の花を見事に咲かせているのをテレビに映されていました。(また原発事故の福島でも)。そうした自然の営み、自然は生きているのだ!と元気づけられる感じです。

 一方では靖国神社の参拝のため、国会議員がぞろぞろぞろぞろ歩いている姿をテレビで見ると「一体なんだろう」と心が重くなります。太平洋戦争は一方的に日本が始めた戦争であり、韓国、中国を巻きこみ、東南アジアの島国を日本とアメリカの戦場としたことは責任は大きいと思うのですが、これを”侵略”とすることは”自虐的”だからよくない――と今の政権は言っています。また「主権回復の日」式典も行われ、沖縄の人々のことはまったく考えないのか、と不思議でなりません。

 そして原発についての対応を見るにつけ、現政権の人たちは、思考力、想像力が乏しいと思えてなりません。目先のことしか考えられない。「原発がなければ停電が起きて困るではないか」と閣僚がテレビで言ってましたが、原発の廃棄物の処理は何百年、何千年とかかる(それ以上かも)そうで、それを想像したら未来の人のために、原発はやめるべきだと思わないのでしょうか。

スローシティ

 先月、青年たち(女性3人男性1人)と画廊巡りに行きましたが、その時、集合時間が来ても来ない青年から携帯に電話があり、「今から用意して行くので1時間位遅れる」と言って来ました。私は1時間も遅れるなら、先に行ってもいいと思い、集まっている青年たちにそう言ったのですが、青年たちは「1時間待ってもいい」と口々に言います。私は「そうなんだ、時間の決まっている所に行くわけではないのだから、待ってもいいはず」と思い、青年たちの優しさを改めて思いました。

 私は友だちと待ち合わせる時、5分、10分の遅れもいらいらしたり、「時間を間違えたのでは」と思ったり、”時間”に捕われた生活をして来たな――と思いました。待つのも、話したり、考えたり、感じたりしていれば無駄な時間ではないはず。

 そんな時、「スローシティ」という本に出会いました。スローフード、スローライフ、という言葉は聞いていましたが、それほど関心はなく過ぎており、「世界の均質化と闘うイタリアの小さな町」という副題に魅かれました。先月号にテレビの「小さな村イタリア」がとても好きだ、と書きましたが、それに通じるものがあるのでは、と思い、買い求めて読みました。イタリアには「スローシティ連合」(人間サイズの、人間らしい暮らしのリズムが残る町のネットワーク)がある。それは「グローバル化社会の中で、人が幸福に暮らす場とは何かを問い続け、町のアイデンティティをかけての闘い、挑戦」そして「美しい村の風景とは何か――大地とつながっている、という感覚を暮らしや町づくりに浸透させていくこと」と書かれています。

 私たちは、あまりにも進歩、発展をお求め、大地から離れた生活を近代的だと思い、高いビルが立ち並ぶ街を造って来ました。今も高いビルがどんどん建てられています。

それを豊かさの象徴のように思ってきました。

 いつも言っていることですが、物がいっぱいあり便利で効率的な生活環境となって、私たちの心も豊かになったでしょうか。

 先にのべたように、国民のことも、周辺の国々の人々のことも、そして未来の人のことも考えられない、想像できない人たちによって政治が進められていること、そして生き辛さを(精神的、経済的に)感じる、多くの人たち!(子どもも青年も中年も老人も) スローシティに憧れます。

学力と自己肯定感

 今、「脱ゆとり」という言葉が広まっています。世界の国々が参加する経済協力機構(OECD)が行う学習到達調査(PISA)の最近の調査で、前回より順位がかなり落ちた、ということで、それは”ゆとり教育”のせい、だから”ゆとり教育”をやめよう、ということです。

 学校教育は何のためにあるのでしょう。何を目標にしているのでしょう。基礎的な学力と共に人と関わり、心の成長(主体性など)など、大人になって社会生活を送れる力をつける、その人なりに生きる力をつける、ことかと思います。

 日々関わっている青年は、感受性や思考力は高いのに、自己否定感が強く、なかなか前向きに進めない。不登校になったり、ひきこもったりすると「自分は社会参加していないダメな人間」という思いが強くなり、それを取り除くのは大変難しい。日々そういう思いの青年たちと共に闘っていると言えるかもしれません。(大げさな表現ですが)

 子どもの頃から自己肯定感を持つにはどうしたらいいでしょうか。

 北欧、デンマークの学校教育が(テレビで見ましたが)とても参考になります。PISAでも上位の学力を持っている、デンマークの教室の様子。まず、子供たちが、自分がやりたい学科を選び、主体的に勉強する。分からない所は、教師やボランティアの母親や先に理解した子供が教える、納得できるまで勉強しているようです。それでもその学年の勉強について行けない児童は下の学年のクラスに行って勉強する。自分で選んで、であり、コンプレックスは感じないし、まわりもこだわらない。むしろ理解できないまま進級してしまう方がおかしい、という考え。ゆっくりだったら理解できるタイプの子どももいるはずですから。

 こういう学校教育の中で主体性と自己肯定感は育つと思います。競争ということはないわけですから、他と比較することがなく、お互いに助け合うこと、それぞれの特性を認め合うことが培われるように思います。

 日本では競争心で勉強させる、ということが多く、お互いに助け合う仲間ではない、心を許して合えなくて、まわりに合わせることが無難だ、と思いがちになる、そんな中でいらいら感もつのり、いじめにつながる――ということもあるように思います。

 これだけの問題ではないかもしれません。大人、日本人の多くは自己肯定感が低いように思います。心穏やかにゆったりと過ごせたら!人と比較しないで自分ができることを精一杯やること、かな、と思います。 

2013/04/02

3月

  3月は何かあわただしく過ぎたように感じます。

 冬のような寒い日も結構あって、いつ春になるだろうと思いましたが、初夏のような日が来て一挙に桜の花がほころびました。梅も桃も木蓮も。道草の家に降りる階段の横の雪柳も、白い小さな蕾があるな、と思った翌日、もう白い雪をかぶった柳の枝々になりました。

 でも、3月は2年前に東北大震災があった月、11日の前後にはテレビも新聞も、まだ殆ど復興とは言えない被災地を写し出していました。また原発についての報道も、見通しのたたない難しさばかりを感じさせるものでした。どう考えたらいいか、疑問ばかりですが、意思表示したり、行動したりする力のないまま、気が重く、つきつめないで過ぎていきます。

 今朝、うぐいすの小さな鳴き声を聴きました。いつもは4月か5月頃に聴くのですが。

イタリアの小さな村の人々

 前にもこの欄で書きましたが、テレビの「小さな村の物語 イタリア」は本当に心を癒してくれます。毎回2人の初老の男女を中心にその生活(仕事も含めて)を追ったドキュメンタリーです。一度は他の地域で暮らしたり、出稼ぎに出たものの、父親から「戻って来て、一緒に仕事を手伝ってほしい」と言われ、「やっぱり、自分が育った故郷がいい」と言って戻ってきた――という場合が多いです。

 子どもたちの兄弟も、殆ど近くに住んでいて、すぐに集まって一緒に食事をしながらおしゃべりがはずみます。「父親を尊敬している」という言葉が出たりします。また、老人になっても、友だち同志でしょっちゅう集まって、居酒屋の場合もありますが、木陰のベンチに腰かけながら楽しそうに話し合っています。「沢山の思い出があるから話はつきないんだ」と言ってます。

