道草の家の2階の窓から夕焼が見えます。高いビルが建つまでは富士山シルエットで見えたのですが。
先日は夕焼の名残り、少し黒ずんだ茜色の空に墨ではいたような雲が浮かび、こんな美しさもあるのだな、と思いながら眺めました。一昨年は青年たちと夕日を見に検見川海岸まで歩いて行きました。橙色の夕日が空を茜色に染め、海に沈んで行くのをじっと眺めた時の感動を思い出します。
夕日と言えば先日、映画「Always三丁目の夕日’64」を見ました。ちょうど私が若い頃の東京の下町、商店街の人間模様が描かれています。ただ、私は名古屋の住宅街に住んでいたので、雰囲気がかなり違います。映画の中で近所の人たちが、他の家のことをお互いに自分の家族のように、喜んだり、怒ったり、心配している様子に、複雑な思いと羨ましさを感じました。ありのままの自分の感情を出してつき合える―という人間関係があるのだ―と。
今は、外で遊ぶ子どもたちの声も聞こえませんし、道を歩いていて顔なじみになる子もいません。近所の人のことも殆ど知りません。
今の日本は特に、近所づき合いがないように思います。テレビなどで、ヨーロッパや中国の田舎や小さな町がよく放映されますが、私は自分はなかなか旅行できないので、旅番組が好きでよく見ます。 懐かしく、ほっとする場面・・・。
中国などの田舎(下町)で路地にテーブルといすを出して老夫婦がお茶を飲んでいる様子には、(通る人も寄って一緒にお茶を飲んだり・・・)あんなふうにゆったりと過ごせたらいいな、と思います。イギリスの田舎では、村人がパブに集まって、酒を飲み、歌い、踊っている。またイタリアなど、複雑に建てこんだ(何階だて?)家の窓からカメラに向かって「家の中へどうぞ」と言い、屋上まで案内する場面など。
このような所で過ごせば、自室にひきこもって人と接しない、交わらない、そしてそれを親子で悩み、苦しむ―というようなことは起きないのでは、と思ったりします。
青年(男、女)たちに学ぶ
青年の集いの活動としては特別なこともなく過ぎた1月でしたが、個々の青年から色々なことを学び、考えさせられました。それぞれに歩む過程は違いますが、自分の課題に真剣に取り組んでいる様子を感じます。
まずTさんがホームページをリニューアルしてくれました。道草の家の特色をよりよく伝えるため、写真を豊富に使い、色もパステル調に随所に使ったり、言葉も適切なものに変えたり、つけ加えたり。他の同じような居場所のホームページなどを参考にして、色々模索しながら作成してくれました。こうしたものを綿密に考える豊かな感性―をこれから生かせないものか、と思います。(まだ外で働いたことはないのですが)(ホームページを見てください)
また2年続けたパートの仕事をやめた青年、やめる決心をするにはどんなに悩んだことかと思います。でも、混乱しながらも、今自分ができること(家事など)をやって、できた自分を認めてあげる、そして、できないことは許してあげる、自分を励ましてあげる―ことを続けてるうち、少しずつ落ちついて来ました。「仕事をやめてよかった、と思える時が来る」と信じながら―と言っています。一つずつ体験しながら、失敗の体験を乗りこえながら、決断力、回復力を高めて行くのだと思います。
もう一人、仕事をやめた、という青年は、もっと積極的です。積極的になりました。青年の思いの所で「思っていることを言えた」として述べていますが、「いい体験も悪い体験もいっぱいしたい」と言ってます。失敗を怖れて動けなかった自分がある時、はじけた―というのです。
今は嬉しいことばかりでなく、怒りや憎しみを感じる自分に驚き、これからも多様な自分を感じることに期待があるようです。ずっと”いい子”で来たとのことです。
そして、「生きる意味」を模索して来た青年。(「働かないでそんなことばかり考えてるなんて!」と思う方もいるでしょう)10代から人間関係に緊張するようになり、20代でアルバイトをいくつかするのですが、どうしても続けられなくなって、家にいるようになりました。「働けない自分」を考え続けてもどうしたらいいか分からない。抜け出せない、苦しいだけ、それで、考えるのをやめた。では、そういう自分にも「生きる意味」があるのだろうか・・・。 ロシア文学や日本の古典、平家物語、仏典などを読みました。(無常、そして死への親近感を感じた―そうです)
そして、最近は荘子(紀元前の中国の思想家。仏教伝来より先、仏教にも影響した)の本を読んだ。共感することが多い、と言います。 その主な思想は、
○「無為自然」(宇宙に存在するもののすべてをありのままに認め、これにいかなる作為も施さない、という思想)
○「万物一斉」(ものごとは、ちがうという視点からすればみんなちがう、しかし、おなじという視点からすれば万物はみなおなじなのだ)
具体的に行動するわけではないが、心の中では、少しづつ安定したと言います。
私も前に、同じ「道家」としての「老子」を読んで共感しましたが、荘子の言葉も私にかなり合いそうです。
みなそれぞれ、宇宙の中で(遠く、目に見えないものも)存在し、地球に存在している。遠い遠い昔に宇宙が作られた時から。それには、人間が価値がある、とか、ない、とか勝手に決めるものではない。人間は動物より偉いとか、草木よりも価値がある―とは言えない、そして”絶対的な正、絶対的な誤もなく、絶対的な善悪も決められない。違った視点で見れば様々な見方ができる。バリバリ働ける人がいい(善)とは限らず、ゆっくりしたペースの人が悪いわけでもないと思います。それぞれ”できること””できないこと”がありますが(それも変化します)いい悪いで判断することではないように思います。
自縛からの解放
子どものことで長い間苦しんできた方が「ふっ切れた」ことを話され感動しました。
自分で自分を苦しめていた、期待通りにならない子どもに不満を感じ、まわりにもひけ目を感じ、みじめだ、と思ってしまう自分、それは、自分で自分を縛っていたことに気づき、「自分が子どもから逃げる、離れればいい」のだときづいたのです。”自分の方が”―それは自分の気持ちを楽にし、それは、表情や態度にあらわれ、子どもの気持ちを楽にすることでしょう。楽になれば動きたい気持になれる。
働けなくなったのにはそれぞれが葛藤、苦しみがあったわけですし、それぞれが回復していく過程もありますし、「みんなと同じように」とはならないこともあると思います。
子どもたち青年たちが悩み苦しんでいることを(それを表現できない場合も多いでしょう)を分かってあげて、それが分からないまわりの人からは自分から離れる。
距離を置く。(全てを断つ、という意味ではなく)働く働かない、を人間の良し悪しの基準にしない。荘子の言うように人間として万物の一人として同じ価値がある―のだと思いたいです。
ひきこもり、うつ等精神疾患、発達障害の方の出会いと憩いの場所。 他不登校児支援。社会福祉士による行政支援および生活の困り事に対しての解決に向けての相談。心理カウンセラーによるカウンセリングも行っております。
2012/02/02
2012/01/08
明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます。
昨年は過酷な自然と不尊な人工がぶつかりあった年だったように思われます。人工優位にはならないことを思い知らされました。
未来の人たちのことを考えながら、自分たちの生活も考えていかなければ・・・生き方が問われていると思います。生き辛さを抱えた人たちが(子どもも青年も大人も)少しでも心が解きほぐれるような生き方はないでしょうか。
それぞれが生まれていてよかった、生きていて良かったと思えるような”生きる”ことに対する観方・・・を探りたいと思います。皆様のご支援ご指導のもとに。
幼き頃のお正月と遊び
幼い頃のお正月を思い出します。
9才まで過ごした福島県の田舎町での元旦は、朝起きるとすぐ八幡さまにお参りします。友だちと行ったり兄と行ったり。裏の川の向こうの、こんもりした森、きちんとした石段は少なく、大まかに作られた段々をくねくねと登ると普段の遊び場でもある境内は、何か新鮮な感じ、鈴についた紐をゆすると鈴が鳴ります。手を合わせて拝みますが、何を祈ったかは覚えてません。
9才で移った名古屋は、都市ではありますが、終戦後間もない頃で、つるべ式の井戸も使っていました。元旦の朝、一人で顔を洗いに行き(その水は暖かかった)、そして、すぐそばの少し高くなった所に登り、初日の出を拝みました。
田舎でのお盆も懐かしく思い出されます。朝方、暗いうちに起き、家族でお墓にお迎えに行きます。それぞれが提灯を持ち、私も子ども用の小さい提灯に灯りをともして歩くのがとても楽しみでした。道を行きかう人は大体顔見知りで挨拶をしながら歩いて行きます。お墓でお参りし、帰る頃はほの明るくなっています。
そして、学校の授業で、育った稲の中をいなご取りをしたり、稲が刈られた後には落穂拾いをしました。また、近所のお兄さんに連れられて、栗拾いに行き、生のまま栗を食べたり。そして母がお風呂の薪を集めに、少し離れた林まで行く時リヤカーを押す手伝いもしました。遊びも手伝いも、自然の移り変わりの中で、自然と共にゆったりと(大人はそれほどではないでしょうが)過ごしたように思います。
名古屋でも、授業の合間に縄跳びしたり、ゴム跳びしたり、帰宅後も友たちの家に行き、かくれんぼしたり、(私はお寺に間借りしていたので)お寺の境内で鞠つきをしたり、小学校時代は、「よく遊んだ」「楽しかった」という思い出ばかりです。
でも、道草の家に来る青年たちは、子どもの頃、「楽しく遊んだ」という青年はいないようです。私の子どもの頃と、青年たちが子どもの頃とはどこが変わったのでしょう。
ぐうたらと「勤勉」
そんな時、古本屋で「ぐうたら学入門」(2005年発行)という本を見つけました。「ぐうたら」―という言葉、私も、片づけ、掃除が嫌いなぐうたら、面白そうだと思い、買い求めました。
著者は全国の村々の昔話を聞き取り調査をしたのですが、有名な桃太郎、そして二宮尊徳は、ぐうたらな怠け者だったそうです。明治になって、学校制度ができた時、教科書ができ、そこに勤勉な二宮尊徳として載せた、ということです。また「三年寝太郎」という昔話などに関連して、「ぐうたら」なことも村の中で受け入れられ、他と違った面を持ってい排除されることなく、どんな人間でも、そこにいる意味がある社会―が本来の村の姿だ、と述べています。それは、田に水を入れるのは、共通の水源からひいた水を近い所から順番に田に入れて行く、自分勝手に入れる訳にはいかない、自分の田はみんなの田であるということを基本に、お互いに田植えや稲刈りを手伝い合ったり、暮らし全体を助け合うという、みんなに守られている村社会だったのです。
今の私たちの生活はどうでしょうか。明治以降の学校教育の中で、「勤勉」こそ「善」であり、「ぐうたら」は「悪」だと刷り込まれました。そして戦後の近代化、さらに高度成長の流れの中で、社会に認められるように未来に向かっての努力と意志の強さが要求され続けました。それが出来る人が評価される―他者とのしっかりした人間関係、信頼関係の形成よりも。
道草の家で関わる青年たちや親の会(他の会でも)など話される悩みを考えるにつけ、このことが大きく影響していると思います。社会全体の大量生産、大量消費のもとに、学校では、社会全体の大量生産、大量消費のもとに、競争主義、効率主義が浸透し、勉強、成績が第一になり、友達や教師との人間関係は軽視されました。
そして、子どもたちは、「いま」を失って行きました。子どもたちは、本来、「いま」を生きるものです。遊びはそれ自体が目的ですから、「未来のため」にではなく、
「いま」に集中すること、それが楽しいのだと思います。青年たちの子どもの頃、楽しく遊んだ思い出がない、というのは頷けます。また、いじめが起きてしまうのも、子どもたちに「いま」を楽しめてないからでしょう。たえず未来、将来のことが気になるのでは?(スポーツも”勝つ”ことばかりを目的にしてます)
ひきこもる青年と親の苦しみ
青年たちが社会が求める大人になるためのレールに乗れなかった、競争主義に耐えられなかったのは、能力が低いのではなく、繊細であり、人間本来の心、感受性が強いからだと思います。でも、不登校になり、ひきこもってしまった自分は社会から認められない人間だ、と思ってしまい、「ダメな人間」として強い自己否定感を持つ。それが、精神的不安定さをもたらし、社会に出ることを難しくしていると思います。
そうした子どもを持つ親の方は、社会人として高度成長真っ只中で働いて来ただけに、「一生懸命頑張って来た、働いて来た」との思いが強く、「なぜ、自分の子どもが学校へ行かないのか」「なぜ働かないのか」と理解に苦しみます。自分の生き方を否定されたようになり、子どものことを受け入れがたい・・・その苦しさを、私もだんだん分かって来ました。さらに、社会のレールから外れてしまったことは、世間の人々からは「落ちこぼれ」と見なされ、根性がない、意志が弱いというレッテルを貼られてしまう。まわりからも、親戚や友人からもそういう目で見られて肩身が狭い、「友人や親戚付き合いも減ってしまった」と言います。
それでは、「勤勉」をモットウに頑張って来た、今の日本社会はみんなにとって、より生き易くなってるでしょうか。お互いに支え合える関係が社会全体にあり、将来にも安心感があるでしょうか。「生きていることはいいことだ」と思えるでしょうか。
東北大震災は、過酷でしたが、自然の偶然が幾重にも重なり合って起こった自然現象として受け入れ易く、みんなで助け合おう、支え合おう、という気持ちになりました。しかし、原発事故は大きな不安をもたらしました。
「勤勉」「勤勉」のもとに推し進められた経済成長、そして成長神話―いつまでも成長できるわけではないのに―より豊かに、より便利に、より新しいものを、それには電気が必要だ、ということで原発が作られました。しかし、事故は、自然を限界以上に操作した結果であり、経済成長の神話に警鐘を鳴らしたものと思います。(前にも「ひきこもりは社会への警鐘」と書いたことがあります)物質的な豊かさはあっても、精神的豊かさをもたらしていない、格差も広がり、将来への不安はさらに大きくなりました。「お互いに支え合える、何とかなる」とは思えなく・・・
「勤勉」は必ずしも「善」ではなく、「ぐうたら」は必ずしも「悪」ではない、自然の営みにそって、それぞれがそれぞれの生き方をしていいんだ―という思いが、自分に対する否定的な思いを少しでも肯定にさせられれば、と思います。
(参考文献:「ぐうたら学入門」名本光男著 中公新書ラクレ)
昨年は過酷な自然と不尊な人工がぶつかりあった年だったように思われます。人工優位にはならないことを思い知らされました。
未来の人たちのことを考えながら、自分たちの生活も考えていかなければ・・・生き方が問われていると思います。生き辛さを抱えた人たちが(子どもも青年も大人も)少しでも心が解きほぐれるような生き方はないでしょうか。
それぞれが生まれていてよかった、生きていて良かったと思えるような”生きる”ことに対する観方・・・を探りたいと思います。皆様のご支援ご指導のもとに。
幼き頃のお正月と遊び
幼い頃のお正月を思い出します。
9才まで過ごした福島県の田舎町での元旦は、朝起きるとすぐ八幡さまにお参りします。友だちと行ったり兄と行ったり。裏の川の向こうの、こんもりした森、きちんとした石段は少なく、大まかに作られた段々をくねくねと登ると普段の遊び場でもある境内は、何か新鮮な感じ、鈴についた紐をゆすると鈴が鳴ります。手を合わせて拝みますが、何を祈ったかは覚えてません。
9才で移った名古屋は、都市ではありますが、終戦後間もない頃で、つるべ式の井戸も使っていました。元旦の朝、一人で顔を洗いに行き(その水は暖かかった)、そして、すぐそばの少し高くなった所に登り、初日の出を拝みました。
田舎でのお盆も懐かしく思い出されます。朝方、暗いうちに起き、家族でお墓にお迎えに行きます。それぞれが提灯を持ち、私も子ども用の小さい提灯に灯りをともして歩くのがとても楽しみでした。道を行きかう人は大体顔見知りで挨拶をしながら歩いて行きます。お墓でお参りし、帰る頃はほの明るくなっています。
そして、学校の授業で、育った稲の中をいなご取りをしたり、稲が刈られた後には落穂拾いをしました。また、近所のお兄さんに連れられて、栗拾いに行き、生のまま栗を食べたり。そして母がお風呂の薪を集めに、少し離れた林まで行く時リヤカーを押す手伝いもしました。遊びも手伝いも、自然の移り変わりの中で、自然と共にゆったりと(大人はそれほどではないでしょうが)過ごしたように思います。
名古屋でも、授業の合間に縄跳びしたり、ゴム跳びしたり、帰宅後も友たちの家に行き、かくれんぼしたり、(私はお寺に間借りしていたので)お寺の境内で鞠つきをしたり、小学校時代は、「よく遊んだ」「楽しかった」という思い出ばかりです。
でも、道草の家に来る青年たちは、子どもの頃、「楽しく遊んだ」という青年はいないようです。私の子どもの頃と、青年たちが子どもの頃とはどこが変わったのでしょう。
ぐうたらと「勤勉」
そんな時、古本屋で「ぐうたら学入門」(2005年発行)という本を見つけました。「ぐうたら」―という言葉、私も、片づけ、掃除が嫌いなぐうたら、面白そうだと思い、買い求めました。
著者は全国の村々の昔話を聞き取り調査をしたのですが、有名な桃太郎、そして二宮尊徳は、ぐうたらな怠け者だったそうです。明治になって、学校制度ができた時、教科書ができ、そこに勤勉な二宮尊徳として載せた、ということです。また「三年寝太郎」という昔話などに関連して、「ぐうたら」なことも村の中で受け入れられ、他と違った面を持ってい排除されることなく、どんな人間でも、そこにいる意味がある社会―が本来の村の姿だ、と述べています。それは、田に水を入れるのは、共通の水源からひいた水を近い所から順番に田に入れて行く、自分勝手に入れる訳にはいかない、自分の田はみんなの田であるということを基本に、お互いに田植えや稲刈りを手伝い合ったり、暮らし全体を助け合うという、みんなに守られている村社会だったのです。
今の私たちの生活はどうでしょうか。明治以降の学校教育の中で、「勤勉」こそ「善」であり、「ぐうたら」は「悪」だと刷り込まれました。そして戦後の近代化、さらに高度成長の流れの中で、社会に認められるように未来に向かっての努力と意志の強さが要求され続けました。それが出来る人が評価される―他者とのしっかりした人間関係、信頼関係の形成よりも。
道草の家で関わる青年たちや親の会(他の会でも)など話される悩みを考えるにつけ、このことが大きく影響していると思います。社会全体の大量生産、大量消費のもとに、学校では、社会全体の大量生産、大量消費のもとに、競争主義、効率主義が浸透し、勉強、成績が第一になり、友達や教師との人間関係は軽視されました。
そして、子どもたちは、「いま」を失って行きました。子どもたちは、本来、「いま」を生きるものです。遊びはそれ自体が目的ですから、「未来のため」にではなく、
「いま」に集中すること、それが楽しいのだと思います。青年たちの子どもの頃、楽しく遊んだ思い出がない、というのは頷けます。また、いじめが起きてしまうのも、子どもたちに「いま」を楽しめてないからでしょう。たえず未来、将来のことが気になるのでは?(スポーツも”勝つ”ことばかりを目的にしてます)
ひきこもる青年と親の苦しみ
青年たちが社会が求める大人になるためのレールに乗れなかった、競争主義に耐えられなかったのは、能力が低いのではなく、繊細であり、人間本来の心、感受性が強いからだと思います。でも、不登校になり、ひきこもってしまった自分は社会から認められない人間だ、と思ってしまい、「ダメな人間」として強い自己否定感を持つ。それが、精神的不安定さをもたらし、社会に出ることを難しくしていると思います。
そうした子どもを持つ親の方は、社会人として高度成長真っ只中で働いて来ただけに、「一生懸命頑張って来た、働いて来た」との思いが強く、「なぜ、自分の子どもが学校へ行かないのか」「なぜ働かないのか」と理解に苦しみます。自分の生き方を否定されたようになり、子どものことを受け入れがたい・・・その苦しさを、私もだんだん分かって来ました。さらに、社会のレールから外れてしまったことは、世間の人々からは「落ちこぼれ」と見なされ、根性がない、意志が弱いというレッテルを貼られてしまう。まわりからも、親戚や友人からもそういう目で見られて肩身が狭い、「友人や親戚付き合いも減ってしまった」と言います。
それでは、「勤勉」をモットウに頑張って来た、今の日本社会はみんなにとって、より生き易くなってるでしょうか。お互いに支え合える関係が社会全体にあり、将来にも安心感があるでしょうか。「生きていることはいいことだ」と思えるでしょうか。
東北大震災は、過酷でしたが、自然の偶然が幾重にも重なり合って起こった自然現象として受け入れ易く、みんなで助け合おう、支え合おう、という気持ちになりました。しかし、原発事故は大きな不安をもたらしました。
「勤勉」「勤勉」のもとに推し進められた経済成長、そして成長神話―いつまでも成長できるわけではないのに―より豊かに、より便利に、より新しいものを、それには電気が必要だ、ということで原発が作られました。しかし、事故は、自然を限界以上に操作した結果であり、経済成長の神話に警鐘を鳴らしたものと思います。(前にも「ひきこもりは社会への警鐘」と書いたことがあります)物質的な豊かさはあっても、精神的豊かさをもたらしていない、格差も広がり、将来への不安はさらに大きくなりました。「お互いに支え合える、何とかなる」とは思えなく・・・
「勤勉」は必ずしも「善」ではなく、「ぐうたら」は必ずしも「悪」ではない、自然の営みにそって、それぞれがそれぞれの生き方をしていいんだ―という思いが、自分に対する否定的な思いを少しでも肯定にさせられれば、と思います。
(参考文献:「ぐうたら学入門」名本光男著 中公新書ラクレ)
2011/12/01
北東北の秋
11月初旬、親戚の法事の後、足を伸ばして、青森県の十和田湖とそれから流れ出る奥入瀬渓流に行って来ました。流れに沿って遊歩道があり、小石が見える、すきとおった水を間近に見たり、川岸に茂る木々も半分落葉となり、鮮やかでない紅、黄色の葉がかえって穏やかな色合いとなって、その間を歩くのは、とても心が安らぎ落ちつきました。渓流はゆるやかな流れと、岩にぶつかる激流をくり返しながら流れており、また、両側にそそり立つ岩山から様々な滝が流れ落ちていました。穏やかな流れにほっとし、激流や滝の激しいしぶきや音には自然のエネルギーを感じました。心が沸き立つような・・・。どちらも心を豊かにしてくれる。自然は穏やかなもの(時)もあり激しいもの(時)があります。そうした自然と共に生きているのだと改めて思いました。(東日本大震災はあまりにも激しいものでしたが)
もう12月、あと1ヵ月、いつものことながら何と早く過ぎることでしょう。特に3月11日の大震災と原発事故、復興の目処もはっきりしないまま、月日が過ぎてしまいました。私自身も具体的には何もしてない、できない・・・申し訳ない気持ちです。
道草の家も、そんなに大きな問題もなく過ぎて来ましたが、余り活発ではないようです。もう少し活性化できないものかと思います。6頁でもお願いしましたが、親の方たち、支援者の方たち、読者の方たち、道草の家の活性化のためにご協力を是非お願いします。
育つ過程
生きづらさを抱える青年たち、精神的な不安がありなかなか人と交われない、働けない、人とも(親とも)殆ど話をしない青年たち、そしてそういう子どもを持った親の方たち、そうした青年や親の方の話を聞き、関わるとき、生きづらさ(ひきこもったり)は生まれた時から今までの過程があったはず、どういう育ち方、子ども時代だったのだろう、親や家族学校や近隣の人などの関わりはどうだっただろうという思いが浮かびます。生まれつきの気質もありますが、環境、関わる人たちの影響も大きいと思います。
色々と絡み合い、積み重なっていますが、子どもは生まれた時から順々に成長するものだと思います。体が少しづつ大きくなり、体の動きもできることが順々に増えていくように。一足跳びということはなく。心も体も順調に成長と言う場合も少なく、滞ったりゆっくりだったり、バランスを崩すこともあります。
私自身はどうだろう、どういう育ち方子ども時代だったろう、また私の子どもたちはどういう子ども時代をおくり、生まれてから大人になるまでどんな育て方をしたのだろうと考えたりしています。
愛着障害
そんな折「愛着障害」という本に出会いました。
「愛着」は心理学の用語として知っていました。戦災孤児が施設で育てられると、一人の養育者ではなく複数の養育者に育てられるため、人と親密に信頼を持って関わる「愛着」が育たないということでしたが、この本ではそうした特殊な子ども達の問題ではなく、一般の子どもにも当てはまるし(発達障害と思われる中にも)大人にも広く見られる問題だというのです。
「愛着」は、人と人の絆を結ぶ能力、その人の人間関係の基礎となるものです。生き辛さを抱えている人、うつや不安障害、アルコールや薬物の依存症やパーソナリティ障害など、そして、対人恐怖が強く、人と交われない、社会に出られないひきこもる青年たち(家から殆ど出られない人から居場所にこられる人、様々ですが)にとっても、大きな影響を与えていると思われます。
愛着の基礎は、まず、生まれた後、3才くらいまでに、母親(養育者)との親密な関係で形成されます。泣けばすぐ来てくれる。お乳を飲ませてくれる、自分を守ってく人として母親の顔を覚えます。そうして育った愛着を基地としてだんだん他の人に関心が向かう訳ですが、その前に「人見しり」という状態が出ます。それは、母親と、その他の人の顔がはっきり見分けられるからで自然な育ち方です。ただ母親と子どもの間に安定した愛着が育つためには、母親が安定した気持ちでいること、それには、父親との関係、家族との関係などが安定しており、母親を支えることが必要です。
母親が不安定だったり、養育者が変わったりすると安定した愛着が育ちにくくなりますが、養育者が変わっても十分な愛着と親密さで育てれば、愛着は形成されます。放任や過保護だったり、勿論虐待があれば、育ちにくいといえます。
安定した愛着が形成されている人は「安全基地」となる人がいる。自分が愛着し信頼している人が自分をいつまで愛し続けてくれることを確信しており、愛情を失ってしまうこととか嫌われてしまうなどとは思わない。そして、人の反応を肯定的に捉え自分を否定しているとか軽蔑しているなどと誤解することはない。また自分の意見や気持ちを率直に表現できる、それは相手を否定することではなく相手を信頼し尊重しているからこそ本音で話す・・・ということなのです。
私は親友に率直に話せますが、いつもそれができるわけではなく、思ったことが言えないことが良くあります。それは9歳のとき養女になったため、養母との安定した愛着が形成されなかったからかと思います。道草の家に来ている青年も自分の言葉が相手を傷つけたのではないか、嫌われてるのではないかとしばしば思う
と言っています。
自分を信頼し、相手を信頼する安定した愛着が十分に育ってない人は多いと思います。それは今からでも育てられる。取り戻せると著者は言っています。(紙面の関係で詳しくは述べられませんが)
◎「安全基地になる存在」があること―親との関係を改善することがもっとも望ましいが、家族、友人、恋人、パートナー、教師、カウンセラーなどがその存在になり得ます。
◎「愛着の傷を修復する」こと―一つは幼い頃の不足を取り戻す。それには「子どもの頃からやり直す(退行も大事です)。幼い頃の状態や問題を順次再現しながら、幼児期、児童期、思春期、青年期の段階と成長していくことが可能です。そして子どもの遊びが子どもの心の回復につながり、子どもの遊びを十分すれば、児童期の段階を過ごせ思春期に進むということも可能になります。(私は子どもの頃、楽しく遊んだ思い出が沢山ありますが、青年たちはあまりないようです。今からでもいっぱい遊んだらいいと思います。
もう一つは「傷ついた体験を語りつくす」こと―傷ついた体験と向き合い封印してきた過去を整理し、統合し直す作業に立会い、媒介する人が必要。専門家の役割になるかと思います。
著者は、多くの例をひきながら、くわしく述べています。「愛着障害」という視点は考えるべきことですが、余り深刻に考えすぎてもいけないと思います。(「愛着障害」岡田尊司著、光文社新書―多く引用させて頂きました)
もう12月、あと1ヵ月、いつものことながら何と早く過ぎることでしょう。特に3月11日の大震災と原発事故、復興の目処もはっきりしないまま、月日が過ぎてしまいました。私自身も具体的には何もしてない、できない・・・申し訳ない気持ちです。
道草の家も、そんなに大きな問題もなく過ぎて来ましたが、余り活発ではないようです。もう少し活性化できないものかと思います。6頁でもお願いしましたが、親の方たち、支援者の方たち、読者の方たち、道草の家の活性化のためにご協力を是非お願いします。
育つ過程
生きづらさを抱える青年たち、精神的な不安がありなかなか人と交われない、働けない、人とも(親とも)殆ど話をしない青年たち、そしてそういう子どもを持った親の方たち、そうした青年や親の方の話を聞き、関わるとき、生きづらさ(ひきこもったり)は生まれた時から今までの過程があったはず、どういう育ち方、子ども時代だったのだろう、親や家族学校や近隣の人などの関わりはどうだっただろうという思いが浮かびます。生まれつきの気質もありますが、環境、関わる人たちの影響も大きいと思います。
色々と絡み合い、積み重なっていますが、子どもは生まれた時から順々に成長するものだと思います。体が少しづつ大きくなり、体の動きもできることが順々に増えていくように。一足跳びということはなく。心も体も順調に成長と言う場合も少なく、滞ったりゆっくりだったり、バランスを崩すこともあります。
私自身はどうだろう、どういう育ち方子ども時代だったろう、また私の子どもたちはどういう子ども時代をおくり、生まれてから大人になるまでどんな育て方をしたのだろうと考えたりしています。
愛着障害
そんな折「愛着障害」という本に出会いました。
「愛着」は心理学の用語として知っていました。戦災孤児が施設で育てられると、一人の養育者ではなく複数の養育者に育てられるため、人と親密に信頼を持って関わる「愛着」が育たないということでしたが、この本ではそうした特殊な子ども達の問題ではなく、一般の子どもにも当てはまるし(発達障害と思われる中にも)大人にも広く見られる問題だというのです。
「愛着」は、人と人の絆を結ぶ能力、その人の人間関係の基礎となるものです。生き辛さを抱えている人、うつや不安障害、アルコールや薬物の依存症やパーソナリティ障害など、そして、対人恐怖が強く、人と交われない、社会に出られないひきこもる青年たち(家から殆ど出られない人から居場所にこられる人、様々ですが)にとっても、大きな影響を与えていると思われます。
愛着の基礎は、まず、生まれた後、3才くらいまでに、母親(養育者)との親密な関係で形成されます。泣けばすぐ来てくれる。お乳を飲ませてくれる、自分を守ってく人として母親の顔を覚えます。そうして育った愛着を基地としてだんだん他の人に関心が向かう訳ですが、その前に「人見しり」という状態が出ます。それは、母親と、その他の人の顔がはっきり見分けられるからで自然な育ち方です。ただ母親と子どもの間に安定した愛着が育つためには、母親が安定した気持ちでいること、それには、父親との関係、家族との関係などが安定しており、母親を支えることが必要です。
母親が不安定だったり、養育者が変わったりすると安定した愛着が育ちにくくなりますが、養育者が変わっても十分な愛着と親密さで育てれば、愛着は形成されます。放任や過保護だったり、勿論虐待があれば、育ちにくいといえます。
安定した愛着が形成されている人は「安全基地」となる人がいる。自分が愛着し信頼している人が自分をいつまで愛し続けてくれることを確信しており、愛情を失ってしまうこととか嫌われてしまうなどとは思わない。そして、人の反応を肯定的に捉え自分を否定しているとか軽蔑しているなどと誤解することはない。また自分の意見や気持ちを率直に表現できる、それは相手を否定することではなく相手を信頼し尊重しているからこそ本音で話す・・・ということなのです。
私は親友に率直に話せますが、いつもそれができるわけではなく、思ったことが言えないことが良くあります。それは9歳のとき養女になったため、養母との安定した愛着が形成されなかったからかと思います。道草の家に来ている青年も自分の言葉が相手を傷つけたのではないか、嫌われてるのではないかとしばしば思う
と言っています。
自分を信頼し、相手を信頼する安定した愛着が十分に育ってない人は多いと思います。それは今からでも育てられる。取り戻せると著者は言っています。(紙面の関係で詳しくは述べられませんが)
◎「安全基地になる存在」があること―親との関係を改善することがもっとも望ましいが、家族、友人、恋人、パートナー、教師、カウンセラーなどがその存在になり得ます。
◎「愛着の傷を修復する」こと―一つは幼い頃の不足を取り戻す。それには「子どもの頃からやり直す(退行も大事です)。幼い頃の状態や問題を順次再現しながら、幼児期、児童期、思春期、青年期の段階と成長していくことが可能です。そして子どもの遊びが子どもの心の回復につながり、子どもの遊びを十分すれば、児童期の段階を過ごせ思春期に進むということも可能になります。(私は子どもの頃、楽しく遊んだ思い出が沢山ありますが、青年たちはあまりないようです。今からでもいっぱい遊んだらいいと思います。
もう一つは「傷ついた体験を語りつくす」こと―傷ついた体験と向き合い封印してきた過去を整理し、統合し直す作業に立会い、媒介する人が必要。専門家の役割になるかと思います。
著者は、多くの例をひきながら、くわしく述べています。「愛着障害」という視点は考えるべきことですが、余り深刻に考えすぎてもいけないと思います。(「愛着障害」岡田尊司著、光文社新書―多く引用させて頂きました)
2011/11/01
フクシマにて
実母の法事で久し振りに訪れた故郷のお寺と墓地は、とても静かで、穏やかで、幼い頃と殆ど変わりません。福島県の真ん中にあるとは思えない。燈篭や墓石の上の部分が落ちて壊れているのだけが地震の名残を見せているだけです。
福島県は広いので、浜通り、中通り、会津地方と分けて天気予報などは伝えたれていますが(地震情報も)、故郷の石川町は中通りにあり、低い山と山の間に流れる川沿いにある小さな町です。原発事故で発散した放射性物質は、風に乗って山の上を吹き抜けて行き、石川町には余り落ちないとのことで、セシウムのレベルは低く、避難者を受け入れています。
でも福島県庁に勤める甥、姪、兄妹などの話は、風評被害のことで、「フクシマ」というだけで拒否、敬遠されてしまう。会津地方などもセシウムのレベルは非常に低いのですが、「フクシマ」とひとくくりにされて農産物も拒否されます
