2009/05/01

生きづらさについて(2)

生きづらさについて(2)

   年会費ありがとうございました――これからも!

 4月に年会費をお願いしたところ、多くの方から送金して頂き、本当にありがとうございました。
 ただ、郵送費としてはまだ不十分ですし、充実した活動、運営のためにも、これからでも結構ですので送金して頂ければ大変助かります。
読者の皆さまよろしくお願い致します。


            アダルトチルドレン

 先月から、青年たちの生きづらさを考えているのですが、「人間関係がうまく行かない、しんどい」「気を使いすぎ、傷つき易い」などが多く、これは、、機能不全な家族で育った、いわゆるアダルトチルドレンの行きづらさでもあるようです。
 機能不全とまででなくても、いつも“いい子”でなければならなかった、素直な自分を出せなかった、――親の価値観や育て方で――ということが、大人になっても人間関係がしんどく、自信がない(ありのままの自分を信じられない)につながるようです。

 

「アダルトチルドレンの癒し」について書かれた本のチェックリストには40ほどの項目がありますが、青年たちと関連のがあるものをあげると

  •自分に自信がない
  •自分に対して過酷な批判をする
  •自分は生きている価値がないと思う
  •人生を楽しむことが下手である
  •他人から認められたいという気持が強い
  •摂食障害を起こしている
  •他人の目が気になる、被害妄想に陥りやすい
  •抑うつ状態に陥る

 私自身も生きづらさを感じて来ましたが、両親が仲が悪いというわけではなく、半分自分の意志で9才で養女になり、養父母との信頼関係が出来ないまま、思春期になり、大人になってしまった。
 大家族から3人になり、寂しさを感じながら、それを素直に出せず、「帰りたい」とも言えず、子供心に諦めを感じてしまった。
 大人になってもなかなか自己表現、自己主張ができず、自信がなく強い言葉にはひいてしまうような…そして時々うつ的になったり。

 でも、私の子ども時代は、勉強はそんなに重視されず、時間もあって、よく遊んだこと、友だちと楽しく遊ぶことができて大人になっても楽しむことができます。好奇心もあり、好きなこと、したいこともあります。
 ですが、青年たちの中には、子供の頃、楽しかった思い出がなかったり、今も好きなことも特になく、したいことも分からない、と言う青年もいます。

 そして、青年たちは「他人から認められたい」という気持が強く、「人と同じようにできない自分」――「働いていない自分」とか、「年齢相応の社会性がない自分」を“ダメだ”と思ってしまう。人それぞれだから“ありのままの自分でいい”とは思えない。
 「ありのままの自分では人に受け入れられない」(親にも人にも)という思いが心にしみついていると思われます。

 そこには、親が自分の思い価値観通りに子どもを育てたい気持が強く、子どもの気質に合わせたり、子どもの気質を尊重することに気づかなかったりして(親と子の気質とか時代環境も違う)、愛情がなかったわけではないのに…ということもあります。

 親が人に合わせること、協調することが苦にならないため、(性格的に外向的で、自己表現もできて)子どもにそれを求めるとか、母親が父親や祖父母に非常に気を使ってるのをみたり、聞いたりして、或いは両親の仲がとても悪く、中をとりもったりして、「母親のことが心配、支えなくては」との思いも起こり、我がままも言えず、「いやだ」とも言えない…そんな子ども時代を過ごしたことが想像されます。


            インナーチャイルド

 皆さんは自分の子どもの頃、小さかった頃を思い浮かべるとき、どんなイメージ、姿が思い浮かぶでしょうか。
 笑っている小さい子、泣いてる子、怒ってる子、何か訴えてる子、或いは何も浮かばない方もいるかもしれません。
 私は、笑ってる小さな子が浮かぶのですが、それを浮かべるとき、悲しい気持になります。小さな頃の悲しさがまだ癒されないのかもしれません。

 多くのアダルトチルドレンは、子どもの時心に傷つき、その癒し方が分からなかったため、その傷あとが残ったまま大人になってしまったと言えます。
 自分の心の中には、大きな傷のため成長が止まってしまっている子ども――それをインナーチャイルド(内なる子ども)と言います――が誰にも(大人になった本人にも)理解されず、認められず、愛されず、小さくなっておどおどしながら心の中にうずくまっているのです。

 インナーチャイルドは本来はその人の気質、性格と、子どもとしての普遍的な天性を持ったもので、本当の自分と言えます。

 生まれて間もない赤ちゃんから、育って行く赤ちゃんのイメージはどうでしょうか。
 あどけなさでいっぱい!自分の興味のまま動き、自分の気持のまま泣いたり笑ったり、そして新しいことに挑戦し、学ぶ力、好きなことに集中する力があります。

 でも、人と一緒に過ごす時、自分が好きなことだけを言ったり、したりして生きて行くわけには行かないのをだんだんと知って行きます。そして大人に近づくにつれ、様々な人と出会い、社会のルールに従うことも必要になって来ます。自分のインナーチャイルドと、大人として自制する部分とを折り合いをつけて生きて行くことになります。

 ですが、アダルトチルドレンは、インナーチャイルドが傷つき、抑えられて、成長しないため、ありのままの自分を認められず、ありのままの自分を出せず、(自制することも言葉を選ぶことも必要ですが)自発性や個性が出せずにいつも本来の自分を生きていない不全感を感じている、それが生きづらさの主な要因ではないかと思います。そして青年たちだけでなくその親の方も、私も、多かれ少なかれアダルトチルドレンではないかと思われるのですが。

 アダルトチルドレンから抜け出し、本来の自分をとり戻すには、インナーチャイルドを癒やし育てていく必要があると思います。どうしたらインナーチャイルドを癒し育てて行かれるか、関心のある方がいらしたら、一緒に学んでいきたいと思います。
 (参考文献 「アダルトチルドレン癒しのワーク」
          西尾和美著 学陽書店)

和田ミトリ

2009/04/01

生きづらさ

 冬に逆戻りのような日々はありましたが、春は確実にやって来るのを感じます。桜の開花は早いのに満開は遅い、自然は一直線には移って行かない、人間の思い通りには進まない。でも、日本は四季の変化が豊かで、自然を身近に感じられます。

 月末が近づくと会報を書かねばならないことを考え、「できるかな」という不安がよぎります。でもこうして1ヶ月を振り返りながら、感じることに集中してまとめて行くことは、私にとっていい機会が与えられている、“恵まれている”のを改めて感じます。そういう機会がないと1ヶ月、2ヵ月、漠然と過ごしてしまいます。

 青年の集いに参加している青年、訪問や電話で関わっている青年たちのことを思うと、青年たちは非常に生きづらさを感じており、心が痛みます。社会に出ている人も勿論生きづらさを感じている人は多いですが、青年たちは、そのため、なかなか前に進めない、そして、それぞれ生きづらさは少しずつ違うわけで、それを少しでも和らげていくのが道草の家の役目かなと思います。

 私自身、どちらかと言うと、生きづらさを感じて来ました。思春期頃からコンプレックスが強く、話すことが苦手、不全感を感じて、でも――だからでしょうか――社会と関わることをしたい、充実感を感じるようなことをして、身心を精一杯動かすようなことをしたいと思い、性格的に(てきぱき活動的でないので)合わないのにリーダーシップをとるようなこともしたりして、生きづらさを感じる日々を送って来ました。でもそうしたことを何もしないのも生きづらいのかもしれません。人間は単純ではなく相反する性格や思いを持つものでしょう。文明が発達し、社会が複雑になればなるほど、一層そうなって、生きづらくなるように思います。

          生きづらさと人間関係

 青年たちの生きづらさの多くは人間関係の問題のようです。「人間関係がきつい」「人間関係の作り方がわからない」「自信がない」「緊張する」など。

 「相手はどう思うだろうか。自分の言葉で相手が不快に思ったり、傷つくのではないか」「自分はこういう場(職場、人がいる場)で適切な言葉を発しているだろうか、年齢相応の話、言葉使いをしているだろうか」などとても気を使っています。気を使えないのではなく気を使いすぎています。(私は、ぼーっとした性格で母に「気が利かない」とよく言われました)。でもあまりにも、相手のことを考え、自分の気持を素直に出せないでいる、それがもやもやしたり、苦しかったりします。