 勿論、イタリアの中には生活が厳しくすさんでいる所もあるかと思いますし、この村は気候が穏やかで小さな村、ということもありますが、穏やかに過ぎて行く日々に憧れさえ感じます。

 私たちの生活とどこが違うのでしょう。そこでは、子どもは親の仕事を一緒に手伝いながら、或いは見ながら育つ。特に親が意識して「いい子に育てよう」とか、勉強ができる子」にとか「仕事は厳しいから頑張れる子に」とは思っていないように思います。日本では少し前までは「親の背中を見て子は育つ」と言われてきましたが、イタリアでは、国民性もあるのでしょうが、おしゃべりが好きで、親子、家族がおしゃべりしながら向き合って過ごしているように思われます。

「いい子」「いい人」

 相談を受けているお母さんたちから、人と交わらず殆ど家から出ない状態からなかなか抜け出せないお子さんについて、「いい子だったのに」とか「いい子に育てようと思うことのどこが悪いのでしょう」と聞かれたりします。2月、3月号で”普通”についての疑問を述べましたが、”いい子””いい人”についても考えさせられます。

 「いい子」とはどんなイメージでしょう。「素直で協調性のある子」「まじめで頑張る子」というような、そして「勉強ができる子」がつけ加えられたりします。「いい子」「いい人」と思われるのは心地いいものです。でもそれはあくまでも”相手にとって””親にとって”の「いい子」ということになります。本人にとっては親に認められることは嬉しく、親の期待にそうようになって行き、自分の気持を抑えたり、自分の本当の気持を自覚しないままに大きくなります。

 でも、学校などで様々な子と出会えば、だんだんといつでも「いい子」でいることは、みんなに合わせることはしんどくなって来ます。自己主張ができない、けんかもできない・・・。

 イタリアの小さな村では(これは一部の村?でもこの番組は毎週ずーっと続いています)ゆるやかな時の流れの生活、また気質のせいかもしれませんが、どんどん自己表現して、相手と違っていてもそんなに気にしないようです。また人より立派にならなくては、人より成功しなければ、という思いもあまりないようです。日本のような経済原理が優先して「より多く」「より早く」「より高く」を目指すことがなく、日常的な家族や友人との交流を楽しんでいるように見えます。

 日本が経済的に豊かになった今、でも格差は大きくなり、ひきこもる青年(成人)やニート、家族関係が切れてホームレスになる若者や老人が増えているのはなぜでしょう。そして悩み苦しむ青年たち。

 いつも思うことですが、道草の家で関わる青年(男女)たちは皆、感性も知性も豊かなのですが、自己否定感が強く自信がないため、社会に出られない―もっと自己肯定感が持てれば、社会に出られるのに――と強く感じます。

 青年の集いでは「自分の言った言葉が相手にいやな思いをさせたのでは?」とか、「相手の言葉で辛い思いになった」などが話されます。過去に傷ついた体験があるので、とても気になるのでしょうが、「人にいやな思いをさせることはよくないことだ」「いい人であるべき」という日本人の価値観の影響もあるかと思います。

 そしてある青年は、「誰にも合わせられる会話をしたい。それができないと社会にでられない」と思い、人の中に出て訓練しようとしましたが、無理だったようです。それは自分の本当の気持を無視することであり、かえって精神的辛さが増してしまったのだと思います。

 その後、「”誰とでも”ということではなく、興味が同じだったりして、話が会う人とだけ話せばいいんだ」という気持になった、と言っています。本当にそうだと思います。私も興味が同じような話が合う人が少ない友だちになっています。

 もう一つ「我慢強さが美徳」という日本の価値観も生き辛さを増していると思います。いじめやグループにはいれないなどで学校に行きたくない気持になあっても「学校は行くべき所、我慢しないと!」と言われ、我慢して登校したため、どうしても登校できなくなった後、なかなか回復はできず、ひきこもる生活へ、―となる場合が多く見られます。また「転職したい」と言っても親から「石の上に3年、我慢しないと!」と言われ、我慢したために打つになってしまった、ということもあります。

 青年の集いの中で、或いはメールのやりとりなどで、自分が理想が高かったり、無理していることに気づき、価値観や生き方を少しづつ変えて生きたい、という気持になった、という青年もいます。

 自分の気持を大切にして、自分ができることを細やかなっことでも、精一杯やることに意味があるのかな、という気もしています。

2013/03/03

人間、いつも同じではない

 頭で考える時「これが正しく、これは正しくない」とか「これは良いことで、こちらは悪いこと」と決めつけ、それがずーっと続くものだと思いがちです。

 でも人間関係を考える時、心も体も変化し、一定ではないのを感じます。昨日の自分と今日の自分は違う、さっきの自分と今の自分は違う、或いは、あの人の前とこの人の前では違う、と感じるのはしばしばです。(前に「分人」ということで書きましたが)

 それは人間も自然の一部ですし、生きているからです。

 そして、私たちは同じ人間でも、同じ空間にいても、相手と自分とでは違うことを感じたり考えたりします。「自分の思いを相手は分かるはずだ」と思っても、そうでないことがしばしばです。

 お互いの違いを認め、できるだけ理解しようとしながら、十分理解できなくても「相手はそう思うんだな」「そう感じるのだな」と思うことができたら、人間関係がもう少し楽になり、生き辛さも弱まるのではないか、と思います。

 でも、私がとても心が痛むのは、心を閉ざし、親とも殆ど話をしなくなった青年たちのことです。会話があれば少しづつ理解を深める可能性はありますが、ない時、親は「本人が望んでいるのなら」とそっとしておくか、でも「このままでは」と思いながらも、「どう向き合うか」――解答が見つからなく、苦悩する親の方たちの思い―に心が痛みます。

 そうした中でも親はどう生きるか、「親の生き方」が問われる、とおっしゃった方もいます。

2013/03/02

心と体は一体――その声を聴こう――

  2月号で、「普通や理想を求めると、それができない自分を責めて精神的病を引き起こしたり、体も不調になり、そしてそれからの回復を遅らせる」ということを述べましたが、なぜなのか考えてみたいと思います。

 普通になりたい、とか理想を求めることは頭で考えることで、本当に心から思っていることではない、それ故に矛盾があり、葛藤があり、心を苦しめる、そして我慢し頑張れば、頑張るほど、精神的に苦しめ、痛いとひき起こすのだと思います。

 1月号の青年の思いの中の言葉「普通になりたい。理想を求めてきた。自分の本当の気持を抑えて、相手の気持ばかりを優先して考えて来た。我慢し、頑張って来た。心の調子も体の調子も悪い。心が悲鳴をあげているのを無視していた・・・」は、悲痛です。

 その“心”はどこで感じるのでしょう。

「心が痛む」時、胸のあたりがちくちくします。精神的なストレスがあると、胸のあたりに、圧迫感を感じ、ストレスがたまると、体もピンピン、というわけには行きません



心は体で感じるもの、心と体は一身同体だと、考えてよいと思います。

 ですから、「何かをしなければ」と思う時、「本当の自分の気持はどうなのか」を自分の“体に聴く”ということをした方がいいと思います。体の中心、胸のあたりやお腹の辺りに注意を向けて、「自分は本当にこれをしたいのか、本当に求めているのか」を尋ねてみた時、息苦しさや圧迫感を感じれば、それは本当の気持でないという事です。

 「~しなければ」「~であるべき」と考えるのは頭でです。頭と、心身の不一致が行き辛さや病いをひき起こすわけです。

 文化が進み、都市化が進み「皆に遅れないように」とか「~でなければ」という価値観が多くなり、物質的には豊かになりながら、生き辛さを感じる人が多くなりました。(多数のひきこもる青年や不登校児、そして自殺者!)