地震、東北大震災に対しては、全国から、「頑張ろう」「応援してる」「絆」などの言葉から寄せられ、多くのボランティアが訪れ、痛みを分かちあっている感じですが、原発事故に対しては、ただただ放射性物質に対する拒否、恐怖感になっています。福島県や近県でもセシウムのレベルが低いところでも、0ではなく、でも全員が避難するわけには行かない、福島県の中の低いレベル中に住んでる人たちは、静かに痛みを分かち合っているように感じます。京都の「大文字焼き」の場合など、長時間、何日も燃やすわけではないし放射性物質の不安を分かち合ってもいいように思うのですが、・・・
いのちと原発
新聞の一つの記事(10月26日朝日新聞)を読み、怒りと共に悲しい気持ちになりました。それは、福井県敦賀市町の言葉です。「原発には確かにリスクがある。けど、我々は一定のリスクを背負った分、経済的メリットを受けるという選択をしています」「他の都市でも工場がなくなったら、別の工場を誘致してくるでしょう。私たちは原発という『地域産業』を誘致しているのです。」確かに生活するにはお金が必要です。でも、こんなに多大な影響をその市町村以外にも、日本中に世界中に恐怖を与えていることを認識しないのでしょうか。そして未来の人たち、何10年、何100年の先のことを考えないのでしょうか。放射性物質は簡単に消えないのですから。
一方、茨城県東海村村長は「『原発がなくなったら住民の雇用はどうするか』『村の財政はどうするか』という論議も村内にあります。しかし原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を一基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円のカネがはいる。それがなくなると、また『原子炉を誘致せよ』という話になる」「福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢にすぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです」と言っています。
敦賀市長の考えも、個人の問題というより、そう思わせる日本の社会なのだ、ということでしょう。
原発事故が起きても「それをやめたら今の生活、電力を使った生活はできなくなる」「地域温暖化を防ぐためのクリーンなエネルギー」とも言われ、きっぱり「脱原発」と言えない人もまだ多いようです。ということを知ったら、どう考えたら、国民皆が「脱原発」と思えるでしょうか。それに関する本は沢山出てますが、生命科学者柳沢桂子さんの「いのちと環境」(ちくまプリマー新書)が分かりやすく、根本的なことが書かれていると思います。※生命の誕生から人間の存在と環境、成長の限界、人間と気候変動、人類は生き残れるか、―というテーマで書き進められています。
まず「放射能が怖いのは、放射線がDNAを傷つけるからです」「放射線は、植物にも昆虫にも細菌にも、すべての生物のDNAに影響を及ぼす、直接的にも間接的にもその影響はおそらく私たちにとって甚大なものになるでしょう」と書かれ、
「私たちは地球を壊してしまいました。その原因は人口の増加と産業が盛んになりすぎたことです。温室効果ガスも増えています。いずれにしても私たちは今の生き方を考え直さなければなりません。」そして最後に「私の人生の終わりに際して、これから生まれてくるものたちに幸せに暮らしてほしいと祈らずにはいられません。まして私たちが木を切り倒し、地面を砂漠化し、沢山の高レベル放射性物質を残してこの世を去るなどということはとても悲しいことです。私は病気でほとんど寝たきりですので、病床で本を書くことしかできません。元気な皆さん、どうか力を貸してください。」と結ばれています。
青年たち
道草の家の活動の中で関わる青年(彼、彼女)たちのことがいつも気になります。いい方向に進んでる青年もいますが、生きることの辛さがなかなか弱まらない青年がいて、どう考えたら、どう関わったらいいか、思い悩むことの多い日々です。
自分の精神的な不安定さ、辛さ(通院している)の上に経済的不安がさし迫っている青年・・・母子家庭で母親は心身がかなり弱って来て、その世話をしなければならないし、自分が働かなければならない。でも、同僚や客とも話ができず、コミュニケーションを身につけていないことで落ち込む日々。個人経営で時給は安いし、いつ首になるか分からない。と言って他の仕事につける当てはない。せめて障害者年金を貰えたらいいが、余裕がなく年金を払ってないために貰えない・・・どうしても仕事をするのが辛くなって、一週間休み、それ以上休むと首になるので「頑張って行きます。頑張ります」という言葉で終わる電話。
具体的な方策もなく、聴くしかありません。「生活保護も考えられる」という私の言葉で市役所に聞きに行ったこともありますが、受給額は今のアルバイトの収入よりも低く生活できない、それに「働かないことには後ろめたさを感じ自分を責めてしまい、楽な気持ちにはならない」と言います。何かいい知恵はないでしょうか。
また、「青年の思い」に「道草の家への期待」として書いてくれた青年、精神的な苦しさを抱え数年前に訪れ、間をあけながらも来所しています。最初の頃にくらべれば、落ちついて来て、他の青年ともなごやかに話をしています。でも家では激し感情が揺れどうしても自分を責めてしまうとのことで、親も私も「そんなに責めなくていい」「もっと自信を持ってもいいのに」と言うのですが。
間をあけて来る青年でも、電話やメールのやりとり、などで何とか関われるのですが、親の方たちの相談の中で親と話をしない、顔を合わせない青年たちに対しては、どう考えたらいいか、どういう術があるのか、考えあぐねます。なぜ人と関わろうとしないのか。強い人間不信と絶望感があるのだろうと思います。私たちが手助けするキッカケをつかめないまま時間が過ぎていきます。その難しさを痛感します。私たちの思いをどのようにして伝えたらいいか・・・親御さんには根気よくメモで「心配してるよ、大切に思ってるよ」ということを伝えては?と言ってるのですが。
福島県は広いので、浜通り、中通り、会津地方と分けて天気予報などは伝えたれていますが(地震情報も)、故郷の石川町は中通りにあり、低い山と山の間に流れる川沿いにある小さな町です。原発事故で発散した放射性物質は、風に乗って山の上を吹き抜けて行き、石川町には余り落ちないとのことで、セシウムのレベルは低く、避難者を受け入れています。
でも福島県庁に勤める甥、姪、兄妹などの話は、風評被害のことで、「フクシマ」というだけで拒否、敬遠されてしまう。会津地方などもセシウムのレベルは非常に低いのですが、「フクシマ」とひとくくりにされて農産物も拒否されます
地震、東北大震災に対しては、全国から、「頑張ろう」「応援してる」「絆」などの言葉から寄せられ、多くのボランティアが訪れ、痛みを分かちあっている感じですが、原発事故に対しては、ただただ放射性物質に対する拒否、恐怖感になっています。福島県や近県でもセシウムのレベルが低いところでも、0ではなく、でも全員が避難するわけには行かない、福島県の中の低いレベル中に住んでる人たちは、静かに痛みを分かち合っているように感じます。京都の「大文字焼き」の場合など、長時間、何日も燃やすわけではないし放射性物質の不安を分かち合ってもいいように思うのですが、・・・
いのちと原発
新聞の一つの記事(10月26日朝日新聞)を読み、怒りと共に悲しい気持ちになりました。それは、福井県敦賀市町の言葉です。「原発には確かにリスクがある。けど、我々は一定のリスクを背負った分、経済的メリットを受けるという選択をしています」「他の都市でも工場がなくなったら、別の工場を誘致してくるでしょう。私たちは原発という『地域産業』を誘致しているのです。」確かに生活するにはお金が必要です。でも、こんなに多大な影響をその市町村以外にも、日本中に世界中に恐怖を与えていることを認識しないのでしょうか。そして未来の人たち、何10年、何100年の先のことを考えないのでしょうか。放射性物質は簡単に消えないのですから。
一方、茨城県東海村村長は「『原発がなくなったら住民の雇用はどうするか』『村の財政はどうするか』という論議も村内にあります。しかし原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を一基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円のカネがはいる。それがなくなると、また『原子炉を誘致せよ』という話になる」「福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢にすぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです」と言っています。
敦賀市長の考えも、個人の問題というより、そう思わせる日本の社会なのだ、ということでしょう。
原発事故が起きても「それをやめたら今の生活、電力を使った生活はできなくなる」「地域温暖化を防ぐためのクリーンなエネルギー」とも言われ、きっぱり「脱原発」と言えない人もまだ多いようです。ということを知ったら、どう考えたら、国民皆が「脱原発」と思えるでしょうか。それに関する本は沢山出てますが、生命科学者柳沢桂子さんの「いのちと環境」(ちくまプリマー新書)が分かりやすく、根本的なことが書かれていると思います。※生命の誕生から人間の存在と環境、成長の限界、人間と気候変動、人類は生き残れるか、―というテーマで書き進められています。
まず「放射能が怖いのは、放射線がDNAを傷つけるからです」「放射線は、植物にも昆虫にも細菌にも、すべての生物のDNAに影響を及ぼす、直接的にも間接的にもその影響はおそらく私たちにとって甚大なものになるでしょう」と書かれ、
「私たちは地球を壊してしまいました。その原因は人口の増加と産業が盛んになりすぎたことです。温室効果ガスも増えています。いずれにしても私たちは今の生き方を考え直さなければなりません。」そして最後に「私の人生の終わりに際して、これから生まれてくるものたちに幸せに暮らしてほしいと祈らずにはいられません。まして私たちが木を切り倒し、地面を砂漠化し、沢山の高レベル放射性物質を残してこの世を去るなどということはとても悲しいことです。私は病気でほとんど寝たきりですので、病床で本を書くことしかできません。元気な皆さん、どうか力を貸してください。」と結ばれています。
青年たち
道草の家の活動の中で関わる青年(彼、彼女)たちのことがいつも気になります。いい方向に進んでる青年もいますが、生きることの辛さがなかなか弱まらない青年がいて、どう考えたら、どう関わったらいいか、思い悩むことの多い日々です。
自分の精神的な不安定さ、辛さ(通院している)の上に経済的不安がさし迫っている青年・・・母子家庭で母親は心身がかなり弱って来て、その世話をしなければならないし、自分が働かなければならない。でも、同僚や客とも話ができず、コミュニケーションを身につけていないことで落ち込む日々。個人経営で時給は安いし、いつ首になるか分からない。と言って他の仕事につける当てはない。せめて障害者年金を貰えたらいいが、余裕がなく年金を払ってないために貰えない・・・どうしても仕事をするのが辛くなって、一週間休み、それ以上休むと首になるので「頑張って行きます。頑張ります」という言葉で終わる電話。
具体的な方策もなく、聴くしかありません。「生活保護も考えられる」という私の言葉で市役所に聞きに行ったこともありますが、受給額は今のアルバイトの収入よりも低く生活できない、それに「働かないことには後ろめたさを感じ自分を責めてしまい、楽な気持ちにはならない」と言います。何かいい知恵はないでしょうか。
また、「青年の思い」に「道草の家への期待」として書いてくれた青年、精神的な苦しさを抱え数年前に訪れ、間をあけながらも来所しています。最初の頃にくらべれば、落ちついて来て、他の青年ともなごやかに話をしています。でも家では激し感情が揺れどうしても自分を責めてしまうとのことで、親も私も「そんなに責めなくていい」「もっと自信を持ってもいいのに」と言うのですが。
間をあけて来る青年でも、電話やメールのやりとり、などで何とか関われるのですが、親の方たちの相談の中で親と話をしない、顔を合わせない青年たちに対しては、どう考えたらいいか、どういう術があるのか、考えあぐねます。なぜ人と関わろうとしないのか。強い人間不信と絶望感があるのだろうと思います。私たちが手助けするキッカケをつかめないまま時間が過ぎていきます。その難しさを痛感します。私たちの思いをどのようにして伝えたらいいか・・・親御さんには根気よくメモで「心配してるよ、大切に思ってるよ」ということを伝えては?と言ってるのですが。
2011/10/22
すべてをなくしても未来は残る 太陽がまた、幸せを連れてくる
この言葉は東北の子ども達に海外の同世代から送られた激励の言葉です。(ユネスコが募った「KIZUNAメッセージ」としてブータンとフィジーから送られたもの)
こういう言葉が発せられる国!感動と共に考えさせられます。
「未来を信じられる」ということを、日本の若者の中でどのくらいが信じられるでしょう。勿論、震災で家が壊され、流された人たちは、もとの生活ができるようになるか、不安でいっぱいのことと思います。思いがけない災害に逢った場合、未来のことはなかなか考えられない。でも、ひきこもる青年たちに目を向けると、一度”ふつう”からはずれると、「未来はない」と思ってしまう青年が多い現実、どう考えたらいいのでしょう。
「自分はダメな人間」「社会がそう見る」と思ってしまう。「そんなことはない!」と大声で叫びたくなります。それぞれすてきなところを持っているのに。ある青年は高校を中退した時、教師から「高校くらい卒業できないと、人生は終わりだ」と言われた、と話しました。そして、中学生くらいから不登校になったり、高校に行かれなくなって家にひきこもる-「それはふつうでない、ダメなこと」と自分を責めることは、精神的に不安定になり、病いとなって行くことが多い。
何とか少しずつよくなり、家から外へ出られるようになっても、”空白”の期間として、ひけ目を感じて、やはり”自分はふつうではない”と強いコンプレックスから抜けられません。ふつうの人の仲間にはなれない「自分の未来を考えるのは辛い」と言ったりします。また、20代半ばすぎると、「同級生はみな、大学も出てたりして、働いている」と思い、自分を知る人に出会うのを怖れて、外へ全く出ない青年もいます。
日本人の傾向として、”みんなと同じに””ふつう”ということを第一に考えがちです。それが、ストレスになって病気からの回復を遅らせているように思います。道草の家に来る青年たちも、その悪循環からなかなか抜け出せず、調子に波がある青年が多いです。
先月号で、アメリカインディアンの生き方を書きましたが、未来を担う子どもを大切にし、未来を考えられる若者に育てている-とのことですし、アメリカインディアンと同じように太陽に生きるエネルギーを感じるフィジー(東南アジアの小さな国)の子どもたちは”幸せ”を感じながら生きている-。私たちは、未来を感じられる子どもに、若者に、育てようとしているでしょうか。大切にしているでしょうか。
和田ミトリ
こういう言葉が発せられる国!感動と共に考えさせられます。
「未来を信じられる」ということを、日本の若者の中でどのくらいが信じられるでしょう。勿論、震災で家が壊され、流された人たちは、もとの生活ができるようになるか、不安でいっぱいのことと思います。思いがけない災害に逢った場合、未来のことはなかなか考えられない。でも、ひきこもる青年たちに目を向けると、一度”ふつう”からはずれると、「未来はない」と思ってしまう青年が多い現実、どう考えたらいいのでしょう。
「自分はダメな人間」「社会がそう見る」と思ってしまう。「そんなことはない!」と大声で叫びたくなります。それぞれすてきなところを持っているのに。ある青年は高校を中退した時、教師から「高校くらい卒業できないと、人生は終わりだ」と言われた、と話しました。そして、中学生くらいから不登校になったり、高校に行かれなくなって家にひきこもる-「それはふつうでない、ダメなこと」と自分を責めることは、精神的に不安定になり、病いとなって行くことが多い。
何とか少しずつよくなり、家から外へ出られるようになっても、”空白”の期間として、ひけ目を感じて、やはり”自分はふつうではない”と強いコンプレックスから抜けられません。ふつうの人の仲間にはなれない「自分の未来を考えるのは辛い」と言ったりします。また、20代半ばすぎると、「同級生はみな、大学も出てたりして、働いている」と思い、自分を知る人に出会うのを怖れて、外へ全く出ない青年もいます。
日本人の傾向として、”みんなと同じに””ふつう”ということを第一に考えがちです。それが、ストレスになって病気からの回復を遅らせているように思います。道草の家に来る青年たちも、その悪循環からなかなか抜け出せず、調子に波がある青年が多いです。
先月号で、アメリカインディアンの生き方を書きましたが、未来を担う子どもを大切にし、未来を考えられる若者に育てている-とのことですし、アメリカインディアンと同じように太陽に生きるエネルギーを感じるフィジー(東南アジアの小さな国)の子どもたちは”幸せ”を感じながら生きている-。私たちは、未来を感じられる子どもに、若者に、育てようとしているでしょうか。大切にしているでしょうか。
和田ミトリ
2011/09/10
あしたが消える・・・
昼間は蝉の声、夜は虫の声、秋が近づいています。でも、原発の影響は深刻さがますます明らかになって来たように思います。いつ収束するのか・・・。管(元)首相は”脱原発”を宣言しながら、他国への原発輸出は容認しています。そして経済界や世論の中にも「脱原発は無理だ」という声を聞きます。一挙に失くすというのは無理でも方向だけは”脱”に一致しないものか、と思います。新聞の中に「問題は『不合理な原発をどうするか』より『不合理が自明な原発をどうにもできない社会をどうするか』なのだ」という言葉を読み、まったくそうだ、と思いました。
先日、「原発と被災地を支える会」主催の映画会で、20年前に作られた映画「あしたが消える、どうして原発?」を見ましたが、20年前にすでに今回の福島原発事故を予想し、その影響を訴えているのです。日本のあちこちの原子力発電所の建設にたずさわった父親がガンにかかり、半年ほどで亡くなった、という女性が「なぜ?」という疑問を持ち福島原子力発電所を訪ねたり、専門家に疑問をぶつけたり、ということを中心にしたドキュメンタリーです。その少し前にチェルノブイリ事故があり、それらを合わせながら、原発問題を追及したものです。
その中で、福島原発が地震などで破壊された場合、チェルノブイリの事故と同等の影響を世界に与えると言っていました。そして女性の言葉がとても印象的です。(要旨は)「原発によって多くの電力が作られて、生活がとても便利になり豊かになったけれど、その背後には原発の建設や修繕に関わった人たちがいる。その人たちの犠牲の上になりたっていることを考えてほしい」
科学の発展、進歩により作られた今の便利な生活を不便な生活に戻すことには、なかなか心が決まらない人が多いでしょう。科学によって何でもできる、自然を支配できる、不快感を取り除き、痛みを弱め、快適な生活・・・そうした傲慢さが今回の原発事故につながったのではないでしょうか。地球は人間だけのものではないし、現在生きている人の為だけではないはずなのに・・・
生活が便利に快適になりましたが、精神的にも楽に豊かになったのでしょうか。最近のニュースでは、国民の五大疾患として、精神的疾患が付け加えられました。
なぜ精神的疾患が増えているのでしょう。
先日、「原発と被災地を支える会」主催の映画会で、20年前に作られた映画「あしたが消える、どうして原発?」を見ましたが、20年前にすでに今回の福島原発事故を予想し、その影響を訴えているのです。日本のあちこちの原子力発電所の建設にたずさわった父親がガンにかかり、半年ほどで亡くなった、という女性が「なぜ?」という疑問を持ち福島原子力発電所を訪ねたり、専門家に疑問をぶつけたり、ということを中心にしたドキュメンタリーです。その少し前にチェルノブイリ事故があり、それらを合わせながら、原発問題を追及したものです。
その中で、福島原発が地震などで破壊された場合、チェルノブイリの事故と同等の影響を世界に与えると言っていました。そして女性の言葉がとても印象的です。(要旨は)「原発によって多くの電力が作られて、生活がとても便利になり豊かになったけれど、その背後には原発の建設や修繕に関わった人たちがいる。その人たちの犠牲の上になりたっていることを考えてほしい」
科学の発展、進歩により作られた今の便利な生活を不便な生活に戻すことには、なかなか心が決まらない人が多いでしょう。科学によって何でもできる、自然を支配できる、不快感を取り除き、痛みを弱め、快適な生活・・・そうした傲慢さが今回の原発事故につながったのではないでしょうか。地球は人間だけのものではないし、現在生きている人の為だけではないはずなのに・・・
生活が便利に快適になりましたが、精神的にも楽に豊かになったのでしょうか。最近のニュースでは、国民の五大疾患として、精神的疾患が付け加えられました。
なぜ精神的疾患が増えているのでしょう。
太陽と大地 (アメリカインディアンの生き方)
そうしたことを考えていた時「『野生哲学』アメリカインディアンから学ぶ」(管哲次郎著、講談社現代新書)という本に出会いました。
その中で最も印象的な言葉は――インディアンの部族では、物事を取り決める会議をする時、「何事も取り決めるにあたっても、我々の決定が以後7世代にわたって及ぼすことになる影響をよく考えなくてはならない」――というものです。
私たちは何年先のことを考えているのでしょうか。何年先に生きる人々のことを考えているのでしょうか。
そして、インディアンの人々にとって「人生の意味はゆるぎない。それは土地を共有するすべての生命のために祈ること、生きた土地を励ますこと」なのです。動物も植物も人間と同じように太陽と大地から生まれたものであり、“隣人”なのです。
先月号で(人の)私たちの承認欲求は3つの段階、「親和的承認欲求」「集団的承認欲求」「一般的承認欲求」があると述べました。
インディアンの部族の人々は、「一般的承認欲求」を満たすものとして、ゆるぎない共通の「人生の意味」を持っています。それは、家族もまわりの人も、皆同じものであり、お互いに皆、承認されている感覚を持ち、自己肯定感に満ちていると思われます。共に祈り行動することができます。その祈りとは、
著者は言っています。「生物も無生物も含めて、ある土地を織りなすすべてのものは、互いに関係をもち、働きかけあっている。その中で、ヒトの占める位置はごく小さく、ヒトに力はなく、ヒトはつねに助けを必要としている」。動物も植物も無生物もなければ、人間は生きていけない、私たちはそれを忘れてしまったのではないでしょうか。
日本でも、かつては、山や森、そしてあらゆる自然に神が宿るという、自然信仰、マニミズムがありました。私も山に登りたい、森の中を歩きたい、川や海を船で渡りたい、花や木を育てたい、という憧れがあります。祖先の血が引きつがれているのでしょうか。でも、昔は、山を登るのも森の中にいるのも、川や海にいるのも、生活そのもの、生活の糧を得るものであり、私たちがそうした所で余暇を過ごしたい、と思うのとは違います。
日本では精神疾患が増えている、なぜなのか。社会に出られない生き辛い青年たちが増えています。悩み苦しんでいる青年たち、関わっている青年たちも、親の会などで話される青年たちも、なかなか回復の方に向かわない、なぜなのか、どうしたらいいのか、いつも頭に浮かびます。(少しづつ人との交わりが増え、少しづつ働き出す青年もいますが)
働いていても、やっとの思いで働いており、休日を楽しむ余裕のない青年もいます。仲間と交わることも(話をしたり、一緒に楽しむ)、一人で楽しむことも出来ない青年。或いはなかなか働くことができない、また人の役に立たない自分を責めて、精神的な苦しさから抜け出せない青年たち・・・なぜ?抽象的な言葉で言えば、私たちは、太陽と大地から離れてしまったからでしょうか。
インドの詩人タゴールの詩に共感を覚えます。
いのちの結び目のある糸をつかって
絶えずつながったりとぎれたりしながら、
枯葉は 土にまみれて消えるとき、
森のいのちに参加する』
そうしたことを考えていた時「『野生哲学』アメリカインディアンから学ぶ」(管哲次郎著、講談社現代新書)という本に出会いました。
その中で最も印象的な言葉は――インディアンの部族では、物事を取り決める会議をする時、「何事も取り決めるにあたっても、我々の決定が以後7世代にわたって及ぼすことになる影響をよく考えなくてはならない」――というものです。
私たちは何年先のことを考えているのでしょうか。何年先に生きる人々のことを考えているのでしょうか。
そして、インディアンの人々にとって「人生の意味はゆるぎない。それは土地を共有するすべての生命のために祈ること、生きた土地を励ますこと」なのです。動物も植物も人間と同じように太陽と大地から生まれたものであり、“隣人”なのです。
先月号で(人の)私たちの承認欲求は3つの段階、「親和的承認欲求」「集団的承認欲求」「一般的承認欲求」があると述べました。
インディアンの部族の人々は、「一般的承認欲求」を満たすものとして、ゆるぎない共通の「人生の意味」を持っています。それは、家族もまわりの人も、皆同じものであり、お互いに皆、承認されている感覚を持ち、自己肯定感に満ちていると思われます。共に祈り行動することができます。その祈りとは、
植物を育てることが祈り
動物を狩ることが祈り
太陽や月を見あげることが祈り
水を汲むことが祈り
風を感じることが祈り
動物を狩ることが祈り
太陽や月を見あげることが祈り
水を汲むことが祈り
風を感じることが祈り
なのです。
著者は言っています。「生物も無生物も含めて、ある土地を織りなすすべてのものは、互いに関係をもち、働きかけあっている。その中で、ヒトの占める位置はごく小さく、ヒトに力はなく、ヒトはつねに助けを必要としている」。動物も植物も無生物もなければ、人間は生きていけない、私たちはそれを忘れてしまったのではないでしょうか。
日本でも、かつては、山や森、そしてあらゆる自然に神が宿るという、自然信仰、マニミズムがありました。私も山に登りたい、森の中を歩きたい、川や海を船で渡りたい、花や木を育てたい、という憧れがあります。祖先の血が引きつがれているのでしょうか。でも、昔は、山を登るのも森の中にいるのも、川や海にいるのも、生活そのもの、生活の糧を得るものであり、私たちがそうした所で余暇を過ごしたい、と思うのとは違います。
日本では精神疾患が増えている、なぜなのか。社会に出られない生き辛い青年たちが増えています。悩み苦しんでいる青年たち、関わっている青年たちも、親の会などで話される青年たちも、なかなか回復の方に向かわない、なぜなのか、どうしたらいいのか、いつも頭に浮かびます。(少しづつ人との交わりが増え、少しづつ働き出す青年もいますが)
働いていても、やっとの思いで働いており、休日を楽しむ余裕のない青年もいます。仲間と交わることも(話をしたり、一緒に楽しむ)、一人で楽しむことも出来ない青年。或いはなかなか働くことができない、また人の役に立たない自分を責めて、精神的な苦しさから抜け出せない青年たち・・・なぜ?抽象的な言葉で言えば、私たちは、太陽と大地から離れてしまったからでしょうか。
インドの詩人タゴールの詩に共感を覚えます。
『いのちの物語のつづれ織りが織られる
いのちの結び目のある糸をつかって
絶えずつながったりとぎれたりしながら、
枯葉は 土にまみれて消えるとき、
森のいのちに参加する』
2011/08/02
窓の外、希望
8月号の文章を書き始めようとしていたら、鴬の鳴き声がしました。夏に鳴き声を聴いた記憶はないので、少々驚きです。いつも目覚めの頃、まくらもとの窓の外で鳴き声がすると、「今日は天気がいい、雨ではないな」と思います。
蝉の鳴き声もし始めました。鳥と蝉の声がするので、空が見える窓の方に行くと、鳥が蝉を追いかけてるのが見え、蝉が方向を変えると、鳥はそのまま飛んで行きました。鳥は食料として蝉を追いかけたのでしょうが、鳥と蝉が遊んでるように思われ、人間や動物と同じように遊び心があるのでは、とふと思いました。
7月もあっという間に過ぎ、会報の打ち込みをしてくれる青年(女性)と「すぐ会報の打ち込みの日が来るわね」と話をかわします。会報は切羽つまらないと取りかかれないので、いつも「うまくできるだろうか」と不安も感じますが、同時に新たに出来上がる喜びも想像します。原稿が打ち終わり、8ページに何とか収まると、「今月もできた!」という思いで、3人で笑顔をかわす。そして、青年(今は女性)が描いてくれたカットを各頁に配置できた時の嬉しさ!
心理的に或いは経済的にも難しい課題を抱えた青年たちの対応を(通院しながら働き、親の世話をしている青年もいます)、考えると胸が重くなりますが、会報作りなど変化があることで救われるのかな、とも思います。
「問題を解決しなければ」とそればかり考えたからと言って、解決できるわけではない場合もあります。「今を大切に」とよく言われますが、少し先のことに期待し、希望、楽しみを考えることは、心を軽くし、エネルギーを生み出すと思います。(頑張る、のとは違いますね)
「青年の思い」の中でも「希望」という言葉が出ました。
そして、もっと先の未来に夢を持つことも大事かと思います。道草の家の将来を若い人がスタッフやボランティアとして、活発に継続してくれることを夢みています。
今勉強会に来ている青年や青年の集いに参加している青年たちが後輩の青年、不登校の生徒の話し合い手や相談相手になる―ことが考えられます。
「認められたい」欲求
人は本質的に人から認められたい欲求があるのでは、と「『認められたい』の正体」
(山竹伸二著、講談社)を読みながら思いました。人の精神的な苦しみは、「認められたい」欲求が満たされなかったり、歪んだりしたことによる場合が多いのではないか、こういう視点から考えてみたいと思います。他から承認が得られることは自分の存在価値が認められることにつながると思われます。(山竹氏によれば)それは「親和的承認欲求」
「集団的承認欲求」「一般的承認欲求」の三つの形があり、またそれは相補的な関係にあり、人はそのバランスの中で生きている―というわけです。
まず、生まれたばかりの赤ちゃんは母親から授乳や世話を受け、何もしなくても自分の欲求を無条件に満たしてくれる、という母親や家族からの「認められている」という親和的承認欲求が満たされます。でも、だんだん育つ中で動き出したり、自分で食べ出したりすれば、全て思うようにはさせてもらえない、でも母親や家族に十分認められていれば、我慢することを覚え、自分の思いと人の思いの違いも感じて来ます。
そして幼稚園にはいり、集団活動をするようになると、集団に合わせることも出て来ますが、母親の愛情を信じている安心感があれば、「集団的承認」の獲得にとりくむことができます。でも学校にはいるにつれ、その集団の嗜好や価値観と余りに違う時、無理に合わせようとすると精神的負担が大きくなり、合わせられないと集団から認められず、「集団的承認欲求」が満たされず、それも大きな苦痛になります。不登校になるきっかけは、このことが最も多いと思われます。
職場においても「集団的承認欲求」が満たされるかどうかが、そこに居易いか、意欲が持てるかに大きく影響するでしょう。
さらに、集団を超えた、一般的な視点から認められるかどうかも、生きる上で重要になります。キリスト教のように神が頂点にいて、神を信じ、神の教えを守っていれば、神に認められている、「自分の存在価値」が認められているという思いがあれば、精神的な安定が得られ、集団的承認をそんない求めなくてもいい、と思われます。
でも、そういうものがなく、多様な価値観のある、日本の現代社会では、集団的承認欲求が満たされないと精神的不安定になり、生き辛くなります。
「一般的他者の視点」が弱く、自分で公正な判断ができない時、誰かに賛同を得なければ自信が持てない。それが、中、高生のグループから離れられない、そしてグループから疎外されれば、不登校にならざるを得ないということになるでしょう。
私自身のことを考えると、子供の頃から母との葛藤が強く(養女ということもあった)、親から認められないとの思いが大きく、親からの「親和的欲求」は満たされなかった。でも、親友はできて高校、大学、社宅時代も親友はできました。(親友も「親和的承認」にはいります)。職場やボランティア活動では認められない思いがよくありました。個人的に親しくなる人はいましたが。
自分で自分を認められるようになりたい、受容できるようになりたい、という思いでカウンセリングを勉強しましたが、今だに、「失敗して人から認められなくなるのでは」というような不安がよぎり、或いは人になかなか反論できない、人に対する怖さが抜け切れないようです。
でも、私はある程度補い合えているのかなと思います。「役に立つことをしたい」と思い、色々活動してきたのも、親和的承認欲求が満たされなかったことの補いかもしれません。
青年たちは「嫌われてるのではないか」と思ったり、また、とても傷つき易い。それは子供の頃から、他者からの承認欲求が満たされず、自己肯定感が低いためでしょう。どこでつまづいたのか、親からの親和的承認欲求が満たされない場合もあり、(母親が不安定で、自分が母親を守ってあげなければ、と思ってた青年)、また学校でいじめに合ったり、グループにはいれず疎外感を感じたり。そして「不登校だった」とか「ひきこもっていた」「働いていない」という一般的他者からの承認も感じられない、満たされない、という青年たち。今は仲間のいる「道草の家」という集団の中で、少しずつ集団的承認欲求がみたされるようになり、だいぶ元気になった青年もいますが、まだまだ難しさを感じます。
ところで、最近の新聞で気になる記事があるました。日本の青少年研究所が行った「高校生の心と体の健康に関する調査報告」(韓国、中国、米国、の4カ国)によると、「自分を価値のある人間だと思うか」との質問に、日本は、6割強が「全然そうではない」「あまりそうではない」と答え、米中韓では、「そうだ」「まあそうだ」が7割強~9割強でした。
なぜそうなのか、「承認欲求」と関連あるかもしれません。私たちの「承認欲求」について、もっと考えたいと思います。
蝉の鳴き声もし始めました。鳥と蝉の声がするので、空が見える窓の方に行くと、鳥が蝉を追いかけてるのが見え、蝉が方向を変えると、鳥はそのまま飛んで行きました。鳥は食料として蝉を追いかけたのでしょうが、鳥と蝉が遊んでるように思われ、人間や動物と同じように遊び心があるのでは、とふと思いました。
7月もあっという間に過ぎ、会報の打ち込みをしてくれる青年(女性)と「すぐ会報の打ち込みの日が来るわね」と話をかわします。会報は切羽つまらないと取りかかれないので、いつも「うまくできるだろうか」と不安も感じますが、同時に新たに出来上がる喜びも想像します。原稿が打ち終わり、8ページに何とか収まると、「今月もできた!」という思いで、3人で笑顔をかわす。そして、青年(今は女性)が描いてくれたカットを各頁に配置できた時の嬉しさ!