 「相手を傷つけることは非常に悪いこと」という観念が強いように思います。それは自分が傷ついた体験を持ち、その辛さが分かるからでしょう。(繊細だったり、いじめを受けたりして)。人間はそれぞれ違うように、その人その人の思いがあって、傷つけるつもりでないことにも傷ついてしまうこともある、(単に考え方が違うだけでも)ということを子供の頃から認識する体験がなかったからかもしれません。その人の問題で傷ついてしまったのに、傷つけるほうが悪い――と一方的に思う人もいるわけで、傷つけたり、不快にさせることを全く避けては人間関係は築けないでしょうが、あまりに繊細だったり非常に辛い体験をしているとなかなかそうは思えないようです。また日本人は体質的に傷つきやすいということも聞いています。

         自己肯定感を得るには

 どうしたら、「少々人を傷つけるのは仕方がない」と思える、或いは深く傷つかないような自己肯定感、自己信頼感が得られるでしょうか。

 一つには「人の役に立っている」感謝され「ありがとう」と言われる体験を多く持つことかと思います。家庭の中で親や家族から「ありがとう」と言われる体験やボランティア体験をすることなど。

 そして、自分も意識して「ありがとう」と言う体験も大事では、と思います。昔から、ごはんを食べる時、「いただきます」と言いますが、稲を育てたお百姓さん、精米して、お店まで運ぶ人、お店で売るお米屋さん、そしてそれを買って来てごはんを炊いたお母さん(そのために必要なおかまやお茶わんを作った人も)…など沢山の人、八十八の手を経て食べられるようになったことを感謝する意味があって、「いただきます」「ごちそうさま」を言うのだと教わりました。

 その他、お金で色々物を買ってますが、そこには沢山の手が加えられているのですね。(お金さえあれば、好きな物が買える、好きなことができる、と思いがちですが、目の前には見えない沢山の人の手があってこそ、可能になるのだと思います。)

        心の不自由さを外したい?

 「心の自由、不自由」をもう一度考えてみますと、「したいことができない不自由さ」を第一の不自由とし、第二の不自由として「できるはずなのに」「誰でもできることを、できない自分はだめ」と自分を責めることなのですが、この第二の不自由さを感じなければ、心はそんなに不自由にならない、楽になると思います。

 つまり「うまくいかないこともある」「失敗したとしても、失敗することは本当に悪いことではない、完璧などありえない」「失敗するから何もしない――よりも、失敗するかもしれないけど、行動する方がいい」とは思えないでしょうか。

 日本人の風潮として「失敗は悪いこと」と言われ、(私の母もそう言ってました)自己責任ばかり追及されがちですが、もっと寛容になってほしいと思います。契約社会と言われ、責任も重視されるアメリカですが、失敗してもそれを回復しようと努力する人には応援支援する国民性があると聞きました。

 それから人間には先のことを考える想像力があって、先のことをマイナスに想像してしまう心の不自由さもあるわけですが、また先のことをプラスに想像する力もあるわけです。

 「自分はこういうことをしたい。こういうことをしたら自分はこうなるだろう」とか、「こういう自分になりたい」「こういう自分になりたいからこんなことをしたい」など、プラスのこと明るいイメージを抱く、それは脳を活性化させ、また脳の記憶の場所にそういうイメージが記憶されます。(SAT療法でよく言われます)。そしてエネルギーが出ます。そして明るいイメージの方に近づくことができる…可能性があります。

 人の心は不自由な面がありますが、視点を変えれば自由になることもあるのではないでしょうか。

和田ミトリ

2009/03/01

ひとりごと

 人と関わる私を見て「優しいだけでなく、強さも必要だ」という言葉を受けることがある。私は強い人、強い言葉にたじろぐ弱さを持っている。人に対し強いことは言えない。でも人と関わることが好きで、心の交流を求めてカウンセラーの道を選んだ(色々な活動、仕事を経て 私の心の根本にある感情は何だろう。10年位前は「悲しい」という言葉がよく浮かんだ。今は殆んど意識されないが、今、ふと心の奥にある感情をみつめると、“悲しい”という言葉も浮かぶ。でも多くを占めているわけではない。

 そう、少し悲しく、少し不安で(時には大きくなるが)、少しユウウツで(時には大きくなるが)、少しさびしく、少し明るく、少し暖かく、そして少し諦めの気持があり、すこし何か未来への期待があり…それが“自分”なんだという気持ちがある。若い頃は非常に自信がなく、悲観主義が強かった。今は「人間って、みにくい存在だ」と思う面もあるが、「人間ってやっぱりいいもんだ」との思いもあり、それが自分を支えて来たのだろう。

 また気質的に完ぺき主義ではなく、思いつめないところがあり悲観的な気持、ユウウツ感にとらわれることがあっても、好きなこと楽しいことをしたい気持も残っており、(映画、読書、テレビドラマ、美術館めぐりなど)、話ができる友だちがいた――ということが、今まで何とか活動を続けられた理由かもしれない。

 カウンセリングだけの仕事であれば、私のカウンセリングに合う人が続けて行くことでいいけれど、「道草の家」という所で大勢の青年や親の方、支援者などと関わる場合、できるだけ多くの人が、参加することで得るものがある――ことの考慮も!

 「私でいいのかな」とふと思うこともあるけど、スタッフに支えられ、青年たちから元気をもらいながら、(青年たちと話すのも好き)できるだけのことをやるしかない――よね、とひとりごと。自分の弱さを自覚しているからこそ、弱い人の気持になっている人、弱い立場の人、辛い気持になっている人の気持を理解し易い――ということもあるだろうし。でも十分に理解し、十分な対応ができないことも勿論あって、「許してほしい」と言う気持も・・・・

心の自由・不自由

 自分の気持ちはいつも自由だ――と思える人は少ないでしょう。生活が豊かになったのに、なぜこんなに悩むことが多いのか――と思う人が多いのでは。

 人間以外の生物、ある昆虫などは土の中、木(幹)の中に何年もじっとしていても悩まない。人間は知恵が発達し、明日のこと、さらにその先のことを考えるようになり、植物を育てたりして先の備えもできるようになった、でも一方、飢饉で食べられなくなるのではないか、という先のことを考えての不安の感情も生じて来ます。(以下、「心はなぜ不自由か」(PHP新書)を読んで共感したところをまとめてみます。)

 昔の人の生活は自然に支配されることが多く、選択肢が少ない一生でした。でも文明が進むにつれ多様になり、選択肢が多くなって来ます。目の前の対象を手に入れる自由が多くなればなるほど、手に入れられない不自由も多くなります。この自由とは「しようとしてできること」で、不自由とは「しようとしてできないこと」と言えますが、それを第一の不自由とすれば、できないと分かった上で、当初したいと思った、その思いそのものを、自分でコントロールできない――という第二の不自由が起こって来ます。

 多くの人がやっていることだから「できるはず」「かんばればできるはず」・・・でもがんばってもうまくいかないこと(第二の不自由)そして悩み苦しむ――ということは非常に多いのではないでしょうか。

 青年たちや親の方、今の日本社会を見るにつけ(自分も含めて)、第二の不自由に振りまわされ、辛い思いをしてる人が多いのを感じます。「多くの人が働いているように、なぜ自分は(子どもは)働けないのだろう」「なぜ、普通の、社会一般の人と同じようにコミュニケーションができないのだろう」「自分と同じくらいの年の人は結婚しているのに、自分はできない…」など、特に日本人は「他人からどう見られているか」「普通が大事」という観念があるので、多くの人(普通)からはみ出たことを恥しいと思いがちです。

 でも、しようとしてできないことは誰でもあると思います。素質、気質、それまでの辛い体験、そして体験不足などで。

 はっきりした障害があれば、それを自然の壁(人為ではどうしようもない)として、断念して、ありのままをひき受けて、それなりの生き方を考えて行こう、という思いに、切り変えられます。でも長くひきこもっている青年やいじめ、不登校を経験している青少年は、自立の力がついていないこと、目に見えない力不足もありますし、対人恐怖が強かったり、それ以上に強いコンプレックスという“第二の不自由”で自分を縛ってしまい、動きをとれなくしていると思います。目に見えた障害があるわけではないので、人は「がんばればできるはず」と思っているに違いない――という思いにとらわれて苦しんでいます。