2013/03/01

ひろがる、つながる――地域の人々と――

  家から出られない、人と交われない、不登校やひきこもる青少年を訪問し、話し相手になり、少しでも人と交わる楽しさを感じてほしい――という目的で始めた「訪問支援ボランティア養成講座」が、道草の家に来ている青年(男、女)、現・元ボランティアスタッフ、母親など8人が参加しましたが、一応終了し、2月からは継続研修を行っています。

 そして、「お年寄りの話なら聴けそうだ」と言った青年もおり、独居老人など話し相手がいない方を訪問し、話相手になることも、青年の優しさを生かすことができると思います。

 近所の民生委員の方に相談しましたら、お弁当を月1回届けるお年寄りもいたり、「ふれあいサロン」と言って、年令を問わず集まって話をしたり、歌を歌ったり(2月は折り紙でお雛様を折る)――など楽しむ集まりがあることを聞き、参加しました。

 “身近な所から進める活動の大切さ”を改めて気づきました。“ひきこもる青年の居場所”を12年前に始めた時は、他県からも来たりして、広く呼びかけなければ、と思ったのですが、そんなに大勢のケアをする容量はある訳ではなく、身近な検見川町(1丁目から5丁目もあり)の中で、不登校やひきこもる青年に対し少人数でも、「話し相手になったり、居場所がある」ことを伝えられたら、と思います。

 花見川区の社会福祉協議会にも相談しましたが、ボランティアとして登録し、また民生委員の方たちを通して、一緒に地域に加わったら、――というアドバイスを受けました。

 また、船橋市に、障害者のための社会訓練の場として「ひなたぼっこ」という喫茶店があることを、そこで音楽で交流している、シンガーソングライターの古田さんから聞き、訪ねてみました。中心になっている理事の方と話す中で、かねがね、道草の家に来ている青年の作品(パステル画やコラージュなど、青年の集いでのカリキュラムにあります)を発表する機会がないかと思っていたのですが、喫茶店の壁面に展示することを考えて貰えることになりました。

 道草の家の活動を少しでも多くの人に知って貰う機会になれば、と思います。理事の方とお互いに「広がりますよね」と話し合ったことでした。

 道草の家を始めた原点、パンフレットを作る時にみんなで考えた「道草の家からのメッセージ」の最後の言葉に戻り、細やかでも活動を続けられたら、と思います。

小さなお子さんからそのお母さんや青年から中高年の方まで、世代を超えて自分を大切にし、そして人を大切にする心が育まれることを願っています。

2013/02/14

雪の日に思う

 1月14日、関東に久しぶりの大雪が降りました。朝、窓の外を見ていると、雪が降ってるのが見え、そして「みぞれみたい」と思う間もなく、白い雪に変わって来ました。その日は外出の予定もなく、雪を見て過ごしましたが、鉄道もストップ。一旦、鉄道で外出した人は、帰るのが大変でした。
 北陸や北日本はこれどころではなく、屋根の雪降ろしなど、外の仕事をどうしてもしなければならずまた、バスなども走らない時もあり、雪に閉ざされた生活になります。私などは外へ出るのも寒くて、億劫、――でも子どもの頃は大雪が降ると嬉しく思いました。兄が雪のトンネルや雪の階段を作ってくれましたし、祖父が作ってくれた簡単なそりで坂をすべり降りたり、楽しい遊びができました。
 初めて中学の教師をした冬、かなりの雪が降り、授業をやめて生徒たちと雪合戦をしたことが思い出されました。もう何10年も前のこと、「若かったな」と思います。
 何10年の前のことも、昨日のことのように思い出され、その後今まで色々なことがあり、色々なことを体験し、色々なことを感じながら生きて来て、今がある。今の活動がある・・・それを思うと、私は何を楽しみ、何を苦しんで来たのか、という思いも浮かびます。今、青年や親の方と関わりながら、重なる部分もあり、重ならない部分もある、時代も大きく変わりましたし、私の個性や個人的体験もありますから。でもやはり青年たちの心の苦しみ、生き辛さは身近に感じます。

無邪気さからコンプレックスへ
 まず、小学生までは遊ぶことが楽しく、友だちと無邪気に遊んでいたな、と思います。一人で本を読んだり、絵を描いたりするのも好きで、それは、中学、高校と続き、今も読書や絵を見るのが好きです。
 でも、中学の終わりから高校にかけては、反抗期にもなり(養女になり一人っ子ということもあり)親の過保護、過干渉が、とても苦痛になりました。でもそれをはっきり言えず、悶々としました。もともとおしゃべりな方ではなかったのですが、言葉の表現や、喜怒哀楽の感情の表現もあまりできず、「しゃべれない」というコンプレックスになりました。親しい友だちとは話せますが、特に大勢の中だとか、社交的な場での言葉が出ない、言葉を知らない、それはその場、その場での的確な判断力もない――ということにもなり、今もだいぶ薄らいではいますが、感じます。
 よく、親の方たち、特にお父さんが、「自分は頑張って仕事をして来た。頑張ればできるはず、働けるはず」と言いますが、私は「こうなりたい」と思ってもできないことがある――と実感しています。
 結婚して社宅生活をしている時も、社交性がないこと、気がきかないことは居辛い感じがしました。「何か足りないのかな」という思い・・・やはり家庭の主婦、子育てだけでは満たされない思い。そして「常識で」で囲まれてる感じもし、圧迫感も感じました。それが、家庭の外に出て勉強したり、活動したり、仕事をしたい、という思いにさせたのかもしれません。

“普通”をめぐって
 会報1月号の「青年の思い」に、「『普通になりたい』と思って、理想を求めてきた。でもそれ自体が生き辛さになることに気づいた」と書いた青年がいます。青年の言葉に改めて日本人の多くの人が持つ“普通”という価値観を考えました。
 日本は古来から農耕で成り立っていたムラ社会で共同体意識が強く、「みんなと同じように」「他の人に合わせて」という価値観を持っていました。村の人々が同じような生活をしていれば、助け合いながら“同じように”ということも必要であり、そんなに難しいことではなかったかもしれません。でも近代化が、都市化が進み、様々な生活がなされるようになりました。そして文化も多様になり、様々な芸術(音楽や衣装も実に様々)、趣味も多様になりました。
 でも「みんなと一緒に」という価値観は残り、また、「人それぞれでいい」と思う余裕がなく、多くの人は「みんなと一緒に」に安心感を覚えるようです。多数の人の歩く道が“普通”であり、それが“幸せ”なこと――というような価値観が根強いように思います。でも、人はそれぞれ個性があり、育つ環境も違い感じ方も違います。感性豊かで感受性が強い人ほど、そうした価値観に違和感を覚える、それを無理に合わせようとしたり、自分の方を否定すれば、精神的な不調をもたらすことになります。
 青年たちに“普通”に対する思いを聞いたのを青年の思いの所にまとめましたが、“普通”や“理想”を求めると、それができない自分を責めて、精神的な病いを引き起こし、それからの回復がなかなかできない、と言っています。また、“普通”という価値観を意識からなくし、或いは、“普通でない自分”を認めると、こだわりがなくなり、気持も楽になり動き易くなる、と言う青年もいます。
 私は、「常識がない」「しゃべれない」というコンプレックスを感じながら生きて来ましたが“普通でない”ことを認めていたようで、むしろ“普通”に反発を感じていたとも言えます。それが、失敗しながらも、色々と活動をして来た、起因になったかもしれません。沢山の失敗をして来た、これからもすると思いますが、人生そのものは失敗とは思わないでしょう。これから何10年も生きる青年たち、“普通”にこだわらないで、自分の心身が求める生を生きてほしい、と思います。
 自分にとって意味ある価値観は何でしょうか。