心理的に或いは経済的にも難しい課題を抱えた青年たちの対応を(通院しながら働き、親の世話をしている青年もいます)、考えると胸が重くなりますが、会報作りなど変化があることで救われるのかな、とも思います。
「問題を解決しなければ」とそればかり考えたからと言って、解決できるわけではない場合もあります。「今を大切に」とよく言われますが、少し先のことに期待し、希望、楽しみを考えることは、心を軽くし、エネルギーを生み出すと思います。(頑張る、のとは違いますね)
「青年の思い」の中でも「希望」という言葉が出ました。
そして、もっと先の未来に夢を持つことも大事かと思います。道草の家の将来を若い人がスタッフやボランティアとして、活発に継続してくれることを夢みています。
今勉強会に来ている青年や青年の集いに参加している青年たちが後輩の青年、不登校の生徒の話し合い手や相談相手になる―ことが考えられます。
「認められたい」欲求
人は本質的に人から認められたい欲求があるのでは、と「『認められたい』の正体」
(山竹伸二著、講談社)を読みながら思いました。人の精神的な苦しみは、「認められたい」欲求が満たされなかったり、歪んだりしたことによる場合が多いのではないか、こういう視点から考えてみたいと思います。他から承認が得られることは自分の存在価値が認められることにつながると思われます。(山竹氏によれば)それは「親和的承認欲求」
「集団的承認欲求」「一般的承認欲求」の三つの形があり、またそれは相補的な関係にあり、人はそのバランスの中で生きている―というわけです。
まず、生まれたばかりの赤ちゃんは母親から授乳や世話を受け、何もしなくても自分の欲求を無条件に満たしてくれる、という母親や家族からの「認められている」という親和的承認欲求が満たされます。でも、だんだん育つ中で動き出したり、自分で食べ出したりすれば、全て思うようにはさせてもらえない、でも母親や家族に十分認められていれば、我慢することを覚え、自分の思いと人の思いの違いも感じて来ます。
そして幼稚園にはいり、集団活動をするようになると、集団に合わせることも出て来ますが、母親の愛情を信じている安心感があれば、「集団的承認」の獲得にとりくむことができます。でも学校にはいるにつれ、その集団の嗜好や価値観と余りに違う時、無理に合わせようとすると精神的負担が大きくなり、合わせられないと集団から認められず、「集団的承認欲求」が満たされず、それも大きな苦痛になります。不登校になるきっかけは、このことが最も多いと思われます。
職場においても「集団的承認欲求」が満たされるかどうかが、そこに居易いか、意欲が持てるかに大きく影響するでしょう。
さらに、集団を超えた、一般的な視点から認められるかどうかも、生きる上で重要になります。キリスト教のように神が頂点にいて、神を信じ、神の教えを守っていれば、神に認められている、「自分の存在価値」が認められているという思いがあれば、精神的な安定が得られ、集団的承認をそんない求めなくてもいい、と思われます。
でも、そういうものがなく、多様な価値観のある、日本の現代社会では、集団的承認欲求が満たされないと精神的不安定になり、生き辛くなります。
「一般的他者の視点」が弱く、自分で公正な判断ができない時、誰かに賛同を得なければ自信が持てない。それが、中、高生のグループから離れられない、そしてグループから疎外されれば、不登校にならざるを得ないということになるでしょう。
私自身のことを考えると、子供の頃から母との葛藤が強く(養女ということもあった)、親から認められないとの思いが大きく、親からの「親和的欲求」は満たされなかった。でも、親友はできて高校、大学、社宅時代も親友はできました。(親友も「親和的承認」にはいります)。職場やボランティア活動では認められない思いがよくありました。個人的に親しくなる人はいましたが。
自分で自分を認められるようになりたい、受容できるようになりたい、という思いでカウンセリングを勉強しましたが、今だに、「失敗して人から認められなくなるのでは」というような不安がよぎり、或いは人になかなか反論できない、人に対する怖さが抜け切れないようです。
でも、私はある程度補い合えているのかなと思います。「役に立つことをしたい」と思い、色々活動してきたのも、親和的承認欲求が満たされなかったことの補いかもしれません。
青年たちは「嫌われてるのではないか」と思ったり、また、とても傷つき易い。それは子供の頃から、他者からの承認欲求が満たされず、自己肯定感が低いためでしょう。どこでつまづいたのか、親からの親和的承認欲求が満たされない場合もあり、(母親が不安定で、自分が母親を守ってあげなければ、と思ってた青年)、また学校でいじめに合ったり、グループにはいれず疎外感を感じたり。そして「不登校だった」とか「ひきこもっていた」「働いていない」という一般的他者からの承認も感じられない、満たされない、という青年たち。今は仲間のいる「道草の家」という集団の中で、少しずつ集団的承認欲求がみたされるようになり、だいぶ元気になった青年もいますが、まだまだ難しさを感じます。
ところで、最近の新聞で気になる記事があるました。日本の青少年研究所が行った「高校生の心と体の健康に関する調査報告」(韓国、中国、米国、の4カ国)によると、「自分を価値のある人間だと思うか」との質問に、日本は、6割強が「全然そうではない」「あまりそうではない」と答え、米中韓では、「そうだ」「まあそうだ」が7割強~9割強でした。
なぜそうなのか、「承認欲求」と関連あるかもしれません。私たちの「承認欲求」について、もっと考えたいと思います。
2011/06/29
紫陽花に思う
6月はあじさいがとてもきれいです。通り道の家々の庭に、様々な色合いで咲いています。紫陽花という字が当てはめられているように、紫のイメージが強いですが、それは、うすいピンクから濃いピンクに、また薄い青から濃い青に、どちらの系統も紫がまじっていて、私の好きな色、心がはずみます。
紫陽花の色はピンク系、青系の種類があるわけではなく、土壌が酸性、アルカリ性の度合いによって変わるとのことで、とても不思議です。根を張っている土によって色が変わる―そしてそれぞれが美しい。花びらは同じ形で。
人も育った環境、生活している環境で変わる面も多い。勿論、親からの遺伝もあり、様々な違いがあります。親と子は、時代も違うし、環境も違うのに、親は自分の思いから期待、理想を求めがち。それが親子の葛藤、生き辛さにつながる場合が多いように思います。
子どもが親と同じだと、親の方が安心するのかもしれません。でも、自分をコピーしたような人間がいたら、出会ったら、何か怖いような、落ちつかないような気にならないでしょうか。私の場合も、子どもは私とそっくりでないので安心感があります。でもまた余り違うと、身近な人と思えないかも。
親子でも、同じでないことに安心感や不安感がある。親の勝手なのか、そのバランスを持てればいいのか。でも、親子でも育った環境と、今生活している環境は違います。ですから、その違いを理解しがたい。十分理解できなくても、“違い”があることをまず受け入れる―ことができたら…。また、親子でも違うのに、社会の人々の間も環境がさらに違う。一層違いがあります。
勿論、社会生活を送るのに共通なもの、共通な理解も必要。でも、それが余り、きっちりと多くを求めると、生き辛さがつのります。
いじめなども、自分と同じでないものへの反発が原因の場合が多いと思います。もっとゆるやかに、それぞれの違いが受け入れられる社会、学校であったら、と思います。
チエを持つ存在故の苦しみ
先月号では「人間は一つの有機体」だと述べました。でも、他の有機体と違って、言葉があり、思考力、創造力、抽象化する力があります。
それによって科学が発達し、文明はどんどん発展しました。
言葉――知ともチエとも言われますが、高史明氏の言葉を借りれば、「人間は“いのち”の論理の他にもう一つ、言葉のチエによって生きる存在」だと言えます。
他の動植物のように、いのち、有機体の論理のみで生きられれば、精神的な苦しみもなく、人が人を殺すのを良しとする戦争などもなく生きられるでしょう。
原始時代は少数の家族の集まりであり、その助け合いの生活から、多くの家族が集まって来るにつれ、支配者が現れ、欲望も大きくなり、争い、戦争が起こり絶え間なく続きました。科学の発達とともに武器も高度となり、悲惨さは増幅して来ました。
一方、科学が発達するにつれ、効率的に仕事ができるようになり、物も豊富になり、様々な遊び、様々な楽しみも増え、外国へも宇宙にも行かれる、となり、努力すれば出来る、頑張れば社会的地位も高くなる…というような。何でも誰でも、頑張れば出来る――というような錯覚に陥った。そして、出来るはずなのに、それが出来ない自分はダメ、自分でも人からも認められない!――という苦悩が生じて来ました。
科学が急速に発達し、社会が複雑になれば、皆が皆、そのペースに合わせ、その中でどんどん伸びて行くわけには行かない。生まれつき、内向的、繊細な人は、競争について行かれない。クラスの友だちは“仲良く”“助け合う”というよりも競争相手であり、そうしたことが受け入れられない子供は不登校になったり、人間不信になって行くでしょう。
また、日本人はもともとは農耕社会であり、協力が必要なため、“和”を尊び、皆と同じように、という社会風土があります。多数の人がやっていることに合わせられないことに従って、“みんなに認められない”ことに、自分を否定的に感じてしまいます。無理をしてうつ病になったり、ひきこもったり、或いは虐待する親もやはり他と比較して「何でみんなができることができないのか」と怒りになってしまうのではないかと思います。
つながりを持ちたい
一方、物が豊かになると、お互いの関係も“一緒に”“お互いに助け合う”ということが少なくなり、物に頼ることが多くなって来たように思います。昔は子どもも家の手伝いをしたし、(食事も大勢で一緒にしました。)ゲームもなかったので家族、兄弟が一緒に遊んだり、大人も子どももカルタやトランプをし、テレビも一台でした…。コンビニもなかったので、おしょう油など隣に借りに行ったり…。
今は一人でも生活できる体制が整っています。わずらわしさがない代わりに、関係を持つ機会がなくなった、と言えるかもしれません。
そんな中で、お互いに必要とする、必要とされる関係も感じられなくなり、“ひきこもり”の状態になって行く青年も多いかも知れません。“特別にできることがあるから”、必要とされる、というのではなく、それぞれがささやかなことでも、できることをして、また、“一緒にいるだけでもいい”、人の暖かさを感じられたら、と思います。
今回の東日本大震災でも、被災者が避難所生活を穏やかに過ごしている情景を外国の人たちが見て驚いている、というニュースを見聞きしたが、日本人は(人間には)困った時はお互いに助け合おう、という気持がもともとあったのだと思います。が日帰りでも支援活動に行っているボランティア、自分が今持ってる力を、少しでも使いたい、必要なことをしたい―という思いがあるからでしょう。“絆”という大げさな言葉でなくて、関係、つながりを持ちたい気持は、本来人間にはあるのでは、と思います。
紫陽花の色はピンク系、青系の種類があるわけではなく、土壌が酸性、アルカリ性の度合いによって変わるとのことで、とても不思議です。根を張っている土によって色が変わる―そしてそれぞれが美しい。花びらは同じ形で。
人も育った環境、生活している環境で変わる面も多い。勿論、親からの遺伝もあり、様々な違いがあります。親と子は、時代も違うし、環境も違うのに、親は自分の思いから期待、理想を求めがち。それが親子の葛藤、生き辛さにつながる場合が多いように思います。
子どもが親と同じだと、親の方が安心するのかもしれません。でも、自分をコピーしたような人間がいたら、出会ったら、何か怖いような、落ちつかないような気にならないでしょうか。私の場合も、子どもは私とそっくりでないので安心感があります。でもまた余り違うと、身近な人と思えないかも。
親子でも、同じでないことに安心感や不安感がある。親の勝手なのか、そのバランスを持てればいいのか。でも、親子でも育った環境と、今生活している環境は違います。ですから、その違いを理解しがたい。十分理解できなくても、“違い”があることをまず受け入れる―ことができたら…。また、親子でも違うのに、社会の人々の間も環境がさらに違う。一層違いがあります。
勿論、社会生活を送るのに共通なもの、共通な理解も必要。でも、それが余り、きっちりと多くを求めると、生き辛さがつのります。
いじめなども、自分と同じでないものへの反発が原因の場合が多いと思います。もっとゆるやかに、それぞれの違いが受け入れられる社会、学校であったら、と思います。
チエを持つ存在故の苦しみ
先月号では「人間は一つの有機体」だと述べました。でも、他の有機体と違って、言葉があり、思考力、創造力、抽象化する力があります。
それによって科学が発達し、文明はどんどん発展しました。
言葉――知ともチエとも言われますが、高史明氏の言葉を借りれば、「人間は“いのち”の論理の他にもう一つ、言葉のチエによって生きる存在」だと言えます。
他の動植物のように、いのち、有機体の論理のみで生きられれば、精神的な苦しみもなく、人が人を殺すのを良しとする戦争などもなく生きられるでしょう。
原始時代は少数の家族の集まりであり、その助け合いの生活から、多くの家族が集まって来るにつれ、支配者が現れ、欲望も大きくなり、争い、戦争が起こり絶え間なく続きました。科学の発達とともに武器も高度となり、悲惨さは増幅して来ました。
一方、科学が発達するにつれ、効率的に仕事ができるようになり、物も豊富になり、様々な遊び、様々な楽しみも増え、外国へも宇宙にも行かれる、となり、努力すれば出来る、頑張れば社会的地位も高くなる…というような。何でも誰でも、頑張れば出来る――というような錯覚に陥った。そして、出来るはずなのに、それが出来ない自分はダメ、自分でも人からも認められない!――という苦悩が生じて来ました。
科学が急速に発達し、社会が複雑になれば、皆が皆、そのペースに合わせ、その中でどんどん伸びて行くわけには行かない。生まれつき、内向的、繊細な人は、競争について行かれない。クラスの友だちは“仲良く”“助け合う”というよりも競争相手であり、そうしたことが受け入れられない子供は不登校になったり、人間不信になって行くでしょう。
また、日本人はもともとは農耕社会であり、協力が必要なため、“和”を尊び、皆と同じように、という社会風土があります。多数の人がやっていることに合わせられないことに従って、“みんなに認められない”ことに、自分を否定的に感じてしまいます。無理をしてうつ病になったり、ひきこもったり、或いは虐待する親もやはり他と比較して「何でみんなができることができないのか」と怒りになってしまうのではないかと思います。
つながりを持ちたい
一方、物が豊かになると、お互いの関係も“一緒に”“お互いに助け合う”ということが少なくなり、物に頼ることが多くなって来たように思います。昔は子どもも家の手伝いをしたし、(食事も大勢で一緒にしました。)ゲームもなかったので家族、兄弟が一緒に遊んだり、大人も子どももカルタやトランプをし、テレビも一台でした…。コンビニもなかったので、おしょう油など隣に借りに行ったり…。
今は一人でも生活できる体制が整っています。わずらわしさがない代わりに、関係を持つ機会がなくなった、と言えるかもしれません。
そんな中で、お互いに必要とする、必要とされる関係も感じられなくなり、“ひきこもり”の状態になって行く青年も多いかも知れません。“特別にできることがあるから”、必要とされる、というのではなく、それぞれがささやかなことでも、できることをして、また、“一緒にいるだけでもいい”、人の暖かさを感じられたら、と思います。
今回の東日本大震災でも、被災者が避難所生活を穏やかに過ごしている情景を外国の人たちが見て驚いている、というニュースを見聞きしたが、日本人は(人間には)困った時はお互いに助け合おう、という気持がもともとあったのだと思います。が日帰りでも支援活動に行っているボランティア、自分が今持ってる力を、少しでも使いたい、必要なことをしたい―という思いがあるからでしょう。“絆”という大げさな言葉でなくて、関係、つながりを持ちたい気持は、本来人間にはあるのでは、と思います。
2011/06/06
一日の鴬
5月半ば、朝方、窓の外の鴬の声に目覚めました。他の鳥の鳴声は区別がつかないことが多いのですが、「ホーホケキョ」という声は、はっきりと分かりました。今年も来たんだ、毎年、遅い春に、一日か二日鴬の声がします。どこから来てどこへ行くのか分かりませんが。青年の集いでその話をしたら、ある青年も、4月頃、父親の畑で(千葉市の外れ、借りている農園)うぐいすが鳴いた、と言いました。早春の鳥と思われますが、千葉では晩春のようです。
うぐいすの声は子どもの頃から聴いてますし、懐かしさを感じます。毎年来てくれるんだ――という思い。小平の家に週末帰ると、猫が待ってくれてます。膝に乗ったり、布団にはいったりします。
動物はほっとしますね。
東北大震災で犬や猫を残して、避難せざるを得なかった人が多かったのですが、そういう方たちはどんな思いだったでしょう。残された犬や猫たちはどんな思いで過ごしたでしょう。後からペットとめぐり会ったり、新しい飼い主が決まったりしているニュースを見ると胸がなごみます。
でも、原発の事故のため、酪農家が、急いで避難したために多くの乳牛をそのまま残して避難し、1ヶ月(?)位して戻ってみると、放した牛は、そこここに何とか生き延びた姿を見せたが、放さなかった牛は、重なるようにして死んでいた、というニュースを見て、胸がつまるような思いがしました。人間の勝手?で無残な死に至らせてしまった。
自然の状態から、余りにもかけ離れたものを作り出す、人為的な過度な操作をしたものに、事故が起きた場合、人間の力でなかなか修復できない――ことを見せつけられたように思います。
人間は一つの有機体
青年の集いで青年が言った言葉、「体に心地いいことを少しずつやって行けば元気が出る」ということ、自分の体験を通して感じたこの言葉は、カウンセリングの創始者ロジャースの著書「人間論」に書かれていることを思い出させます。「人間はいろいろの有機体の中の一つの種である」。動物、植物が、類、種に分かれていますが、同じ有機体の中の、人間という種だというわけです。(燃やせば、動物も植物も人間も、C、O、Hという元素になります)
松の木が、枝を切っても伸びて行くように、もやしや草が明るい方に伸びていくように、人間も元来、明るい方、いい方向に進む方向性をもっている。ただし、それは、人間特有の頭脳だけで考えるのではなく(意識的思考だけでなく)、全身(有機体)で感じるものだ、というのです。
ですから、頭だけで意識的思考だけで考え、行動しようとしても、有機体が求めているもの、経験していることと一致しないならば、矛盾が生じ、葛藤が起こり、神経症などの症状が出る。「~すべき」と頭で考え、「頑張らないと」と無理をすると、精神的病にひき起こすことにもなります。
人間特有の能力として言葉やイメージ、抽象化の能力があります。私たちの生活に効果的に役立つこともありますが、自分自身を欺くのにも役立ち、経験していることを否定し、歪んだ自覚にもなります。
また、それは創造性と密接に関係があり、意識的思考にだけ頼るのではなく、全体的、有機体的反応を信頼して進めることで、創造性が発揮できる。例えばアインシュタインが相対性理論に至ったのも、有機体的反応、感情(「言葉では表現するのは難しい」と言っています)が示す方向に従ったからで、理論を後から考察したそうです。
できることをする
先月号「青年の思い」の中で、精神科医フランクルの言葉「…むしろ人生が何を我々に期待しているかが問題だ」という言葉が書きましたが、それも、全身で有機体として感じられる、身近な、無理しないで“できること”をして行くことが大切だと思います。
今回の震災では多くのボランティアが様々な形の支援をしています。人間には「何か、自分のできることをしたい」という自己実現欲求があります。あまり無理でなく、自分のできることを考え、行ったのだと思います。(一日のことでも)
「働くのは当然」「働けないのはおかしい」―と親や一般の方は思いがちですが、“社会で働くこと”を目標にし過ぎると、とても遠くて、とても無理だと思ってしまい、「何もできないんだ」「働けない自分はダメだ」と思い、何もしないで、できることもしないで過ぎてしまうことが多いのではないかと思います。
SAT療法(筑波大学教授、宗像恒次先生らが開発)に「行動目化支援カウンセリング法」があります。
辛い思い、怒りとか、不安、悲しみなどの感情があった時、その感情を、「何か期待通りに行かない時の感情」「見通しが立たない時の感情」として見つめて行きながら、「本当はどうしたいのか」「どうなりたいのか」を考えます。そして具体的にどのような行動ができるか、直感で考えます。実行自身度が80%以上になるような、できそうな行動を考えて行きます。始める時には思いつかなかったことが思いつき、浮かんで来たりします。
「自分が本当に求めているのは何か」「何がしたいのか、何ができるのか」有機体である全身で感じながら、感情を大切にしながら、できることをして生きたいものです。
うぐいすの声は子どもの頃から聴いてますし、懐かしさを感じます。毎年来てくれるんだ――という思い。小平の家に週末帰ると、猫が待ってくれてます。膝に乗ったり、布団にはいったりします。
動物はほっとしますね。
東北大震災で犬や猫を残して、避難せざるを得なかった人が多かったのですが、そういう方たちはどんな思いだったでしょう。残された犬や猫たちはどんな思いで過ごしたでしょう。後からペットとめぐり会ったり、新しい飼い主が決まったりしているニュースを見ると胸がなごみます。
でも、原発の事故のため、酪農家が、急いで避難したために多くの乳牛をそのまま残して避難し、1ヶ月(?)位して戻ってみると、放した牛は、そこここに何とか生き延びた姿を見せたが、放さなかった牛は、重なるようにして死んでいた、というニュースを見て、胸がつまるような思いがしました。人間の勝手?で無残な死に至らせてしまった。
自然の状態から、余りにもかけ離れたものを作り出す、人為的な過度な操作をしたものに、事故が起きた場合、人間の力でなかなか修復できない――ことを見せつけられたように思います。
人間は一つの有機体
青年の集いで青年が言った言葉、「体に心地いいことを少しずつやって行けば元気が出る」ということ、自分の体験を通して感じたこの言葉は、カウンセリングの創始者ロジャースの著書「人間論」に書かれていることを思い出させます。「人間はいろいろの有機体の中の一つの種である」。動物、植物が、類、種に分かれていますが、同じ有機体の中の、人間という種だというわけです。(燃やせば、動物も植物も人間も、C、O、Hという元素になります)
松の木が、枝を切っても伸びて行くように、もやしや草が明るい方に伸びていくように、人間も元来、明るい方、いい方向に進む方向性をもっている。ただし、それは、人間特有の頭脳だけで考えるのではなく(意識的思考だけでなく)、全身(有機体)で感じるものだ、というのです。
ですから、頭だけで意識的思考だけで考え、行動しようとしても、有機体が求めているもの、経験していることと一致しないならば、矛盾が生じ、葛藤が起こり、神経症などの症状が出る。「~すべき」と頭で考え、「頑張らないと」と無理をすると、精神的病にひき起こすことにもなります。
人間特有の能力として言葉やイメージ、抽象化の能力があります。私たちの生活に効果的に役立つこともありますが、自分自身を欺くのにも役立ち、経験していることを否定し、歪んだ自覚にもなります。
また、それは創造性と密接に関係があり、意識的思考にだけ頼るのではなく、全体的、有機体的反応を信頼して進めることで、創造性が発揮できる。例えばアインシュタインが相対性理論に至ったのも、有機体的反応、感情(「言葉では表現するのは難しい」と言っています)が示す方向に従ったからで、理論を後から考察したそうです。
できることをする
先月号「青年の思い」の中で、精神科医フランクルの言葉「…むしろ人生が何を我々に期待しているかが問題だ」という言葉が書きましたが、それも、全身で有機体として感じられる、身近な、無理しないで“できること”をして行くことが大切だと思います。
今回の震災では多くのボランティアが様々な形の支援をしています。人間には「何か、自分のできることをしたい」という自己実現欲求があります。あまり無理でなく、自分のできることを考え、行ったのだと思います。(一日のことでも)
「働くのは当然」「働けないのはおかしい」―と親や一般の方は思いがちですが、“社会で働くこと”を目標にし過ぎると、とても遠くて、とても無理だと思ってしまい、「何もできないんだ」「働けない自分はダメだ」と思い、何もしないで、できることもしないで過ぎてしまうことが多いのではないかと思います。
SAT療法(筑波大学教授、宗像恒次先生らが開発)に「行動目化支援カウンセリング法」があります。
辛い思い、怒りとか、不安、悲しみなどの感情があった時、その感情を、「何か期待通りに行かない時の感情」「見通しが立たない時の感情」として見つめて行きながら、「本当はどうしたいのか」「どうなりたいのか」を考えます。そして具体的にどのような行動ができるか、直感で考えます。実行自身度が80%以上になるような、できそうな行動を考えて行きます。始める時には思いつかなかったことが思いつき、浮かんで来たりします。
「自分が本当に求めているのは何か」「何がしたいのか、何ができるのか」有機体である全身で感じながら、感情を大切にしながら、できることをして生きたいものです。
2011/04/06
東日本大震災に思う
何と表現したらいいのでしょうか。津波の後の被災地の画面!信じられない!バーチャルの世界を見ているようです。実感が湧かない。でも、見続けていると気が重くなる。でも見続けないと!という気持も起こる。子どもたちに携帯のメールをすると返事がすぐ来て、無事を知る。福島県の親戚に電話をして2日目に通じて、無事を知る。「よかった」と言い、喜び合う…でも、「無事でない多くの人がいるのだ」という思いが頭をよぎる。やはり、身近でない人でないと実感が湧かないのか…。
皆さんも、この大震災で、様々な思い、心痛を感じたことでしょう。震度6強の地震は、初めての経験、本当にびっくりしました。11日は「青年の集い」の中で、青年とボランティアスタッフの3人でしたが、テーブルの下に潜りました。そしてテレビをつけると、震源地は宮城沖、…マグニチュードは時間を追って高くなります。津波の情報、岩手県の海岸沿いに親戚があるM君、「大丈夫かしら」と言うと、「海岸に近いけど高台に家があるから大丈夫」との答でした。
でも、次の「青年の集い」(14日)では、M君は、「親戚は、津波の被害が大きくて、テレビに地名も出ている陸前高田、連絡が取れなくて、無事だったら連絡してくるはずなのに、連絡をくれないのは、ダメだったかもしれない。」と涙ぐんでいます。どういう言葉が、彼の気持を受けとめることになるのか、言葉が見つかりません。
その3日後に彼からメールが来て、「親戚が連絡して来て、全員無事だった」とのこと、私もほっとし嬉しく思いました。
でも、親戚や友人が亡くなったり、行方不明になっている人は、実に多いと思いますし、避難所(自宅も)に過ごしている方たちも家族が亡くなったり行方不明になっている場合が多い、不安と寒さに耐えながら、どんな気持でしょう。
支援がなかなか届かない、というニュースを見て、(自分も何もできないのですが)もどかしさを感じていましたが、少しづつ届くようになって来たようです。
国中で、「少しでも支援したい」と思う人々が、大勢物資や行動で支援をしています。一方では、食料など買しめする人もいます。「みんなで助け合いたい。助け合えば何とかなる」という気持と、「人は当てにならない。自分のこと、自分の家族は自分で守るしかない」という気持と、二つの気持が複層しているのを感じます。
「人は当てにならない」と思う人は、人との関係に不安を感じ、「助け合える」という感覚がないのでしょう。また、豊かな生活に慣れて、物がなくなった時、「どうしたらいいか」という不安が強いのかと思います。私は戦前の生まれで、終戦前後の貧しい生活を体験をしているので、「物がなくなる、少なくなる」―ということには「その時はその時」と思えます。また、自分だけがお腹いっぱいごはんを食べていて、隣の人が食べるものがない―ということには平気でいられないように感じます。と言って、現在も、私の身近にいないだけで、食べるものがほとんどない人は大勢いるわけで、そういう人のために、何かしているわけではないのですが。
私にできることは何だろう―と考えます。今、できることをしたいと思います。青年たちを支えること、悩み苦しみ、生き辛さを抱えている青年たちを支えること―それによって私も支えられている―だと思います。
青年たちが、(少数でも)元気になることが、この社会のエネルギーをほんの少しでも高めることになると思います。やっとの思いで働いている青年(道草の家で関わっている)もこの地震で仕事が縮小されたり、待機ということが起こっています。経済的にはなかなか支えられませんが、(必要な青年もいますが)、少しでも心の支えになりたい、道草の家として支えられたらと思います。
そして私自身の心身の健康をできるだけ保って、被災地の復興の足をひっぱらないようにしたい。また、原発事故の問題も不安がつのっていますが、これからの日本社会をどう再生するか、考えなければならないと思います。今までの物質的豊かさは求められない。質素な生活の中にも心の豊かさが感じられるような…。
青年たちへ
必死に生きている青年たちに呼びかけたい気持でいっぱいです。
Nさんへ
「今は生きている、という実感がある」と元気に話すNさん。1年前と見違えるようです。自分の感情を大事に、自分の感情をもとに考えたり、話したり、動いたりしているのですね。
去年、家を出て、パートナーと住むようになって、自分の足で自分の気持で生きるようになったのですね。それまでは、外での人間関係に辛くなると、家にひきこもって、親に当たり、親も「よしよし」してくれた。――共依存だったと、今は思う。子どもの頃から親の期待に応えることで守られているような…でも外で相手の期待に応えるように合わせても、人は守ってはくれないし、違和感を感じ辛くなる。たえきれなくて、不登校、ひきこもりをくり返して来た。でもどん底に落ちこんだ時、親との共依存に気がついた。親に反発しながらも親に依存している自分。親から離れよう!親にも言いたいこと、本当の気持を言おう。――と、実行しているNさん。
親を乗り越えて、一段と大きくなって、自分の道を歩んで下さい。
Cさんへ
「こころのサプリメント」に参加して、感想を述べてくれたCさん。「トラウマによって心の傷も大きいけど、トラウマによって成長したのもある」と聞いて、「そうかもしれない」と思った、とのこと。子どもの頃から、友だちと積極的に楽しく遊ぶということがなく、気を使って過ごして来た、クラスのいじめ、からかいから不登校になり、ひきこもり状態になった約10年、でも「これではいけない」と思い、少しづつ外へ出たが、そこでも傷ついてしまう。――をくり返しながら、でも最近は人と関わることの楽しさも感じるようになった。けれど「人と関わることは傷つくこともある。」ことを受け入れるには苦しい…やはり、ひきこもりのブランクがある自分はダメなのか――という思いも起きたりする。…
“ひきこもり”はただの空白か、無駄な時間なのでしょうか、そうは思いません。その中で考え苦しんだことは、感じる力、考える力を豊かにしたと思うし、また、そこから人の中にはいって行く過程に感じたことは、同じような体験をした人の心の痛みに共感する力を育てている、と思います。
実際、青年の集いで話すCさんは、人の話に共感したり考えたりする力を感じ、私も一緒に話し合うことが充実するのを感じます。これからも、落ち込むことがあるかと思いますが、それが自分を豊かにすることを信じて下さい。一緒に信頼し合い支え合う、仲間(スタッフも)がいるのですから。
皆さんも、この大震災で、様々な思い、心痛を感じたことでしょう。震度6強の地震は、初めての経験、本当にびっくりしました。11日は「青年の集い」の中で、青年とボランティアスタッフの3人でしたが、テーブルの下に潜りました。そしてテレビをつけると、震源地は宮城沖、…マグニチュードは時間を追って高くなります。津波の情報、岩手県の海岸沿いに親戚があるM君、「大丈夫かしら」と言うと、「海岸に近いけど高台に家があるから大丈夫」との答でした。
でも、次の「青年の集い」(14日)では、M君は、「親戚は、津波の被害が大きくて、テレビに地名も出ている陸前高田、連絡が取れなくて、無事だったら連絡してくるはずなのに、連絡をくれないのは、ダメだったかもしれない。」と涙ぐんでいます。どういう言葉が、彼の気持を受けとめることになるのか、言葉が見つかりません。
その3日後に彼からメールが来て、「親戚が連絡して来て、全員無事だった」とのこと、私もほっとし嬉しく思いました。
でも、親戚や友人が亡くなったり、行方不明になっている人は、実に多いと思いますし、避難所(自宅も)に過ごしている方たちも家族が亡くなったり行方不明になっている場合が多い、不安と寒さに耐えながら、どんな気持でしょう。
支援がなかなか届かない、というニュースを見て、(自分も何もできないのですが)もどかしさを感じていましたが、少しづつ届くようになって来たようです。
国中で、「少しでも支援したい」と思う人々が、大勢物資や行動で支援をしています。一方では、食料など買しめする人もいます。「みんなで助け合いたい。助け合えば何とかなる」という気持と、「人は当てにならない。自分のこと、自分の家族は自分で守るしかない」という気持と、二つの気持が複層しているのを感じます。
「人は当てにならない」と思う人は、人との関係に不安を感じ、「助け合える」という感覚がないのでしょう。また、豊かな生活に慣れて、物がなくなった時、「どうしたらいいか」という不安が強いのかと思います。私は戦前の生まれで、終戦前後の貧しい生活を体験をしているので、「物がなくなる、少なくなる」―ということには「その時はその時」と思えます。また、自分だけがお腹いっぱいごはんを食べていて、隣の人が食べるものがない―ということには平気でいられないように感じます。と言って、現在も、私の身近にいないだけで、食べるものがほとんどない人は大勢いるわけで、そういう人のために、何かしているわけではないのですが。
私にできることは何だろう―と考えます。今、できることをしたいと思います。青年たちを支えること、悩み苦しみ、生き辛さを抱えている青年たちを支えること―それによって私も支えられている―だと思います。
青年たちが、(少数でも)元気になることが、この社会のエネルギーをほんの少しでも高めることになると思います。やっとの思いで働いている青年(道草の家で関わっている)もこの地震で仕事が縮小されたり、待機ということが起こっています。経済的にはなかなか支えられませんが、(必要な青年もいますが)、少しでも心の支えになりたい、道草の家として支えられたらと思います。
そして私自身の心身の健康をできるだけ保って、被災地の復興の足をひっぱらないようにしたい。また、原発事故の問題も不安がつのっていますが、これからの日本社会をどう再生するか、考えなければならないと思います。今までの物質的豊かさは求められない。質素な生活の中にも心の豊かさが感じられるような…。
青年たちへ
必死に生きている青年たちに呼びかけたい気持でいっぱいです。
Nさんへ
「今は生きている、という実感がある」と元気に話すNさん。1年前と見違えるようです。自分の感情を大事に、自分の感情をもとに考えたり、話したり、動いたりしているのですね。
去年、家を出て、パートナーと住むようになって、自分の足で自分の気持で生きるようになったのですね。それまでは、外での人間関係に辛くなると、家にひきこもって、親に当たり、親も「よしよし」してくれた。――共依存だったと、今は思う。子どもの頃から親の期待に応えることで守られているような…でも外で相手の期待に応えるように合わせても、人は守ってはくれないし、違和感を感じ辛くなる。たえきれなくて、不登校、ひきこもりをくり返して来た。でもどん底に落ちこんだ時、親との共依存に気がついた。親に反発しながらも親に依存している自分。親から離れよう!親にも言いたいこと、本当の気持を言おう。――と、実行しているNさん。
親を乗り越えて、一段と大きくなって、自分の道を歩んで下さい。