東南アジアの子どもたち

 <青年の思い>の方でも語られていますが、フィリピンなど東南アジアの貧しい生活をしている子どもたちが、生き生きした目をしている――というのはなぜでしょう。一つには、今述べた心の不自由を感じていないからでは、と思います。一日一日を精一杯生きることで、他の選択肢がないことは、「もっと他のことをしたいのにできない」とか「できない自分はダメだ」と思うこともないからだと思います。できること(マンゴを売ったり、ゴミの山から売れるものを探したり)をやっているし、家族や友達と助け合って生きている実感があるからではないでしょうか。人とくらべることがなく意識しないでしょうが、お互いに認め認められ自己肯定があるでしょう。

 若いお母さんなど子育てに不安を感じ、神経過敏になっているのを聞きます。砂場で遊ばせるのも、猫や犬のふんがあるから不潔で病気になっては困るの――と言って遊ばせない――とかなど

 そして、他の子に遅れをとらないよう、1才から塾につれて行ったり、先の先のことを考えているようです。自分も人も信頼できなし、先のことを考え、不安になる、まわりとくらべて遅れないか、ふつうでないとどう思われるだろう。――と他を気にするから不安になる。親自身が不安であれば子どもが不安になる、日本の子どもたちは他の国にくらべ自己肯定感を持てない子どもが多い。そのままの自分を受け入れられない不自由を感じているし、それには、自分を肯定できない気持もあるでしょう。

 私たちが万葉の時代、万葉集の歌・防人の歌などに憧れ癒されるのも選択肢のない中で他とくらべることなく素直な自分の思いを、ひたむきな思いを歌っているからではないか、と思います。

和田ミトリ

2009/02/01

気になること

会報を作る時期、自分の文を書き上げる日が迫っているのに、はっきりしたテーマ、「これを皆さんに伝えたい」「皆さんと一緒に考えたい」というものが浮かびません。

胸とお腹のあたりに気持を集中して「何が気になっているのだろう」と問いかけてみる。しばらくの間。…「早く家の中を整理しないと」という言葉が浮かぶ。母が亡くなった後、母のものも、自分のものも整理して…それは分かっている。他のこと――やはり道草の家の青年たちのことが浮かぶ。いい方向に変化があった人、調子が悪くなった人、変化がなかなかない人…それから、NPO法人として活動をもっと充実したものにしたい…。

           青年たち

やはり青年たちができるだけ自分を肯定でき、自分らしく生きいき生きられる方向に歩んでほしい――ということが一番思うことです。最近一歩、二歩と踏み出した青年がいて嬉しく思います。それは急に――という感じです。

ある青年は1年以上通って来て青年の集いに参加していましたが、自分からはまったく話さず、質問に簡単に答えるだけの日々――が、急に自分から質問したり、答える時も色々と話すようになりました。それは、自分から話さなくても、他の人の会話を聞いているだけでも、言葉のやりとりが、体の中にはいっていたのでしょう。その2週間位までは、私の質問「この集いで話をすることは、来ている人と話し合い親しくなって、色々話せる仲間がほしいからか、それとも、アルバイトをするためにコミュニケーションの力をつけていからか」に対して、「仲間がほしいからではない、アルバイトのためのコミュニケーションができるようになりたいから」と答えていたのが、急に自分から質問したり声かけたり、自分の考えを言うようになりました。不登校になってから10年近く家族以外の人と話したことがなかったのですが、他の人に関心を持ち、仲間との会話を楽しむようになりました。青年たちが自分の悩みを話している場でも、適格な質問をしたり自分の考えを述べたり目を見張る変化です。

もう一人の青年は1年近く集いに参加していましたが(間が1ヶ月以上もあいたり、ポツポツという感じで通ってました)、自分からは話さないし、質問にもなかなか答えられない時があったりしていたのが、先日「相手のことを知りたい、とか、興味のあることを質問してみる」ことを順番にやってみることにして、彼に「質問してみて」と言ったら、彼は隣の青年に質問しました。そして、相手の答に自分のことを話したり、また質問したり、言葉のキャッチボールができ、会話が続きました。場面を設定して話易くすれば、きっかけを与えれば、できるんだ!――と嬉しく思いました。

また、「青年の思い」の中でも紹介しましたが、青年たちがグループで話し合うことの効果も感じます。今までも「アサーション(自己主張)」とか「認知行動療法」の時間を設け、お互いに悩みを話し合いながら、解決の方向を探る――ということをやって来ましたが、特にそういう時間を設けなくても、自然にそういう話し合いがなされることがあります。
ただ、こういう話し合いに参加できない、他の人と交わる(特に同世代)ことができない青年もいて心が痛みます。

中学や高校でいじめに合ったり、集団にはいれず疎外感を感じたりして、アルバイトをしても人間関係がうまくいかず、辛い思いをし、他人にも自分にも強い不信感を持ってしまった…青年たち。

ある青年は高校時代、集団行動に苦痛を感じ、自分はサラリーマンにはなれない、と思ったと言います。と言って他の職業のことは何も知らず、高卒後いくつかアルバイトをしたが、人間関係が難しく続かなかった。その後も、必死に応募しても採用まで行かず、一人で絶望的になったまま、「自分は働けない」という思いから抜け出せずにいます。「卒業までに色々な職業があり、自分にはどんな職業が合うか、を知りたかった。その機会があればよかった」とも言います。

またある青年は高校でいじめられ、それに親や教師が十分な対応ができず、何年もそれをひきずっています。自己肯定感が持てず、傷つき易く、しばしば怒りになります。他の青年とも共通するのですが、高校生に出会うのが非常に苦痛です。

相談される方のお子さんは、他の人に会えない、同世代のグループにはいれないという場合が多く、心のことは触れたくない青年がいます。(訪問などで私と話しながら、グループには参加しないで、働き出した青年もいるので、必ずしもグループ参加が必要ではないと思いますが)

人と会うのも苦痛、働くことを考えるのも苦痛、働くことは恐怖、という青年に、親や私たちはどう関わったらいいか。不安や恐怖をとり除く努力をするか、「働かなくてもいいよ」と言って上げれば苦痛はなくなるのか、その子にとって何が幸せなのか――

          啓蒙活動について

NPO法人としての道草の家の活動を広く知ってもらいたい、と同時に地域の人、一般の人にも役に立ちたい(道草の家の人材を生かして)という意味で啓蒙活動を積極的に行いたいと考えています。

その一つとしてコミュニケーションワークを公民館で行いましたが、前回は道草の家の青年やスタッフなど関係者が多かったので、(充実したワークで「継続してほしい」という声がありました)、次回は主として一般の方を対象に8回シリーズで4月から行う予定です。

もう一つは内部向けに(主として青年や親の方対象、どなたでも)ミニ講演会を開こうと考えています。まず理事の方たち、ユニークで豊富な仕事や活動をされてますので、その体験を話して頂くことにしました。(隔月に)

まず最初に3月15日(日)に帝京平成大学教授(生体情報学)の溝手宗昭先生に「興奮と抑制」というテーマで話して頂きます。(くわしくは3月号で)

           過去のこと…

今の家に住んで22年(その前は2~7年毎に5回転居)、なんと沢山の使わないもの、いらないものがたまってしまったことでしょう。

捨てるもの、とっておくものを判断しながら…若い頃書いた日記や読んだ本、そして友だちと作った文集など、50年のものがたまっています。老後にもう一度読む時間があるかもしれない、過ぎ来し年月を、後悔を伴わないで味わうことができる時が来るような――気がして捨て切れずにいます。

最近まで後悔ばかりしてましたが、少しずつ、ひきずる時間が少なくなって来ました。難しさも感じますが、自分に合った仕事と思いますし、青年たちから元気を貰ったり、多くの方に支えられているのを感じるからかもしれません。

和田ミトリ

2009/01/01

新しい年への思い

 新しい年が明けました。

 昨年は多くの人が、ますます生き辛さを、先に対する不安を感じる年でした。

 若者にとっては一層、先に見通しがつかない不安を強く感じることでしょう。

 でも社会がそうであっても、自分自身が新鮮な体験をし、好きなもの(人)に出合ったり、開ける感じが得られる――という可能性と、そういう自分を少しでも信じられれば、その何分の一かは実現できるように思います。

 自分への可能性、期待を持ちたいものです。

 平成21年 元旦

スタッフ一同

元旦の思い出

 新しい年になりました。皆さんはどんな気持ちでしょうか。

 新しい年だからと言って、何も変わらない、いいことも起きそうもない、という人と、何かしら新しいことが起きて、いいこともありそうな…という人もいるでしょう。

 そして、お正月というと、どういうことを思い出すでしょうか。

 大人になって、主婦になると、結構お正月もあれやこれやと忙しく、新年、元旦をゆっくり味わうこともあまりできなくなりましたが、私は、福島県の田舎での子供の頃の元旦が最初に浮かびます。朝早く、日が指す前、友だちと八幡様にお参りに行った時のこと、冷たい空気の中、雪の残る不規則な段々を登り、拝殿の前で手を合わせる…何か新鮮な気持ちを感じました。(何を祈ったかは全然思い出せませんが)