2013/01/11

明けましておめでとうございます                     

 新しい年を迎える時、幼い頃のお正月を思い出します。
 元旦の朝、兄や友だちと一緒に低い山の上にある八幡様にお参りに行き、鈴を鳴らし、手を合わせて拝みました。何を願ったかは覚えていませんが、空気の冷たさと共に清々しい感じになりました。
 新しい年にはっきりした希望は持てませんが、何か新しい変化がありそうな、胸がファっとするような感じがします。まわりの人たちと共に、自分のできることを精一杯行いながら、ささやかなことでも変化のある年にしたいと思います。
 どうかよろしくお願いします。

 
 つながりを求めて・・・
 元旦、特に神社に信仰があるわけではありませんが、毎年神社にお参りし、手を合せています。何となくの習慣です。お正月には有名な神社には大ぜいの人が訪れます。1年に1回お祈りし、お願いするだけでも、気持が休まるのでしょう。私は「この1年、みんな無事で過ごせますように」という漠然とした言葉が浮かびます。人間と動物の違いは、宗教を持つことかと思います。
 人間は昔からそういうものを求めて来たように思います。何か、目に見えないものに守られている、先祖が見守っている、そして、そのもとに、今生きている人もつながっている・・・。つながりを求めている、つながりの中心になるのが、先祖とか神社にまつられている神・・・。
 今、世界中に、沢山の国、沢山の人種が存在していますが、もとをただせば、もとをたどれば、類人猿から分かれた一人の人間だったのではないでしょうか。
 まわりの自然の中に、一つ一つ(一人一人)神が宿る、という思い・・・その神々のもとに、人々がつながっているのを感じるのは人間のみであり、それ故、人間は生きのびてきたのだと思います。でも、その謙虚さが失われた時、自然の造反が襲ってくるのではないでしょうか。


  学校教育(つながりは・・・?)
 道草の家で関わっている青年(彼、彼女)、10代の少年少女(親の相談も含めて)の悩みを聴き、彼らの心の苦しみを感じる時、なぜ、そんなに生き辛さを抱えるようになったのか――を考えてしまいます。主として共通することは、中学、高校(入学してすぐ)で不登校となり、その時の心の傷をひきずり、その時、学校時代に刻みこまれた価値観が、今も大きく影響しているように思います。要因は一つだけではありませんが、感受性が強く、また真面目で、あるだけに、学校教育の問題をもろに、受けたのだと思います。そうした折、「子どもの声を社会へ」という本に出会い
非常に共感しました。子どもオンブズパーソンの著者の言葉を参考に考えて行きたいと思います。
 私が子ども時代、また50年前私が中学校の教師をした頃は、いじめも、不登校もなく、のんびりしていました。でも、私の子どもが小、中学生の頃は、競争意識が出始め、不登校になる子も出るようになりました。それは、経済の高度成長を平行して、高まって行ったように思います。誰でも高校にはいれる機会ができた――ということで機会は“平等”なのだから、あとは本人の“努力”だ、ということになりました。そして学力があれば、いい高校にはいれ、いい大学にはいれる、そして、いい就職ができる、という路線ができ、学校教育の最大の目的は「学力を高める」こと――だという方向に教師も親も進みました。「学力」を高めること、そのための「努力」のみが、子どもへの激励となって来た。それは、日本の経済力を高めることになる、社会全体の価値観と同じです。
 日本は経済成長を続けました。(今は限界になり、成長神話をやめさせねば、という時に来ていると思いますが)

 それで私たちは心豊かな日々、幸せ感を抱いて過ごせるようになったでしょうか?
 不登校の子どもたち、社会に出られない、ひきこもる青年たちの生き辛さ、苦しみを思うと、「学力を高める努力」、に問題があったと、思われてなりません。
 努力すれば、高められる、それができないのは努力しないから、という「自己責任」となってしまい、「努力しようとしてもできない状態にある」或いは「努力しても学力は高まらない」という「弱い状態にあること」「弱いままでいられる自由」を無視することになってしまいました。
 子どもは同じ能力を持って生まれてはいない、ある面では高く、ある面では低くそれぞれの能力、素質を持って生まれています。
 「競争」「努力」「自己責任」には何が抜けているのでしょうか。一人で頑張る―
―というイメージであってそれは他の人を排除すること人とつながることを拒否することになると思います。
 不登校の子、ひきこもる青年の苦しみは、人とつながれない苦しみ、辛さだと思います。 中学校で不登校になった少女の話を聞くとグループに入れないことが辛くて・・・と言います。グループの人たちが話してる、趣味とか、アイドルのことなどに合せられなくて、仲間に入れなかった。また高校入学して、心新たにして、と思っても自分から仲間に入れなくて、数日で不登校。
 それは、本人の問題というより、不登校をしない生徒たちにも本当のつながりを感じなくなり、本当のつながりを求めなくなったのだ、と思います。仲間グループができても「仲間に違う考えを言っても仲間でいられる」という安心感がないし、一人ぼっちの子に声をかける余裕もない・・・

 私たちは、教育を、生き方をどう考えたらいいのでしょう。学校教育は集団の中で人間関係の体験をし、自立に向けてお互いに成長していく――そのために様々な関係性を持ち、分かち合う場であると思います。競争による緊張感はゆるめるべきことでしょう。
 社会生活は競争だけでは生きていかれない。どんな強い人でも、一人では生きていかれない。一人で完結できるものではないと思います。力、知恵のある人は、”それを分かちあうこと”たと思います。(分かち合うために能力を持っている)
 弱い人は弱いままでいられる――助けを求められる、受け皿があるという社会。昔はしゃべれない(苦手な)人はしゃべれないままで、それに合った仕事がありました
。 「学校は仲間に会えて楽しい所」というイメージが取り戻せたら!!(私はそうだった)
 子どもオンブズパーソンの著者は、相談してくる子どもの声を聞いて、それを社会につなげたい――と言っています。
 今苦しんでる子どもの声は、大人になりつつあったり、大人になった(かつて不登校だった)青年たちの声でもあります。 今もなお、不登校やその後のひきこもりに自己否定感を強く持ち、苦しんでいる青少年(彼女、彼)が、それを乗り越え、むしろその体験を生かして生きることができたら、と新年を迎えて改めて願います。
(『子どもの声を社会へ』桜井智恵子著 岩波新書)