Cさんへ
「こころのサプリメント」に参加して、感想を述べてくれたCさん。「トラウマによって心の傷も大きいけど、トラウマによって成長したのもある」と聞いて、「そうかもしれない」と思った、とのこと。子どもの頃から、友だちと積極的に楽しく遊ぶということがなく、気を使って過ごして来た、クラスのいじめ、からかいから不登校になり、ひきこもり状態になった約10年、でも「これではいけない」と思い、少しづつ外へ出たが、そこでも傷ついてしまう。――をくり返しながら、でも最近は人と関わることの楽しさも感じるようになった。けれど「人と関わることは傷つくこともある。」ことを受け入れるには苦しい…やはり、ひきこもりのブランクがある自分はダメなのか――という思いも起きたりする。…
“ひきこもり”はただの空白か、無駄な時間なのでしょうか、そうは思いません。その中で考え苦しんだことは、感じる力、考える力を豊かにしたと思うし、また、そこから人の中にはいって行く過程に感じたことは、同じような体験をした人の心の痛みに共感する力を育てている、と思います。
実際、青年の集いで話すCさんは、人の話に共感したり考えたりする力を感じ、私も一緒に話し合うことが充実するのを感じます。これからも、落ち込むことがあるかと思いますが、それが自分を豊かにすることを信じて下さい。一緒に信頼し合い支え合う、仲間(スタッフも)がいるのですから。
2011/03/09
命のつながり
先日、東京国立博物館で開かれていた「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」を見に行きました。平山郁夫の絵は何度か見て、興味を持ってましたが、薬師寺の大ふすま絵が展示されているというので、是非、という思いで出かけました。
まず入り口近くにあった「天堂苑樹」群青の中に淡い緑の林に囲まれた釈迦と弟子たちがうすい黄茶色にぼんやりと描かれている絵、群青の色の美しさ、深く透明な、やわらかく包み込まれるような色に魅かれました。
薬師寺のふすまに描かれた、「大唐西域壁画」は玄奘三蔵がたどったシルクロードを平山氏自身たどりながら描いたという、非常に雄大な絵。砂漠の中に同じ色の、寺院の後と思われるものがそびえている、或いは砂漠に埋れかけている。何枚かの絵の後に「西方浄土、須弥山」という絵、ヒマラヤ、カラコラムを描いたものですが、雪を被ったけわしい山の頂、峰々。その後に、アフガニスタンの内戦で壊された、バーミアン石窟。
こうした絵や壊れて頭だけになった仏頭や、平山氏が保存のために引き取った数々の仏像などを見ながら、2500年前に釈迦が開いた仏教、教えが、人々に伝わり、千数百年前には、玄奘三蔵が、17年かけて、インドまで仏典を求めた、という、シルクロード、そこには仏教を信頼した人々がいて、寺院を建て、仏教を造った、でも破壊されたり、朽ちて行い、でもまた今も、それらを大事に思う人々がいる、信仰は受けつながれている。日本にも伝わりました。
なぜ人は苦しむのか、「老、病、死」のある人間の生、過酷の環境にある人々は、その答や生きる意味を救いを求めた、そこに信仰があったのでしょう。
そうしたことを、展覧会を見ながら感じました。何千年も前の人々、とつながり、遠く離れた人々とのつながりを実感しました。
さらに、オアシスにいこう人々の絵や、宵闇の濃い郡の空や木々、池の絵、空には月が輝いている――そのような絵を見ながら、「人間は人間だけで生きているのではないのだ」とふと思いました。木々や草や花があり、鳥や虫がいて、ラクダや馬など動物もいて、土や水があってこそ人間は生きられるのだと思いました。そして、空気や空、太陽や月があってこそ…
人間社会の苦しみ、人間同士のいさかい、私自身の苦しみ、は一体何なのでしょう。文明を発達させて来た人間は自分は“偉い”と思う、不遜な気持があることが、かえって、現在の私たちの苦しみを生み出しているのかな――とも思えて来ました。
対人恐怖
青年の集いで、ある青年が「対人恐怖がなかったらどんなに行き易いだろう」と言いましたが、「ひきこもる」青年、ひきこもる傾向の人の最も多く、最も強い症状は“対人恐怖”ではないかと思います。
私も未だに対人恐怖の傾向があります。知らない人、大勢の中では非常に緊張して、思ったことが言えません。
対人恐怖―人がこわい、緊張する―日本特有の病気と言えます。アメリカの精神障害マニュアルには、それに当る英語はなく、日本語のローマ字で「Taijinkyofu」となってるくらいです。
日本特有なものとして、私たちを苦しめる対人恐怖がなぜ起こるのでしょう。
外国との違いを考えると、外国映画を見た時に、欧米でも中国でも、親と子が、激しい議論、けんかのように言い合いをしている場面によく出会います。両方ともが負けてはいない、というような自己主張をします。でも日本では、口答をすること自体を封じる、子どもの言い分を聞こうとしないことがしばしばのように思います。子どもに自分の思い、気持を表現するようには育てない、自己主張、自己表現の力の大切さを感じない、大人になれば、きちんと自己表現をしなければならない場に出会うわけなのに。
それは、親自身も自己主張する、自分の意見をきちんと言うようには育てられてない。まわりと違う考えを持っていても、まわりと合わせるように、育てられた、まわりに合わせる、協調すること(そうでないと嫌われる…)「和の文化」が続いて来たのです。
「人はそれぞれ違う考え、気持ちを持ってよい」というより、子どもをまわりから評価されるよう“いい子”に育てようと、まじめな親は思いがちです。
道草の家に来ている青年、訪問している青年は、相手、人、まわりのことをとても気にします。相手は、人は、自分をどう思うか、嫌ってはいないか、そして自分の言動が人を傷つけはしないか…自分の思いをそのまま言えない。本当の思いを抑えている自分と、表面に出ている自分、2人の自分――それが辛くなって、人を避ける…人と交わりたいと思い、居場所などに出て来ても、二人の自分に耐えられず、またひきこもる――ということもあります。
そうした青年が外国に行くと、気持が楽になるそうです。外国の人はいつも本音を言ってるので、「内心はどうなのか」と思う必要はないし、意見などが違っても、不快な感情にならない。違っても当たり前と思える…自由に物が言える、親子関係――自分の言ったことが受け止めてくれる、(全部親が子どもの言うことを、叶えるというのではなく)、親は信頼できる、それは「人は信頼できる」ことにつながりますが、親が信頼できない時、他人は信頼できない「怖い人」となります。
人が信用できないという思いに、いじめが加わると、強いトラウマとなり、非常に対人恐怖が強くなります。また対人恐怖には両面があります。自分は人に、嫌な人間だと思われているのではないか、というのと、自分は人を嫌な思いにさせてるのではないかというもの。…それに苦しんでいる青年たち。そして、実際に出会ってない社会の人々、世間に対しても「働かない」自分を否定的に見ているのだろう、という思いも、苦しめます。普通の生活ができない苦しみ、をも抱きます。
どうしたらそれから脱することができるでしょう。
親との関係、「いい子」でなくてもいい、自分の気持、感情を素直に出せる親子関係になることが、理想ですが、それだけでは時間がかかり難しいでしょう。それには、一つはカウンセラーや、仲間との交流の中で、自分をそのまま出しても大丈夫だ受け止めてもらえる、という体験を重ねて、自分と他者への信頼感を築くことだと思います。
もう一つは、自分にマイナスの言動があった時、「気づかなかった、失敗した」など、自分を責め否定するのではなく「完璧でなくてもいいんだ」と、努めて思うようにすることだと思います。それには自分を自分の気持、感情を大切にすること、「青年の思い」にもあるように無理をしたり、感情を無視するのではなく、できるだけ心地よい時間を持つことだと思います。
まず入り口近くにあった「天堂苑樹」群青の中に淡い緑の林に囲まれた釈迦と弟子たちがうすい黄茶色にぼんやりと描かれている絵、群青の色の美しさ、深く透明な、やわらかく包み込まれるような色に魅かれました。
薬師寺のふすまに描かれた、「大唐西域壁画」は玄奘三蔵がたどったシルクロードを平山氏自身たどりながら描いたという、非常に雄大な絵。砂漠の中に同じ色の、寺院の後と思われるものがそびえている、或いは砂漠に埋れかけている。何枚かの絵の後に「西方浄土、須弥山」という絵、ヒマラヤ、カラコラムを描いたものですが、雪を被ったけわしい山の頂、峰々。その後に、アフガニスタンの内戦で壊された、バーミアン石窟。
こうした絵や壊れて頭だけになった仏頭や、平山氏が保存のために引き取った数々の仏像などを見ながら、2500年前に釈迦が開いた仏教、教えが、人々に伝わり、千数百年前には、玄奘三蔵が、17年かけて、インドまで仏典を求めた、という、シルクロード、そこには仏教を信頼した人々がいて、寺院を建て、仏教を造った、でも破壊されたり、朽ちて行い、でもまた今も、それらを大事に思う人々がいる、信仰は受けつながれている。日本にも伝わりました。
なぜ人は苦しむのか、「老、病、死」のある人間の生、過酷の環境にある人々は、その答や生きる意味を救いを求めた、そこに信仰があったのでしょう。
そうしたことを、展覧会を見ながら感じました。何千年も前の人々、とつながり、遠く離れた人々とのつながりを実感しました。
さらに、オアシスにいこう人々の絵や、宵闇の濃い郡の空や木々、池の絵、空には月が輝いている――そのような絵を見ながら、「人間は人間だけで生きているのではないのだ」とふと思いました。木々や草や花があり、鳥や虫がいて、ラクダや馬など動物もいて、土や水があってこそ人間は生きられるのだと思いました。そして、空気や空、太陽や月があってこそ…
人間社会の苦しみ、人間同士のいさかい、私自身の苦しみ、は一体何なのでしょう。文明を発達させて来た人間は自分は“偉い”と思う、不遜な気持があることが、かえって、現在の私たちの苦しみを生み出しているのかな――とも思えて来ました。
対人恐怖
青年の集いで、ある青年が「対人恐怖がなかったらどんなに行き易いだろう」と言いましたが、「ひきこもる」青年、ひきこもる傾向の人の最も多く、最も強い症状は“対人恐怖”ではないかと思います。
私も未だに対人恐怖の傾向があります。知らない人、大勢の中では非常に緊張して、思ったことが言えません。
対人恐怖―人がこわい、緊張する―日本特有の病気と言えます。アメリカの精神障害マニュアルには、それに当る英語はなく、日本語のローマ字で「Taijinkyofu」となってるくらいです。
日本特有なものとして、私たちを苦しめる対人恐怖がなぜ起こるのでしょう。
外国との違いを考えると、外国映画を見た時に、欧米でも中国でも、親と子が、激しい議論、けんかのように言い合いをしている場面によく出会います。両方ともが負けてはいない、というような自己主張をします。でも日本では、口答をすること自体を封じる、子どもの言い分を聞こうとしないことがしばしばのように思います。子どもに自分の思い、気持を表現するようには育てない、自己主張、自己表現の力の大切さを感じない、大人になれば、きちんと自己表現をしなければならない場に出会うわけなのに。
それは、親自身も自己主張する、自分の意見をきちんと言うようには育てられてない。まわりと違う考えを持っていても、まわりと合わせるように、育てられた、まわりに合わせる、協調すること(そうでないと嫌われる…)「和の文化」が続いて来たのです。
「人はそれぞれ違う考え、気持ちを持ってよい」というより、子どもをまわりから評価されるよう“いい子”に育てようと、まじめな親は思いがちです。
道草の家に来ている青年、訪問している青年は、相手、人、まわりのことをとても気にします。相手は、人は、自分をどう思うか、嫌ってはいないか、そして自分の言動が人を傷つけはしないか…自分の思いをそのまま言えない。本当の思いを抑えている自分と、表面に出ている自分、2人の自分――それが辛くなって、人を避ける…人と交わりたいと思い、居場所などに出て来ても、二人の自分に耐えられず、またひきこもる――ということもあります。
そうした青年が外国に行くと、気持が楽になるそうです。外国の人はいつも本音を言ってるので、「内心はどうなのか」と思う必要はないし、意見などが違っても、不快な感情にならない。違っても当たり前と思える…自由に物が言える、親子関係――自分の言ったことが受け止めてくれる、(全部親が子どもの言うことを、叶えるというのではなく)、親は信頼できる、それは「人は信頼できる」ことにつながりますが、親が信頼できない時、他人は信頼できない「怖い人」となります。
人が信用できないという思いに、いじめが加わると、強いトラウマとなり、非常に対人恐怖が強くなります。また対人恐怖には両面があります。自分は人に、嫌な人間だと思われているのではないか、というのと、自分は人を嫌な思いにさせてるのではないかというもの。…それに苦しんでいる青年たち。そして、実際に出会ってない社会の人々、世間に対しても「働かない」自分を否定的に見ているのだろう、という思いも、苦しめます。普通の生活ができない苦しみ、をも抱きます。
どうしたらそれから脱することができるでしょう。
親との関係、「いい子」でなくてもいい、自分の気持、感情を素直に出せる親子関係になることが、理想ですが、それだけでは時間がかかり難しいでしょう。それには、一つはカウンセラーや、仲間との交流の中で、自分をそのまま出しても大丈夫だ受け止めてもらえる、という体験を重ねて、自分と他者への信頼感を築くことだと思います。
もう一つは、自分にマイナスの言動があった時、「気づかなかった、失敗した」など、自分を責め否定するのではなく「完璧でなくてもいいんだ」と、努めて思うようにすることだと思います。それには自分を自分の気持、感情を大切にすること、「青年の思い」にもあるように無理をしたり、感情を無視するのではなく、できるだけ心地よい時間を持つことだと思います。
2011/02/16
じぶん、わたし
青年たちと話をしたり関わる時、私の生き方も問われているように感じます。青年たちの悩みは、私の悩み(程度は違いますが)でもあります。かなり生き易くなり、自分のやりたい方向に進んではいますが、日々、迷い葛藤があり、自分を否定したり、気分が沈んだり・・「これだ」「これでいいんだ」というすっきりした気持で過ごせません。勿論、「楽しい」「嬉しい」と思うこともよくありますが。
初期仏教の長老、スマナサーラは釈迦の言葉として「生きることは苦」と述べていますが、青年たちやカウンセリングで出合った人との関わりの中でしばしば思います。
どんな時に私は気持が沈んだり不安になったり、「私はダメだ」と思いが起こるのだろう。考えてみると、「わたしはできるはずだ」「こんなはずじゃなかった」と思う時と、計画したものが実現できなかった時、人との関わり、青年との関わりがうまく行かず、怒らせたり落ち込ませたりした時。もっと色々やりたいのに体力、気力が衰えて思うように行動できない時…
一体何にとらわれているのでしょう。
「生きる勉強」(1)、「じぶん――この不思議な存在」(2)、「この<私>はどこにいるのか」(3)を読みましたが、<じぶん><わたし>にこだわっているからではないか――と感じました。
青年たち、悩み苦しむ人たち、過去の自分を恥しく思ったり、ひけ目を感じたり、そして今の「働けない自分」「人とうまく交われない自分」にこだわってしまう。気質や心身の力そして今までの体験もあるわけで、できることもできないこともあるはず、なのに人と比較してしまう…さまざまな概念や基準に縛られている…
また今の自分が<決まった自分>ではなく、変わって行くものですし、できる時もあるし、できない時もある…自然の流れ(他からの支援があったりして)もあるのではと思います。「私の人生、何だったか」とか「このさきもどうせ」ではなく今を、この今を、この瞬間を「しっかり生きよう」という、仏教の言葉を心に刻みたいものです。
他者への関心―つながり
「他の人にない固有な自分がいる」はず、という自我意識は実体のない概念だ(1)とも思われますし、また<じぶん>とは何か―を考える時、それは<他者>との関わりの中でしか見えて来ない、他者こそがわたしたちの第一の鏡だ(3)とも思います。そして、他者に関心をもってもらうことが、「自分を支える力」「生きる力」になると。でも、それは待つのではなく、自分の方から関心をもつことを始めることによって、他者に関心を持ってもらえる、見守られる、支えられる、或いは自分が他人にとって意味のある存在になる(3)というわけです。
「自分は人から必要とされないから生きる意味がない」という青年がいますが、まだ若いし、人とあまり関わらないで来てるし、特に人と共に何かをしたわけではないのに、必要とされるのを望んでる―と思います。まず自分が積極的に人と関わる、人を求める、ということが、先ではないかと改めて感じました。
私たちは、受け身になりがちです。積極的に関わることが、相手に拒否されたら―という不安があって、身をひいてしまう、私はそうなりがちです。でも、相手を追求したり批判するような関心ではなく、自分にとっても、自分を豊かにしてもらえるような気持で関わる―ことであれば、相手も私に関心を持ってくれるだろうと思います。それが私の支えにもなるわけです。
そうしたことが人と人とのつながりになるのではないでしょうか。
家に、自室に、殆んどひきこもって親とも話しをしない青年にとっては、一時は、しばらくは自分を守るために心を閉ざしていても、他者の関心が心を開くのでは、と思います。暖かい関心、受容的な関心―そっとしておくだけでなく―を持ちそれを示すことが大事ではないかと思います。(文献「生き方の勉強」アルボムッレ・スマナサーラ、香山リカ対談、サンガ新書「じぶん…この不思議な存在」鷲田清一、講談社新書「この<私>はどこにいるのか」鷲田清一、非売品)
今年の計画、希望
1月号に今年の計画、希望を書きそびれてしまいました。
去年はいくつかの計画を立てました。まず「生き生き生きるカウンセリング講座」は共同募金の助成を受けて、開くことができました。市民会館で5回シリーズ(1回4時間)で、充実した内容、学び合いだった、と思います。「パソコン修理室」については、指導してくれるボランティアの方を探しましたが、適切な人が見つからず、また、“修理”というのは難しい仕事だ、ということで断念しました。
不登校クラスについては問い合わせは数件ありましたが、残念ながら参加希望者はおらず、開くことはできませんでした。でも不登校の児童生徒は大勢いると思いますし、場所もありますし、ひきこもりの問題と密接につながってますし、是非開設したいと思います。どういう要望があるか(開設日や費用)もっとよく調べ検討したいと思います。一緒に子どもたちと関わって下さる方、また御意見、アイディアをお寄せ下さるよう、お願い致します。
もう一つ、心に関する講座を今年も開ければ、と思っていたところボランティアスタッフをして下さっている小林さんから「DVなどで心に傷を受けた人のための、自分で自分をケアできるような講座をファシリティター(案内役)として勉強したので、そういう講座を開きたい」との要望がありました。青年たちの多くは過去に心の傷を受け、なかなか癒されたり、回復できずに、今も傷つき易かったりしており、また一般の方にもいると思うので、道草の家で開くことにしました。
また青年の集いも青年たち(20~30代男女)が心の悩み、生きることの根本的な問題を話して、それを他の人たちが一緒に考える、という充実した時間があるのですが、青年の参加が少く、残念にも、また勿体なくも思います。もう少し参加者が増えるよう、工夫したいと思いますので、アイディアをお寄せ下さい。
青年の集いには青年に限らず、年齢に限らず、生き辛さを感じたり、心のことに関心のある方の参加(一緒に話し合う)も歓迎しますので、利用して頂ければ、と思います。
最後に運営費について、助成金などを含めて、捻出についてのアイディアや実際に動いて下さるボランティアをよろしくお願いします。
初期仏教の長老、スマナサーラは釈迦の言葉として「生きることは苦」と述べていますが、青年たちやカウンセリングで出合った人との関わりの中でしばしば思います。
どんな時に私は気持が沈んだり不安になったり、「私はダメだ」と思いが起こるのだろう。考えてみると、「わたしはできるはずだ」「こんなはずじゃなかった」と思う時と、計画したものが実現できなかった時、人との関わり、青年との関わりがうまく行かず、怒らせたり落ち込ませたりした時。もっと色々やりたいのに体力、気力が衰えて思うように行動できない時…
一体何にとらわれているのでしょう。
「生きる勉強」(1)、「じぶん――この不思議な存在」(2)、「この<私>はどこにいるのか」(3)を読みましたが、<じぶん><わたし>にこだわっているからではないか――と感じました。
青年たち、悩み苦しむ人たち、過去の自分を恥しく思ったり、ひけ目を感じたり、そして今の「働けない自分」「人とうまく交われない自分」にこだわってしまう。気質や心身の力そして今までの体験もあるわけで、できることもできないこともあるはず、なのに人と比較してしまう…さまざまな概念や基準に縛られている…
また今の自分が<決まった自分>ではなく、変わって行くものですし、できる時もあるし、できない時もある…自然の流れ(他からの支援があったりして)もあるのではと思います。「私の人生、何だったか」とか「このさきもどうせ」ではなく今を、この今を、この瞬間を「しっかり生きよう」という、仏教の言葉を心に刻みたいものです。
他者への関心―つながり
「他の人にない固有な自分がいる」はず、という自我意識は実体のない概念だ(1)とも思われますし、また<じぶん>とは何か―を考える時、それは<他者>との関わりの中でしか見えて来ない、他者こそがわたしたちの第一の鏡だ(3)とも思います。そして、他者に関心をもってもらうことが、「自分を支える力」「生きる力」になると。でも、それは待つのではなく、自分の方から関心をもつことを始めることによって、他者に関心を持ってもらえる、見守られる、支えられる、或いは自分が他人にとって意味のある存在になる(3)というわけです。
「自分は人から必要とされないから生きる意味がない」という青年がいますが、まだ若いし、人とあまり関わらないで来てるし、特に人と共に何かをしたわけではないのに、必要とされるのを望んでる―と思います。まず自分が積極的に人と関わる、人を求める、ということが、先ではないかと改めて感じました。
私たちは、受け身になりがちです。積極的に関わることが、相手に拒否されたら―という不安があって、身をひいてしまう、私はそうなりがちです。でも、相手を追求したり批判するような関心ではなく、自分にとっても、自分を豊かにしてもらえるような気持で関わる―ことであれば、相手も私に関心を持ってくれるだろうと思います。それが私の支えにもなるわけです。
そうしたことが人と人とのつながりになるのではないでしょうか。
家に、自室に、殆んどひきこもって親とも話しをしない青年にとっては、一時は、しばらくは自分を守るために心を閉ざしていても、他者の関心が心を開くのでは、と思います。暖かい関心、受容的な関心―そっとしておくだけでなく―を持ちそれを示すことが大事ではないかと思います。(文献「生き方の勉強」アルボムッレ・スマナサーラ、香山リカ対談、サンガ新書「じぶん…この不思議な存在」鷲田清一、講談社新書「この<私>はどこにいるのか」鷲田清一、非売品)
今年の計画、希望
1月号に今年の計画、希望を書きそびれてしまいました。
去年はいくつかの計画を立てました。まず「生き生き生きるカウンセリング講座」は共同募金の助成を受けて、開くことができました。市民会館で5回シリーズ(1回4時間)で、充実した内容、学び合いだった、と思います。「パソコン修理室」については、指導してくれるボランティアの方を探しましたが、適切な人が見つからず、また、“修理”というのは難しい仕事だ、ということで断念しました。
不登校クラスについては問い合わせは数件ありましたが、残念ながら参加希望者はおらず、開くことはできませんでした。でも不登校の児童生徒は大勢いると思いますし、場所もありますし、ひきこもりの問題と密接につながってますし、是非開設したいと思います。どういう要望があるか(開設日や費用)もっとよく調べ検討したいと思います。一緒に子どもたちと関わって下さる方、また御意見、アイディアをお寄せ下さるよう、お願い致します。
もう一つ、心に関する講座を今年も開ければ、と思っていたところボランティアスタッフをして下さっている小林さんから「DVなどで心に傷を受けた人のための、自分で自分をケアできるような講座をファシリティター(案内役)として勉強したので、そういう講座を開きたい」との要望がありました。青年たちの多くは過去に心の傷を受け、なかなか癒されたり、回復できずに、今も傷つき易かったりしており、また一般の方にもいると思うので、道草の家で開くことにしました。
また青年の集いも青年たち(20~30代男女)が心の悩み、生きることの根本的な問題を話して、それを他の人たちが一緒に考える、という充実した時間があるのですが、青年の参加が少く、残念にも、また勿体なくも思います。もう少し参加者が増えるよう、工夫したいと思いますので、アイディアをお寄せ下さい。
青年の集いには青年に限らず、年齢に限らず、生き辛さを感じたり、心のことに関心のある方の参加(一緒に話し合う)も歓迎しますので、利用して頂ければ、と思います。
最後に運営費について、助成金などを含めて、捻出についてのアイディアや実際に動いて下さるボランティアをよろしくお願いします。
2011/01/24
明けましておめでとうございます
昨年は無縁社会の問題が様々な形で表面化し、人と人とのつながりが非常に薄れてしまったことを痛感した年でした。
道草の家ではパンフレットの表紙に「人と人とのつながりが心を育む」と書いて来ました。
人となかなかつながれない青年たち、そして子どもも大人も、道草の家での出会いによって、つながるチャンスが持てればと願ってきました。
仲間との交流、スタッフやボランティアなど大人との交流によってその楽しさと、自分と人に対する人間信頼が育まれ、社会に出る自信を持つことを願っています。
今年も人と人とのつながりを大切にして行きたいと思います。
和田ミトリ
人と人のつながり
全国的には南から北まで大雪に見舞われ、大変な思いでお正月を過ごした方が多いと思われますが、関東地方は天候に恵まれ、穏やかなお正月を迎えることができました。
娘の夫の実家(茨城のK市)に呼ばれ、初めて一緒にお正月を過ごしたのですが、彼の祖母や兄弟、いとことその子ども達など親戚の人々に会い、新しいつながりが増えたことを感じました。幼い子の、楽しくてたまらないようなはしゃぎ声、そして90才の祖母、東北から嫁いで来たいきさつも話してくれ、また、父母の兄弟が多く、いとこたちも大勢、その噂など行き来の多さ、つながりの豊かさに、心が暖かくなりました。
でも昨年は若い人から高齢者まで孤独に死に、そして長い期間その亡骸が見つからなかった、という人もいて、そして若い人が餓死したり、自殺したり、という場合もあり、さらに、虐待による幼い子どもの死、痛ましいニュースを度々聞きました。
そうした人々のことを取材した報告を読むと、支援してくれる人が周りにいない、人とつながりが薄く、「助けて!」といえない状況にあり、家族とのつながりも断えてしまって民間や公的な支援も最終的には届かずに終わってしまう…
家族とのつながりが弱く、だんだん切れてしまう…そこには人に対する信頼感も失せ「どうせダメだろう。助けてなんてくれない」という心の叫びを感じます。
なぜ、人と人のつながりがこんなに弱くなってしまったのでしょう。
人は生まれた時、親或いは養育者によって育てられ、まずそこにつながりが生じます。そして、兄弟とつながったり、また近所の大人、子どもと関わり遊ぶことで、つながりが増えます。そこでつながる力が育ちます。次に学校で大勢の仲間、集団の中で過ごします。そこでつながりが広くなり、つながる力も育つはずですが…でも不登校児、生徒が増え、ひきこもる青年が増えている現在、学校ではつながる力が余り育っていないように思います。
高度成長を進めるための競争主義、成績第一主義では、学校ではクラスメートは競争相手であり、助け合う仲間ではなくなりました。
家庭では、兄弟が少なく、また多くの父親は、会社での仕事が生活の殆んど全部を占め、子どもと接する時間も少なく、関わる(関心を持つ)ことが少なくなってしまった。父親が家族とつながることが少なくなったことは、それだけ家族のつながりが弱くなった、と言えるのではないでしょうか。親の力を補ってくれた近所づき合いも少なくなり、色々な人と関わる力、つながる力を育てる力もさらに弱まった、と思います。
繊細なために競争主義の雰囲気に耐えられず、自分を守るために不登校になったり、ひきこもったり、ということも多いでしょう。“人がこわい”…人間関係に敏感、つながりたいのにつながれない…故に苦しい、つながりを持てない自分をダメだ、と思って自分を責めてしまう…なかなか社会に出られない青年たちに感じます。
人に迷惑をかけてはいけない…?
もう一つ、無縁社会と言われるようになって来た原因として、多くの日本人が「人に迷惑をかけてはいけない」という価値観を持っていることがあげられるのではないかと思います。
几帳面でまじめな人ほどそう思い、子どもにもしつけとして「人に迷惑をかけてはいけない」と言ったりします。“迷惑をかけない”ようにするには、「人にいやな思いをさせない、負担をかけない」ように気をつけるわけで、人に頼むこと、助けを求めることは負担をかけることになるから、やってはいけないと思ってしまう。そして、「自分をいやな奴だと思うだろう」とも。
でも、負担をかける、と意識しなくても負担をかけてしまうことはあるし、うまく行くと思っていても失敗することがあります。それはお互い様ではないでしょうか。そして“迷惑をかけない”というのは積極的に相手に関わった時、相手の思いとずれていた場合、いやな思いにさせるから、積極的に関わらない方がいい、――ということになります。「困っている人を助ける、親切にする、というような関わり」、でない方、「何もしない」方を選びます。孤独死した人のこと、前から気になっていても、とことん関わるまではいかない――ということもあります。
ひきこもる青年、道草の家に来書する青年から、親に「迷惑をかけてはいけない」と言われた、とよく聞きますが、自分に自信がない場合一層、人の思いが気になり、積極的な関わりができなくなるでしょう。
生きるか死ぬか、――という時にさえ、「人に迷惑をかけてはいけない」という思いが死を選んでしまう――それでいいのでしょうか。
生きていて、いいんだ!!
「自分は生きていてもいい存在、どんな時でも」と思えたら、助けを求めながらも、生きようとするでしょう。でもなかなかそうは思えない。
親として「世間的に認められないのは、ふつうでないのは、恥しい」と思いがちですが、子どもの存在そのものは認められないのでしょうか。親、家族だったら、どんな状態でも生きてほしい。もっと広げて、その人を知る人もそう思うでしょう。知らない人でも、その人の死を知ったら、何とかならなかったか、と悲しくなるでしょう。
基本は家族の中で、そして生活が、人との関わりが広がる中でお互いに認め合えれば、“つながり”を感じられれば、「生きていい、いいんだ」と思える。今まで、“つながり”を感じられなくても、つながりを感じるようになることはできるだろうと思います。「存在そのものが大切だ」という思いが通じれば、道草の家がそういう場になるように心から願っています。
皆、生まれて今まで一生懸命生きて来たのですから。
道草の家ではパンフレットの表紙に「人と人とのつながりが心を育む」と書いて来ました。
人となかなかつながれない青年たち、そして子どもも大人も、道草の家での出会いによって、つながるチャンスが持てればと願ってきました。
仲間との交流、スタッフやボランティアなど大人との交流によってその楽しさと、自分と人に対する人間信頼が育まれ、社会に出る自信を持つことを願っています。
今年も人と人とのつながりを大切にして行きたいと思います。
和田ミトリ
人と人のつながり
全国的には南から北まで大雪に見舞われ、大変な思いでお正月を過ごした方が多いと思われますが、関東地方は天候に恵まれ、穏やかなお正月を迎えることができました。
娘の夫の実家(茨城のK市)に呼ばれ、初めて一緒にお正月を過ごしたのですが、彼の祖母や兄弟、いとことその子ども達など親戚の人々に会い、新しいつながりが増えたことを感じました。幼い子の、楽しくてたまらないようなはしゃぎ声、そして90才の祖母、東北から嫁いで来たいきさつも話してくれ、また、父母の兄弟が多く、いとこたちも大勢、その噂など行き来の多さ、つながりの豊かさに、心が暖かくなりました。
でも昨年は若い人から高齢者まで孤独に死に、そして長い期間その亡骸が見つからなかった、という人もいて、そして若い人が餓死したり、自殺したり、という場合もあり、さらに、虐待による幼い子どもの死、痛ましいニュースを度々聞きました。
そうした人々のことを取材した報告を読むと、支援してくれる人が周りにいない、人とつながりが薄く、「助けて!」といえない状況にあり、家族とのつながりも断えてしまって民間や公的な支援も最終的には届かずに終わってしまう…
家族とのつながりが弱く、だんだん切れてしまう…そこには人に対する信頼感も失せ「どうせダメだろう。助けてなんてくれない」という心の叫びを感じます。
なぜ、人と人のつながりがこんなに弱くなってしまったのでしょう。
人は生まれた時、親或いは養育者によって育てられ、まずそこにつながりが生じます。そして、兄弟とつながったり、また近所の大人、子どもと関わり遊ぶことで、つながりが増えます。そこでつながる力が育ちます。次に学校で大勢の仲間、集団の中で過ごします。そこでつながりが広くなり、つながる力も育つはずですが…でも不登校児、生徒が増え、ひきこもる青年が増えている現在、学校ではつながる力が余り育っていないように思います。
高度成長を進めるための競争主義、成績第一主義では、学校ではクラスメートは競争相手であり、助け合う仲間ではなくなりました。
家庭では、兄弟が少なく、また多くの父親は、会社での仕事が生活の殆んど全部を占め、子どもと接する時間も少なく、関わる(関心を持つ)ことが少なくなってしまった。父親が家族とつながることが少なくなったことは、それだけ家族のつながりが弱くなった、と言えるのではないでしょうか。親の力を補ってくれた近所づき合いも少なくなり、色々な人と関わる力、つながる力を育てる力もさらに弱まった、と思います。
繊細なために競争主義の雰囲気に耐えられず、自分を守るために不登校になったり、ひきこもったり、ということも多いでしょう。“人がこわい”…人間関係に敏感、つながりたいのにつながれない…故に苦しい、つながりを持てない自分をダメだ、と思って自分を責めてしまう…なかなか社会に出られない青年たちに感じます。
人に迷惑をかけてはいけない…?
もう一つ、無縁社会と言われるようになって来た原因として、多くの日本人が「人に迷惑をかけてはいけない」という価値観を持っていることがあげられるのではないかと思います。
几帳面でまじめな人ほどそう思い、子どもにもしつけとして「人に迷惑をかけてはいけない」と言ったりします。“迷惑をかけない”ようにするには、「人にいやな思いをさせない、負担をかけない」ように気をつけるわけで、人に頼むこと、助けを求めることは負担をかけることになるから、やってはいけないと思ってしまう。そして、「自分をいやな奴だと思うだろう」とも。
でも、負担をかける、と意識しなくても負担をかけてしまうことはあるし、うまく行くと思っていても失敗することがあります。それはお互い様ではないでしょうか。そして“迷惑をかけない”というのは積極的に相手に関わった時、相手の思いとずれていた場合、いやな思いにさせるから、積極的に関わらない方がいい、――ということになります。「困っている人を助ける、親切にする、というような関わり」、でない方、「何もしない」方を選びます。孤独死した人のこと、前から気になっていても、とことん関わるまではいかない――ということもあります。
ひきこもる青年、道草の家に来書する青年から、親に「迷惑をかけてはいけない」と言われた、とよく聞きますが、自分に自信がない場合一層、人の思いが気になり、積極的な関わりができなくなるでしょう。
生きるか死ぬか、――という時にさえ、「人に迷惑をかけてはいけない」という思いが死を選んでしまう――それでいいのでしょうか。
生きていて、いいんだ!!