今の日本社会

 そんな頃からもう60年がたちました。色々なことがありました。自分のことだけを考えて過ごしてもいい、好きなことに熱中できる無邪気な子供時代は終わり、自分の家族のこと、子どものこと、そして道草の家の青年たちのこと、社会のことなど、考えざるを得なくなりました。

 去年の暮れから国民の経済的問題は一層厳しくなり、職を奪われ、住む家、寝る所も奪われた人々が寒空に放り出される状況が起き、胸が痛みます。

 戦後の上昇期、高度経済成長期からバブルがはじけ、そして米国から始まって世界に

広まった、グローバル化、新自由主義の影響を受け、日本は、規制緩和を強行しました。それは、社会全体の人々のためというより、企業の利益追求を、競争主義を押し進めるだけでそれに加われなかった人は、「自己責任」として無視されて行きました。

 そして、昨年後半に世界をおそった金融危機は日本にとっても戦後最大の危機とも言われます。それは資本主義、新自由主義、ひたすら成長を優先した、その矛盾の行き着いた所、来るべきものが来たとも言えると思います。

 私は、ひきこもる青年が増えていることは、社会の矛盾、高度成長を押し進めた競争主義、効率主義の矛盾を“警鐘”するものだと思い、述べて来ましたが、今や、現実になりました。繊細でまじめである故、学校や職場での競争主義、効率主義について行かれず、社会に出ることに不安や恐怖を感じる、ひきこもる青年という一部の問題ではなく多くの人々の問題になりました。格差は大きくなるばかりで、お互いに助け合う、思いやる――と言うことを忘れた結果だと思います。

 私が関わっている青年の中にも、不況の波で、仕事が続けられるか、収入も少なくなるのではないか――親が殆んど収入がなく、安定剤などを飲みながらやっとの思い働いている――と一層不安に陥っている青年もいます。経済的な不安がなければ、もっと楽な気持で働けると思いますし、経済的援助を必要ですが、私ができることは彼の思いを、電話で聴くことだけで、どう他の援助に呼びかけていいか、考えあぐんでいます。

新しい年への望み

 でも、このような社会ですが、一方では日々の中にささやかな楽しみを見つけたり、新しいことが起こりそうな期待を感じることはできます。

 道草の家では昨年NPO法人になって、新たな活動として啓蒙活動「コミュニケーションワーク」を近くの公民館で行いましたが、これを更に続けるか、違った活動をするか、理事会でも話し合いを持つ予定です。

 また、青年たちと一緒の活動にも新しい転回が起こりそうな…昨年、新しい青年たち(男女)が加わり、何か新しいアイディアを出してくれそうです。また、男性ボランティアスタッフ(様々な仕事の経験を持っている)も加わりましたので行動的な、或いは仕事につながるような体験ができるかもしれません。そんな中で青年たちが自分の好きなことを見い出せたら、と思っています。

 そして後の「青年の思い」の中で述べているように青年たちは前向きに新しい年に自分のやりたいことを考えています。「資格をとりたい」とか「コミュニケーションをとれるようになりたい」「もっと人と交わりたい」など、人間関係を作る能力を高め、それを楽しみたい欲求を持っています。

 就労状況が厳しい今、空白のある青年にとっては一層厳しいでしょう。ここは開き直って“じっくりと力をつけ、力をためる時間”だと思ってはどうでしょうか。この時期、焦らずに自分の特性を見つけ、それを生かす道を探すことを第一にしてはどうでしょうか。

 親の方たちも、まわりの方も、青年たちを見守り応援して上げて頂きたいと思います。そして道草の家の活動に新しいアイディアを寄せて頂けたら、と思います。

 私自身、個人的なことでも道草の家のことでも、先のことをマイナスに考えると、不安とユウウツさが起こり暗い気持ちになります。先のことは分からない――だったらプラスに考えよう、そうすると胸がふわっとなり、明るい気持ちになります。うまく行かなくてももともと、楽観的に、いい方の夢を持ちたいと思います。楽観的でないと脳の回路がうまく働かないそうです。“できそうだ”と思うだけでも脳の回路がよく働いて、エネルギーも出て来て、実現する可能性も高まると思うのです。

2008/12/01

母の一生と時代の流れ

 今年も、もう12月を迎えました。この会報を何とか毎月欠かさず発行できてほっとしているところです。毎月、ぎりぎりになるまで、私が書く文のテーマが決まらず、発行するのが、どうしても4日、5日頃になってしまいます。でも、切羽つまると、何らかのテーマ、書きたいことが浮かんで来るのは不思議です。

 12月は?――と思った時、特に皆さんにお伝えしたことは浮かばなかったのですが、ふと母が亡くなったことは、私にとって大きなことではなかったか、と思いました。個人的なことではありますが、11月に97才で亡くなった母は、明治、大正、昭和、平成と生きて、時代の流れと共に生きたとも言えるし、私も母によって大きく影響された面もありますし、そうしたことをたどり、考えるのもよいかと思いました。

 母は明治の終わり近く(43年)に生まれ、大正の終わりから昭和にかけて女学校で優等生として過ごしました。学校制度が充実して来た頃で、福島県の田舎町にも女学校ができて、その一期生でした。でも母は「町に女学校ができなかったら都会の女学校に行けたのに(その能力はあったのに)」と高齢になっても言い、田舎の女学校を出たことにコンプレックスを感じていました。

 明治から大正にかけて、日本を欧米なみにするために学校教育の充実を急速に行い、学校、勉強を重視した面もあり、母もその影響を受けたものと思われます。

 また、明治、大正と昭和の終戦まで家族制度があり、親、年長者を敬うべき、という社会風土がありました。母は大ぜいの兄弟の長女であり、親に認められるためには、親の言うことを聞き、親を助けることだ、と思ったようで、「親は絶対だ」という価値観を持ちました。

 でも、戦後民主主義となり、私は民主主義の教育を受けました。私は「親は絶対だ」とは思えないし、親思いの親の言うことを素直に聞けない(と言ってもはっきり言葉で自己表現もできない)、母にとって「いい子」にはなれませんでした。母は性格的に完ぺき主義のところがあって、私はのんびりして、ぼーっとしたところがあり、私と合わなかった。厳しくしつけるというより、過保護、過干渉でそれが私には圧迫感であり、いつも「ダメだ、ダメだ」と言われてるようで、思春期頃から強いコンプレックスを持つようになりました。

 そして昭和から平成にかけて、時代の流れは変わって行きましたが、母は余り影響を受けなかったと思います。(例えば、男性が赤やピンクの服を着るのはおかしい――というような)

 20年ほど前に同居しましたが、“親は絶対”という価値観、期待に私は応えられず、母の不満は大きく、葛藤がありました。また母は向学心があり茶道の先生にっていて人に認められたい気持ちが強かったのが、老いて来て、お茶も教えられなくなり、そういう面でも満たされず、私に当ったかもしれません。

 でも父が寝たきりになった後は、献身的に介護しました。亡くなった後、「お父さんを十分みて上げられなかった。それはミドリが、家事の方を全部やってくれなかったからだ」と一時期私を責めましたが、間もなく「教会に行く」と言い(「仏教の信仰はそのままでいい」と牧師さんに言われました)、介護保険制度ができてからは、「デイサービスに行く」と自分から言いました。そして2年前には「老人ホームにはいる」と言い、父の死後、私にばかり求めない、賢明な選択をしてくれました。

 老人ホーム(グループホーム)にはいってからは少しずつ思考力も衰えて行き、私やまわりに対する不満も少なくなって行きました。(物理的にも遠くなり、接する時間も少なくなり、私にとって、少しずつ、離れた存在になりました)ホームの生活を“楽しむ”というほどではありませんでしたが、なじんで行き、穏やかな生活になったようです。

 そして9月末に肺炎になって入院し、すぐ、呼吸困難になり、危篤、と言われましたが、一時持ち直し、簡単な話ができるようになりました。でも医者の言うように、じわじわと弱って行き、呼びかけや手を握った時の反応が少なくなり、そして全くなくなり41日目に静かに息をひきとりました。