2012/12/03

年の瀬に思うこと -活動を振り返って-

 今年もあとひと月、いつもながら月日のたつ速さを痛感します。大きな問題がなかったから、そう感じるのかもしれません。また青年の集いを中心に精一杯やったつもりですが、目に見えた成果はなかった、と言えるかもしれません。主なことをまとめてみたいと思います。

【訪問支援ボランティア養成講座】新しい試みとして、10月より月2回、計8回まで始まりました。現、元ボランティアスタッフ、親、青年たち(道草の家の)が、10人ほど熱心に学んでいます。親の方は自分の子どもの関わり方を学びたい、と必死のようですし、青年たちも自分の体験を生かしたい、という気持もあり、感性も豊かで、2人組んで訪問できるのでは、と思います。

 自分から、人と交わらない、家から、殆ど出ない、青年や不登校児や青少年に「訪問していいですよ」ということをどうやって伝えて行かれるか――をこれから考え公的機関にも交渉に行かなければ、と考えています。

【親の方たち】親の会に来る方も、相談に来る方も、様々な経過をたどり、「何とか回復してほしい、社会に出てほしい」と強い思いを持ちながら、様々な経過で今になっており、お互いに“難しさ!”を感じます。

【青年たち】アルバイトをしている青年が時々来たり、フルタイムで働いている青年が転職の合間に訪ねて来てますが、新しい青年があまり増えず、その日によって少い場合がありますが、個人的な対応が十分できる、という良さもあるようです。

【不登校クラス】現在17才、18才の生徒が来て、青年の集いに加わっています。パステル画などで言葉では表現できないものを描いたり、創像の喜びを、みんなで(青年もスタッフ)味わっています。中学生の年令のお子さんの相談もあり、実際に来るようであれば、別個に不登校クラスを設けたいと思ってます。

【ミニライブ】古田君のライブは3回目ですが、今回は私の友人の横笛も加わって楽しさも増えました。道草の家の3階の広間も10名以上でいっぱいになりました。横笛では日本の古くからの歌、童謡や子守唄などが演奏され、その後、古田君の絶唱に聴き入りました。



「分人」ということ

 私自身も色々なことで動揺したり、うつ的になったりもしますので、確固たる信念や信仰があれば生き易いかな、と思わないでもありませんが、青年たちの心はあまりにも繊細であり、また自分の思いを追求したり、責めたり、考え深いところもあり、非常に微妙であるため、多様な関わりが必要です。心が楽になり、自分を肯定できるよう、カウンセリングの基本、「受容、共感」でもって関わるように心がけていますが、それだけでは足りないように思えて、「人間」とか「社会」、「生きるとは?」をどうとらえたらいいか、――などをも模索しています。

 このところ来所はないが、電話で時々話す青年が「最近読んだ本が面白かった」と言い、その題名を教えてくれました。「私とは何か――個人から分人へ」という本ですが、買い求めて読みました。「そうだ!」と思いました。

 一つの本当の自分があるわけではなく、相手との関係によって、相手との相互作用によって様々な自分になる。相手によって違う人格を見せているのを見て「本当の自分はどっち?」などと問いつめがちですが、どれも「自分」であり、それを著者は「分人」と名づけました。そして「私たちは日常生活の中で複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている」と言うのです。

 それから「他人について知りうるのは、相手の自分向けの分人だけであり相手の全てを知るわけにはいかない。相手との関係の中で、ネガティブな分人を感じるのは半分は相手のせい、またポジティブな分人を感じるとしたら他者のおかげ」とも言っています。

 また、「死にたい」とか自分を消したいのは、複数ある分人の中の「一つの不幸な分人」――と思った方がいいようです。自傷行為は、自己そのものを殺したいわけではなく一つの分人のイメージを殺そうとしているのであって、その他の分人は生きたいのであり、死にたい願望ではなく、生きたい願望の表われだ――というのも納得できます。

 人が変わる、成長するのは新しい他者との出会いを通して、自分の分人が変わっていく――親との分人をベースに対人関係を増やしていくことで様々な人との分人を形成されていく・・・

 自分のことが嫌いな人、「ダメだ」と思う時など、自分の分人を一つずつ考えてみて、誰といる時の自分が好きか、を考えてみれば、好きな自分の分人がいるはず――「好きな分人が一つでも二つでもあれば、それを足がかりに生きていけばいい」との言葉!(生きた人間でなくても、書物の中の人物、言葉なども自分を肯定するための入口になるとも言ってます)「自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だ――分人主義の最も重要な点」という著者の言葉は考えさせられます。

 青年たちに自己肯定感を持ってほしい、といつも願っているのですが、青年たちはある人との関係の中でマイナスを感じたとき。「自分はダメだ」と自分を全否定しがちですが、それはその人との関係の分人にすぎず、肯定できる分人もいるはず――そう思うことができたら、と思っています。好きな分人、肯定できる分人を一つずつ増やしていけたら!

 他者との出会いで分人が増え、分人も変わる――というのは他者との出会い、相互作用でその人の分人が変わる、その人も変わる。他者との出会いでその人の分人が変わる、その人も変わる。成長するということで、自分が変わるには他者との関わりが必要(それは書物でも)ということになり、ひきこもって他者との関わりがない場合、その人だけで変わって、社会に出る、というのは非常に難しいように思います。

2012/11/11

宮沢賢治の生地を訪ねて

 10月の初旬、岩手県の花巻、宮澤賢治の故郷を訪ねました。宮澤賢治の童話は大好きで、以前から賢治が生まれ、生きた故郷を訪ねたいと思ってました。
 花巻は内陸なので地震の影響もなく、のどかでした。小高い山の上にある賢治記念館からは、北上川や森や田畑が眺められ、こういう所で賢治は過ごしたのだ、北上川が水が少くなったとき、現れる泥岩を見て名づけた「イギリス海岸」の辺りを農学校の生徒と歩いた様子が目に浮かび、懐かしさを感じました。
 賢治は去年、地震の後賢治の「雨ニモマケズ」の詩がネット上で誤解されたりもしましたが、「雨ニモマケズ」は、晩年手帳に書き、死後発見されたものです。公表したいと思ったわけではなく、自分自身の理想的生き方を書いたものと思います。また地層や星空などにも興味を抱き、農村の貧しさに心を痛め、田畑の作物がよく育つよう肥料の研究もし、村人にも指導しました(死の間際まで)。 多様なものへの関心をあまりにも急いで行動に移したためか、37才で早世しました。
 何と言っても賢治の魅力は童話だと思います。賢治は仏教(法華経)の信仰も強かったようですが、童話はそうした宗教くささ(説教的)は全然なく、ファンタジックでユーモアに満ちていて、穏やかな自然の営みを感じさせられるものが多いです。動物も植物も森も山も、心があるかのように、会話をしている様子が描かれています。人間と動物が会話したり、森が会話したり(どんぐりと山猫)、鉄道のレールの側にある信号機や電柱も会話します(シグナルとシグナレス)。
 なぜ、賢治に魅かれるのか――今の社会、あまりにも「自然」と離れてしまってギスギスしている、物質的なものにとらわれているように感じるからかもしれません。「自然」にも心があると思えた時代。「自然」には神が宿ると感じられた時代!
 「自然」と会話できる、賢治、それを童話や詩に表現し、残してくれた!
ふと、私も「自然」と会話できるのではないか、近くにある草や木に、雲や月や夕日に、虫や鳥に私の方から声をかけたら、答えてくれそうな。そうすれば「みんな一緒に生きている」と思えるのではないか、とふと今、思いました。