「自分は生きていてもいい存在、どんな時でも」と思えたら、助けを求めながらも、生きようとするでしょう。でもなかなかそうは思えない。
親として「世間的に認められないのは、ふつうでないのは、恥しい」と思いがちですが、子どもの存在そのものは認められないのでしょうか。親、家族だったら、どんな状態でも生きてほしい。もっと広げて、その人を知る人もそう思うでしょう。知らない人でも、その人の死を知ったら、何とかならなかったか、と悲しくなるでしょう。
基本は家族の中で、そして生活が、人との関わりが広がる中でお互いに認め合えれば、“つながり”を感じられれば、「生きていい、いいんだ」と思える。今まで、“つながり”を感じられなくても、つながりを感じるようになることはできるだろうと思います。「存在そのものが大切だ」という思いが通じれば、道草の家がそういう場になるように心から願っています。
皆、生まれて今まで一生懸命生きて来たのですから。
2010/12/03
代表の言葉(2010/12)
競争社会から共生社会、多様性を認める社会へ
11月の親の会は青年の要望で、青年と親が一緒に話し合う会にしました。お互いの問いかけと答が活発になされましたが、その時一人の親の方からの「親や社会に対する要望は?」という問いに、青年は「アルバイトをしようとする時、ひきこもっていて働いていない時期のことを、そのまま言えなくてごまかさないといけないけど、それをそのまま言っても働ける社会であってほしい」と言いました。
今は一層、働くことが厳しくなりましたが、ひきこもりのことがテレビや新聞などでとり上げられるようになった10数年以上前(私が関わり出した)から「ひきこもっている、働けない」ことの理解はなかなか得られず、働き出すことは、とても難しいものでした。ひきこもる青年は、不登校から続いている人、一度働いてから、ひきこもってしまった人が増え、増加し続けて、社会でも問題になって来ましたが、不登校は「誰にでもなりうる」という認識になって来たものの、「ひきこもり」は甘え、怠け、と見られがちです。
私が所属している日本精神保健社会学会で、「競争社会から共生社会、多様性を認める社会へ」というテーマで話し合われました。今の社会の矛盾、人々は“心豊かに”ではなく“追いつめられた”感じになっている、また環境問題もあり、「社会の方向を変えなくては」と前から言われて来ましたが、どのくらいの人々が自覚しているのか、疑問です。
男性は、父親は「競争によって頑張って、頑張って働いて来た。それによって社会は発展した。子どもとは余り関われなかった。そのために子どもがひきこもるようになった、と言われても困る」と思う方が多いと思います。繊細で真面目で優しい子ども、青年が、競争について行かれないことを、なかなか理解できないようです。
でも、様々な人がおり、親子でも気質や育った環境が違います。親の世代は子供の頃まだ、兄弟も多く、近所付き合い、親戚付き合いもあり、多様な人々の生活、生き方を見ることができました。でも、それがなく、多様な人、大人の人、働いている人を見ることなく、過した子供は、“大人のイメージ”、自立した、働いている大人のイメージを描けない、ある青年は「子供の頃“サラリーマン”というのは何となく分かる、でも自分にそれは合わないと思うけど、他の職業のイメージが持てない、将来のことが考えられず非常に不安だった」と言ってます。
多様性の問題は、「動植物の多様性が非常に大事だ」ということも、最近よく言われています。絶滅する品種が多くなり、少い品種、単一の品種になると、それも弱って行き、自然環境としても大きく損なわれて行きます。
また「1/4の奇跡――「強者」を救う「弱者」話」(マキノ出版)という本を読んだのですが、アフリカのある村での伝染病(マラリア)の発生のことから科学者や医者が調査し、生き残った人、マラリアに強く、障害のない遺伝子をもった人は、障害のある人(1/4は必ず生まれる)がいてこそ、生まれる、ということが分かりました。これは私たちの生活にも当てはまり、私たちが元気でいられるのは、過去や現在、病気や障害を持ち苦しんでいるから、その人たちが引き受けてくれるからだ――ということを知りました。
学会で「でも、共生、多様性を自覚している人は少い、どうやって広めていけばいいのか」という疑問も出されました。
それは「自分のまわりの人、家族や職場、学校、地域、コミュニティ(ネットでも)の人たちに伝え、その人たちがまわりの人に伝えることで広がって行くのではないか」とのことで、私は、道草の家の活動を通して、そしてこうして会報に書くことにより、少しでも実行できるのではないか、と思いました。
心の叫び
自分の生き辛さは子どもの頃からの親との関係によるものだ、と気づいた青年(女性Tさん)が、他の親の方からも話しを聞きたい、ということで一緒に話し合ったわけですが(後の方に掲載)、その中で印象に残ったことは、「子どもは黙っていても、反抗的な言葉、態度をとっても、親から認められることを望んでいる」という言葉です。そして、親から認められているか、混乱して“生きるか死ぬか”を考えてしまう時は「“見捨てられる恐怖”が強い」ということです。
「見捨てられてはいないか、疑心暗鬼、『見捨てられない』と思えるまでは長くかかるが、諦めないでほしい」とも言ってます。
親と話さない、心のことは話さない、或いは顔も見合わせない、という場合でも「親は自分を見捨てないでほしい」という気持を抱いているのではないでしょうか。「親は見捨てないよ」ということをどうやって伝えたらいいか、分からない、難しい、という方が多いかと思います。
でもTさんの言葉、「諦めないでほしい」、そして「親のせいでこうなった」など子どもに責められた時、「親だって一生懸命そだてたのに」と言って、責め合うのではなく、これをきっかけに「向き合ってほしい」というのも分かります。それはとても難しいことでしょう。親自身も自分と向き合うことですから、しんどい―でもできれば、これをきっかけに、自分と向き合い自分の生き方、子どもの生き方を考えるチャンスにしてほしいですし、自分らしく生き生き生きられる生き方を見つけてほしいと思います。
11月の親の会は青年の要望で、青年と親が一緒に話し合う会にしました。お互いの問いかけと答が活発になされましたが、その時一人の親の方からの「親や社会に対する要望は?」という問いに、青年は「アルバイトをしようとする時、ひきこもっていて働いていない時期のことを、そのまま言えなくてごまかさないといけないけど、それをそのまま言っても働ける社会であってほしい」と言いました。
今は一層、働くことが厳しくなりましたが、ひきこもりのことがテレビや新聞などでとり上げられるようになった10数年以上前(私が関わり出した)から「ひきこもっている、働けない」ことの理解はなかなか得られず、働き出すことは、とても難しいものでした。ひきこもる青年は、不登校から続いている人、一度働いてから、ひきこもってしまった人が増え、増加し続けて、社会でも問題になって来ましたが、不登校は「誰にでもなりうる」という認識になって来たものの、「ひきこもり」は甘え、怠け、と見られがちです。
私が所属している日本精神保健社会学会で、「競争社会から共生社会、多様性を認める社会へ」というテーマで話し合われました。今の社会の矛盾、人々は“心豊かに”ではなく“追いつめられた”感じになっている、また環境問題もあり、「社会の方向を変えなくては」と前から言われて来ましたが、どのくらいの人々が自覚しているのか、疑問です。
男性は、父親は「競争によって頑張って、頑張って働いて来た。それによって社会は発展した。子どもとは余り関われなかった。そのために子どもがひきこもるようになった、と言われても困る」と思う方が多いと思います。繊細で真面目で優しい子ども、青年が、競争について行かれないことを、なかなか理解できないようです。
でも、様々な人がおり、親子でも気質や育った環境が違います。親の世代は子供の頃まだ、兄弟も多く、近所付き合い、親戚付き合いもあり、多様な人々の生活、生き方を見ることができました。でも、それがなく、多様な人、大人の人、働いている人を見ることなく、過した子供は、“大人のイメージ”、自立した、働いている大人のイメージを描けない、ある青年は「子供の頃“サラリーマン”というのは何となく分かる、でも自分にそれは合わないと思うけど、他の職業のイメージが持てない、将来のことが考えられず非常に不安だった」と言ってます。
多様性の問題は、「動植物の多様性が非常に大事だ」ということも、最近よく言われています。絶滅する品種が多くなり、少い品種、単一の品種になると、それも弱って行き、自然環境としても大きく損なわれて行きます。
また「1/4の奇跡――「強者」を救う「弱者」話」(マキノ出版)という本を読んだのですが、アフリカのある村での伝染病(マラリア)の発生のことから科学者や医者が調査し、生き残った人、マラリアに強く、障害のない遺伝子をもった人は、障害のある人(1/4は必ず生まれる)がいてこそ、生まれる、ということが分かりました。これは私たちの生活にも当てはまり、私たちが元気でいられるのは、過去や現在、病気や障害を持ち苦しんでいるから、その人たちが引き受けてくれるからだ――ということを知りました。
学会で「でも、共生、多様性を自覚している人は少い、どうやって広めていけばいいのか」という疑問も出されました。
それは「自分のまわりの人、家族や職場、学校、地域、コミュニティ(ネットでも)の人たちに伝え、その人たちがまわりの人に伝えることで広がって行くのではないか」とのことで、私は、道草の家の活動を通して、そしてこうして会報に書くことにより、少しでも実行できるのではないか、と思いました。
心の叫び
自分の生き辛さは子どもの頃からの親との関係によるものだ、と気づいた青年(女性Tさん)が、他の親の方からも話しを聞きたい、ということで一緒に話し合ったわけですが(後の方に掲載)、その中で印象に残ったことは、「子どもは黙っていても、反抗的な言葉、態度をとっても、親から認められることを望んでいる」という言葉です。そして、親から認められているか、混乱して“生きるか死ぬか”を考えてしまう時は「“見捨てられる恐怖”が強い」ということです。
「見捨てられてはいないか、疑心暗鬼、『見捨てられない』と思えるまでは長くかかるが、諦めないでほしい」とも言ってます。
親と話さない、心のことは話さない、或いは顔も見合わせない、という場合でも「親は自分を見捨てないでほしい」という気持を抱いているのではないでしょうか。「親は見捨てないよ」ということをどうやって伝えたらいいか、分からない、難しい、という方が多いかと思います。
でもTさんの言葉、「諦めないでほしい」、そして「親のせいでこうなった」など子どもに責められた時、「親だって一生懸命そだてたのに」と言って、責め合うのではなく、これをきっかけに「向き合ってほしい」というのも分かります。それはとても難しいことでしょう。親自身も自分と向き合うことですから、しんどい―でもできれば、これをきっかけに、自分と向き合い自分の生き方、子どもの生き方を考えるチャンスにしてほしいですし、自分らしく生き生き生きられる生き方を見つけてほしいと思います。
2010/11/05
代表の言葉(2010/11)
東北の旅
2泊3日の小さな旅をしました。久し振り。2年前の夏、信州を旅して以来です。去年から、旅をしたい!と思っていたのが、やっと実現しました。
やはり仕事(活動)の中で重い話を聴いたり、青年たち(男女)と関わり、”ひきこもり“に関連する社会問題を考えるのは、疲れる面もあり、リフレッシュしたい、そして、人間の生き方に何か新しい視点、心の持ち方がつかめたら、という思いもありました。仙台にいる友人や、福島にいる姉兄に会い東北の自然に触れることで。
まず驚いたのは、上野から仙台まで1時間半もかからない、ということ。30数年前に山形へ行った時は夜行で行ったことを覚えております。
仙台は、都心を少し離れると、森の中の道にはいり、“森の都”と言われる所似だと感じました。そして歌にあるように両岸を木々で覆われた“広瀬川”、ゴミゴミした千葉や東京近辺とは違うな!爽やかな気分になりました。
翌日は山形の蔵王、山寺を廻るバスに乗りましたが、11月の気温になったため、蔵王の頂上に行くエコーラインは凍結してしまい、頂上には行かれず、雄大な山々は望められなくて、残念でした。でも小雪が降り出して、紅葉した葉に積もって、紅葉と雪が同時に見られ、バスの中から歓声が上がりました。雪の積もったゲレンデ(まだすべれませんが)の方に行くと、その向こうの森が雪に煙り、墨絵のようでした。
芭蕉の句「静けさや岩にしみいる蝉の声」で有名な山寺、行ってみたいとかねがね思っていました。1000段以上の石段を登り切れるか少々不安もありましたが、何とか登れました。
切り立った岩の間に木々が生え、何10段か石段を登ると、小さな寺があり、また登ってを繰り返し、一番上の寺(本堂)に着きました。その近くの岩の上に、はみ出したように建つ見晴し台、その上に立つと、遠くの山々が見え、胸が広がりました。帰りは、ゆっくりと、所々にある石仏、お地蔵さんに手を合わせたりしながら、降りました。
“生きもの感覚で生きる”
仙台での夜、ホテルでの一人の夜長を、何か本を読みたいと思い、駅の近くにあった本屋に行き、「人間、金子兜太のざっくばらん(人間は自然そのもの、だからこそ“生きもの感覚”で生きよ)」という本を見つけました。兜太さんは「俳句に季語がなくてもいい」と言っている俳人ということで興味はありました。“生き物感覚”って何だろう?買いもの求めてホテルのベットの上で読んだのですが、兜太さんは芭蕉を尊敬していますが、一茶の俳句に、その生き方にぞっこん惚れ込んでいます。私も一茶が好きで、2年前の信州のたびで、一茶の故郷を訪ねました。
以前、ほんの、ほんの少しだけ俳句をかじったことがあり、旅の途中で、こうした本に出会ったのも、何かの巡り合わせのように思いました。
一茶の句は、「人間と自然の共存」というより人間も動物、同等の生き物、ということを詠んでいます。
「蚤どもがさぞ夜永だろさびしかろう」
という句を作ってますが、一茶も蚤も同じ気持で生きているわけです。
芭蕉の頃は“人と自然”、その親密感を詠んでいますが、一茶になって“人間は自然だ”というところまで変わって来ました。私もそう思いたいのですが、余りにも文明、文化の発展した現在の社会で生きていて、それとどう折り合いをつけるか、まだ私には消化しきれません。
今の私たちの心の悩み―複雑な文化に比例して深く、重くなって来ているように思います。
一茶も兜太さんも「愚」のままで生きる、生きものとして「生々しく生きる」と言っているわけですが、自分が「愚」であることを認めれば、そんなに悩まなくてもいいかもしれません。そして、「生きもの」として、人間同志、人間・動物同志、尊重し合う、信頼し合う―ことができればどんなにいいでしょう。
今の日本では人々は「頑張って、人と同じように、人よりも抜きんでて」ということを目指す―風潮が強い。ひとたび“ふつう”からはずれ、ひきこもる状態を過したりすると、「頑張っていない」と言われがちです。そして、そういう自分に青年たちは自己否定感を持ってしまいます。
置いてきぼり
東京から仙台まで1時間半で行ってしまう…旅を味わう暇もなく…芭蕉は何日もかけて旅をして名句を作った、どちらが豊かでしょう。文明が発展するほど格差が大きくなり―みんなが同じように出来るわけではありません―苦悩も増加するように思います。“生きもの”としての共感も失われ、競争相手になったり、ひけ目をかんじたり…。
小学6年の女の子が自ら死を果たしてしまった。教室で昼食をいつも一人ぼっちで食べていた、とのこと、誰も気にしなかったのだろうか、誰も声をかけなかった、どんなにかさびしかったことでしょう。耐えられなかったその思い!!
人間も生きもの、魂を持った同じ生き物同志―という感覚が本当に失われてしまったのだと思います。
虐待により幼児が死に至ることが多くなっています。また、子供の頃親に虐待を受け、非常な生き辛さを必死に生きて来た中年の方のカウンセリングをしてますが、子どもを育て、仕事や近所付き合いの社会生活の中で精神的な不安定さを抱え、今も生き辛さに苦しんでいます。でもまた、虐待をした親も、その親からの育てられ方によって、環境によって、荒んだ精神状態になり、子どもに当ってしまった、と思われます。
交通機関の時間短縮を始め、短時間で様々なことができる便利さがどんどん進んでいる(私もそれを受けている)わけですが、何かを置いてきぼりにしているように思います。
2泊3日の小さな旅をしました。久し振り。2年前の夏、信州を旅して以来です。去年から、旅をしたい!と思っていたのが、やっと実現しました。
やはり仕事(活動)の中で重い話を聴いたり、青年たち(男女)と関わり、”ひきこもり“に関連する社会問題を考えるのは、疲れる面もあり、リフレッシュしたい、そして、人間の生き方に何か新しい視点、心の持ち方がつかめたら、という思いもありました。仙台にいる友人や、福島にいる姉兄に会い東北の自然に触れることで。
まず驚いたのは、上野から仙台まで1時間半もかからない、ということ。30数年前に山形へ行った時は夜行で行ったことを覚えております。
仙台は、都心を少し離れると、森の中の道にはいり、“森の都”と言われる所似だと感じました。そして歌にあるように両岸を木々で覆われた“広瀬川”、ゴミゴミした千葉や東京近辺とは違うな!爽やかな気分になりました。
翌日は山形の蔵王、山寺を廻るバスに乗りましたが、11月の気温になったため、蔵王の頂上に行くエコーラインは凍結してしまい、頂上には行かれず、雄大な山々は望められなくて、残念でした。でも小雪が降り出して、紅葉した葉に積もって、紅葉と雪が同時に見られ、バスの中から歓声が上がりました。雪の積もったゲレンデ(まだすべれませんが)の方に行くと、その向こうの森が雪に煙り、墨絵のようでした。
芭蕉の句「静けさや岩にしみいる蝉の声」で有名な山寺、行ってみたいとかねがね思っていました。1000段以上の石段を登り切れるか少々不安もありましたが、何とか登れました。
切り立った岩の間に木々が生え、何10段か石段を登ると、小さな寺があり、また登ってを繰り返し、一番上の寺(本堂)に着きました。その近くの岩の上に、はみ出したように建つ見晴し台、その上に立つと、遠くの山々が見え、胸が広がりました。帰りは、ゆっくりと、所々にある石仏、お地蔵さんに手を合わせたりしながら、降りました。
“生きもの感覚で生きる”
仙台での夜、ホテルでの一人の夜長を、何か本を読みたいと思い、駅の近くにあった本屋に行き、「人間、金子兜太のざっくばらん(人間は自然そのもの、だからこそ“生きもの感覚”で生きよ)」という本を見つけました。兜太さんは「俳句に季語がなくてもいい」と言っている俳人ということで興味はありました。“生き物感覚”って何だろう?買いもの求めてホテルのベットの上で読んだのですが、兜太さんは芭蕉を尊敬していますが、一茶の俳句に、その生き方にぞっこん惚れ込んでいます。私も一茶が好きで、2年前の信州のたびで、一茶の故郷を訪ねました。
以前、ほんの、ほんの少しだけ俳句をかじったことがあり、旅の途中で、こうした本に出会ったのも、何かの巡り合わせのように思いました。
一茶の句は、「人間と自然の共存」というより人間も動物、同等の生き物、ということを詠んでいます。
「蚤どもがさぞ夜永だろさびしかろう」
という句を作ってますが、一茶も蚤も同じ気持で生きているわけです。
芭蕉の頃は“人と自然”、その親密感を詠んでいますが、一茶になって“人間は自然だ”というところまで変わって来ました。私もそう思いたいのですが、余りにも文明、文化の発展した現在の社会で生きていて、それとどう折り合いをつけるか、まだ私には消化しきれません。
今の私たちの心の悩み―複雑な文化に比例して深く、重くなって来ているように思います。
一茶も兜太さんも「愚」のままで生きる、生きものとして「生々しく生きる」と言っているわけですが、自分が「愚」であることを認めれば、そんなに悩まなくてもいいかもしれません。そして、「生きもの」として、人間同志、人間・動物同志、尊重し合う、信頼し合う―ことができればどんなにいいでしょう。
今の日本では人々は「頑張って、人と同じように、人よりも抜きんでて」ということを目指す―風潮が強い。ひとたび“ふつう”からはずれ、ひきこもる状態を過したりすると、「頑張っていない」と言われがちです。そして、そういう自分に青年たちは自己否定感を持ってしまいます。
置いてきぼり
東京から仙台まで1時間半で行ってしまう…旅を味わう暇もなく…芭蕉は何日もかけて旅をして名句を作った、どちらが豊かでしょう。文明が発展するほど格差が大きくなり―みんなが同じように出来るわけではありません―苦悩も増加するように思います。“生きもの”としての共感も失われ、競争相手になったり、ひけ目をかんじたり…。
小学6年の女の子が自ら死を果たしてしまった。教室で昼食をいつも一人ぼっちで食べていた、とのこと、誰も気にしなかったのだろうか、誰も声をかけなかった、どんなにかさびしかったことでしょう。耐えられなかったその思い!!
人間も生きもの、魂を持った同じ生き物同志―という感覚が本当に失われてしまったのだと思います。
虐待により幼児が死に至ることが多くなっています。また、子供の頃親に虐待を受け、非常な生き辛さを必死に生きて来た中年の方のカウンセリングをしてますが、子どもを育て、仕事や近所付き合いの社会生活の中で精神的な不安定さを抱え、今も生き辛さに苦しんでいます。でもまた、虐待をした親も、その親からの育てられ方によって、環境によって、荒んだ精神状態になり、子どもに当ってしまった、と思われます。
交通機関の時間短縮を始め、短時間で様々なことができる便利さがどんどん進んでいる(私もそれを受けている)わけですが、何かを置いてきぼりにしているように思います。
2010/10/21
10年間良く続いた!
9月も下旬になり、会報の打ち込みの日が近づいて来ても、テーマが浮かびません。自然と浮かぶ時もあれば、何を強く感じているのか、伝えたいことは何か、を自分の心に問いかけることで、テーマを決めて行くこともあります。そして最初の書き出しの言葉が浮かぶと、割と書けて行きます。
今回も4日前に「何を感じ、何が気になり、何を伝えたいか――」をよくよく自分に問いかけて、やっと会報を読んで下さった方の「10年よく続きましたね」という言葉が浮かびました。私から見れば、先号でも言いましたが、「いつの間に10年たった」という感じで、特に感慨はないのですが、でも、振り返れば、同じ仕事や活動が(中学教師やいのちの電話など)10年続いたことはなく、10ヶ月から5年位でした。道草の家の活動(仕事)は、10年続き、そして、これからもやって行きたいことですから、自分に合った自分が求めていたものだから、かと改めて思いました。
それまでたずさわった仕事(活動)は、それぞれ色々と葛藤があり、「自分に合わない」と思ったり、やめる時は強い挫折を感じたものでした。
高校頃から――親との葛藤から――強いコンプレックスと、憂鬱感があり、それが却って何もしないではおられず、結婚してからも、仕事や活動をして来ました。自己表現が下手、自己主張ができない、でも指示されたことのみやることもいやだし、と言ってもリーダー的にもなれず、それが挫折の大きな原因だったかと思います。
そんな中で、カウンセリングに行き当り、「ひきこもる青年の居場所」を開きました。道草の家の活動を主体的にできますし、小規模ですので、私でもある程度リーダーの役割ができるようです。
気質に合う活動、仕事、生き方
今でも、軽いゆううつ感がありますし自信のない面もあります。十分な活動ができていないのではないか、青年や親に方と適切な関わりができていないのではないか―など、色々と思い悩むことも多くあります。そして、カウンセラーの仲間の活動や学会発表などを開くと「バリバリ働いている!」と少し揺らぎます。
でも以前にくらべれば、憂鬱感も弱くなりましたし、前よりしゃべれるようになりました。
そして今考えてみればSAT療法(筑波大学教授、宗像恒次氏、開発)で学んだ「気質」(後の頁を参照)に照らし合わせてみると、今の仕事は私の気質に合っているのだと思われます。
私の気質は「自閉気質」がメインで「循環気質」がサブにあります。「自閉気質」は「マイペース」「社交性はない」が「自分の世界がある」「話をじっくり聞ける」という面があり「循環気質」は「人としゃべりたい」「人に愛されたい、認められたい」という欲求がありますので、青年の集いで青年たちと話し合う場があることは私の「話を聴きたい」のと「しゃべりたい」という気持を満たし私に合っているのでしょう。
また強くはありませんが「不安気質」もあり憂鬱感、コンプレックスもあることは全くない人よりは心悩む人の気持も想像し易いし、共感し易いと思います。そして
“しゃべれない”悩みを持つ人の気持も分かり易い。“思ったことができない。思っても思うようにできない“人の気持も分かる感じがします。(人前で落ちついて話すことが今だに出来ないし、挫折感を何度も味わいました。)「自分が頑張って、困難を乗り越えて来た、だから誰でも頑張ればできるはず」という言葉をしばしば聞きますが、そうは思えません。
でもまた、執着気質が低いのでそんなに完璧を求めないで、活動を続けられるだろうと思います。
じぶんの気質を否定しないで理解して、自分の気質に沿った、気質を生かした生き方、仕事をすることだ、と今頃になって分かりました。余り、世間一般の理想を求めないで、人と比べないで自分の気質の特性を知って、ネガティブな方向に向かうことを抑え、ポジティブの方向に向かうことを意識することが大切だと思います。
例えば、執着気質の特性、完璧主義の人は、120%を求めて頑張り、無理し、達せられないと「自分はダメだ」とストレスが強くなり、がんやうつ病の原因にもなりますが、その自分の気質を自覚し、「50%、30%でいいんだ」と意識することで、ストレスが避けられます。(きっちりとした仕事など信頼を必要なところでは完璧さが生かされます)
不安気質の強い人は、意識して自分の不安の半分位で抑えれば、先の様々な状況が想像でき、リスクを避けられます…。(参考文献:宗像恒次著「自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる」)
今回も4日前に「何を感じ、何が気になり、何を伝えたいか――」をよくよく自分に問いかけて、やっと会報を読んで下さった方の「10年よく続きましたね」という言葉が浮かびました。私から見れば、先号でも言いましたが、「いつの間に10年たった」という感じで、特に感慨はないのですが、でも、振り返れば、同じ仕事や活動が(中学教師やいのちの電話など)10年続いたことはなく、10ヶ月から5年位でした。道草の家の活動(仕事)は、10年続き、そして、これからもやって行きたいことですから、自分に合った自分が求めていたものだから、かと改めて思いました。
それまでたずさわった仕事(活動)は、それぞれ色々と葛藤があり、「自分に合わない」と思ったり、やめる時は強い挫折を感じたものでした。
高校頃から――親との葛藤から――強いコンプレックスと、憂鬱感があり、それが却って何もしないではおられず、結婚してからも、仕事や活動をして来ました。自己表現が下手、自己主張ができない、でも指示されたことのみやることもいやだし、と言ってもリーダー的にもなれず、それが挫折の大きな原因だったかと思います。
そんな中で、カウンセリングに行き当り、「ひきこもる青年の居場所」を開きました。道草の家の活動を主体的にできますし、小規模ですので、私でもある程度リーダーの役割ができるようです。
気質に合う活動、仕事、生き方
今でも、軽いゆううつ感がありますし自信のない面もあります。十分な活動ができていないのではないか、青年や親に方と適切な関わりができていないのではないか―など、色々と思い悩むことも多くあります。そして、カウンセラーの仲間の活動や学会発表などを開くと「バリバリ働いている!」と少し揺らぎます。
でも以前にくらべれば、憂鬱感も弱くなりましたし、前よりしゃべれるようになりました。
そして今考えてみればSAT療法(筑波大学教授、宗像恒次氏、開発)で学んだ「気質」(後の頁を参照)に照らし合わせてみると、今の仕事は私の気質に合っているのだと思われます。
私の気質は「自閉気質」がメインで「循環気質」がサブにあります。「自閉気質」は「マイペース」「社交性はない」が「自分の世界がある」「話をじっくり聞ける」という面があり「循環気質」は「人としゃべりたい」「人に愛されたい、認められたい」という欲求がありますので、青年の集いで青年たちと話し合う場があることは私の「話を聴きたい」のと「しゃべりたい」という気持を満たし私に合っているのでしょう。
また強くはありませんが「不安気質」もあり憂鬱感、コンプレックスもあることは全くない人よりは心悩む人の気持も想像し易いし、共感し易いと思います。そして
“しゃべれない”悩みを持つ人の気持も分かり易い。“思ったことができない。思っても思うようにできない“人の気持も分かる感じがします。(人前で落ちついて話すことが今だに出来ないし、挫折感を何度も味わいました。)「自分が頑張って、困難を乗り越えて来た、だから誰でも頑張ればできるはず」という言葉をしばしば聞きますが、そうは思えません。
でもまた、執着気質が低いのでそんなに完璧を求めないで、活動を続けられるだろうと思います。
じぶんの気質を否定しないで理解して、自分の気質に沿った、気質を生かした生き方、仕事をすることだ、と今頃になって分かりました。余り、世間一般の理想を求めないで、人と比べないで自分の気質の特性を知って、ネガティブな方向に向かうことを抑え、ポジティブの方向に向かうことを意識することが大切だと思います。
例えば、執着気質の特性、完璧主義の人は、120%を求めて頑張り、無理し、達せられないと「自分はダメだ」とストレスが強くなり、がんやうつ病の原因にもなりますが、その自分の気質を自覚し、「50%、30%でいいんだ」と意識することで、ストレスが避けられます。(きっちりとした仕事など信頼を必要なところでは完璧さが生かされます)
不安気質の強い人は、意識して自分の不安の半分位で抑えれば、先の様々な状況が想像でき、リスクを避けられます…。(参考文献:宗像恒次著「自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる」)
2010/09/03
10年、経ちました
『10年、経ちました』
道草の家の活動を始めてから、この9月でちょうど10年経ちました。
あっという間に、もう10年経ってしまったのか、という思いです。
よくも悪くも大きな問題がなかったから、そう思えるのかもしれません。
勿論、色々と困難はありましたが、何とか1日1日が過ぎて行き、1ヶ月が過ぎて行き(会報発行がそのけじめでしょう)、そして1年が過ぎて行くという積み重ねだったかと思います。
暗中模索の中で始めた頃の青年たちの顔が浮かびます。
そして、遠ざかったり、また現れたり、だんだんと遠ざかったままの青年、望んだ方向に行かれた青年も多くないけどいるな(仕事に、或いは学校に)、でも、精神的な不安定さが強くなって来られなくなった青年、対応が適切でなかったのでは、と思われる青年には心が痛みます。
今どうしているだろう、電話をかけたい気持も時々起こるけど、元気になっていればいいですが、不安定なまま、或いは、より不安定になっているのを知るのは辛い、受話器に手が伸びません。
また、青年の集いに来なくなり、道草の家が必要でなくなった、それは精神的に自立していくことであり、嬉しいことですが、少しさびしい感じもします。
みんなが道草の家の青年の集いの雰囲気に合うわけではなく、1回とか2~3回で来なくなる青年もやむをえない、と思いながら、残念に思ったり、また学校のような義務があるわけではない、自由な気持で集う場、でも人と人と心の触れ合いが中心の居場所、出会いと別離があり、喜びもありますが、さびしさを伴うのは仕方がないことでしょう。
ひきこもる青年をとりまく社会も変わってきました。
就労の格差、収入の格差、そして貧困の問題も多くなってきました。
ひきこもりの問題も、解決の方向に行くのではなく、長期化、高年齢化が進み、社会に出る、自立する、ということは『難しい!』――と親も支援する人も、感じるこの頃です。
また人と人とのつながりが一層弱くなり、支え合う感覚が鈍くなっている感じがします。
自分の欲得で人を殺したり、自分の鬱積をはらすために(自分も死にたい気持で)見ず知らずの人を殺したり、子どもの虐待、死に至るものも多く起こっています。
『支援は、理解する、理解しようとすることから』
若い母親が幼い姉妹を放置し、死に至しめた事件、「母性に欠けている」とか頼る人(親、兄弟、友人)がいなかった、と思われがちですが、「経済的な援助があったら」というよりも「理解者、自分を理解して受けとめてくれる人」がいなかった、ということが大きいように思います。SAT療法によれば、「情緒的理解者」がいない時、自信がなく依存心が強くなり、自分に快を与えてくれる人、物に依存し、のめりこんでしまう――と言われます。彼女は夜の商売にのめりこみ、子どものことを考えられなくなったのでは、と思われます。大人になるまで、自分を理解してくれる人、安心できる人、そういう存在があることを体験していなかったのでしょう。
ひきこもる青年の、「社会に出られない」「働けない」という心の葛藤をなかなか理解できず、社会の多くの人は「甘えている」と思うようです。親でも、子どもが心の中のことを話してくれないと、理解できず、「甘えているのでは」という思いに傾きがちです。
殆んど話してくれない青年、話してくれてもなかなか理解できない場合もよくあります。そして、本人も言葉になかなか表現できないこともあります。人それぞれ、体験も違うし、心の中も違います。表面的には似ている場合も多いですが。
そして、親と子どもは、気質も違うし、育った環境、時代も違います。「親として子どもを大切に思って育てた」「愛情をもって育てた」「子どもを束縛しないで、子どもの気持を尊重した」――「それなのになぜ?」と思う親の方も多い。勿論完璧な親はいないので、親を責める気持は毛頭ありませんが、ただ、人間の心は複雑であり、「こうすればこうなる」「善意で育てたのだから、よく育つはずだ」と言えないところがあります。(科学万能的な考えでは)
また、「親が変われば子どもも変わる」と、ひきこもりの問題の勉強会ではよく言われます。でも「どう変わればいいのか分からない」と親の方からよく聞きます。私は100%は理解できない、でも理解しようという気持があることが、「理解しようとしてくれてるのだな」という安心感を与えると思います。また、理解することは(部分的であっても)親の考え方、感じ方を変えるわけで、それは子どもにとって、「親が大いに変わった」ということになると思います。
『心の支援の場に』
来所する青年が増えず、収入、運営費の不安がつきまとう今の状況、道草の家の方向性は、今のままでいいのか――という思いも浮かびます。
長く続けるには財政的基盤が重要、それには行政の中に組み込まれた、障害者支援センターやひきこもり支援センターのような形をとれば、行政からの人件費、運営費がもらえます。でもそれには多様な状態の人を受け入れ、多様な相談に応じ、また、他の機関との連携、書類提出など雑務も増えることになり、個々の青年との心の関わりや、辛い心の人のカウンセリングをする時間、余裕が少くなるだろうという危惧を感じます。
私の力の限界もあり、自分がしたいこと、できることを考えると、今の方向性を少しづつでも充実していくことかと思います。先に述べた「情緒的支援」の場となること、「道草の家に行けば、理解してくれる人、受けとめてくれる人たちがいる」という場になること――だと考えます。勿論それは私一人ではできないことですので、多くの方の応援をお願いしたいと思います。
私にとっても、精神的な支援が必要ですし、勿論経済的支援も、私の思いに共感して下さる方、具体的にボランティアとして参加して下さったり、できれば後継者になって下さる方がいつか現れたら――と願っています。