 最後の方に「今までの人生をどう思う?」というような話はできませんでしたが、母はそういうことは考えなくなっていたでしょう。ただ、亡くなる20日前に娘が父(夫)と母の母の写真を見せた時、何も言いませんでしたが、(言えなくなっていた)目尻に涙が一粒浮かんだように見えました。父の死後「早くお父さんの所に行きたい」と言っていましたので、父のもとにもうすぐ行くことを感じていたかもしれません。

 このように母の一生を簡単にたどりましたが、人の一生はもっともっと大きく、短く語れるものではないでしょう。

 私にとって母はどういう存在だったのか…

 良くも悪くも大きな存在、大きな影響を与えたものと思います。父とともに好奇心、向学心があり、伝統芸術に関心があったことは、私にも興味の広がりを与えてくれたと思います。

 でもまた、ある時友だちが「母はいつも私の味方になってくれる」と言ったのですが、私は「責められる相手」だと思いました。身近に暮らしていた時は圧迫感がありました。でも最後の方は、母は明晰でなくなっただけ、穏やかになり、私も穏やかに接することができ、静かな気持ちで母を見送ることができました。

 母は母なりに自分の価値観を通しながら一生懸命生きたと思います。

 時代のずれ(27年間ずれて)や性格の違いなどが、私たちの間に葛藤をもたらしたと思いますが、同じ故郷に生まれ育ちました。母がこの世を去る時、そこへ戻る夢を見たのではと思われるように、私も何年か先にそんな時、故郷の夢を見ながら…という時が訪れるかと思います。

 こんなふうに母のことを書いて来て、目の奥が痛み、涙がにじみます。

和田 ミトリ

2008/11/01

理解する――ということ

 「人間って理解できたことに基づいて生きるんじゃなくて、実は理解できないことを中心に生きているのだと思う」という言葉に出会い、はっとしました。(これは人に対してというより物事に対して言ってるのですが)

 私たちは相手に対し「分かって!分かって!」と言うことが多い。親しい間柄――親子、夫婦、恋人、友だちなどの間で、お互いに全部を理解し理解されることを求めてしまう。

 全部を「分かって!」と思えば思うほど、がっかりして相手に失望し、相手への怒りにもなってしまう…こともあるのではないでしょうか。

 人それぞれ性格も気質も違うし、それまでの体験も違うわけですから、全部理解できる筈はない。親子、夫婦、恋人、友だち、そしてクライエントとカウンセラーの間でも全部は理解できない、ほんの一部しか理解し合えない――という前提にした時、「分かって貰えない」不満よりも「分かってくれた」という喜びを感じるのではないでしょうか。

           自分は、人は一つではない

 そして、人はお互いに理解できないことが多い――というのは、人は多面性を持っている、ということであり、また、たえず変わる、変わるのが自然だ(以前、“無常”ということを書きました)ということでもあると言えます。

 人には、色々な面があり、性格も一つではない、考え方も一つではない。割と親しい人の中に「あれ?」と思うような面を見ることはないでしょうか。その場に合わせて違う面が出せた方がいいとも思いますし一貫性を求めすぎない方がいいかも知れません。余りにその人に一つのものを求めた時、失望したり、裏切られた、と思うことになるでしょう。

 親の虐待や学校でのいじめにあったりすると、そうされないように完ぺきにやらなければと頑張り、完ぺき主義になりがちです。そして相手にも完ぺきを求めたり、黒白はっきりさせたい、となりがちです。それはとてもしんどいことではないでしょうか。

 人は、人生は黒白はっきりできないことが多い、グレーゾーンの部分が多いし、曖昧なことが多いと思います。

 自分も人も一つではなく、色々な面があり、曖昧なものが多く、お互いに全てを理解することはできない、そして自分も人も失敗をよくする、生きることは不条理なことが多い――ということを受け入れて、もう少し気持ちを楽に生きられたらと思います。

 でもまた、ひと時でも人とのつながりを感じ、人と通じ合うことを体験し、少しの時間でも安らぎとか喜び、感動を感じる(それは求めなければ得られないでしょう)、生きることはそんなに悪いことばかりではない――と思いながら日々過ごせたら、と思うこの頃です。(参考文献、「14才の子を持つ親たちへ」内田樹、名越康文著、新潮新書)

和田 ミトリ

2008/10/01

アサーション・コミュニケーションの大切さ

 9月も終わりになってぐっと涼しくなり、秋を感じるようになりました。毎日、様々なことがありますが、過ぎてしまうと「もう1ヶ月たったのか!」と時が早く流れるのを感じます。
 
 青年の集いのテーマに「アサーション」としている日がありますが、私自身が若い頃から自己表現・自己主張ができず、一番の悩みでしたし、カウンセリングを学びながら、一層、その大切さを感じました。そして、日本ではその大切さが認識されず、社会に出にくい青年たちの悩みであることに気づきました。
 自己表現・自己主張できず、自分を抑えながら相手に合わせながら過ごすのは、自分を生きている感じがしなく、ストレスを感じます。
 生き辛さの一番の元は、人間関係であり、人に受け入れられるか、うまくつき合えるか、人によく思われるか、認められるか、傷つき体験もありそれが否定的に感じる時、生きるのが辛くなるのではないでしょうか。認められない自分、認められない存在…そして職場での人間関係の厳しさを感じ、働くことの不安を強くします。働くことの大変さは、仕事そのものより、人間関係の厳しさをイメージすることが多いのではないでしょうか。
 そして人間関係を築くのは、主として、言語的コミュニケーションだと思います。日本人はアサーション、コミュニケーションが下手です。そのために率直に思いを話せずお互いの理解が不十分になりがちです。私たちは、アサーション(攻撃的でもなく、非主張的でもなく、自分も相手も大切にしながら、自分の思いをできるだけ相手に伝わるように伝える)もコミュニケーションも、そんなに大切に思わずに子供の頃から身につくようには育てられていない、活発な子は自分から表現しますが、大人しい子は、表現しないまま、見過ごされてしまう。
 
 伝統的な日本文化では「相手の気持ちを察し、自分の感情を抑えて、まわりに協調して行くことがよりよく生きる知恵」とされて来ました。そこでは、目上の人の言動に従い、まわりの人に合わせることで、仲間として守られる――という面がありました。
 でも、時代が大きく変化し、工業化社会、情報化社会となり、変化について行くには、多様性の中で自ら判断しなければならず、また、競争社会では人は、仲間というより、競争相手であり、守り育てる意識はなくなっている。でもまた、「みなと同じように、同じなのがいい」という意識は続いており、変わった子や、ゆっくりな子や、察しができない子ははじかれ、中学、高校などではそうした子が、いやと言えないままいじめの対象になったりします。お互いの違いが認められず、いじめが起こる。OLの間でも「KY」という言葉がはやり、仲間はずれを作ったりしています。
 私のことで言えば、母は「子供は親の言うことを聞くもの」という価値観を持ち、でも私は戦後の民主主義で育ち、「そうは思えない」と思いながらもはっきり言えず、他の場でも自分の思いを表現できずに、表現すること、判断することに自信を持てませんでした。(一人っ子ということもあり、又、母の性格で過保護ということもあり、私に対して先まわりばかりして、私に任せないことがあって、判断力や社会性、気配りが育てられなかったという面もあります)。
 
 「青年の思い」の所で、青年たちも言っているように、今も日本は「察する」ことを求められる世の中です。また「不登校」ということも言いづらい、それぞれの違いが認められない社会です。欧米やオーストラリアなど外国へ行くと、皆、それぞれの思いを率直に話をして、「違って当たり前」という雰囲気があり、気楽に話せ、気楽に過ごせる、と聞きます。
 伝統的な文化、風習が根強くありながら、同時に個人の判断力や自己主張も求められ、それがないと生きのびられないような日本の社会かもしれません。
 コミュニケーションも日本人は苦手ですが、それは「察し合う」のではなく、主として言葉のやりとり(表現、仕草、など非言語も含まれますが)の中で、お互いを理解し合う(背後にある感情も理解しながら)。仕事などでは、コミュニケーション能力はお互いの共通点や差異を理解しながら交渉し合える能力と言えるかもしれません。
 
 また、「コミュニケーションを楽しむ」という言葉がありますが、青年たちも趣味的な話の中でコミュニケーションを楽しんでいます。それはお互いに仲間として感じる、仲間として認め合えることであり、自信につなげられるし、表現力もつくことでしょう。私も青年たちとのコミュニケーションを楽しみ、心のことなど話し合う中で学ぶものが沢山あるのを感じています。
 