発達障害

 「訪問支援ボランティア養成講座」が始まり、現、元ボランティアスタッフ、親、青年達が参加しました。2回目は「発達障害」(生まれた時から脳に微細な障害があてアンバランスな発達になる)についてですが、(6頁にも載せてあります)身近にいる発達障害を持っている青年・少年のことも話され、具体的な難しい問題も出されました。
 ある中学生の場合、本人も他の人と違った面、自分でもどうしようもない面があることを気づいていても「障害」という語がはいっているため、受け入れられない。そして触れたくないため、「支援してほしい」とも言えない・・・親子で悩みながらも、「生き易さ」の方に進めない。
 また、ある青年は、就職したが、上司からの指示をうまくとらえられず、仕事ができないことで、うつ病になり休職した後、「アスペルガー症候群」であることが分かり、職場復帰後は、指示の仕方をくわしくするなどの配慮で、仕事をすることができた――というケースもあります。
 言葉にないことも、読みとる、他の人の気持を想像することができない――という
「アスペルガー症候群」は、自分もまわりも理解し、意識することで補うことができると思います。 そして、ケアをしないまま大人になると二次障害のうつ病などを起こすこともあります。
「個性だ」と言って、ケアをしないのも、「障害」ということで偏見を持たれるのも
、本人を生き辛くさせます。「自分にもあてはまる」という発言もあり、「誰でも多かれ少なかれそういうものを持っている、グレーゾーンがある」ということにまとまりました。
 人は完璧ではなく、色々な欠けてるものを持っているわけで、そういう相手も自分も許しあえるようになりたいものです。

居場所

 数年前にはよく来ていましたが、仕事を始めてからあまり来なくなった青年が、久しぶりに、3年ぶりぐらいに訪れました。仕事をやめて一人暮らしですし、人恋しさもあるのでしょう。以前にくらべ落ちついた話しぶり。介護関係の仕事をしていたので、もう一人集いに参加していた青年も介護関係の仕事をしており、話がはずみました。また、10代の女の子にも優しく話しかけていました。以前は、自分の心の悩み、苦しみを訴えていましたが。
 そして、時々来所する青年、精神的に落ちて、働くことはできませんが、知的障害者の作業所(喫茶店)で音楽活動をしている青年が言っていました。彼の友だち、働いているのですが、「ぼくは働くひきこもりだ」と言っている、とのこと。職場ではある程度話はするけど、帰宅すると、一人暮らしで、まったく人と話をしない。人との関わりがない、時々彼と楽器の演奏などをすることが唯一私生活での人と関わり、そして「なんで生きているのか、君の方が生きているよ」と言うそうです。
 道草の家では数年ぶりに訪れたり、電話がかかって来たりします。話し合いが中心で、就職先を探してあげるような活発な活動は特にしてませんが、思い出してくれるようです。
 でもまた、テレビなどで見聞きするのですが、若者のホームレスが増えている、ということには心が痛みます。ある青年は数年前に地方から東京に出て、寮のある職場に就職したのですが、解雇され住む所も失いました。その数年間家族とは連絡とっておらず、実家に戻るわけには行かないようです。アパートを借りるお金もなく、住所不定では、アルバイトでもなかなか雇ってもらえず、時々日雇いをする程度。炊き出しの列に並んだり、路上などでダンボールの中で寝る――という姿が放映されていました。
 どうしてこうなったのでしょう。家族関係も薄くなったし、悩みを話せる友達関係も作れないし、孤立していく若者。そして働く場を見つけられない。経済的には豊かだと言える日本ですが、全体として、助け合う、支え合う、という人間関係がなくなってしまった。居場所、誰にとっても、いつでも訪ねられる居場所が方々に必要なのでは、と思います。

2012/10/03

遊び、いじめ

  子どもの頃、自由に遊ぶとは楽しいし、友だちと遊べばけんかもするけど、人間関係を学べる。そして何よりも「生きることは楽しい、楽しいことがあるんだ」という思いを無意識にも植えつけられると思います。大人になって、辛いこと、しんどいことも多くなりますが、「楽しいことをしよう」「楽しみたい」という思いが浮かび、何らかの形でそれができるのではないでしょうか。

 子どもの頃、9才までは田舎に住んでいて、自然の中で思いっきり遊んだ思い出。友だちとれんげをつんで首飾りにしたり、れんげ畑ででんぐり返しをしたり、栗の実を拾ったり、いなご取りや落ち葉拾いは授業中にやりました。小高い山の中腹の大きな石の上でままごとをしたり・・・今でもそういう遊びをしたいと思いますが、そうはいかず、時々旅行をしたり、木々が繁る公園に行ったり、青年たちと紅葉狩りに行ったりしています。そしてそういう場面が出る映画やテレビを見たり、絵本を見たりしています。絵などの展覧会などに行くのもそのつながりかと思います。私にはそのような解放感を感じる場が必要なのですが、それぞれにそれぞれのものがあるかと思います。

 最近、「いじめから自殺」という痛ましいことが続いています。

 いじめの暴力を“犯罪”として厳しく扱う―という意見も出ていて、それは必要だと思います。いじめる側の子どもの心はどんなのだろう、と考えます。(いじめを受けた子どもが、すぐに相談できる体制ができること、いじめから逃げられる―ということも大切だと思いますが)

 多分、彼らは、満たされないもの、鬱積したものを持っているのだろうと思いますが、学校教育の中で、競争によって学力を高めようという競争主義が(経済発展の競争主義)学校の仲間を支え合う、助け合う仲間としてでなく、競争相手になってしまい、心を許せる友だちとは見ない、ということがあると思います。

 そして子どもたちに自由な時間がなくなった。帰宅後も塾やお稽古事にとられ、携帯を見ている時間が長く自由に友だちと心身を思い切り使って遊ぶという時間と空間が少なくなった(殆どない?)ことが大きく影響していると思います。

 遊びは自分の意志で行動する、その中で自分自身の主人公になる、自分が自分の主人公であることは楽しいことですし、主体性と自己肯定感を持つことができ、自立の力をつけることになると思います。

2012/10/02

自己否定感、自己肯定感について

  先月と今月、青年(20~30代男女)たちに自己否定感、自己肯定感について尋ねました。(会報に載せてないものも)。中学生の時にいじめに会って不登校になったり、摂食障害になったり、そして高校も登校できず、次第に自己否定感が強くなったと思われます。

 その後親の理解を得られるようになっても、なかなか自己否定感から抜け出せない。それは競争主義が学校にも根強く、どうしても人と比較してしまう。また、ひきこもっていた時期が長いと、「ふつう以上にならないと社会の人から認められない」という思いにもなります。

 日本は「個人個人を大切にしよう」という社会、教育ではなく、「努力すればできる、頑張ればできる」と言う。でもいくらそう言われても、それぞれ、能力や性格に違いがあります。「何のために頑張るの?」自由な時間、楽しみ、遊びも犠牲にして――と私は思ってしまいます。

 そして、中学生ぐらいが特にあると思いますが、仲間グループにはいれない子は教室に居づらくなる、同じ興味を持たないとグループにはいれない、また「空気が読めない」ということも非難の対象になったりします。