不登校クラスも、まだ希望者がいなく、開設してませんが、何時からでも開設し、充実した活動をしたいと思っていますのでよろしくお願い致します。
道草の家の活動を始めてから、この9月でちょうど10年経ちました。
あっという間に、もう10年経ってしまったのか、という思いです。
よくも悪くも大きな問題がなかったから、そう思えるのかもしれません。
勿論、色々と困難はありましたが、何とか1日1日が過ぎて行き、1ヶ月が過ぎて行き(会報発行がそのけじめでしょう)、そして1年が過ぎて行くという積み重ねだったかと思います。
暗中模索の中で始めた頃の青年たちの顔が浮かびます。
そして、遠ざかったり、また現れたり、だんだんと遠ざかったままの青年、望んだ方向に行かれた青年も多くないけどいるな(仕事に、或いは学校に)、でも、精神的な不安定さが強くなって来られなくなった青年、対応が適切でなかったのでは、と思われる青年には心が痛みます。
今どうしているだろう、電話をかけたい気持も時々起こるけど、元気になっていればいいですが、不安定なまま、或いは、より不安定になっているのを知るのは辛い、受話器に手が伸びません。
また、青年の集いに来なくなり、道草の家が必要でなくなった、それは精神的に自立していくことであり、嬉しいことですが、少しさびしい感じもします。
みんなが道草の家の青年の集いの雰囲気に合うわけではなく、1回とか2~3回で来なくなる青年もやむをえない、と思いながら、残念に思ったり、また学校のような義務があるわけではない、自由な気持で集う場、でも人と人と心の触れ合いが中心の居場所、出会いと別離があり、喜びもありますが、さびしさを伴うのは仕方がないことでしょう。
ひきこもる青年をとりまく社会も変わってきました。
就労の格差、収入の格差、そして貧困の問題も多くなってきました。
ひきこもりの問題も、解決の方向に行くのではなく、長期化、高年齢化が進み、社会に出る、自立する、ということは『難しい!』――と親も支援する人も、感じるこの頃です。
また人と人とのつながりが一層弱くなり、支え合う感覚が鈍くなっている感じがします。
自分の欲得で人を殺したり、自分の鬱積をはらすために(自分も死にたい気持で)見ず知らずの人を殺したり、子どもの虐待、死に至るものも多く起こっています。
『支援は、理解する、理解しようとすることから』
若い母親が幼い姉妹を放置し、死に至しめた事件、「母性に欠けている」とか頼る人(親、兄弟、友人)がいなかった、と思われがちですが、「経済的な援助があったら」というよりも「理解者、自分を理解して受けとめてくれる人」がいなかった、ということが大きいように思います。SAT療法によれば、「情緒的理解者」がいない時、自信がなく依存心が強くなり、自分に快を与えてくれる人、物に依存し、のめりこんでしまう――と言われます。彼女は夜の商売にのめりこみ、子どものことを考えられなくなったのでは、と思われます。大人になるまで、自分を理解してくれる人、安心できる人、そういう存在があることを体験していなかったのでしょう。
ひきこもる青年の、「社会に出られない」「働けない」という心の葛藤をなかなか理解できず、社会の多くの人は「甘えている」と思うようです。親でも、子どもが心の中のことを話してくれないと、理解できず、「甘えているのでは」という思いに傾きがちです。
殆んど話してくれない青年、話してくれてもなかなか理解できない場合もよくあります。そして、本人も言葉になかなか表現できないこともあります。人それぞれ、体験も違うし、心の中も違います。表面的には似ている場合も多いですが。
そして、親と子どもは、気質も違うし、育った環境、時代も違います。「親として子どもを大切に思って育てた」「愛情をもって育てた」「子どもを束縛しないで、子どもの気持を尊重した」――「それなのになぜ?」と思う親の方も多い。勿論完璧な親はいないので、親を責める気持は毛頭ありませんが、ただ、人間の心は複雑であり、「こうすればこうなる」「善意で育てたのだから、よく育つはずだ」と言えないところがあります。(科学万能的な考えでは)
また、「親が変われば子どもも変わる」と、ひきこもりの問題の勉強会ではよく言われます。でも「どう変わればいいのか分からない」と親の方からよく聞きます。私は100%は理解できない、でも理解しようという気持があることが、「理解しようとしてくれてるのだな」という安心感を与えると思います。また、理解することは(部分的であっても)親の考え方、感じ方を変えるわけで、それは子どもにとって、「親が大いに変わった」ということになると思います。
『心の支援の場に』
来所する青年が増えず、収入、運営費の不安がつきまとう今の状況、道草の家の方向性は、今のままでいいのか――という思いも浮かびます。
長く続けるには財政的基盤が重要、それには行政の中に組み込まれた、障害者支援センターやひきこもり支援センターのような形をとれば、行政からの人件費、運営費がもらえます。でもそれには多様な状態の人を受け入れ、多様な相談に応じ、また、他の機関との連携、書類提出など雑務も増えることになり、個々の青年との心の関わりや、辛い心の人のカウンセリングをする時間、余裕が少くなるだろうという危惧を感じます。
私の力の限界もあり、自分がしたいこと、できることを考えると、今の方向性を少しづつでも充実していくことかと思います。先に述べた「情緒的支援」の場となること、「道草の家に行けば、理解してくれる人、受けとめてくれる人たちがいる」という場になること――だと考えます。勿論それは私一人ではできないことですので、多くの方の応援をお願いしたいと思います。
私にとっても、精神的な支援が必要ですし、勿論経済的支援も、私の思いに共感して下さる方、具体的にボランティアとして参加して下さったり、できれば後継者になって下さる方がいつか現れたら――と願っています。
不登校クラスも、まだ希望者がいなく、開設してませんが、何時からでも開設し、充実した活動をしたいと思っていますのでよろしくお願い致します。
2010/08/11
人間は自然の一部
こんもりとした、濃い緑の森がいくつか連なっている風景、少し上の方から映されている――映画「地球交響曲第7部」の中で――のを見た時、「こういう世界もある」「世界は広いんだ」という言葉が浮かびました。そして胸に風が通ったように感じました。
日頃、辛さを抱えている人と関わったり、道草の家の課題を考えたり、そして、今の社会の厳しく見通しのつかない問題を目にし、耳にしていると、“生きる”ということが辛く厳しいものに感じがちですが、そればかりではない、との思いも浮かんで来ました。
映画では3人の方の生き方、人間と自然との関係などが映像と共に語られ、そして、神社とそれを囲む森、神社で行う行事が映されていました。
その中で「大自然の目に見えない力に生かされていることを思い出す時、人は素直になり、元気をとり戻すことができるのではないでしょうか」という言葉が胸に響きました。「生かされている」という確信までには思えないのですが、でも「そうかもしれない」という思いはあります。
人間も自然の一部だと思います。動物や植物と同じように。そしてこうも言ってます。「我々一人ひとりは、皆地球の大きな生命が進化する過程で生まれた、ひとときの姿なのです」
でも人間は科学を発達させ、どんどん人工化が進んでいます。「人間も自然の一部」ということを忘れ、科学によって何でもできる、という思い上がりが、かえって生き辛さを作り出している面が大きいと思います。
科学によって縛られていることはないでしょうか。
ちょっとでも体に臭いがあってはならない、家の中もちょとでも臭いや菌があってはならない――など。昔(そんな遠い昔ではなく)は賞味期限など記載されることはなく、においや味で(ちょっとだけ食べてみて)食べられるかどうか判断したものでした。
コンピューターが発達し、何でも計算し、予想し、追跡できるようになったのに、それを“格差”を縮めるために、弱い立場の人のために使えないのか――単純に不思議に思います。
自然に癒される
私が自然に惹かれ、自然に癒されるのは、幼い頃、自然に囲まれて育ったからだと思います。
山(子どもでも登れる低い山)や川(泳いだものでした)そして田んぼや森があったから、そこで遊んだからだと思います。広々とした明るいイメージの田んぼ、深く暗い森、山の中腹にある大きな石もおままごとの家でした。森に囲まれた神社も遊び場、社(やしろ)の前にしかれたきれいな砂で、蟻地獄を作り、蟻をいれたり…また田んぼになる前、れんげの花が一面に咲いた中で、冠を作ったり、でんぐり返しをして遊んだこと、秋に稲が稔った時はいなご取りをし、刈った後は落穂拾いをしたこと――などが思い出されます。今はもうそんな遊びはないでしょうね。
さて、青年の集いで青年がいみじくも言った「子どもの頃から家族の葛藤が強く、心の触れ合いがなかったせいか、外(自然)への関心がなかった。関心があったら“自然”からエネルギーをもらい“自然”に癒されたであろうに」という言葉にはっとしました。青年たち、人間関係に傷つくことが多いわけですが、それを癒すのにそんなに強く“自然”を求めていないようにも思います。勿論、「人間関係で傷ついたものは人間関係で癒す」という面もありますが。また、育つ時に、まわりにそうした自然が少なく、家族や友だちと自然の中で過ごすことが少なかった――ということもあるでしょう。
青年たちが自然からもエネルギーをもらい、楽な気持になって、自分を肯定し、生き生き生きられる時間が少しでも多くなることを願っています。
出会いの場
新たなことをする、新しい行動をする時、予想したようには行かない、そして「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔の念が起きます。初めて開く「生き生き生きるカウンセリング講座」も定員が少ないし、参加費も共同募金からの助成を受けて安いのですぐ集まるだろうと安易に考えていたのですが、申込み者がわずかで「もっと早くから、もっと広くPRすればよかった」と後悔、そして憂鬱感がふっと浮かんできます。それは私の気質、育ち方によるのでしょうが、カウンセリングを学んでだいぶよくなって来ましたが「行動しなければこんな気持にならないだろうに」と私の弱さが出てきます。
青年の集いの参加者も(暑さのせいもありますが)少ない日が続き「どうして行ったらいいのだろう」と思うと気持が沈みます。でも「このままのことがずーっと続くとは限らない、色々と工夫して行けば、もっと増えるだろう」「カウンセリング講座も初めてなのだから、次回はもっとよく考えて行えば、参加者も増えるだろう」と思い直しました。
そして“数の問題ではない”ということにも気づきました。「青年の思い」の中でもあるように、2人の青年の出会いがお互いに心が通じ合い、充実した時間を過ごせた、という思いにさせ、肯定感、生きるエネルギーにもなったと思う時、2人だけでもそういう思いになること、そういう出会いを道草の家で作れたことは居場所を続けて来た意味がある、という思いにさせてくれました。
日頃、辛さを抱えている人と関わったり、道草の家の課題を考えたり、そして、今の社会の厳しく見通しのつかない問題を目にし、耳にしていると、“生きる”ということが辛く厳しいものに感じがちですが、そればかりではない、との思いも浮かんで来ました。
映画では3人の方の生き方、人間と自然との関係などが映像と共に語られ、そして、神社とそれを囲む森、神社で行う行事が映されていました。
その中で「大自然の目に見えない力に生かされていることを思い出す時、人は素直になり、元気をとり戻すことができるのではないでしょうか」という言葉が胸に響きました。「生かされている」という確信までには思えないのですが、でも「そうかもしれない」という思いはあります。
人間も自然の一部だと思います。動物や植物と同じように。そしてこうも言ってます。「我々一人ひとりは、皆地球の大きな生命が進化する過程で生まれた、ひとときの姿なのです」
でも人間は科学を発達させ、どんどん人工化が進んでいます。「人間も自然の一部」ということを忘れ、科学によって何でもできる、という思い上がりが、かえって生き辛さを作り出している面が大きいと思います。
科学によって縛られていることはないでしょうか。
ちょっとでも体に臭いがあってはならない、家の中もちょとでも臭いや菌があってはならない――など。昔(そんな遠い昔ではなく)は賞味期限など記載されることはなく、においや味で(ちょっとだけ食べてみて)食べられるかどうか判断したものでした。
コンピューターが発達し、何でも計算し、予想し、追跡できるようになったのに、それを“格差”を縮めるために、弱い立場の人のために使えないのか――単純に不思議に思います。
自然に癒される
私が自然に惹かれ、自然に癒されるのは、幼い頃、自然に囲まれて育ったからだと思います。
山(子どもでも登れる低い山)や川(泳いだものでした)そして田んぼや森があったから、そこで遊んだからだと思います。広々とした明るいイメージの田んぼ、深く暗い森、山の中腹にある大きな石もおままごとの家でした。森に囲まれた神社も遊び場、社(やしろ)の前にしかれたきれいな砂で、蟻地獄を作り、蟻をいれたり…また田んぼになる前、れんげの花が一面に咲いた中で、冠を作ったり、でんぐり返しをして遊んだこと、秋に稲が稔った時はいなご取りをし、刈った後は落穂拾いをしたこと――などが思い出されます。今はもうそんな遊びはないでしょうね。
さて、青年の集いで青年がいみじくも言った「子どもの頃から家族の葛藤が強く、心の触れ合いがなかったせいか、外(自然)への関心がなかった。関心があったら“自然”からエネルギーをもらい“自然”に癒されたであろうに」という言葉にはっとしました。青年たち、人間関係に傷つくことが多いわけですが、それを癒すのにそんなに強く“自然”を求めていないようにも思います。勿論、「人間関係で傷ついたものは人間関係で癒す」という面もありますが。また、育つ時に、まわりにそうした自然が少なく、家族や友だちと自然の中で過ごすことが少なかった――ということもあるでしょう。
青年たちが自然からもエネルギーをもらい、楽な気持になって、自分を肯定し、生き生き生きられる時間が少しでも多くなることを願っています。
出会いの場
新たなことをする、新しい行動をする時、予想したようには行かない、そして「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔の念が起きます。初めて開く「生き生き生きるカウンセリング講座」も定員が少ないし、参加費も共同募金からの助成を受けて安いのですぐ集まるだろうと安易に考えていたのですが、申込み者がわずかで「もっと早くから、もっと広くPRすればよかった」と後悔、そして憂鬱感がふっと浮かんできます。それは私の気質、育ち方によるのでしょうが、カウンセリングを学んでだいぶよくなって来ましたが「行動しなければこんな気持にならないだろうに」と私の弱さが出てきます。
青年の集いの参加者も(暑さのせいもありますが)少ない日が続き「どうして行ったらいいのだろう」と思うと気持が沈みます。でも「このままのことがずーっと続くとは限らない、色々と工夫して行けば、もっと増えるだろう」「カウンセリング講座も初めてなのだから、次回はもっとよく考えて行えば、参加者も増えるだろう」と思い直しました。
そして“数の問題ではない”ということにも気づきました。「青年の思い」の中でもあるように、2人の青年の出会いがお互いに心が通じ合い、充実した時間を過ごせた、という思いにさせ、肯定感、生きるエネルギーにもなったと思う時、2人だけでもそういう思いになること、そういう出会いを道草の家で作れたことは居場所を続けて来た意味がある、という思いにさせてくれました。
2010/07/10
引越し奮闘記
6月末の引越しのため、会報の発送が遅くなりました。
引越しの準備を心がけていたものの、やっぱり細々したものが間に合わず、引越し屋さんが来てから、バタバタと追われながら箱につめたり、トラックに載らない、ということで多くの小さな家具を残して処分することになったり、2日にわたって奮闘し、何とか終わりました。(箱から出して整理するのはまだです)
色々なものを処分したものの、「とっておけばよかった」「早くから予想し、準備すればよかった」と後悔しきり!でも娘はそんなこともないので救われました。そして、こんな時でないと思い切りができないわけで。(母の残した寝具や、布きれや食器などが後から後から出て来て、大事にとっておく母の時代の生活がしのばれます)
そして約1日心を痛めたのは、猫を小平の家に連れて行ったものの、夜中に少し開けておいた窓から出て行ってしまい、朝気がついて家のまわりだけは名前を呼びましたが、応答がなく、そのまま今までの家に掃除に行きました。「新しい家の臭いも覚えないまま出て行ったから戻れないかもしれない。そういう縁なのだろうか。縁があったら戻ってくるだろう」と話し合いました。ところが夜遅く帰ってみるとドアのそばにいるではありませんか。「縁があったのだ」と3人で大喜び!
さて、1階の私の部屋を少し整理し、朝、雪見障子から外を見てみようと、障子を上げたのですが、少しの草木と前の家の壁ばかり。船橋の家とは大違いです。船橋の家は23年住み、木々が育って、窓からは緑ばかりが見えて、それに慣れていたのですが。小平の家も草木を植えたら育って緑いっぱいになるだろう、どのくらいで?私が生きて、住んでる間に…?
生きる意味(2)
皆さんは「生きる意味」をどんなふうに考えていらっしゃるでしょうか、「余り意識していない」「分からない」という方も多いかもしれません。或いはそういうことを考えなくてすむほど満たされて過ごしている方もいることでしょう。
私は若い頃、「生きる意味などない、生まれたから生きているだけ」と思ったり、「人生は不条理だ」と思ったり、否定的な思いがありました。でも好きなことをして、充実感を感じて生きたい、とも思いました。そんな中でいくつかの挫折をしながら今の仕事、活動に至ったわけですが、今も難しい課題を抱えて過ごしている中で、ふっと「ヒマラヤが見える山の中腹で、一日中、ヒマラヤが、日の光で変化して行くのを(朝、夕は茜に映えたり)眺めていたい」思ったりします。悠久の中にいる自分の存在を味わえるかなと思います。
また私も高齢になってきて「後何年生きられるだろうか」と思う時「死は無になること」という思いもあり、怖さを感じたりしますが、宇宙の始まりから今まで原子、分子が生命となってぼう大な時間の中で進化し、人間が生まれ、私が生まれた、そうしたつながりの中の一つの輪に自分がいて、死は宇宙の原子、分子に戻るのだから無ではない、とも思ったりします。
或いは仕事などに精一杯頑張っている自分に、逆にゆっくりと自分の体を、呼吸を味わい、聞こえてくる島の声を感じる時、“生”の実感を味わえるかもしれません(座禅がそんな感じでしょうか)
おいしいものを食べた時、好きな音楽を聴いている時、庭の花を眺めている時などささいなことに幸せ感を味わい、生きる意味を感じるということもあります。
あるお母さんに生きる意味を尋ねたら、「生きていてよかった」と思えること、「楽しし」と感じること、を大切に生きたい、との答でした。「こう思う前は、他の人の目、評価を気にして心の安らぎもなく過ごしていたが、子どもがひきこもるようになって、気づかされた」とのことです。
高度成長期は、成功、沢山働いて、沢山収入を得ること、そして社会から認められることが、生きる意味のように思われていましたが、それには適応できない人が多く出て来て、少しは見直されて来ているようですが、まだまだ、根強くあります。
働いていない、働けない青年は「自分は社会から認められない、それは自分には生きる意味がないことなのだ」と思ってしまう場合が多い、と思います。「どんな人も生きる意味はあるのだ」と言っても簡単には同意できないでしょう。
自分の存在を肯定的に感じることが根本にあることが必要かもしれません。でもどうしたら、存在を肯定できるのか。人は社会一般的ではない人を否定しがちです。でも、存在そのものを誰が否定できるのでしょう。否定する権利はないように思います。
まわりの人がその人の存在を肯定する――状態全部を受け入れられなくても――ことはできないでしょうか。
そして、小さな楽しさを感じることの積み重ねが、自分を肯定し、生きる意味を感じさせるのかもしれません。青年の思いでのT.Nさんも言ってるように、しばしの間でも瞬間でも、楽しさや心地良さや嬉しさを感じることを大切にして。
引越しの準備を心がけていたものの、やっぱり細々したものが間に合わず、引越し屋さんが来てから、バタバタと追われながら箱につめたり、トラックに載らない、ということで多くの小さな家具を残して処分することになったり、2日にわたって奮闘し、何とか終わりました。(箱から出して整理するのはまだです)
色々なものを処分したものの、「とっておけばよかった」「早くから予想し、準備すればよかった」と後悔しきり!でも娘はそんなこともないので救われました。そして、こんな時でないと思い切りができないわけで。(母の残した寝具や、布きれや食器などが後から後から出て来て、大事にとっておく母の時代の生活がしのばれます)
そして約1日心を痛めたのは、猫を小平の家に連れて行ったものの、夜中に少し開けておいた窓から出て行ってしまい、朝気がついて家のまわりだけは名前を呼びましたが、応答がなく、そのまま今までの家に掃除に行きました。「新しい家の臭いも覚えないまま出て行ったから戻れないかもしれない。そういう縁なのだろうか。縁があったら戻ってくるだろう」と話し合いました。ところが夜遅く帰ってみるとドアのそばにいるではありませんか。「縁があったのだ」と3人で大喜び!
さて、1階の私の部屋を少し整理し、朝、雪見障子から外を見てみようと、障子を上げたのですが、少しの草木と前の家の壁ばかり。船橋の家とは大違いです。船橋の家は23年住み、木々が育って、窓からは緑ばかりが見えて、それに慣れていたのですが。小平の家も草木を植えたら育って緑いっぱいになるだろう、どのくらいで?私が生きて、住んでる間に…?
生きる意味(2)
皆さんは「生きる意味」をどんなふうに考えていらっしゃるでしょうか、「余り意識していない」「分からない」という方も多いかもしれません。或いはそういうことを考えなくてすむほど満たされて過ごしている方もいることでしょう。
私は若い頃、「生きる意味などない、生まれたから生きているだけ」と思ったり、「人生は不条理だ」と思ったり、否定的な思いがありました。でも好きなことをして、充実感を感じて生きたい、とも思いました。そんな中でいくつかの挫折をしながら今の仕事、活動に至ったわけですが、今も難しい課題を抱えて過ごしている中で、ふっと「ヒマラヤが見える山の中腹で、一日中、ヒマラヤが、日の光で変化して行くのを(朝、夕は茜に映えたり)眺めていたい」思ったりします。悠久の中にいる自分の存在を味わえるかなと思います。
また私も高齢になってきて「後何年生きられるだろうか」と思う時「死は無になること」という思いもあり、怖さを感じたりしますが、宇宙の始まりから今まで原子、分子が生命となってぼう大な時間の中で進化し、人間が生まれ、私が生まれた、そうしたつながりの中の一つの輪に自分がいて、死は宇宙の原子、分子に戻るのだから無ではない、とも思ったりします。
或いは仕事などに精一杯頑張っている自分に、逆にゆっくりと自分の体を、呼吸を味わい、聞こえてくる島の声を感じる時、“生”の実感を味わえるかもしれません(座禅がそんな感じでしょうか)
おいしいものを食べた時、好きな音楽を聴いている時、庭の花を眺めている時などささいなことに幸せ感を味わい、生きる意味を感じるということもあります。
あるお母さんに生きる意味を尋ねたら、「生きていてよかった」と思えること、「楽しし」と感じること、を大切に生きたい、との答でした。「こう思う前は、他の人の目、評価を気にして心の安らぎもなく過ごしていたが、子どもがひきこもるようになって、気づかされた」とのことです。
高度成長期は、成功、沢山働いて、沢山収入を得ること、そして社会から認められることが、生きる意味のように思われていましたが、それには適応できない人が多く出て来て、少しは見直されて来ているようですが、まだまだ、根強くあります。
働いていない、働けない青年は「自分は社会から認められない、それは自分には生きる意味がないことなのだ」と思ってしまう場合が多い、と思います。「どんな人も生きる意味はあるのだ」と言っても簡単には同意できないでしょう。
自分の存在を肯定的に感じることが根本にあることが必要かもしれません。でもどうしたら、存在を肯定できるのか。人は社会一般的ではない人を否定しがちです。でも、存在そのものを誰が否定できるのでしょう。否定する権利はないように思います。
まわりの人がその人の存在を肯定する――状態全部を受け入れられなくても――ことはできないでしょうか。
そして、小さな楽しさを感じることの積み重ねが、自分を肯定し、生きる意味を感じさせるのかもしれません。青年の思いでのT.Nさんも言ってるように、しばしの間でも瞬間でも、楽しさや心地良さや嬉しさを感じることを大切にして。
2010/06/02
正しい行動から愉しい行動へ
5月末、内外の社会情勢、ニュースを見聞きするにつれ、心が重くなります。沖縄の基地問題は沖縄の人々を“裏切る”決着になりそうです。韓国と北朝鮮の関係も険悪な状態になって来ました。
青年たち(男女)も苦しみからなかなか抜け出せない…。(かなり抜け出している青年もいますが)
先月号では「光と影」について述べました。世間一般が認めているものを“光”とし、個々にはどうしても起きてしまうが、一般には認められないものを“影”として、人生には両方ある――それを受け入れられれば、精神的な苦しみは弱まるのではないか…。
一人の青年が感想を送ってくれました。(「青年の思い」に載せました)「子供の頃に親から“光と影”の両方があることを教えてくれていたら、もっと素直に生きられたのに。でも気づいた時から、本当の意味での「生きる」が始まる…」と。
“光”については他の言葉で言えば「世間一般が言うことは“正しい”とする」ことだと言えるでしょう。正しいか、正しくないかを基準に考えてできるだけ“正しい”ことをすべきだ、と子供の頃から植えつけられて来ました。つまり他の人たちの評価を第一に考えてしまう。個々には能力的なもの、気質的なもの、環境的なものが違うわけで、いつも誰でもみんなに認められることができるわけではありません。それなのに、日本人は真面目で勤勉な国民性があって、「努力すればできる、頑張ればできる」と言われがちです。
真面目であればあるほど、それができない自分を責め、それが精神的な病を引き起こしたりします。
他から認められる、評価される“正しい”行動をしよう――ということは2月号でも述べた、他者報酬追求型行動(生き方)と言えます。そしてそれに対して自分を自分で認め、自分がしたいことをする。自分が愉しいことをする、という自己報酬追求型行動(生き方)があります。
本能で生きている動物や文明が素朴であった時代は、他者報酬追求型行動と自己報酬追求型行動の区別はなかったと思います。でも、現在はとても複雑になって来ました。考えてみれば皆が“正しい”と言っても、100人が100人同じ考えではないし、同じことができるわけではない、無理があります。“正しい”と思われる行動よりも、自分がしたいこと“愉しい”と思うことをする――という方向に向かえば、苦しさ、しんどさは弱まると思います。
それに気づいた青年がいます。職場の同僚と同じように働けない自分を責め、そのようにさせた(と思う)親を責め、そしてまた、親を責める自分を責める、そしてその辛さから過食に走り、またそういう自分を責めてしまう――という悪循環の中にいた、青年。でも、自分は“正しい”ことばかりしようとしている、でも、人と同じにできなくてもよい、できない自分を責めないで自分のために、自分が愉しい思いをするために行動する、働く、生きる――と考えるようになり、悪循環から抜け出しつつあります。
また、親が子供に「アルバイトくらいできるでしょう、なぜ働かないの?」と言ったりする場合もよくありますが、大人になるまでの過程や、働いた体験から、人がこわい、特に職場の人間関係や集団の中で過ごすことに苦痛、恐怖を感じる、ことがなかなか理解できません。世間が認める働き方、生き方しか“正しい”と思えない…
生きる意味
テレビで社会学者の上田紀行さんが話した言葉にはっとしました。
今、日本の社会は不況であり、自殺者も多い。でもそれは経済的不況よりも、「生きる意味の不況」の方が重大だというのです。経済の高度成長期は「よく勉強し、いい学校にはいり、いい会社に勤め、高い給料をもらって、豊かな生活をする」という生きる意味を持てた。でも今はそれを持てない、そして、それに代わる生きる意味がみつからない――というわけです。上田さんが学生に聞いたところ、半数が、「自分は使い捨ての存在」と言ってるそうです。
それぞれがそれぞれの生きる意味が持てる“生きる意味の自由、自立”が大切、そして、それを可能にする社会の支えが必要だ、様々な意味で弱さを持った人に対して、何としても支え切る社会のシステムが必要だ――とも言っています。
ある青年が「納得できるような生きる意味が見つかったら、自分は動けるだろう」と言った言葉を思い出します。
彼は高校生の時に学校の行事のための集団活動が非常に苦痛になって来て「自分はサラリーマンにはなれない、でもサラリーマン以外の働き方を知らない」:と絶望的になったそうです。「サラリーマンとしてお金のために頑張り、競争し、豊かな生活をする」という一般的な価値志向(生きる意味)に違和感を感じたようです。
その後、アルバイトをしましたが、なじめず、だんだん辛くなり、頑張ろうとしても仕事も続かず、働けなくなって、家にいるわけですが、「中学生、高校生の頃に、サラリーマンだけでなく、色々な職業があり、色々な生きる意味があることを教えてくれたら、学ぶことができていたら」とも言っています。
それぞれが自分の“生きる意味”が持てる社会、ハンディがあっても、障害があったり、老人になり、自分の力だけでは動けなくなっても、社会が支える、社会に、人に助けられながらも、自分の存在の意味を感じられる――という社会であったら!
老後も、人に援助を受けて生活しながらも、「迷惑をかけているから愉しんではいけない」と思わないで、「愉しんでいいんだ」と思える社会。そして、生活保護なども、「迷惑をかけるから受けない」と無理をしないで、弱さを持った人を助ける、お互いに助け合うことが同意される社会であってほしい、と思います。
ある青年の場合、幼い頃から、精神的な弱さを持った母親を助けてあげたい、と思いながら生きて来て、成人して母親と2人の生活を何とか支えて来たのですが、自分も様々な葛藤の中で心の病いを持ち、でも経済的には働かなければならないと頑張って来て、限界に来ている状態になっています。社会制度の援助を受けて働くことを休むか少くして、ゆっくりして愉しさも感じる生活をしてほしい、と思うのですが、抵抗があるようです。頑張ること、母親を支えることに生きる意味を感じていたからかもしれません。自分を大切にするような「生きる意味」に変えられたら、と思います。
青年たち(男女)も苦しみからなかなか抜け出せない…。(かなり抜け出している青年もいますが)
先月号では「光と影」について述べました。世間一般が認めているものを“光”とし、個々にはどうしても起きてしまうが、一般には認められないものを“影”として、人生には両方ある――それを受け入れられれば、精神的な苦しみは弱まるのではないか…。
一人の青年が感想を送ってくれました。(「青年の思い」に載せました)「子供の頃に親から“光と影”の両方があることを教えてくれていたら、もっと素直に生きられたのに。でも気づいた時から、本当の意味での「生きる」が始まる…」と。
“光”については他の言葉で言えば「世間一般が言うことは“正しい”とする」ことだと言えるでしょう。正しいか、正しくないかを基準に考えてできるだけ“正しい”ことをすべきだ、と子供の頃から植えつけられて来ました。つまり他の人たちの評価を第一に考えてしまう。個々には能力的なもの、気質的なもの、環境的なものが違うわけで、いつも誰でもみんなに認められることができるわけではありません。それなのに、日本人は真面目で勤勉な国民性があって、「努力すればできる、頑張ればできる」と言われがちです。
真面目であればあるほど、それができない自分を責め、それが精神的な病を引き起こしたりします。
他から認められる、評価される“正しい”行動をしよう――ということは2月号でも述べた、他者報酬追求型行動(生き方)と言えます。そしてそれに対して自分を自分で認め、自分がしたいことをする。自分が愉しいことをする、という自己報酬追求型行動(生き方)があります。
本能で生きている動物や文明が素朴であった時代は、他者報酬追求型行動と自己報酬追求型行動の区別はなかったと思います。でも、現在はとても複雑になって来ました。考えてみれば皆が“正しい”と言っても、100人が100人同じ考えではないし、同じことができるわけではない、無理があります。“正しい”と思われる行動よりも、自分がしたいこと“愉しい”と思うことをする――という方向に向かえば、苦しさ、しんどさは弱まると思います。
それに気づいた青年がいます。職場の同僚と同じように働けない自分を責め、そのようにさせた(と思う)親を責め、そしてまた、親を責める自分を責める、そしてその辛さから過食に走り、またそういう自分を責めてしまう――という悪循環の中にいた、青年。でも、自分は“正しい”ことばかりしようとしている、でも、人と同じにできなくてもよい、できない自分を責めないで自分のために、自分が愉しい思いをするために行動する、働く、生きる――と考えるようになり、悪循環から抜け出しつつあります。
また、親が子供に「アルバイトくらいできるでしょう、なぜ働かないの?」と言ったりする場合もよくありますが、大人になるまでの過程や、働いた体験から、人がこわい、特に職場の人間関係や集団の中で過ごすことに苦痛、恐怖を感じる、ことがなかなか理解できません。世間が認める働き方、生き方しか“正しい”と思えない…
生きる意味
テレビで社会学者の上田紀行さんが話した言葉にはっとしました。
今、日本の社会は不況であり、自殺者も多い。でもそれは経済的不況よりも、「生きる意味の不況」の方が重大だというのです。経済の高度成長期は「よく勉強し、いい学校にはいり、いい会社に勤め、高い給料をもらって、豊かな生活をする」という生きる意味を持てた。でも今はそれを持てない、そして、それに代わる生きる意味がみつからない――というわけです。上田さんが学生に聞いたところ、半数が、「自分は使い捨ての存在」と言ってるそうです。
それぞれがそれぞれの生きる意味が持てる“生きる意味の自由、自立”が大切、そして、それを可能にする社会の支えが必要だ、様々な意味で弱さを持った人に対して、何としても支え切る社会のシステムが必要だ――とも言っています。
ある青年が「納得できるような生きる意味が見つかったら、自分は動けるだろう」と言った言葉を思い出します。
彼は高校生の時に学校の行事のための集団活動が非常に苦痛になって来て「自分はサラリーマンにはなれない、でもサラリーマン以外の働き方を知らない」:と絶望的になったそうです。「サラリーマンとしてお金のために頑張り、競争し、豊かな生活をする」という一般的な価値志向(生きる意味)に違和感を感じたようです。
その後、アルバイトをしましたが、なじめず、だんだん辛くなり、頑張ろうとしても仕事も続かず、働けなくなって、家にいるわけですが、「中学生、高校生の頃に、サラリーマンだけでなく、色々な職業があり、色々な生きる意味があることを教えてくれたら、学ぶことができていたら」とも言っています。
それぞれが自分の“生きる意味”が持てる社会、ハンディがあっても、障害があったり、老人になり、自分の力だけでは動けなくなっても、社会が支える、社会に、人に助けられながらも、自分の存在の意味を感じられる――という社会であったら!