       ねぎらいのまなざしとことば

 コミュニケーションのもう少し積極的な意味で、「ねぎらいのまなざし」という言葉を姜尚中さんが言っているのを知り(「悩む力」の中で)、とても大切なことではないかと思いました。
 姜さんは、家族や深い関係(友人、恋人)とは違った社会の中でのつながり、特に仕事の場での「アテンション(ねぎらいのまなざしを向けること)」が働くことの意味を与えている、と言ってるのですが、これは、家族などの中でもあっていいし、大切なことだと思います。子どもが小さい頃も、何か親が助かった、嬉しかったような時、「ありがとう」という意味の言葉とまなざしを向けることは、子どもは、自分の存在の意味を大きく感じるのではないでしょうか。「ねぎらいのまなざしと言葉」をお互いに向けながら育てば、大人になっても、自分の存在の意味を感じることができると思います。大人になってからでも遅くはないと思います。道草の家では青年の集いを終えて帰る時、「お疲れさま」と言い合いますが、一緒に集えたことを心をこめて感謝の気持ちを表したいものと思います。(家族でも…)

和田 ミトリ

2008/09/01

信州の旅

 先日、一泊旅行で長野の方に行って来ました。久しぶりに自然いっぱいの中を、戸隠、飯綱、黒姫の辺りを歩きました。戸隠神社の奥社に行く参道は両側に太さ、高さとも初めて見る、大きい杉の並木、何百年も変らずここに立っているのだという思い、また太い幹の皮は縦にすじが沢山はいっていて、はがれている所もあり、年々変っているのだと思い、そしてこの道を何百年も前から人々が通っているのだという思い、が浮かびました。木のにおい、緑の葉の風にすれる音、せせらぎの音、友だちは、「マイナスイオンがいっぱい」と言っていました。後半は、何百段?の石段、ここも、多くの人が登った所、息を切らしながら登り切りました。昔から、少し苦労して、たどりついたということに祈りを聞き入れてくれそうだと、感じたのではないか、と思いました。私も特に神社信仰はないのですが、お賽銭をあげて、お祈りをしました。「私が幸せでありますように」「生きとし生けるものが幸せでありますように」という言葉が浮かびました。(これは、本来は、神仏に祈る言葉ではなく自分の心に向けてのものですが)
 翌日は、一茶記念館を訪ねました。一茶には多少興味を持ってました。今は夏で、千葉と余り変らない気候ですが、冬は雪深く、記念館も12月~3月まで閉館です。一茶の一生と俳句に関するものが、展示されていましたが、子供の頃に知った「やれ打つな蝿が手をする足をする」という句もありました。また近くには墓と句碑があり、「是がまあつひの栖か雪五尺」の句碑を見て、晩年はこういうくらしと心境だったのだと感じました。そして「目出度さもちう位也おらが春」は、一茶の特徴、あるがままを尊重している、そして庶民的な感情「哀しい、楽しい、心屈したとき、心高揚したときの気持ち」を率直に表現しているようで好きな句です。200年位前の(1763~1827年)一茶の小さな動物や植物、子供たち、弱い者に気持ちを注ぐ人生と人々の生活がしのばれます。私たちが失ったものが、ここに生きていたのだと、痛感させられました。

和田 ミトリ

生きづらさ”をめぐって

 一茶が生きた時代、一茶の世界、小さき者、弱き者への愛を思うとき、今の日本社会の生き辛さを改めて感じます。多くの人、殆んどの人がますます生き辛くなって来ていることを感じているのではないでしょうか。特に若い人は、自分たちがそうした訳ではないのに、いつの間にか、生き辛い世の中に放り出されているのを感じ、無力感を感じてしまうのではないか、と思います。生きる意味とか生きがい、生きる価値などを見出せないまま、漂ったり、よどんでいる感じを抱く若者たち…意識する人もしない人もいるでしょうが、意識している人は「大人、団塊の世代が今の社会を作った、僕たちのせいではない」と言ったりします。
 ニート、ひきこもる青年たちが、働く場所、そんなに辛い思いをしないで働ける場所は簡単に見つからない。「青年の思い」でもとりあげましたが、人間関係に慣れていない、“人が恐い”ということもありますが、世の中全体が余裕なく、そういう若者を受け入れたり支援する雰囲気ではないように感じます。
 高度経済成長、資本主義の影響が、それが、成長が殆ど止まった現在も大きく影響しているように思います。そしてたえまない発展の中に私たちはいる。文明の発展は続いていますが、どれだけの人がそれを享受しているでしょう。確かに非常に便利にはなりましたが、そのデメリットも大きい。
 若者も子供たちも全体に元気がなくなっているように思います。漠然とした不安やもの足りなさを感じ、生きている実感を感じられない…そんな中でいじめも起きているのでしょう。
 「悩む力」(姜尚中著 集英社新書)を読んでいて、その疑問に答えるような文に出会いました。「人が自然の摂理に即した暮らしをしているときは、有機的な輪廻のようなものの中で、生きるために必要なことをほぼ学んで、人生に満足して死ぬことができます。しかし、絶え間ない発展の途上に生きている人は、その時しか価値を持たない一時的なものしか学べず、けっして満足することなく死ぬことになります…」
 私流に解釈すると、昔は、生きるために、生活するために、子供なりに家の手伝いをしながら、体験的に徐々に生きる術を学んで行く、知識として学校で教えてもらうのではなく。季節、季節ごとに工夫をする生活や行事、子どもの手伝い(畑や家事、生活に必要なもの、遊び道具などの物を作るなど)も必要で、子供自身も家族のために役立っているのを感じる…。今は、社会に出た時、本当に役に立つのか分からないような高度な知識も覚えなければならない。(中学生以上になると、数学などついて行かれない生徒が多くなり、コンプレックスばかり大きくなる)でも本来、自分で体験して、(物を作ったり、野菜を育てたり、お祭りなどの行事に参加したり)達成感、役に立つ喜びなどと共に生きる術を学び、生きる実感を感じるものではないでしょうか、そして大人になるにつれ、難しいこともできるようになり、また、子供たちに伝えて行く役割もできる。
 自然、植物が生まれて(芽が出て)大きくなって、枯れていくように人間も自然の一部として、生まれ、死んでいく、そして何かに生まれ変る。それが自然の摂理であり、そこに生きる意味も感じられる。人と競争したり、焦ることはない生活があったでしょう。そこまで、戻ることは出来ませんが、少しでも意識して、競争しない、ゆったりと生きることの大切さを感じることはできるかもしれません。
 また、新聞でに掲載されてたのですが、「青少年の体験活動と自立に関する実態調査」によると、小学生ですが、自然体験が多い方が自己肯定感が高い傾向にある…とありました。
 青年になってしまうと、簡単ではないかもしれませんが、自然体験、キャンプなどが体験できれば、と思います。ただそういうことにも余り対人恐怖が強かったり、エネルギーが低い場合は、それをある程度回復する必要があります。仲間と語らいの中で話すことの抵抗を弱めたり、何らかの形で自己表現ができるようにと思ってます。(箱庭、パステル画などで表現が豊かになって行く青年もいます)

和田 ミトリ

2008/08/01

生を肯定できる時

 先日、これからのことを考えると、しんどいこともあるし、期限までにやらなければならないことが沢山あるし、「やれるだろうか」と不安になって、ふーっとゆううつな気分になりました。生きることを否定的に感じてしまうような。

 そんな時、「あの音楽を聴こう、『銀河鉄道の夜』を聴こう。これを聴けることだけでも、生きていることを肯定できる」と思いました。そのCDは、千葉市に新しくできたプラネタリウムを見に行った青年が、星空が上映されている間流れていた音楽が気に入って、買って来て道草の家に持って来たものでした。

 その音楽を聴いているうちに心が安らぎました。宮沢賢治の童話(銀河鉄道の夜)は大好きで、寝る前に毎晩読んだ時期もありました。ゆったりした曲は、童話の雰囲気を思い出させ、広い宇宙を感じさせ、そして、純粋で夢見がちな子供の頃の懐かしさで胸がふくらみました。

 若い頃、仲間に裏切られて(と思って)人間不信に陥った時がありましたが、でも「昔から人間は美しいものを創って来た、絵画や彫刻や伝統工芸的な物、或いは建物などを。そういうことができる人間の一面は信頼できる」と思ったものでした。

 それから統合失調症の人が殆んどの時間を気分がもやもやして、生きているのを辛く感じながら過ごしていたのが、ある時、気分がすっきりした時があって、ちょうどその時、窓から夕日の沈むのが見えて「こんなにきれいな夕日を見ることができて、それだけでも生きている意味があると思った」と、ある本で読んだのを思い出します。

 私も自然の中にいる時、雄大な自然を見たりした時、(道草の家の行事で山歩きをした時、房総の山なみを眺めて、2、300mの高さの山でしたが、幾重にも連なっている山なみの雄大さに心が広がる感じでした)生きていることの、喜びを感じます。皆さんは?