2012/10/01

思春期

 道草の家で青年たち(主に女性ですが)と話をすると、自分の思春期、青年期を思い出し、重ねるところがあるようで、ふっと懐かしさを感じます。20代の青年は私にとって孫ぐらいになりますが、私の子ども(今、40代半ば)の思春期を思い起こし出しますし、三世代の思春期、青年期、20数年づつの差の中で、共通なところと社会、学校などの変化の影響も強く感じます。

 子どもから大人になる過程の思春期、私自身も、自我に目覚めて思い悩む時期でした。でもそれを話す友だちがいました。

 今、道草の家に来ている女性は、中学で不登校になった人が多く高校も登校できず、20代初め(或いは半ば)まで強い屈折の中にいたり、高校に行った人も心の悩みを話す友だちはいなかったようです。

 道草の家が、そうしたことを話す場、機会になれば、と思います。思春期は親から自立して行く時期ですが、不登校などであることの苦しみ(自分を責めて)が強く、親は守ってあげなければならないということもあり、親ばなれは遅くなります。依存関係になってしまうと、それから抜け出すのも容易ではなくなります。

2012/09/07

こころ

 文明が発達するにつれ、本能のままに生きられないことが多くなりました。こころが複雑になって、また微妙、あいまいでもあります。心の問題は数式のように「2+2=4」というようなすっきりした解答があるわけではなく、難しさを感じます。

 青年たち(10代~40代の男女)も親の方も、そうした明確な解答がないだけに、モヤモヤした不全感をいつも感じているのではないでしょうか。はっきりした道筋、方法があれば、それに向かって努力したい、と思わない方はいないでしょう。

 今の社会(日本)に生きている、という運命かもしれません。他の国より複雑で、悩み苦しむ人が多いような気がします(ひきこもりの青少年が多い)。ある青年が「自分は社会に合わないように生まれた」と言いました。子どもの頃からグループで一緒に行動することが苦手だったし、社会に出ても(アルバイトをした)流れに乗れない、積極的に動けない、職探しもすごく難しかった、と言います。「親としてもどう答えたらいいのだろう」と、親も悩みます。

 私は、今の社会に合わないだけであって、他の時代、他の国だったら自分の特性を生かしながら生きられるはず、と思います。そして、青年たち、知性、感性など能力は豊かなのに自信が持てません。自信、自己肯定感が持てれば能力を発揮できるのに、と思います。(「青年の思い」の所で、自己肯定感について尋ねました)

 父親は、年齢的に大人になっても、働けない、自立できない子どもの事があまり理解できないのでしょう。伝統的にも働いて経済的に支えることが父親の役割というのがありましたし、自分は頑張って、仕事をやり抜いて来たのだから、我が子も頑張ればできる筈――との思いになる・・・

 男にとっては私的なことより公けの方が大切だ――という思いも昔からあって、会社優先の生活、(この頃の若い人は変わったようですが)子育て、家族のことにもそんなに関わらなくてもいいような錯覚があったように思います。自分もそう育ってきた(父親との関わりは薄い)のだし。

 でも社会の環境は変わっています。昔は、農業、漁業、そして街中の商店街など、親の働く姿や、近所の大人たちの働く姿や生活をいつも見て育っていました。

 子どもは、親の(他の大人の)生き方、生活の仕方を見て、学び取り入れて成長します(同一化)。そして、社会で生きるための社会性も身につけて行きます(社会化)。それが、今の、青年が育つ過程には余りなく、特に男子は、大人として、男性として、社会人として、父親から学べず、自信が持てないまま、成人したのでは、と思います。それが、ひきこもる青年が圧倒的に男子が多い大きな理由ではないか、と思います。(将来の期待が女の子より男の子に対して大きく、男の子の方がプレッシャーを感じる、ということもありますが)

2012/09/06

小さな自然と大きな自然

  8月は、蝉や小鳥の大合唱に起こされる毎朝でした。あんな小さな体であんな大きな音を出すなんて・・・7日間の全生命をかけるのでしょうか。また新聞を取りに外に出たついでに階段を上って、空を見上げるのが楽しみです。一回転しながら、ぐるっと見渡すと、白い雲が、実に様々な形で空に浮かび、芸術作品を見るようです。雲のない青空は、本当の青色でないような気がして、余り楽しくありません。

 8月の画廊巡りは、千葉市科学館のプラネタリウムに行きました。千葉の星空を映していて、久しぶりに星空を見ました。千葉の夜空も本当はこんなに沢山の星があるのだ!千葉で夜の空を眺めても「星がきれいだ」と思った記憶はありません。月はきれいだと思いますが。

 子供の頃は名古屋の住宅街に住んでいましたが、星空がはっきり見え、きれいだったことを思い出します。夜、お風呂をもらいに知り合いの家に行く道は北に向かった広い坂道で、北斗七星がよく見えました。夏には天の川が見え、流れ星も度々見ました。

 青年たちは、天の川も流れ星も見たことがない、と言います。星空を眺めると宇宙が出来てからの350億以上の年月、そして、地球が出来、人間が現れ、原始人から、今の私たちまでの何億年の遠い年月を感じます。現在の私たち――って何なのだろう・・・

2012/07/02

ゆるやかな架け橋

 先日、なの花会の講演会で、放送大学教授の宮本みち子さんの話を聞きました。ドイツ、デンマーク、オーストラリアなどでは、義務教育を修了できなかったり、高校中退した若者に対し、「学校に行かないなら働くこと」ではなく、就労までの「ゆるやかな、長い架け橋がある、とのこと、考えさせられました。

 ワークショップという形で自分の好きなことをやりながら、ゆるやかに地域社会とつながる体験をする。例えば音楽が好きな子数人を集め、楽器の練習だけでなく、地域のイベントを計画し参加したり、洋裁、手作りが好きな子たちは、地域から仕事をとってコスチュームを作ったり、動物が好きな若者たちは、牧場で馬や牛などの飼育を手伝うなど。そして、ワークショップの期間も手当て9万円ほどつき、親に負担をかけない、ということで誇り、自信もつく。

 日本では、学校に行かないなら仕事―ということで、どちらにも行かれない若者への配慮がなされていません。不登校になったり、ひきこもったりした時、こういう場があったら、エネルギーのあるうちに早期に手を差しのべる手だてがあったら、と思います。学校に行かれなくなったり、働けない自分を責めることが長く続いたために精神的不安定がひどくなり、通院、服薬が必要になった青年が殆どです。

 こうした青年たち、居場所に来たり、仲間との交流の中でエネルギーが出て来た者も多くいますが、すぐ「就労」を考えるのではなく、楽しみながらゆるやかな社会体験の場があれば、と思います。

 KHJひきこもり親の会関連の活動ですが、青森の果樹園で就労への過程(かけ橋)として、自由にいつでも参加してりんごを育てる――という活動が計画されています。なの花会の一人の青年が準備から参加する、と言っています。青森は遠いので千葉にもあれば、そして色々な内容のものがあれば、と思います。宮本さんの言葉のように、学校とは違った成長の場、学校と社会の間の、人間発達の多様な場が必要だと思います。

対人恐怖

 道草の家で関わる青年たち、表現力も豊かで社会に出ている人と何ら変わらないように感じますが、就労の方にはなかなか進めない状態――落ちこんで外に出られない時もあり、また一時働いても続かなかったり――何が主な原因なのだろうか、を考えると、「対人恐怖」が最も大きく共通するような気がしました。