老後も、人に援助を受けて生活しながらも、「迷惑をかけているから愉しんではいけない」と思わないで、「愉しんでいいんだ」と思える社会。そして、生活保護なども、「迷惑をかけるから受けない」と無理をしないで、弱さを持った人を助ける、お互いに助け合うことが同意される社会であってほしい、と思います。
ある青年の場合、幼い頃から、精神的な弱さを持った母親を助けてあげたい、と思いながら生きて来て、成人して母親と2人の生活を何とか支えて来たのですが、自分も様々な葛藤の中で心の病いを持ち、でも経済的には働かなければならないと頑張って来て、限界に来ている状態になっています。社会制度の援助を受けて働くことを休むか少くして、ゆっくりして愉しさも感じる生活をしてほしい、と思うのですが、抵抗があるようです。頑張ること、母親を支えることに生きる意味を感じていたからかもしれません。自分を大切にするような「生きる意味」に変えられたら、と思います。
2010/05/09
光と影
4月は冬に逆戻りの日がくり返しましたが、5月を迎え、木々の新緑が光に映え、目にしみて、春は確実に訪れ、そして初夏に向かっているのを感じます。しばし心もなごやかに、ほっとするような感じになりますが、新緑を見ても、心が動かない、癒やされない人もいるだろう、道草の家の青年たち(20代、30代の男女)のことを考えます。
そして、最近、長谷川博一さん(カウンセラー、東海女子大学教授)の著書を何冊か読み、「ああそうなんだ、そうかもしれない」――と、私達の心、そして「なぜ苦しむのだろう」という問いへの答えが、かなり得られたように思います。悩み苦しみながら、「どうしたらいいか、どう考えたら心が落ちつくか」分からないまま、社会に出られない多くの青年たち、そしてその親の方たちのことを思いました。
それは、人には、人の生には、光と影があるのに、光ばかり求めて、それが得られない自分、影の部分がある自分を「ダメな人間だ」と思い、苦しみに陥るのではないか、と思うのです。
長谷川さんの本の中に、あるお坊さんの言葉として、木の葉が秋に落葉となる時、表を向けたり裏を向けたりしながらひらひらと舞い降りる、表だけ見せて落ちることはできない。人間の生も、表と裏があり、両方をみせながら生きるのがよい――とありました。そのことが長谷川さんがカウンセリングをした東ちづるさんの著書「<私>はなぜカウンセリングを受けたのか」に書かれています。
女優の他司会やコメンテーター、ボランティアなど多方面に活躍しているちづるさんが、一人になると、自責の念、自己嫌悪に陥り、虚しさ、さびしさに涙し、大声で叫びたくなる、死にたくなるという苦しみを抱えていたとは想像もしませんでした。
でも、30代半ばで、自分はAC(アダルトチルドレン)だったと気づきました。自分のことよりまわりに気を使い、“いい人”として生きて来た、自分の本当の気持ちを知ろうともせず、相手、まわりの期待に合わせてしまう…お母さん自身が、まわりの人、世間の人、家族にとって、いつも明るくしっかりした人でいることを一生懸命やって来て、それをちづるさんにも期待し、ちづるさんはそれに応えて、家でも学校でも“いい子”をやって来たわけです。相手の期待に「できない」とか「いやだ」とかも言うことなく。それはいつも“光”だけで生きようとして“影”を認めない、無理な生き方だったわけです。
また「子どもたちの『かすれた声』」の中では、「キレる」少年たち、ふつうの子がキレて(解離状態を起こし)犯罪を犯してしまうのも、自分の影の部分(「人と同じようにできない」とか、まわりから「ダメだ、ダメだ」と言われそれに反発できず自分も「ダメな自分」と思ってしまう)がふくらんで、自己否定感と、絶望感が爆発した、と言っています。女の子の場合、摂食障害やリストカットもそうした解離状態だとのことです。(みんなが「光」と「影」を認め、両面を生きることが大切なのに)
影を認めない社会
なぜそういうことが多くなったのでしょう。
一つは、社会全体が、進歩、発展とか高度成長に価値をおき、だれでも努力、頑張れば上昇できる――という風潮があって光の部分が強調されたのでは、と思います。「頑張る」ことに最大の価値があるような。(ちなみに外国では「頑張れ」という言葉はないそうです。強いて英語に訳せば「chin up」で「上を向け」「めげるな」「自信を持て」という意味
になる)
もう一つは、日本の伝統的な社会風潮として、「世間に合わせる」「人と協調する」ことを大切にしており、人と違ったり、一般的でないことを恥しいとか、いけないことに思ってしまう。そういう影の部分を認めない風潮があります。そしてそんな中で不登校、ひきこもっている、働いていない自分を「ダメな人間」と思って、それはまた、対人恐怖、神経症、うつなどの症状にもなって行きます。そして働く自信、意欲を奪います。
たとえば、子どもが小さい頃、一人遊びが好きなのを、「仲間と遊ばなければ」、という親の価値観があり、親は子どもを一生懸命、仲間と遊ばせようとした、子どもは自分の気持に合わないことを強いられ、でもそれが十分できないことに「自分はダメな人間なんだ」という思い、そのまま大人になる。いざ働こうとしても、働くことに恐怖を感じる。でも親は「自分が頑張って来た、頑張って働けたのだから、子どもも頑張れば働けるはず」という思いから抜けられない。親子の溝は埋まらない…。
私のことを言えば、母は完璧主義、「失敗してはいけない」という思いが強く、私も「失敗することはいけないことだ」という価値観を植えつけられたように思います。でも、性格的にのんびりしているので、母の言うことをきちんきちんとはできず、頑張ることもできず、いわゆる“いい子”にはなりませんでした。ただコンプレックスばかり強くなり、悩むことが多くなりました。それでも社会に出られたのは、時代がのんびりしていたことと、幼い頃は親の干渉も少なく、友達と自由に遊び、友達関係を作る力がついていたからだと思います。でもこの頃も、「うまくいかないのでは」とか「失敗したのでは」と思って、ゆううつ感をふーっと感じる時があります。
これが、本人が完璧主義で頑張り屋の気質があれば、まわりもそういうことを評価するという現代の風潮の中で(学校が特に)完璧にしよう、頑張ろうとする気持が助長されます。でもそれは続かず力がつきる、でも完璧であることを求め失敗をする自分を責めて苦しむ、という状態になる場合もあります。
或いは、親がまわり、世間に合わせ、協調する生き方をして来ても生き辛くなかった場合、同じ様に子どもにそれを期待してしまった時、性格的にも時代的にも同じでないので、子どもは内向的で繊細のため、主体的に人と関われず、「人を傷つけないよう」という思いも強くなる、そして人と関われない自分をダメな人間だと自己否定感が強くなる…
人間は、「できないことも、失敗することもある」「まわりと違うことも多い」。光に照らされることばかりではないはず、「不登校だった」「働いていない」「通院している」など、多数派ではない、影の部分を認めない社会、――そしてそれを感じて自己否定感に陥っている青年たち。
青年たちは、様々な力、知性も感性も豊か、表現力、器用さもあります。ですから、自己否定感から抜け出せれば、仕事もできるように思います。それには、生きていく中には光ばかりでなく影の部分があるのが自然なのだ、人と違っても、失敗しても、それは自然なことなのだ――と思えることではないでしょうか。
そして、最近、長谷川博一さん(カウンセラー、東海女子大学教授)の著書を何冊か読み、「ああそうなんだ、そうかもしれない」――と、私達の心、そして「なぜ苦しむのだろう」という問いへの答えが、かなり得られたように思います。悩み苦しみながら、「どうしたらいいか、どう考えたら心が落ちつくか」分からないまま、社会に出られない多くの青年たち、そしてその親の方たちのことを思いました。
それは、人には、人の生には、光と影があるのに、光ばかり求めて、それが得られない自分、影の部分がある自分を「ダメな人間だ」と思い、苦しみに陥るのではないか、と思うのです。
長谷川さんの本の中に、あるお坊さんの言葉として、木の葉が秋に落葉となる時、表を向けたり裏を向けたりしながらひらひらと舞い降りる、表だけ見せて落ちることはできない。人間の生も、表と裏があり、両方をみせながら生きるのがよい――とありました。そのことが長谷川さんがカウンセリングをした東ちづるさんの著書「<私>はなぜカウンセリングを受けたのか」に書かれています。
女優の他司会やコメンテーター、ボランティアなど多方面に活躍しているちづるさんが、一人になると、自責の念、自己嫌悪に陥り、虚しさ、さびしさに涙し、大声で叫びたくなる、死にたくなるという苦しみを抱えていたとは想像もしませんでした。
でも、30代半ばで、自分はAC(アダルトチルドレン)だったと気づきました。自分のことよりまわりに気を使い、“いい人”として生きて来た、自分の本当の気持ちを知ろうともせず、相手、まわりの期待に合わせてしまう…お母さん自身が、まわりの人、世間の人、家族にとって、いつも明るくしっかりした人でいることを一生懸命やって来て、それをちづるさんにも期待し、ちづるさんはそれに応えて、家でも学校でも“いい子”をやって来たわけです。相手の期待に「できない」とか「いやだ」とかも言うことなく。それはいつも“光”だけで生きようとして“影”を認めない、無理な生き方だったわけです。
また「子どもたちの『かすれた声』」の中では、「キレる」少年たち、ふつうの子がキレて(解離状態を起こし)犯罪を犯してしまうのも、自分の影の部分(「人と同じようにできない」とか、まわりから「ダメだ、ダメだ」と言われそれに反発できず自分も「ダメな自分」と思ってしまう)がふくらんで、自己否定感と、絶望感が爆発した、と言っています。女の子の場合、摂食障害やリストカットもそうした解離状態だとのことです。(みんなが「光」と「影」を認め、両面を生きることが大切なのに)
影を認めない社会
なぜそういうことが多くなったのでしょう。
一つは、社会全体が、進歩、発展とか高度成長に価値をおき、だれでも努力、頑張れば上昇できる――という風潮があって光の部分が強調されたのでは、と思います。「頑張る」ことに最大の価値があるような。(ちなみに外国では「頑張れ」という言葉はないそうです。強いて英語に訳せば「chin up」で「上を向け」「めげるな」「自信を持て」という意味
になる)
もう一つは、日本の伝統的な社会風潮として、「世間に合わせる」「人と協調する」ことを大切にしており、人と違ったり、一般的でないことを恥しいとか、いけないことに思ってしまう。そういう影の部分を認めない風潮があります。そしてそんな中で不登校、ひきこもっている、働いていない自分を「ダメな人間」と思って、それはまた、対人恐怖、神経症、うつなどの症状にもなって行きます。そして働く自信、意欲を奪います。
たとえば、子どもが小さい頃、一人遊びが好きなのを、「仲間と遊ばなければ」、という親の価値観があり、親は子どもを一生懸命、仲間と遊ばせようとした、子どもは自分の気持に合わないことを強いられ、でもそれが十分できないことに「自分はダメな人間なんだ」という思い、そのまま大人になる。いざ働こうとしても、働くことに恐怖を感じる。でも親は「自分が頑張って来た、頑張って働けたのだから、子どもも頑張れば働けるはず」という思いから抜けられない。親子の溝は埋まらない…。
私のことを言えば、母は完璧主義、「失敗してはいけない」という思いが強く、私も「失敗することはいけないことだ」という価値観を植えつけられたように思います。でも、性格的にのんびりしているので、母の言うことをきちんきちんとはできず、頑張ることもできず、いわゆる“いい子”にはなりませんでした。ただコンプレックスばかり強くなり、悩むことが多くなりました。それでも社会に出られたのは、時代がのんびりしていたことと、幼い頃は親の干渉も少なく、友達と自由に遊び、友達関係を作る力がついていたからだと思います。でもこの頃も、「うまくいかないのでは」とか「失敗したのでは」と思って、ゆううつ感をふーっと感じる時があります。
これが、本人が完璧主義で頑張り屋の気質があれば、まわりもそういうことを評価するという現代の風潮の中で(学校が特に)完璧にしよう、頑張ろうとする気持が助長されます。でもそれは続かず力がつきる、でも完璧であることを求め失敗をする自分を責めて苦しむ、という状態になる場合もあります。
或いは、親がまわり、世間に合わせ、協調する生き方をして来ても生き辛くなかった場合、同じ様に子どもにそれを期待してしまった時、性格的にも時代的にも同じでないので、子どもは内向的で繊細のため、主体的に人と関われず、「人を傷つけないよう」という思いも強くなる、そして人と関われない自分をダメな人間だと自己否定感が強くなる…
人間は、「できないことも、失敗することもある」「まわりと違うことも多い」。光に照らされることばかりではないはず、「不登校だった」「働いていない」「通院している」など、多数派ではない、影の部分を認めない社会、――そしてそれを感じて自己否定感に陥っている青年たち。
青年たちは、様々な力、知性も感性も豊か、表現力、器用さもあります。ですから、自己否定感から抜け出せれば、仕事もできるように思います。それには、生きていく中には光ばかりでなく影の部分があるのが自然なのだ、人と違っても、失敗しても、それは自然なことなのだ――と思えることではないでしょうか。
2010/04/21
貧しい国 豊かな国
母が亡くなって1年半、小じんまりした家に引っ越すことになり家具や、衣類、食器類などの整理に追われてる日々を過ごしています。使われてない(進物の)食器も沢山あり、どう処分したらよいか、また子どもたちが残した本や子ども文庫をした時の本も沢山あり、余り古く汚れてしまった本はリサイクルに出すとしても、簡単には廃棄できず、それを選別するにも時間がかかります。溢れてしまった“物”に、使われない物に囲まれてしまったことを痛感します。
そんな、すっきりしない気持、また、青年たちも、様々な状態で苦しんでいるのを感じる日々。過去のことを思い出して(ふっと浮かんでしまう)苦しい思い、うつの気分になってしまったり、強迫観念と戦う日々苦しさに耐えていたり経済的に厳しく、不安定な気分を抱えながら働かざるを得ない青年。
そして、外(日本の社会)に目を向ければ、年間3万人以上の自殺者そして、孤独死の老人・・・
こんなことを(いつもではありませんが)感じている時「インパラの朝」(中村安希、集英社)という本に出会い、一気に読み、“生きることの本質”について考えさせられました。
これは27才の女性が約2年かけて、東南アジアから中近東そしてアフリカに一人旅(バックパッカー)をした記録ですが、観光旅行ではなくその国の人々のふつうの庶民の、暮らしを体験したい、というものでした。
私がまず、驚いたのは、どの国の人々も、前からの知り合いのように声をかけ、家に招き、ご馳走をし、宿泊もさせたりもしたこと。外国の人を警戒もせず、最初からの友達のように、家族のように扱う、誰にも、裏表なく、接することができる人間信頼感!
彼女(著者)は、自分は女性だからかもしれない、と言ってますが、以前、ある青年から、トルコなど中近東を一人旅した時、街などですれちがった、現地の人が、自宅の食事に誘ってくれた、と言い、「中東を旅してる時は、現地の人々は裏表がない。気持が安らいでいた。モスクなどにも誘われて、お祈りの場にいたが、違和感はなかった。でも日本に帰ると、人に意地悪されている思いになって人が怖くなる、とても働く気にならない」と言っていました。男性でも、旅人を歓迎してくれるようです。
彼女がイランにはいった時、誘ってくれたイラン人に「テロなどこわいイメージがあるのだけど」という言葉に「外国にはそういうイメージしか伝わってないようだけど、私たちは仲良く、楽しくくらしている。私たちの生活を知ってほしい」との答えでした。アフリカに渡ってからの旅、エチオピア、ケニアなどの東アフリカ、ザンビア、南アフリカなどの南アフリカ、ガーナ、ニジェールなどの西アフリカ、そして、サハラを北上しモロッコへ…という実に沢山の国々をバスやトロッコの列車、そしてヒッチハイクのトラックなどに乗って旅した訳ですが、いつも、バスなどで一緒になった人が、あるいは、通りで出会った人が困っているのを助けてくれ、何泊もさせ、ご馳走をしてくれたり、次の行先のための交通手段を考えて手配してくれたり、それも殆んど無償で。
それを読むにつれ、私たちは見ず知らずの人にそんなことはできない、国民同志でも助け合う気持は低く、格差が広がり、“貧困”という言葉が日常的に出て来る日本。物に溢れ、飲食も衣類などもまだまだぜいたく、でも本当に困っている人を救えない。将来への不安は殆んどの国民は持っている…。アフリカと日本はどちらが貧しい国か、どちらが豊かな国か…。彼女の言葉は印象的です。(まとめると)
「私はアフリカへ行って貧困と向き合い、現地の惨状を確認し世界に現状を知らせ、アフリカの貧困の撲滅を訴え、慈愛に溢れる発想を示すはずだった。けれど、あてがはずれた。なぜなら予想していた貧困が思うように見つからなかった、人々は不幸な顔をしてなかった。
アフリカは教える場所ではなくて、教えれくれる場所。助けてあげる対象ではなく、助けてくれる人々だった・・・
アフリカは小さな声で、小さなその手で、助けてくれた。迷い込んだサバンナで、体力の尽きた路地裏で、意味も分からず乗り込んだバスや、暗くなった街角で、私に多くの暖かい手をアフリカはいつも差し伸べてきた」
感動した本、癒されるアニメ…
青年の集いでは、笑いの絶えない楽しい会話がなされたり、今自分が抱えている悩みが話されたり(それへのみんなの思いが語られる)様々なことが話し合われます。
先日は、自分の好きなアニメ、ストーリーに感動した、ということが話されました。「その主人公の思いがけない死の場面から、『自分は死んではいけない、生きなければいけない、苦しくても』という思いになった。原作者に『ありがとう』と言いたいけど、手紙ではなく、実際に会って伝えたい。それは、もっと自分が成長してから」。一つのアニメ、映画、一冊の本、マンガが、見る人に読む人に生きる勇気を与えてくれる――すばらしいと思いました。
私も本が好きでよく読みます。心が癒されるものもあれば、心の問題や社会問題をより理解できるようなものもあります。
家の本を整理しながら、「この本は読んだ時感動したな。もう一度読んでみたい」という本にいくつも出会いました。内容のくわしいことは覚えてませんが「よかったな」とう思いは残っています。今後「不登校クラス」が始まった時、子どもたちに読んでほしい、と思い、道草の家の方に移そうと思ってます。そして出歩けなくなった老後も本を読みながら過ごせば、退屈しないでしょう。
絵本は、短く、すぐ読めますが、少ない言葉の中に、絵の中に作者の凝縮された思いが伝わってきます。
私の子どもの頃は、終戦前後で子どものための本もあまりなく、また買ってもらえず、私の子どもが、子どもの頃に私が子ども会の役員になった時「子ども文庫」を作ろうという案が出て、各家から本を持ちよって「子ども文庫」を作りました。その時、絵本や童話に目覚めました。
絵本や童話を読むと、心が癒されたり、豊かになった気持になります。現実には起こり得ないことも、自然に感じます。動物が話す、違う種の動物が話し合ったり、人間と動物が話をしあったり、助け合ったりします。勧善懲悪ではないけど、人間同志もこうなれるのではないか、こうなりたい…というものを感じます。或いは、自然の豊かさ、親と子の思いやり(動物の形のも多い)、友だちへの思いやり、旅人への思いやり、本来は人間、親子や、訪れる人と信じ合える、助け合える、思いやれるものではないか、そして楽しくすごせるものでは?――アフリカの人々のように――という思いにさせられます。
そんな、すっきりしない気持、また、青年たちも、様々な状態で苦しんでいるのを感じる日々。過去のことを思い出して(ふっと浮かんでしまう)苦しい思い、うつの気分になってしまったり、強迫観念と戦う日々苦しさに耐えていたり経済的に厳しく、不安定な気分を抱えながら働かざるを得ない青年。
そして、外(日本の社会)に目を向ければ、年間3万人以上の自殺者そして、孤独死の老人・・・
こんなことを(いつもではありませんが)感じている時「インパラの朝」(中村安希、集英社)という本に出会い、一気に読み、“生きることの本質”について考えさせられました。
これは27才の女性が約2年かけて、東南アジアから中近東そしてアフリカに一人旅(バックパッカー)をした記録ですが、観光旅行ではなくその国の人々のふつうの庶民の、暮らしを体験したい、というものでした。
私がまず、驚いたのは、どの国の人々も、前からの知り合いのように声をかけ、家に招き、ご馳走をし、宿泊もさせたりもしたこと。外国の人を警戒もせず、最初からの友達のように、家族のように扱う、誰にも、裏表なく、接することができる人間信頼感!
彼女(著者)は、自分は女性だからかもしれない、と言ってますが、以前、ある青年から、トルコなど中近東を一人旅した時、街などですれちがった、現地の人が、自宅の食事に誘ってくれた、と言い、「中東を旅してる時は、現地の人々は裏表がない。気持が安らいでいた。モスクなどにも誘われて、お祈りの場にいたが、違和感はなかった。でも日本に帰ると、人に意地悪されている思いになって人が怖くなる、とても働く気にならない」と言っていました。男性でも、旅人を歓迎してくれるようです。
彼女がイランにはいった時、誘ってくれたイラン人に「テロなどこわいイメージがあるのだけど」という言葉に「外国にはそういうイメージしか伝わってないようだけど、私たちは仲良く、楽しくくらしている。私たちの生活を知ってほしい」との答えでした。アフリカに渡ってからの旅、エチオピア、ケニアなどの東アフリカ、ザンビア、南アフリカなどの南アフリカ、ガーナ、ニジェールなどの西アフリカ、そして、サハラを北上しモロッコへ…という実に沢山の国々をバスやトロッコの列車、そしてヒッチハイクのトラックなどに乗って旅した訳ですが、いつも、バスなどで一緒になった人が、あるいは、通りで出会った人が困っているのを助けてくれ、何泊もさせ、ご馳走をしてくれたり、次の行先のための交通手段を考えて手配してくれたり、それも殆んど無償で。
それを読むにつれ、私たちは見ず知らずの人にそんなことはできない、国民同志でも助け合う気持は低く、格差が広がり、“貧困”という言葉が日常的に出て来る日本。物に溢れ、飲食も衣類などもまだまだぜいたく、でも本当に困っている人を救えない。将来への不安は殆んどの国民は持っている…。アフリカと日本はどちらが貧しい国か、どちらが豊かな国か…。彼女の言葉は印象的です。(まとめると)
「私はアフリカへ行って貧困と向き合い、現地の惨状を確認し世界に現状を知らせ、アフリカの貧困の撲滅を訴え、慈愛に溢れる発想を示すはずだった。けれど、あてがはずれた。なぜなら予想していた貧困が思うように見つからなかった、人々は不幸な顔をしてなかった。
アフリカは教える場所ではなくて、教えれくれる場所。助けてあげる対象ではなく、助けてくれる人々だった・・・
アフリカは小さな声で、小さなその手で、助けてくれた。迷い込んだサバンナで、体力の尽きた路地裏で、意味も分からず乗り込んだバスや、暗くなった街角で、私に多くの暖かい手をアフリカはいつも差し伸べてきた」
感動した本、癒されるアニメ…
青年の集いでは、笑いの絶えない楽しい会話がなされたり、今自分が抱えている悩みが話されたり(それへのみんなの思いが語られる)様々なことが話し合われます。
先日は、自分の好きなアニメ、ストーリーに感動した、ということが話されました。「その主人公の思いがけない死の場面から、『自分は死んではいけない、生きなければいけない、苦しくても』という思いになった。原作者に『ありがとう』と言いたいけど、手紙ではなく、実際に会って伝えたい。それは、もっと自分が成長してから」。一つのアニメ、映画、一冊の本、マンガが、見る人に読む人に生きる勇気を与えてくれる――すばらしいと思いました。
私も本が好きでよく読みます。心が癒されるものもあれば、心の問題や社会問題をより理解できるようなものもあります。
家の本を整理しながら、「この本は読んだ時感動したな。もう一度読んでみたい」という本にいくつも出会いました。内容のくわしいことは覚えてませんが「よかったな」とう思いは残っています。今後「不登校クラス」が始まった時、子どもたちに読んでほしい、と思い、道草の家の方に移そうと思ってます。そして出歩けなくなった老後も本を読みながら過ごせば、退屈しないでしょう。
絵本は、短く、すぐ読めますが、少ない言葉の中に、絵の中に作者の凝縮された思いが伝わってきます。
私の子どもの頃は、終戦前後で子どものための本もあまりなく、また買ってもらえず、私の子どもが、子どもの頃に私が子ども会の役員になった時「子ども文庫」を作ろうという案が出て、各家から本を持ちよって「子ども文庫」を作りました。その時、絵本や童話に目覚めました。
絵本や童話を読むと、心が癒されたり、豊かになった気持になります。現実には起こり得ないことも、自然に感じます。動物が話す、違う種の動物が話し合ったり、人間と動物が話をしあったり、助け合ったりします。勧善懲悪ではないけど、人間同志もこうなれるのではないか、こうなりたい…というものを感じます。或いは、自然の豊かさ、親と子の思いやり(動物の形のも多い)、友だちへの思いやり、旅人への思いやり、本来は人間、親子や、訪れる人と信じ合える、助け合える、思いやれるものではないか、そして楽しくすごせるものでは?――アフリカの人々のように――という思いにさせられます。
2010/03/06
心のことは割り切れない
「心のことは割りきれない、十分には理解できないことが多い」と思うのですが、どうでしょうか。
薬が日々開発され、病気(体の)治療も日に日に進んでるような感がします。体の病気も、心、精神と結びついていて、“薬だけで”とは言えませんが、薬の効果はかなりあると思います。
そして、「精神的な病気も薬で直る」と思いがちですが、(特に身近にそういう人と接してない人は)、非常に複雑であり、難しさを感じます。科学的に論理的には割り切れない“心”を大切にして来なかった“つけ”が――科学が発達しても――今来ているのかと思います。
私たちのように、居場所を開いたりして社会復帰を目指しているプロなのに、なぜ青年たちを“働く方向に”持って行かれないのか――を疑問を持つ方もいるようですが、青年たちと接していると、そう簡単ではないと感じます。
皆「働きたい、働けるようになりたい」と思ってます。でもそれは、ほど遠いことのように思ったり、また、「一歩勇気を出せば」と思ってもその一歩が出なかったり、ということがあります。働くことを考える以前に日々過ごすことの辛さ(精神的な不安定さ、――不安、うつ、いらいらなど)と闘っている青年もいます。調子がいい時は出てくるのですが。
さらに、対人恐怖が強く、働くことが大変でも、経済的にどうしても働かなければならない、と頑張っている青年もいます。それよりも、働かない自分を許せない、働かないで毎日家にいてゆっくりすることもできない(「ゆっくりして病気を直したら?」と言うのですが)という、複雑な気持を抱いているのです。つめて働くことはストレスがたまり無理なので1日おきぐらいに働いて、障害者年金などで補うものがあるといいのですが、成人した後、年金を払えなかったので、障害者年金はもらえない状況です。
過去のことを色々と後悔したり、働けない自分を責めたり、今の自分をダメだと思ったり、また人と接する中でも、傷つくことが多く、否定されるのではないか、と言う不安を抱いている青年たち、先に述べたように、何げない話を楽しくしたり、悩みを分かち合ったり、そして、積極的に心を癒す心理療法の必要性も感じるこの頃です。
和田ミトリ
薬が日々開発され、病気(体の)治療も日に日に進んでるような感がします。体の病気も、心、精神と結びついていて、“薬だけで”とは言えませんが、薬の効果はかなりあると思います。
そして、「精神的な病気も薬で直る」と思いがちですが、(特に身近にそういう人と接してない人は)、非常に複雑であり、難しさを感じます。科学的に論理的には割り切れない“心”を大切にして来なかった“つけ”が――科学が発達しても――今来ているのかと思います。
私たちのように、居場所を開いたりして社会復帰を目指しているプロなのに、なぜ青年たちを“働く方向に”持って行かれないのか――を疑問を持つ方もいるようですが、青年たちと接していると、そう簡単ではないと感じます。
皆「働きたい、働けるようになりたい」と思ってます。でもそれは、ほど遠いことのように思ったり、また、「一歩勇気を出せば」と思ってもその一歩が出なかったり、ということがあります。働くことを考える以前に日々過ごすことの辛さ(精神的な不安定さ、――不安、うつ、いらいらなど)と闘っている青年もいます。調子がいい時は出てくるのですが。
さらに、対人恐怖が強く、働くことが大変でも、経済的にどうしても働かなければならない、と頑張っている青年もいます。それよりも、働かない自分を許せない、働かないで毎日家にいてゆっくりすることもできない(「ゆっくりして病気を直したら?」と言うのですが)という、複雑な気持を抱いているのです。つめて働くことはストレスがたまり無理なので1日おきぐらいに働いて、障害者年金などで補うものがあるといいのですが、成人した後、年金を払えなかったので、障害者年金はもらえない状況です。
過去のことを色々と後悔したり、働けない自分を責めたり、今の自分をダメだと思ったり、また人と接する中でも、傷つくことが多く、否定されるのではないか、と言う不安を抱いている青年たち、先に述べたように、何げない話を楽しくしたり、悩みを分かち合ったり、そして、積極的に心を癒す心理療法の必要性も感じるこの頃です。
和田ミトリ
思ってもできないことがある
科学が発達し、近代化社会になり、科学的に――科学で全て分かるわけではないのですが、――計算して、計画をたて、実行すれば、努力すれば計画通りに物ができる、という考えにもとずき、生産性が高まり、高度経済成長期が続きました。その中で病気に対する薬も開発されて来ました。
努力すれば、計画が達成できる、成功する――という考えは、人々の中に浸透して、今の中高年は、そうした中で頑張って来て、高度成長を支えて来ました。今はバブルもはじけ、反省も出て来ましたが、でも、努力、頑張ることが大切だ、という思いは根強くあるように思います。
「なぜ働かないのか」「働こうとしないのか」(働きたくても働く場がない現状とは別にして)ニートやひきこもる青年に対し、疑問を感じる人も多いと思います。特に父親は、働くのは当然と思って来ましたし、外との交流を断ち、親にも心を閉ざす子どもを、或いは外に出られても、働こうとしない子どもをなかなか理解できない。また、男女問わず、仕事のことだけでなく、日常生活の中でも、人間関係などにも、頑張って、努力して、思うことができた人は、「やってみればいいのに」「やってみないとできるかどうか分からないのに」と思いがちです。
私は「思うことが、思ってもできないことがいっぱいある」という感じで生きて来た様に思います。例えば人前で緊張して話せない(高校生の時、英語など当てられても、ささやくような声しか出なく、隣に座っていた男子に「蚊のなくような声で聞こえない」と言われました)、ぼーっとしていて気がつかない、気配りができない、勉強会でも発言できない…などここには気質、性格の問題(失敗を怖れる、傷つきやすさ、など。)もあるかもしれません。そして、それは育ち方も影響しているかもしれません。
和田ミトリ
心の悩みを分かち合う
雪が降った2月でしたが、蕗のとうが、道草の家の崖にも生え出しました。スタッフの山元さんが摘んできて、すぐに天ぷらにして、青年たちと味わいました。うすみどり色、少し苦く、そして何とも言えない香りが、春をつげているように感じました。
去年から、休んでいた青年(女性たち)もまた参加するようになり、話も広がり嬉しく思います。
去年は明るく話をし、聞き役をしていた青年が、自分の辛い気持を話し、涙も見せたのを、他の青年たちが、「ここは悩みを話せる場、辛い気持をそのまま出してもいい場」そして「自分も辛い時がよくあるので、〇〇さんの気持が分かる、話してくれて嬉しい」などと言い、道草の家が心の悩み、辛さを分かち合える場であることを、青年たちが再確認させてくれました。具体的にすぐ解決策が出なくても、辛さがすぐなくならなくても、仲間やスタッフの共感によって、分かち合うことによって、辛さを少し柔らげることができるでしょう。
はっきりしたトラウマだったら、それを取り除く心理療法がありますが、継続的な不安感、恐怖感、対人恐怖などは、それを取り除くのは、簡単ではありません。でも仲間、スタッフとたわいのない話をしたり、時々は自分の悩みを話すことで、「楽しかった!」という気持、そして悩みなども受けとめてくれて「人は信頼できるのだ」「信頼できる人もいる」と思えれば、対人恐怖なども少しづつ薄らいでいくと思います。
でもまた、こうした集りに参加できない青年たちの問題があります。
和田ミトリ
去年から、休んでいた青年(女性たち)もまた参加するようになり、話も広がり嬉しく思います。
去年は明るく話をし、聞き役をしていた青年が、自分の辛い気持を話し、涙も見せたのを、他の青年たちが、「ここは悩みを話せる場、辛い気持をそのまま出してもいい場」そして「自分も辛い時がよくあるので、〇〇さんの気持が分かる、話してくれて嬉しい」などと言い、道草の家が心の悩み、辛さを分かち合える場であることを、青年たちが再確認させてくれました。具体的にすぐ解決策が出なくても、辛さがすぐなくならなくても、仲間やスタッフの共感によって、分かち合うことによって、辛さを少し柔らげることができるでしょう。
はっきりしたトラウマだったら、それを取り除く心理療法がありますが、継続的な不安感、恐怖感、対人恐怖などは、それを取り除くのは、簡単ではありません。でも仲間、スタッフとたわいのない話をしたり、時々は自分の悩みを話すことで、「楽しかった!」という気持、そして悩みなども受けとめてくれて「人は信頼できるのだ」「信頼できる人もいる」と思えれば、対人恐怖なども少しづつ薄らいでいくと思います。
でもまた、こうした集りに参加できない青年たちの問題があります。
和田ミトリ
2010/02/12
愛の欲求
1月は活動開始が遅かったせいか、あっという間に過ぎ、もう2月です。梅の蕾も開き始めました。
しばらく遠ざかっていた青年も、久し振りに青年の集いに参加できるようになり、また新しく来所した青年も仲間に迎えられ、割合自然に集いの中にいられたようでほっとしています。でも一方では、調子が悪くなり、12月、1月と参加がなかった青年もいます。なかなか連絡が取れない青年もいて心配です。
親の会でも子どもの将来が見通せない、どう関わっていいか分からない――という話が多く出ます。私も、関わっている青年が、不安定な気持で苦しんでいるのを、どう関わっていいか分からず、考えると胸がひきしまるような感じがします。
親の方達も、子どもの将来、自分がいなくなった後のことを考えると、どんなに不安を感じることでしょう。でも多くの方が、穏やかに話しておられます。私だったら不安でいっぱいになってしまいそうなのに。
でも、とても苦しんでいる方もおられます。
そうした苦しみはどうして起こるのでしょう。親としての子どもに対する心配、不安は当然ですが、それだけではなく、他の人、世間の人たちが、自分たちの親を、ダメな親と非難しているという、思いがあるからではないでしょうか。それが一層、苦しさを増しているように思います。人に認められたい欲求は誰にでもあり、その欲求が満たされず、認めてもらえないことが苦しさになってしまう。それは子どもを愛する気持を邪魔することになりかねません。
どうしたらいいか、どう考えたらいいか・・・
人間が生き続けるための欲求として、大きく2種類に分けられます。一つは生理的、身体的欲求(食欲、性欲、睡眠欲など)の一次的欲求と、それが満たされた社会での心理社会的欲求、心の欲求の二次的欲求があります。
それが不足している場合を図示すると(宗像SAT療法)次のようです。
(図)
そして、宗像氏は心の欲求を「愛の欲求」と呼び、(この欲求が充たされないと、恐れ、怒り、悲しみ、苦しみなどの二次的情動が生まれる)本質的欲求として3つの欲求をあげています。
①慈愛願望欲求(愛されたい欲求):他者に自分の欲求を無条件に充足されることで満足する欲求。
②自己信頼欲求(自分を愛したい欲求):自分で自分の欲求を充足することで満足する欲求。
③自分が他者の欲求を無条件に充足することで満足する欲求。
「人に愛されないと自分を愛することができず、自分を愛することができないと、人を愛することができない」という原則があります。