 青年たちに聞いてみましたが、人との関わりの中で感じるものと、自然によって、また人間の創ったものによって「生きていることはいいことだ」と感じるのと両方があると思います。人との関わりの中で感じることは生きることを積極的にさせると思いますが、なかなかそればかりも得られないことも。直接でないもの、芸術的なものや自然の中でも感じられたら(感動したり、安らいだり)生きる力になるのではないでしょうか。

和田 ミトリ

相互承認

 20代から30代にかけての青年による無差別殺人事件があいついで起きています。背景は、それぞれ違う面、似た面があるかと思いますが、「誰でもよかった」「自分は誰にも必要とされない」「親は分かってくれない」「親は相談にのってくれない」「死にたいけど一人では死ねない」などの言葉が気になります。

 共通するのは話をする仲間、悩みを話す友だちがいない、ということかと思います。でも「世間を騒がせたかった」「親を困らせたかった」という言葉は、本当は親とのつながりを求め、社会とのつながりを求めていた、でも得られない、分かってほしいのに分かってくれない、そういう鬱積がたまって爆発したのではないかと思います。現在の職場の体制は、特に派遣という形は、人を育てる、大事にするのではなく、使い捨て、であり、様々な性格の青年を受け入れるものではなく、よほど外交的な性格でないと疎外感、孤立感、そして将来の不安を感じさせるものだとおもいます。

 でもまた、青年たちは一方的に相手に求めているように感じます。勿論、それが問題であり、青年たちの責任だと言ってるのではないのですが。「誰も自分を必要としてくれない」「誰も分かってくれない」などと相手に求めている。必要とされるには自分も相手を必要としなければ成り立たないし、自分を分かってほしいなら、自分も相手も分かろうとし、又、どういうところが分かってほしいのか、など表現しなければならないと思います。そして全面的に分かってもらうことは不可能だという自覚も必要だと思います。

 一方的に求めることが多い、それは育ち方にようると思います。「相互承認」という言葉を「悩む力」(姜尚中著、集英社新書)の中で読んで「これだ」と思いました。まず、親は子供を認める、そして子供はそういう親を認める、という親子関係が基準になるのに、そういう相互の関係が希薄です。勉強ができなくても、行動が遅くても、その子の個性としてありのままを認められたら!学校でも、大人しい子、活発でない子は認められない雰囲気もあり、(競争主義、成績中心で)お互いに認め合う関係を身につけないまま育った、と言えるでしょう。ゆったりしたおおらかな雰囲気の中でお互いに違いを認めながら、完全でなくても認め合う力が育っていればと思いますが、認めてほしい気持ちが満たされないまま、求める気持ちが大きくなったのではと思います。

 また「悩む力」の中で「私は、自我というものは他者との『相互承認』の産物だと言いたいです。そしてもっと重要なことは、承認してもらうためには、自分を他者に対して投げ出す必要がある」と言っています。やはり自我も一人では育たない、お互いに自分を出し向き合い、認め合う中で育つのでしょう。

 職場でも他の場所でも、「自分も役に立ちたい」「教えてもらいたい」という積極性があれば、積極的に関わってくれて、お互いに「必要だ」という感覚になるのでは、と思います。

 もう一つ、20代から30代の青年が育った時代はちょうどファミコンがはやっていて、ゲームの世界で過ごすことが多かった。生身の人間との関係ではなく、左脳ばかりを使っては想像力、情緒も育たない。生身の人間の中で喜びや悲しみなどを感じる体験もなく、相手がどんな気持ちかが想像できないまま育った、という面もあると思います。無差別殺人も、それがどういうことなのか想像できないまま、受け身(被害者)の怒りのままに走ってしまった、とういことがあると思います。

和田 ミトリ

2008/07/01

定期総会を終えて

 6月29日、道草の家がNPO法人になって始めての総会が開かれました。正会員になって下さった方々が集まって下さり、道草の家の方向性、NPOになった意味、NPOとしての積極的な今までとちがう活動(まわりに訴えていく)などについて、活発に話し合われました。

 NPO法人格を取得した目的は「設立趣旨所」にも書きましたように、「任意団体よりも、社会的な信用を得て幅広い活動をし、幅広く寄付やボランティアを受け入れられる体制にしたい」ということです。具体的には、どんな活動をするか――ということになります。

 まず、道草の家に居場所を求めて来る青年たちは、参加費が必要なため、でも経済的な余裕がなくて、来たいだけ来られなかったり、親に遠慮して、来なかったり――という場合がよくあります。助成金、寄付金を得ることで、参加費を少なくして青年たちが来やすくなるようにしたい――ということがあります。

 それには、社会(地域)に訴え、理解してもらう必要があり、また地域の人たちに対しても、(人間関係などで生きづらさを感じている人もいます)心や人づき合いなどに関する講座を開くことで、啓蒙活動を行うことがいいのではないか、ということが話し合われました。

 道草の家は就労に向けての技術的なことを指導するというより、その前段階の、「自分を人を肯定し、自己信頼、他者信頼を持てるように、自分の特性に自信が持てるように、そしてコミュニケーションの力をつける」ということを目標にしていますので、心理的なこと、カウンセリング的なことを大事にしながら、人(仲間)との交わりを深めて行っています。

 出席された方の中にも、そのような活動をしてる方がおられて地域(公民館など)で人間関係やコミュニケーションに悩んでる方たちの講座を開き、同時に道草の家の活動を知ってもらうという活動をしてみよう、ということになりました。小さなものから始めて、継続的に行えたらと思います。

 また、スタッフ(準スタッフ入れて4名)だけでは、今の活動で精一杯で、積極的に活動できないので、援助してくれる方がいたら、ということを話しましたら「具体的に言ってほしい」とのことで、それをここにまとめてみます。

1. 青年の集いに参加し、話し合いの仲間になったり、青年の悩みを受けとめながら聴く。(水曜)
2. 助成金や寄付金の情報を調べ、申請の手続きを手伝って下さる方。
3. 就労をしたいという青年につきそって、一緒に考えたり就労先を探して下さる方。
4. 職親を開拓して下さる方。
5. 雑務をして下さる方。
6. PRに協力して下さる方。(パンフレットを公民館などに置く)

和田 ミトリ

いつくしみの瞑想

 先月号では、初期仏教についての対談集「希望のしくみ 」(A・スマナサーラ 養老孟司著、宝島社新書)に書かれていた「無常」、「全ては変って行く」という言葉が、私の気持ちを楽にしてくれたことを書きました。でも、まだまだこだわり、過去や未来への不安にとらわれてしまう自分を感じます。特に不安定な青年と関わる時に、もっと安定した気持ちで関わり、もっとしっかり支えて上げられれば、と思うことがあります。それには瞑想によって心を強くしたい、できるのでは、と思い、スマナサーラさんの「自分を変える気づきの瞑想法―やさしい!楽しい!今すぐできる!図解実践ヴィパッサナー瞑想法 」(サンガ)を買い求め、読みました。

 ここでは瞑想は「こころのトレーニング法」であり、ストレスやトラブルに負けない「こころの力」を育てる方法だと言っています。生きることを楽にするこころのエネルギー、前向きに気持ちよく生きる力を育てる――。

 そして、瞑想には「サマタ瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」の2つがあり、「サマタ」とは「落ちつく」という意味で、落ちついた静かなこころをつくる瞑想法です。「ヴィパッサナー」とは「明確に見る」という意味で、今自分の体に起こっていることをありのままに観察する瞑想法です(サマタ状態を前提とする瞑想)。体の感覚、動きに集中して、思考、雑念、妄想、感情ができるだけ起きないような、集中力をつけて心を育て強くする、それによって知恵、気づきがあらわれる――ただ、1回30分から1時間、2、3週間の瞑想の時間が必要ということで、余裕、或いは覚悟が必要のようです。