 日本でひきこもる青年が多いのは、日本人の傾向として「対人恐怖」が強いからではないかと思います。私自身もなかなか対人恐怖から抜け切れず、未だに電話をかける時、非常に緊張します。(親しい人はいいのですが)

 対人恐怖――外国では殆どなく、英語ではその言葉はなく、日本語「Taijinkyofu」と書くそうです。人と自分の考え、感じ方が違う場合、すぐに「自分が間違ってるのでは」と思い、「自分はダメだ」という思いが浮かぶ。自分を否定的に感じるのは辛い、それを予想するために人と会ったり話をする時、非常に緊張するわけです。青年たちはいじめなどで傷ついた体験がある場合が多く、傷つき易く、また相手を傷つけないよう気を使ったり、まわりと違う行動をとることを怖れたりしがちです。

 相手から、自分とは違う考えや思いを言われると、全否定されたように思ってしまう。でも外国では、人と考えや思いが違うのは当たり前、その部分だけ否定したにすぎない、人間として否定したわけではない、という自覚があるのでしょう。オーストラリアや欧米に行って、「その国の人とつき合うのは、気が楽、裏表がなくて」という話もよく聞きます。「傷ついた」とか「傷つけた」ことによる心の痛みのない世界―に解放されたいものです。

 また、日本では「失敗」への責任が重い―ということもあるように思います。日常的には勘違い、ということもあり、失敗も色々とあります、そして、不登校やひきこもること(働かない)を、多数派からはずれることを「失敗」とみなしてしまう。ある青年が、高校生の時、不登校になった時に教師から「高校ぐらい卒業できないのは人生を失敗したことだ」と言われた、と話したことがありました。10代のうちに「人生の失敗だ」と決めつけられる!・・・

 失敗(本当に失敗かどうか分かりませんが)に気がついた時、やり直しができる、「やり直そう」という気持をまわりも認め、応援する、という社会風土であれば、と思います。日本は「自己責任」ということに厳しすぎるのではないでしょうか。

 これは、いろいろな考えがある、色々な生き方がある、――とはなかなか思えない、青年たち(親も)の生き辛さにつながっているように思います。

 自己表現ができたり、仲間と交流するエネルギーもあるのに、なかなか社会に(就労の方に)出られない、青年たちの几帳面な性格もありますが、「失敗は許されない」という思いも強いのかもしれません。

2012/07/01

小さな大自然

 先月号ではイタリアの小さな村のことを書きましたが、その後テレビのドキュメンタリー番組を何となく見ていると、ドイツから来た青年がかやぶき屋根の古い民家とまわりの自然に魅せられ、その民家を修復して、日本の女性と結婚し、農業をやりながら住んでいる様子が映されていました。ヨーロッパの青年が日本の田舎に魅せられるのだ、と思いました。その番組の題は「小さな大自然」でした。

 それから日本のあちこちにかやぶき屋根の民家が映されているのを見て、皆が大事に考えている様子を感じました。近くでは筑波山の麓に数軒、かやぶき屋根の民家があり、是非訪ねてみたいと思っています。

 私が子どもの頃、叔母の家、大きなかやぶき屋根の家に遊びに行った時のことが思い出されます。広い土間の一角には馬がいました。裏には、上の方から引いて来た湧き水が、竹筒からいつも水が流れていました。裏山には小学校の分校があり、学生の頃行った時も、木造の小さな校舎はそのままあり、運動場の端に腰をおろして眺めると、村の家々、そしてまわりには山なみが幾重にも広がっており、心も広がる思いになったことを思い出します。

2012/06/05

心の豊かさ

  必死に働いて来た男性(父親)、否定するわけではないのですが――「頑張った」という肯定感はあるのでしょうが、――生きていることを、生まれてよかった、という肯実感はあるのでしょうか。物質的には豊かになりましたが、心に豊かさを感じるでしょうか。家族とのつながり、まわりとのつながり、自然とのつながりを感じ、心が満たされること―は?(勿論、いつも、というわけではありませんが)・・・

 外国で暮らした方の外国の生活について書いた本を読むにつけ、外国では、働くことだけに時間を費やすのではなく、自由な時間を大切にするとの事――ある程度の物質的、経済的ゆとりも必要ですが、時間のゆとりが大切だと思います。

 家族や地域の人々と過ごす時間一人で過ごす時間、自由な時間を楽しむ時間がないがしろにして来たことが、現在の生き辛さを感じる一つの要因ではないかと思います。

 そして殆ど部屋にひきこもっている青年、ネットでゲームなどして過ごしているようですが、どんな気持なのでしょう。

2012/06/04

施設と家庭

 社会に出られない、ひきこもる青年たちと関わっていると、様々な要因はありますが、社会の影響も大きいし、その影響を受けた家庭の問題も感じます。35年前から10年ほど関わった、児童養護施設から社会へ出た青少年のことについて、やはり社会適応が難しいのは、それは、施設という集団生活の中で育ったことが大きい、その時思ったのですが、今は家庭で育っても難しい――という課題を改めて感じます。

 私がそうした青少年に興味を持ったのは、(財)青少年福祉センターが中心になって、養護施設から社会に出た人達の追跡調査をしたものをまとめた本「絆なき者たち」を読んだからですが、そこでは、「親子という絆、家族という絆がないために、社会に出た後、心の支えになるものがなく、そのために『もうちょっと頑張ろう』とか、ドロップアウトの方に向かう気持を抑える意識が弱い」というようなことが書かれていました。

 その青少年福祉センターは、その頃は養護施設(親の死亡、離婚、虐待などで、家庭では育てられない子どもを集団で育てる)で育った少年少女が中卒で働かなければならず(今は高校卒業までいられますが)「仕事が続かない」「ドロップアウトしていく」などの場合が多いため、そういう青少年のアフターケアをする所で、生活寮もあり、その活動を手伝いました。

 なぜそんなに社会適応が難しいか、を青少年たちと話したり、養護施設を訪問したりして、考えたのですが、集団生活であり、指導員や保母が交代で面倒をみるので、親密な関係が作れない、人間関係を作る能力が育たない、ということがあり、また集団生活なので大体の日課によって生活するので、主体性が育たない、など、大人になるための社会化がなかなかできない、というようなことを感じました以前は施設に育ったから社会適応力がないと思ったのですが、家庭に育った場合も、社会適応力が低いことも多いという現在・・・。

 どこが共通でどこが違うのか。養護施設で育ち、中卒でやむおえず社会に出る。けれど、今のひきこもる青年は社会が怖くて出られない、でも共通するのは人間関係が築けない、人間関係が怖いということだと思います。それは人間関係の体験が少い、希薄な人間関係の中で育った――からではないかと思います。

 高度成長期から現在まで、男性(父親)は仕事、会社中心で、厳しい、残業が多い職場でもそれをやり抜くことが、生きる目的のように頑張った。それ故、家庭で過ごす時間も少くなり、エネルギーもなくなり、自由な時間もなく夫婦や、親子の会話も少くなったり、殆どない状態、それは家庭の中でも人間関係が希薄になった、と言えるのではないでしょうか。特に父親から男の子に伝わる。社会性(社会で生きる力)が伝わらなかった、と言えるかと思います。