 そうした、こころをゆっくり育てる余裕がなく、緊急な治療として苦しみを和らげるサマタ療法をまずやってみようと思いました。

 他人に無制限にやさしいこころを育てる「いつくしみの瞑想」は、こころの中で願いをこめて言うのですが(声に出してもいいです)、まず自分が大事だということを認め、自分の幸せを願うことから始めます。そして、親しい人の幸せを願いながら(私は家族や青年たちを思い浮かべます)、生きとし生きるものへの(世界の飢餓や戦争で苦しんでる人、動物などを思い浮かべて)いつくしみの気持ちを言葉にしながら自分のこころの中にふくらまして行きます。

 私も、思いつくと電車の中でこころの中で言ったり、寝る前や、目覚めた時に言ってみたりするのですが、そのせいか、難しい問題をかかえている時も、「ここに、こうしてちゃんと目覚めている自分がいるのだ」と思えて、余り不安にならなくなりました。全文を載せてみます。

私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとがかなえられますように
私に悟りの光があらわれますように

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとがかなえられますように
私の親しい人々に悟りの光があらわれますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとがかなえられますように
生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように

和田 ミトリ

2008/06/01

5月の道草の家

 5月の会報に年会費についてお願いしましたら、多くの方から年会費をお送り頂きました。ありがとうございました。賛助会員という方が多かったのですが、会報を継続して読んで下さり、道草の家の活動を支援して下さること、嬉しく思います。またNPO法人化を祝って下さるお便りも頂きました。

 5月もまたあっという間に過ぎました。道草の家の活動としては、特に大きな変化はなかったのですが、青年(男女の意味です、いつも)一人ひとりを見れば、変化はあったなと思います。

 去年から参加している青年、最初は問いかけに少し返事をするだけでしたが、この頃はしっかり、長い言葉で返ってくるようになったり、5年前に親子で一度相談に来た青年が、やはり居場所に来ることで人になれたいと、参加するようになったり、調子が悪くなってなかなか外出できずにいたが、8ヶ月ぶりに来所した青年や、6年ぶりに電話があり、「また行って話をしたい」という青年、アルバイトはしているが、思いを話せる居場所がほしい、ということで参加するようになった青年、「生活の自立をしたい」と、家を出て一人暮らしを始めた青年、だんだんと落ちついて来たが、今年になって一層落ちついて来て、ボランティアを始めた青年、そして、3年以上続いたアルバイトをやめることになった、「自分に合う仕事を見つけるのは難しい、でも何とかなると思って、今まで何とかやって来たので、探すしかないと思う」と言う青年もいます。

 でもまた、葛藤や不安が強く、対応が難しい青年もいます。私自身も余り動揺しないで、精神的な安定を保っていたいし、より良い関わり方を探るために、何冊か本を読みました。

 その中でも、割と少ない言葉で生き方を示している本に出会いましたので、紹介したいと思います。「こんなふうになれたらいいな」という段階ですが。「希望のしくみ 」(宝島社新書)という本で、スリランカから来た初期仏教のお坊さんと養老孟司さんの対談です。

無常ということ

 まず釈迦の立場として<すべては無常。心もからだもその他の物質も、すべては固定したものではなく、瞬時に変わって流れている>が基本であり、<「しかし、ほとんどの人間は「自分も物も変わらないものだ」という前提に立って生きています。生き方も、ものの見方も、何もかもがすべてアベコベです>と書かれています。

 そして<「我がないと私はない」は錯覚・・・変わるからこそ、無常だからこそ、私という存在が成り立つ。赤ちゃんの時から死ぬまで、体が変わっていく、思考、概念、知識などが変わっていく、好き嫌いも変わっていく、楽しみ苦しみが変わっていく、それが「生きている」ということ・・・>という言葉も意味深いです。本当に(本当は?)そうだと思います。赤ちゃんの時から今まで、体も心も変わって来ました。人間にとって「無常」が前提ではないでしょうか。

 また<変化しつづける無常の世界では、自我に執着していては生きられない。「無我」でないとダメなんです・・・いま私は、ここに一人、勝手にいるわけではなくて、皆様があって、皆様の協力があって、いまこの場面が成り立っている。だから「私は」「私は」ということではまったくありません。ほんのちょっとで皆で救い上げましょう。自分も手を貸しましょう・・・>

 それが<共同体として生きるための知恵、「慈悲」>だと言うのです。そんなに大げさに考えないで、<「生きとし生きるもの」という共同体を慈しみ、親切にすることが、生きる上での基本だ>というのですが。

 確かに今の社会は不条理なことが多く、一般の庶民を苦しめることが多いのですが、一人で生きているわけではないわけで、自分ができることを「手を貸す」ことはできるのでは?。「無我」は全く自分がなくて、人の言うなりになっている、というのではなく、自分も人も変わっていくのだから、自分の思いだけにこだわらない、ということだと思います。

 そして<内も外もたえず変わっていることを理解する人は、落ちついて生活できる・・・成功したからといって舞い上がることもなく、失敗したからといって落ちこむこともありません>・・・<「一切の概念をすてる・・・捨てて完全にものに執着しないという状態をつくる。・・・「後悔しない」というしっかりした気持をもつ>という言葉!

 私は先のことを「うまくいかないのでは」と否定的に考え、前々から不安を感じることも多く、そしてうまくいかなかった時は「ああ、やっぱりダメだった」と落ちこんでしまします。「成功も失敗も自然の流れなのだ」と思えれば、どんなに気が楽でしょう。「これはこうあるべきだ」という思い込み(概念)にとらわれているから、こだわりがあるから、後悔もし、落ちこみ、辛い思いをするのだと思います。思い込みから抜けるのはとても難しいですが、そのしくみを意識するだけでもいいかと思います。

 無常、無我――こだわりからの解放――そして慈悲につながって行くようです。

 また、次の言葉はとても印象的です。
<「苦しみ」とは「現実をありのままに受け入れないこと」。だから現実を受け入れられたら「苦しみはない。「現実をありのまま受け入れるのが苦しいんだ」と勘違いしている>という言葉。

 私も思うように行かない時「本当はこんな筈じゃなかった」と悶々とすることがしばしばです。また他と比較して、期待を持ち、それがかなえられそうもないと思って苦しむ。たとえば、バリバリ働いている友達や同世代の人達のことを見て、「自分もああいうふうに働きたい、働ける筈なのに、自分は働いていない、自分はダメだ」と思ってしまう。期待が苦しみをもたらすわけです。現実を受け入れ「今自分ができることはないか」ということから出発する――ことができればと思うのですが。

 また<人は変わりたくないと、また変わるはずもないと、心の中で決めつけています>とも言っています。過去に非常に辛い体験(トラウマ)があると、一歩踏み出すことを怖れる。また同じような辛い体験をするのでは、と思ってしまう。「すべてのものは(人は)変わる」ものですから、「変わりたい」と思えば、変われると思います。過去のこだわり、トラウマをなくすことなどを一緒に考えてくれる人、助けがあれば。

 そして<「すべては無常」という合理的な考えも、感情でそうは思えなくなった、「感情で至った結論は」「瞑想」という観方によって、すべて無常だと体験させることが必要だ>とも言っています。

 スマナサーラさんが「自分を変える、気づきの瞑想法」という本を出しているので、それを読んで私自身も「瞑想」をやってみたいと思います。来月、そのことを伝えられたらと思います。もっと大らかに、生きいきと生きることができたら!

お薦めの本

「希望のしくみ 」 アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司著 宝島社新書

「はじめてのひきこもり外来―専門医が示す回復への10ステップ 」 中垣内正和著 ハート出版

 帯の言葉
 「全国の引きこもり親の会」顧問の精神科医が豊富な臨床例から治療の道筋をわかり
 やすくアドバイス
 「人生はいつからでもスタート」希望はある
 主な内容
 ひきこもりからの回復――親の10ステップ
 ひきこもりからの回復――若者の10ステップ

「夢、イメージ、成功、そして、自分を変えること 」 ジョイ石井著 インデックス・コミュニケーションズ発行

「「弱さ」のちから―ホスピタブルな光景 」鷲田清一著 講談社
「そこに居てくれることで救われるのは誰か?」

(どなたにとっても参考になる、得るものがある、というわけではありませんが、道草の家に置いてありますので、よろしかったら、手にとって見て下さい。)