親の方は心の中では「できれば子どもを無条件に愛したい」という気持はあると思います。でも、「子どもがひきこもってるような親はダメな親で社会、人からは認められない」と思って苦しみます。その苦しみは子どもを否定することになり、その思いは子どもに伝わり、子ども自身も自分を否定して一層動けなくなる――ことも考えられます。
とは言え、私たち日本人にはまわりに合わせ、世間を気にする風潮がありますし、私たちは親に十分に愛され、認められてその欲求を満たして育った、と言える人は少ないと思います。
では、どうしたらいいか…人から認められなくても、“自分を認め愛する”ようになるには、親の会などで分かり合える仲間の中で認め合う、ということも大事だと思いますが、自分が好きなこと、楽しいことをすることによって自分を愛することができる脳の仕組みがあります。そして自分を愛することができれば、人を愛する方向に向かうことができるでしょう。
他者報酬追求型生き方と自己報酬追求型生き方
「青年の思い」の中でも青年たちが言ってるように、青年たちも、「人から認められたい」「社会から認められたい」という思いが強く、傷つき易さもそうしたところから来てることが大きいように思います。競争社会の中で、人との比較に敏感になってるところもあり(繊細な気質もありますが)、不登校だったコンプレックスなどが強かったりして、なかなか自分を認められません。
親や周りから十分に愛され、認められなかった、ということもありますが、近代社会・産業社会、生産をいかに多く効率よく行えるか、ということが期待され、他者からの評価が中心の社会の影響も大きいと思います。つまり他者報酬型生き方(他者報酬で、認められたい、愛されたいという心の欲求を充足しようとする生き方―SAT理論から)です。そこではどうしても人と比較してしまい、上には上もあり多くの人から賞賛される人はごく限られた人ですし、なかなか自分を認めるようにはなりません。
他者からの報酬を期待するのではない、自己報酬追求型生き方(自分を愉しみ、他者を愉しむ満足感という自己報酬を追及する生き方)に方向を変えることが大切だと思います。現在は情報化社会に移って来ており、近代社会での他者報酬追求型生き方は行きづまって来ております。今の社会で他者報酬で生きられる人はごく少数ですし、それを求めることは、生き辛さにつながるように思います。生き方、方向を変えるのは、なかなか難しいと思いますが、そうしたことを2月13日(土)の「生きることを考える会」で話し合えればと思います。
(参考文献「SAT療法を学ぶ」金子書房)
和田ミトリ
しばらく遠ざかっていた青年も、久し振りに青年の集いに参加できるようになり、また新しく来所した青年も仲間に迎えられ、割合自然に集いの中にいられたようでほっとしています。でも一方では、調子が悪くなり、12月、1月と参加がなかった青年もいます。なかなか連絡が取れない青年もいて心配です。
親の会でも子どもの将来が見通せない、どう関わっていいか分からない――という話が多く出ます。私も、関わっている青年が、不安定な気持で苦しんでいるのを、どう関わっていいか分からず、考えると胸がひきしまるような感じがします。
親の方達も、子どもの将来、自分がいなくなった後のことを考えると、どんなに不安を感じることでしょう。でも多くの方が、穏やかに話しておられます。私だったら不安でいっぱいになってしまいそうなのに。
でも、とても苦しんでいる方もおられます。
そうした苦しみはどうして起こるのでしょう。親としての子どもに対する心配、不安は当然ですが、それだけではなく、他の人、世間の人たちが、自分たちの親を、ダメな親と非難しているという、思いがあるからではないでしょうか。それが一層、苦しさを増しているように思います。人に認められたい欲求は誰にでもあり、その欲求が満たされず、認めてもらえないことが苦しさになってしまう。それは子どもを愛する気持を邪魔することになりかねません。
どうしたらいいか、どう考えたらいいか・・・
人間が生き続けるための欲求として、大きく2種類に分けられます。一つは生理的、身体的欲求(食欲、性欲、睡眠欲など)の一次的欲求と、それが満たされた社会での心理社会的欲求、心の欲求の二次的欲求があります。
それが不足している場合を図示すると(宗像SAT療法)次のようです。
(図)
そして、宗像氏は心の欲求を「愛の欲求」と呼び、(この欲求が充たされないと、恐れ、怒り、悲しみ、苦しみなどの二次的情動が生まれる)本質的欲求として3つの欲求をあげています。
①慈愛願望欲求(愛されたい欲求):他者に自分の欲求を無条件に充足されることで満足する欲求。
②自己信頼欲求(自分を愛したい欲求):自分で自分の欲求を充足することで満足する欲求。
③自分が他者の欲求を無条件に充足することで満足する欲求。
「人に愛されないと自分を愛することができず、自分を愛することができないと、人を愛することができない」という原則があります。
親の方は心の中では「できれば子どもを無条件に愛したい」という気持はあると思います。でも、「子どもがひきこもってるような親はダメな親で社会、人からは認められない」と思って苦しみます。その苦しみは子どもを否定することになり、その思いは子どもに伝わり、子ども自身も自分を否定して一層動けなくなる――ことも考えられます。
とは言え、私たち日本人にはまわりに合わせ、世間を気にする風潮がありますし、私たちは親に十分に愛され、認められてその欲求を満たして育った、と言える人は少ないと思います。
では、どうしたらいいか…人から認められなくても、“自分を認め愛する”ようになるには、親の会などで分かり合える仲間の中で認め合う、ということも大事だと思いますが、自分が好きなこと、楽しいことをすることによって自分を愛することができる脳の仕組みがあります。そして自分を愛することができれば、人を愛する方向に向かうことができるでしょう。
他者報酬追求型生き方と自己報酬追求型生き方
「青年の思い」の中でも青年たちが言ってるように、青年たちも、「人から認められたい」「社会から認められたい」という思いが強く、傷つき易さもそうしたところから来てることが大きいように思います。競争社会の中で、人との比較に敏感になってるところもあり(繊細な気質もありますが)、不登校だったコンプレックスなどが強かったりして、なかなか自分を認められません。
親や周りから十分に愛され、認められなかった、ということもありますが、近代社会・産業社会、生産をいかに多く効率よく行えるか、ということが期待され、他者からの評価が中心の社会の影響も大きいと思います。つまり他者報酬型生き方(他者報酬で、認められたい、愛されたいという心の欲求を充足しようとする生き方―SAT理論から)です。そこではどうしても人と比較してしまい、上には上もあり多くの人から賞賛される人はごく限られた人ですし、なかなか自分を認めるようにはなりません。
他者からの報酬を期待するのではない、自己報酬追求型生き方(自分を愉しみ、他者を愉しむ満足感という自己報酬を追及する生き方)に方向を変えることが大切だと思います。現在は情報化社会に移って来ており、近代社会での他者報酬追求型生き方は行きづまって来ております。今の社会で他者報酬で生きられる人はごく少数ですし、それを求めることは、生き辛さにつながるように思います。生き方、方向を変えるのは、なかなか難しいと思いますが、そうしたことを2月13日(土)の「生きることを考える会」で話し合えればと思います。
(参考文献「SAT療法を学ぶ」金子書房)
和田ミトリ
2010/01/21
明けましておめでとうございます
昨年は社会情勢が激しく揺れ、環境問題も厳しく、不安に満ちた一年でした。
今年も、それがどう変わるか、どう変えて行くのか、先の見通しのない年明けになりました。
社会の渦にひきこまれずに(無視するという意味でなく)、自分の生活を、青年たちやまわりの人々との関わりの中で、気持が明るくなるような、できるだけのこと、できることをして共に生きたいと思います。
若者もそうでない者もまだ発揮してない力があるはずです。その可能性を信じながら。
スタッフ一同
新しい年をむかえて
新しい年になりました。1月1日、今年はどんな年になるのでしょう。
本当に、社会の情勢のことを考えれば、不安と、私には何もできない無力感を感じます。でも私たちは社会情勢の中にいるものの、全てがそれに重なるわけではなく、個人の生活、精神的な生活、人と人との交わり、芸術や創造的なものを楽しむ生活、自然との交わりなど、人間として、根源的なもの、古来から受けついで来たものが、あるように思います。
そういう意味で、新しい年に、自分にとっても、まわりの人、気になっている人にとってもいい方向に向かう期待を胸に感じます。
苦しんでる人に苦しみがやわらぐように、絶望と諦めに陥っている人に「そんなに絶望しなくてもいい、みんなでお互いに支え合えばいいのだから」と言いたい気持ちです。(年の始めだから、気軽に言えるのでしょうが)
宮沢賢治の「雨にも負けず」を思い出します。こんなふうに悩んでる人、悲しんでる人に声をかけ、話を聴き、慰め、一緒に労働し(手伝って)困っている人を助けられたらどんなにいいでしょう。でも今の日本は非常に複雑になってしまって、心も複雑になってしまって、どういう言葉がいいのか、探さなければなりません。悩みが軽そうに見える場合も、他人にはなかなか理解できないところがあるでしょう。(「親の会」でも話されました)。そして、思いつめてしまって「未来も、今までと同じようにうまく行かないに違いない、苦しいに違いない」と思うのも人間故のことでしょう。
人間の想像力
人間は動物と違って、先のことを想像する力があります。
前にも書きましたが、日照りが続くことを予想して、そのための準備をすることができます。でも悪い方ばかり想像して、不安におびえ、意欲をなくしてしまうこともあります。良い想像をして「~したい」「~になりたい」という希望を持ち、「できそうだ」と思って、意欲が出て、それに向かうこともできるし、絶望して「これからの自分はダメだ。何もできない」と想像すれば意欲も出ません。人間は良いほうにも悪い方にも想像する、想像力がある故にやっかいな動物と言えるかもしれません。
新しい年に「今年は何かできそうだ、いい年になりそうだ」と期待を、意識してでも持ってほしいと思います。肯定的に、プラスの方向に考えれば、脳の働きも活発になり、意欲も出るし、一方否定的にばかり考えれば、脳の働きは鈍くなり、ますますネガティブになり、うつにもなります。(脳の仕組みについて書かれた本は沢山出ています)
また、今の生き辛さ、思うように動けない、なども、無意識に過去の体験の記憶に捕われていることがあり、それを良い体験の記憶に変える心理療法もあります。SAT療法――「おきてしまったいやな体験を自分の力で乗り越える」と言うことをイメージする、そのイメージが実際の体験の記憶と入れ変わるというものです。想像力の力が生かされるのです。) 新しい年への期待
そこで、道草の家でも新しいことをしたいと思います。(9頁にあるような)「不登校クラス開設」は理事の渡部美佐子さんの発案ですが、道草の家に来ている青年の多くが、不登校を経験しており、学校に行けなくなった時、十分なケアがあったら、引きこもりまでにはならなかったのでは、とかねがね思っていました。(渡部さんは、千葉市、市原市の適応指導教室で指導員を10年ほどしています)
「生きいき生きるためのカウンセリング講座」は、私が以前にカウンセラー養成講座の講師をしていた体験から、カウンセラーにならなくてもカウンセリングマインドを身につけることで、生きやすくなり、人間関係もよくなる、と思っていましたので、啓蒙活動とPR活動の意味もあり、実施したいと思います。(協同募金助成金の申請もしてます)
「パソコン修理室開設」は青年が「パソコン関係の仕事をしたいと思っても、短時間で週3、4日の仕事はなかなか見つからない。パソコンの修理は、自宅で自分のペースで出来る、と聞いたので、道草の家でやってくれないか」という要望があり、他の青年も「人が大勢いる所では、緊張して働けないので、道草の家でのパソコン修理だったら是非やりたい」と言いますので、開設できれば、と思います。ただし、それを担当する、運営してくれるボランティアの方がいれば、のことです。お知り合いの方でもいらっしゃらないでしょうか。見つかるまで呼びかけたいと思います。
働いている者にとっても話せる場を
昨年の暮れ、思いがけない青年が訪れました。5、6年前に数回青年の集いに参加した青年、お母さんからは、派遣の仕事で他の県に行っていると聞いてました。「覚えてますか」と聞かれてぼんやりした記憶でしたが、だんだんと名前と参加してた頃の彼を思い出しました。派遣切りに会った話は「青年の集い」(6頁)にまとめてありますが、考えされられたのは、「派遣の厳しさ、派遣切りのひどさ」と「働いている者にとっても、悩みを話せる場、聞いてくれる仲間が必要だ」ということです。具体的な解決に至らなくても。でも欲を言えば、仕事ができなくなった時の経済問題や、就労を一緒に考え、つきそってくれるボランティアの方がいれば、と強く思います。
和田ミトリ
今年も、それがどう変わるか、どう変えて行くのか、先の見通しのない年明けになりました。
社会の渦にひきこまれずに(無視するという意味でなく)、自分の生活を、青年たちやまわりの人々との関わりの中で、気持が明るくなるような、できるだけのこと、できることをして共に生きたいと思います。
若者もそうでない者もまだ発揮してない力があるはずです。その可能性を信じながら。
スタッフ一同
新しい年をむかえて
新しい年になりました。1月1日、今年はどんな年になるのでしょう。
本当に、社会の情勢のことを考えれば、不安と、私には何もできない無力感を感じます。でも私たちは社会情勢の中にいるものの、全てがそれに重なるわけではなく、個人の生活、精神的な生活、人と人との交わり、芸術や創造的なものを楽しむ生活、自然との交わりなど、人間として、根源的なもの、古来から受けついで来たものが、あるように思います。
そういう意味で、新しい年に、自分にとっても、まわりの人、気になっている人にとってもいい方向に向かう期待を胸に感じます。
苦しんでる人に苦しみがやわらぐように、絶望と諦めに陥っている人に「そんなに絶望しなくてもいい、みんなでお互いに支え合えばいいのだから」と言いたい気持ちです。(年の始めだから、気軽に言えるのでしょうが)
宮沢賢治の「雨にも負けず」を思い出します。こんなふうに悩んでる人、悲しんでる人に声をかけ、話を聴き、慰め、一緒に労働し(手伝って)困っている人を助けられたらどんなにいいでしょう。でも今の日本は非常に複雑になってしまって、心も複雑になってしまって、どういう言葉がいいのか、探さなければなりません。悩みが軽そうに見える場合も、他人にはなかなか理解できないところがあるでしょう。(「親の会」でも話されました)。そして、思いつめてしまって「未来も、今までと同じようにうまく行かないに違いない、苦しいに違いない」と思うのも人間故のことでしょう。
人間の想像力
人間は動物と違って、先のことを想像する力があります。
前にも書きましたが、日照りが続くことを予想して、そのための準備をすることができます。でも悪い方ばかり想像して、不安におびえ、意欲をなくしてしまうこともあります。良い想像をして「~したい」「~になりたい」という希望を持ち、「できそうだ」と思って、意欲が出て、それに向かうこともできるし、絶望して「これからの自分はダメだ。何もできない」と想像すれば意欲も出ません。人間は良いほうにも悪い方にも想像する、想像力がある故にやっかいな動物と言えるかもしれません。
新しい年に「今年は何かできそうだ、いい年になりそうだ」と期待を、意識してでも持ってほしいと思います。肯定的に、プラスの方向に考えれば、脳の働きも活発になり、意欲も出るし、一方否定的にばかり考えれば、脳の働きは鈍くなり、ますますネガティブになり、うつにもなります。(脳の仕組みについて書かれた本は沢山出ています)
また、今の生き辛さ、思うように動けない、なども、無意識に過去の体験の記憶に捕われていることがあり、それを良い体験の記憶に変える心理療法もあります。SAT療法――「おきてしまったいやな体験を自分の力で乗り越える」と言うことをイメージする、そのイメージが実際の体験の記憶と入れ変わるというものです。想像力の力が生かされるのです。) 新しい年への期待
そこで、道草の家でも新しいことをしたいと思います。(9頁にあるような)「不登校クラス開設」は理事の渡部美佐子さんの発案ですが、道草の家に来ている青年の多くが、不登校を経験しており、学校に行けなくなった時、十分なケアがあったら、引きこもりまでにはならなかったのでは、とかねがね思っていました。(渡部さんは、千葉市、市原市の適応指導教室で指導員を10年ほどしています)
「生きいき生きるためのカウンセリング講座」は、私が以前にカウンセラー養成講座の講師をしていた体験から、カウンセラーにならなくてもカウンセリングマインドを身につけることで、生きやすくなり、人間関係もよくなる、と思っていましたので、啓蒙活動とPR活動の意味もあり、実施したいと思います。(協同募金助成金の申請もしてます)
「パソコン修理室開設」は青年が「パソコン関係の仕事をしたいと思っても、短時間で週3、4日の仕事はなかなか見つからない。パソコンの修理は、自宅で自分のペースで出来る、と聞いたので、道草の家でやってくれないか」という要望があり、他の青年も「人が大勢いる所では、緊張して働けないので、道草の家でのパソコン修理だったら是非やりたい」と言いますので、開設できれば、と思います。ただし、それを担当する、運営してくれるボランティアの方がいれば、のことです。お知り合いの方でもいらっしゃらないでしょうか。見つかるまで呼びかけたいと思います。
働いている者にとっても話せる場を
昨年の暮れ、思いがけない青年が訪れました。5、6年前に数回青年の集いに参加した青年、お母さんからは、派遣の仕事で他の県に行っていると聞いてました。「覚えてますか」と聞かれてぼんやりした記憶でしたが、だんだんと名前と参加してた頃の彼を思い出しました。派遣切りに会った話は「青年の集い」(6頁)にまとめてありますが、考えされられたのは、「派遣の厳しさ、派遣切りのひどさ」と「働いている者にとっても、悩みを話せる場、聞いてくれる仲間が必要だ」ということです。具体的な解決に至らなくても。でも欲を言えば、仕事ができなくなった時の経済問題や、就労を一緒に考え、つきそってくれるボランティアの方がいれば、と強く思います。
和田ミトリ
2010/01/07
「道草の家」会報100号を迎えて
11月号を作っている時、青年から「12月でちょうど100号になりますよ。記念号にしたら?」と言われました。「あ、もう100号になるのだ、いつの間に!」毎月毎月、休まずにとにかく発行することだけを考えて来た8年4ヶ月です。
道草の家の活動を始めて1年たった時、(2001年9月)青年の集いに参加している青年から「たまにしか来られない青年や、こういう居場所に『行ってみたい』と思っている青年に、毎月のスケジュール表と、ちょっとした文、お誘いの文や感想などを載せたお便りを送ったら?」という提案があり、毎月お便りを出すことになりました。
しばらくは6頁でしたが3年ほど前から8頁になり、内容も豊富になりました。カットも最初はカット集からとっていましたが、イラストが描ける青年(女性が多い)が現れ、オリジナルなものになりました。内容とは特に関係なく描いてくれたものを、活字に打ち込まれた文や詩の間のスペースに組み入れて行くのが私の楽しみとなり、「これで今月号も出来た!」と心の中で叫びます。
とは言え、100号記念号としてどうしたらいいのか、十分考える余裕のないまま過ぎてしまい、ただ青年たち、特に仕事を始めたりして青年の集いにあまり来なくなった青年に呼びかけ、「私と道草の家」というようなテーマで書いて貰うように頼みました。親のかたにもお願いしました。数はそう多くはありませんが、嬉しい言葉を頂きました。
いいこともやなこともあった・・・
私の子どもより若い青年たちと日々接しているのですが、「自分の未来は考えられない」「自分は何もできない」「自分はこれから社会の中で生きられそうもない」「苦しみしか考えられない」など、絶望的になったり、諦めてしまっている青年がいます。
私の生きてきた年数の半分にも満たない、1/3にも満たない青年たちがこんなふうに思う…どんな言葉をかけたらいいのか、青年の心に響くような言葉は何か。思い悩みます。
わたしは思春期頃から、人と話すことに、判断することにコンプレックスを抱いてきました。色々と悩んで来ました。この頃になってやっと青年たちと話せる、親御さんとも話せるようになった(勿論、十分ではありませんが)と感じ、やっと成長したな、と思います。今だに大勢の前で話すのは苦手ですが。
青年たちの多くは、私の若い頃より表現力があるように思います。感性も知性も豊か…なのに絶望し、諦めてしまって「これからも同じ」「社会に出れば同じ苦しみを味わうことになる」と思ってしまう。・・・それだけ辛い、苦しい経験をした――ということかもしれませんが。
でもちょっとでも楽しいこと、嬉しいことはなかったでしょうか。私は失敗も多くし、苦い経験も沢山しました。挫折も何回となくしました。でもいいことも楽しいこともあったと思います。本が好きだったり映画が好きだったり、絵が好きだったり(観ることが中心)自然にひかれたり、好きなことが色々あったからかもしれません。
青年たちが、少しでも自分が好きなことして、これから楽しいことを嬉しいことを見つけて行かれるのではないかと思うのですが。
そして、人間色々の生き方があっていいはず。一般的な生き方でなくても人と比べないで、“楽しさ”を、小さなものでも、大事にしながら、自分の生き方を見つけてほしい、と思います。
(でも、簡単にそうは思えない――という青年の声が聞こえて来そうです。)
ただ、人は一生かけて成長するのではないでしょうか。社会に出ている人も、“成長した人”というわけではなく、色々と未熟な面があります。例えば感情が育ってない人が多いのを感じます。
本来の自分
人と交わりを避けている自分、人とうまく交われない自分、働いていない自分、働いていても思うようでない…をダメな人間として自分を責めている青年が多くいます。今の自分を受け入れられない…「ありのままの自分を受け入れることから動き出せる」とよく言われます。でも、ありのままの自分、ダメなところがあるのを受け入れられればいいですが、“もっとよく生きたい!もっと違う自分になりたい!”と思うのも自然です。精神的に落ちこんで動けなくなった時、そういう自分を責めていれば、ますます落ちこみ、動きがとれなくなってしまいます。悪循環。
人間には、色々な面があります。落ちこんでいる自分も自分の一部かもしれませんが、自分の生きいきした面が隠されてしまっているのだと思います。人間、生まれたばかりの赤ちゃんは、自分をダメな人間とは勿論思いませんし、自分の欲求のまま快、不快で、喜んだり、泣いたりします。赤ちゃん、幼児は生き生きと笑い泣き、怒り、そして自分で楽しいことを見つけて、遊びます。・・本来は人間はこのようではなかったのでしは?でも、文明が発達すればするほど、無邪気にすごす、ということは難しくなります。或いは、その国による社会風土、社会状況によっても。日本は精神的に生き辛さを感じる若者が多くなってるように思います。
本来の自分を取り戻してほしい!!
SAT療法に「未来自己イメージ法」「宇宙自己イメージ法」という本来の自分を感じる心理療法があります。SAT未来自己イメージ法は、大まかに言いますと、強力なスポンサーがいて、支援してもらえると仮定して、自分がやってみたい「愉しいこと、リラックスすること、幸せなこと、元気が出ること」をイメージしてみる。十分イメージして満足したら、自分に自信がつけるように、何かチャレンジするか、学習することをイメージする。自信がついた自分が十分イメージできた時、「フッと浮かぶ自己像(表情や服装や人柄など)が、“本来の自分”――というものです。
もっと自分でも、肯定できるような本来の自分、本当の自分がいるはずです。一緒に見つけませんか。
道草の家の活動を始めて1年たった時、(2001年9月)青年の集いに参加している青年から「たまにしか来られない青年や、こういう居場所に『行ってみたい』と思っている青年に、毎月のスケジュール表と、ちょっとした文、お誘いの文や感想などを載せたお便りを送ったら?」という提案があり、毎月お便りを出すことになりました。
しばらくは6頁でしたが3年ほど前から8頁になり、内容も豊富になりました。カットも最初はカット集からとっていましたが、イラストが描ける青年(女性が多い)が現れ、オリジナルなものになりました。内容とは特に関係なく描いてくれたものを、活字に打ち込まれた文や詩の間のスペースに組み入れて行くのが私の楽しみとなり、「これで今月号も出来た!」と心の中で叫びます。
とは言え、100号記念号としてどうしたらいいのか、十分考える余裕のないまま過ぎてしまい、ただ青年たち、特に仕事を始めたりして青年の集いにあまり来なくなった青年に呼びかけ、「私と道草の家」というようなテーマで書いて貰うように頼みました。親のかたにもお願いしました。数はそう多くはありませんが、嬉しい言葉を頂きました。
いいこともやなこともあった・・・
私の子どもより若い青年たちと日々接しているのですが、「自分の未来は考えられない」「自分は何もできない」「自分はこれから社会の中で生きられそうもない」「苦しみしか考えられない」など、絶望的になったり、諦めてしまっている青年がいます。
私の生きてきた年数の半分にも満たない、1/3にも満たない青年たちがこんなふうに思う…どんな言葉をかけたらいいのか、青年の心に響くような言葉は何か。思い悩みます。
わたしは思春期頃から、人と話すことに、判断することにコンプレックスを抱いてきました。色々と悩んで来ました。この頃になってやっと青年たちと話せる、親御さんとも話せるようになった(勿論、十分ではありませんが)と感じ、やっと成長したな、と思います。今だに大勢の前で話すのは苦手ですが。
青年たちの多くは、私の若い頃より表現力があるように思います。感性も知性も豊か…なのに絶望し、諦めてしまって「これからも同じ」「社会に出れば同じ苦しみを味わうことになる」と思ってしまう。・・・それだけ辛い、苦しい経験をした――ということかもしれませんが。
でもちょっとでも楽しいこと、嬉しいことはなかったでしょうか。私は失敗も多くし、苦い経験も沢山しました。挫折も何回となくしました。でもいいことも楽しいこともあったと思います。本が好きだったり映画が好きだったり、絵が好きだったり(観ることが中心)自然にひかれたり、好きなことが色々あったからかもしれません。
青年たちが、少しでも自分が好きなことして、これから楽しいことを嬉しいことを見つけて行かれるのではないかと思うのですが。
そして、人間色々の生き方があっていいはず。一般的な生き方でなくても人と比べないで、“楽しさ”を、小さなものでも、大事にしながら、自分の生き方を見つけてほしい、と思います。
(でも、簡単にそうは思えない――という青年の声が聞こえて来そうです。)
ただ、人は一生かけて成長するのではないでしょうか。社会に出ている人も、“成長した人”というわけではなく、色々と未熟な面があります。例えば感情が育ってない人が多いのを感じます。
本来の自分
人と交わりを避けている自分、人とうまく交われない自分、働いていない自分、働いていても思うようでない…をダメな人間として自分を責めている青年が多くいます。今の自分を受け入れられない…「ありのままの自分を受け入れることから動き出せる」とよく言われます。でも、ありのままの自分、ダメなところがあるのを受け入れられればいいですが、“もっとよく生きたい!もっと違う自分になりたい!”と思うのも自然です。精神的に落ちこんで動けなくなった時、そういう自分を責めていれば、ますます落ちこみ、動きがとれなくなってしまいます。悪循環。
人間には、色々な面があります。落ちこんでいる自分も自分の一部かもしれませんが、自分の生きいきした面が隠されてしまっているのだと思います。人間、生まれたばかりの赤ちゃんは、自分をダメな人間とは勿論思いませんし、自分の欲求のまま快、不快で、喜んだり、泣いたりします。赤ちゃん、幼児は生き生きと笑い泣き、怒り、そして自分で楽しいことを見つけて、遊びます。・・本来は人間はこのようではなかったのでしは?でも、文明が発達すればするほど、無邪気にすごす、ということは難しくなります。或いは、その国による社会風土、社会状況によっても。日本は精神的に生き辛さを感じる若者が多くなってるように思います。
本来の自分を取り戻してほしい!!
SAT療法に「未来自己イメージ法」「宇宙自己イメージ法」という本来の自分を感じる心理療法があります。SAT未来自己イメージ法は、大まかに言いますと、強力なスポンサーがいて、支援してもらえると仮定して、自分がやってみたい「愉しいこと、リラックスすること、幸せなこと、元気が出ること」をイメージしてみる。十分イメージして満足したら、自分に自信がつけるように、何かチャレンジするか、学習することをイメージする。自信がついた自分が十分イメージできた時、「フッと浮かぶ自己像(表情や服装や人柄など)が、“本来の自分”――というものです。
もっと自分でも、肯定できるような本来の自分、本当の自分がいるはずです。一緒に見つけませんか。
2009/11/16
秋、社会、青年
ひざの上に上がって心地よさそうにまるまっている猫、その暖かさ、手ざわりが嬉しい季節になりました。早や1ヶ月が過ぎ、もう11月、秋が深まって来ました。各地の紅葉のニュースを見ると、心が騒ぎます。
でも、社会は慌ただしく動いており、政権が変わって、みんなの期待の方向に進むというわけではなく、絶えず、ぶつかり合い、拒絶などの場面を見ると気が重くなります。
経済支援が貧困に苦しむ人々をすくい上げてくれること期待しましたが、そう簡単ではなく、将来の見通し、安心して過ごせる見通しはあやふやなもので、不安を感じてしまいます。
道草の家に時々来たり、電話で関わっている青年、母子家庭で母親は余り働けず、彼が何とか働かなければならない、精神的な不安定さを抱えながら必死に働いているのですが、やはり将来の不安はぬぐいようもありません。時給の安い職場で、年金も払う余裕もないまま、将来年金ももらえるわけではなく、でも「先のことを考えると不安でたまらない、でも考えても仕方ない。一日一日できることをやるしかない。できることで働くしかない」と言っています。私はせめて彼の話を聞くしかないのですが。
日本は経済的に豊かな先進国の上位にありながら、貧困家庭が増え、病院に行かれず、学校の保健室で治療してもらう子供たち、食事も給食一食でしかとれない子供たちのニュースを聞くにつれ、社会の矛盾を感じます。
スウェーデンなど北欧の国々は、教育費、医療費が無料で、老後のことも保障されています。それは、給料の多い人が税金の率も高く、給料の少ない人の分を補う形で保障は皆平等に受けられる――ということのようです。
微妙な心
「どこで間違ったのだろう」・・・と自分の生き辛さは、思うように働いて十分な収入を得て、安心して生活できる、とは程遠い今の生活、職場などでの人づき合いも、いつも自信がなく、気軽に話せる友だちがいない、今・・・「どこで、方向が違ってしまったのだろう」と思う青年がいます。
また、精神的に不安定で辛く、自由に外出もできない状態を「自分が悪いのだ、過去にもっと人と関わる生活をしていたら」と人を、家族を、社会を責めることなく、耐えている青年もいます。
道草の家に参加する青年たちは心の苦しさを抱えています。その程度、症状はそれぞれですし波があります。でも広い意味で社会に出ている青年たちは自信を持ち、心豊かに生きているかと思うと、そういう人は少いように思います。国際的な青年意識調査が時々あり、何年か前にそれを読んだことがありますが、正確には覚えていませんが、「自分に満足している」「将来に夢がある」「人の役立ちたいと思う」などにYESと答えた日本の青年は、他の国に比べて、非常に低かった!経済的にも文化的にも発展している日本なのに!と思います。
子供の頃から、「それでいいのよ」「よくやってるね」というような、その子を肯定するような言葉かけが、親や教師やまわりから少かったのでは?そして、子供の気持を大人の方からたずねることも少かったのでは、と思います。おとなしい子はおとなしいなりに、学力が遅れてる子はそれなりに、受けとめ、「一緒に遊ぼう」「一緒に学ぼう」という雰囲気がなかったのでは?経済成長重視と同じように、子どもたちにも「努力」「頑張る」「競争」「効果」を重視して来たように思います。
父親は“仕事一筋”が評価され、家族、子供と交わる余裕がなく、母親はそれを支えるのに精一杯、子どもの微妙な心、繊細さを理解できなかった――ということもあったのでは。
心豊かに過ごしたい
青年たちは、心の苦しさを抱え、波もありますが、青年の集いの時はなごやかに話をしています自分の悩みを聞いてほしい時もあり、嬉しかったことを話したり、好きな音楽を話したり。そして自分の好きな曲のMDなどを持って来てみんなで聴いています。
私など音楽にうとい方なので「こんな曲もあるのだ」と、世相を反映したり(社会の矛盾を訴えたり)、人生の不条理を訴えるような曲だったり…癒される感じのもの、元気づけられるもの、「共に生きよう」というメッセージを感じるもの…様々で、心が豊かになります。
そして、青年(今は女性ですが)たちに誘われて美術館や画廊めぐりをすることも楽しいひと時です。9月はディズニー映画の原画を描いたメアリーブレアの原画展を見に行きました。10月は銀座のポーラミュージアムで、世界の大画家の絵を見に行きました。(ゴッホ、ピカソ、モネ、セザンヌ、シャガールなど数は少ないですが、無料で見られ、得をした感じでした)そして銀座を歩いていた時に個展の看板があり、「面白そうね」と入ってみたものも、結構面白いものでした。
家にずーっといて、道草の家に来始めて2年位になる青年、映画館に行ったことも美術館に行ったこともなかったが、この頃、そういう所にも行きたい気持になった、――と言います。世の中には、面白いもの、楽しいもの、美しいものがあることに目覚める機会になれば、と思います。
和田ミトリ
でも、社会は慌ただしく動いており、政権が変わって、みんなの期待の方向に進むというわけではなく、絶えず、ぶつかり合い、拒絶などの場面を見ると気が重くなります。
経済支援が貧困に苦しむ人々をすくい上げてくれること期待しましたが、そう簡単ではなく、将来の見通し、安心して過ごせる見通しはあやふやなもので、不安を感じてしまいます。
道草の家に時々来たり、電話で関わっている青年、母子家庭で母親は余り働けず、彼が何とか働かなければならない、精神的な不安定さを抱えながら必死に働いているのですが、やはり将来の不安はぬぐいようもありません。時給の安い職場で、年金も払う余裕もないまま、将来年金ももらえるわけではなく、でも「先のことを考えると不安でたまらない、でも考えても仕方ない。一日一日できることをやるしかない。できることで働くしかない」と言っています。私はせめて彼の話を聞くしかないのですが。
日本は経済的に豊かな先進国の上位にありながら、貧困家庭が増え、病院に行かれず、学校の保健室で治療してもらう子供たち、食事も給食一食でしかとれない子供たちのニュースを聞くにつれ、社会の矛盾を感じます。
スウェーデンなど北欧の国々は、教育費、医療費が無料で、老後のことも保障されています。それは、給料の多い人が税金の率も高く、給料の少ない人の分を補う形で保障は皆平等に受けられる――ということのようです。
微妙な心
「どこで間違ったのだろう」・・・と自分の生き辛さは、思うように働いて十分な収入を得て、安心して生活できる、とは程遠い今の生活、職場などでの人づき合いも、いつも自信がなく、気軽に話せる友だちがいない、今・・・「どこで、方向が違ってしまったのだろう」と思う青年がいます。
また、精神的に不安定で辛く、自由に外出もできない状態を「自分が悪いのだ、過去にもっと人と関わる生活をしていたら」と人を、家族を、社会を責めることなく、耐えている青年もいます。
道草の家に参加する青年たちは心の苦しさを抱えています。その程度、症状はそれぞれですし波があります。でも広い意味で社会に出ている青年たちは自信を持ち、心豊かに生きているかと思うと、そういう人は少いように思います。国際的な青年意識調査が時々あり、何年か前にそれを読んだことがありますが、正確には覚えていませんが、「自分に満足している」「将来に夢がある」「人の役立ちたいと思う」などにYESと答えた日本の青年は、他の国に比べて、非常に低かった!経済的にも文化的にも発展している日本なのに!と思います。
子供の頃から、「それでいいのよ」「よくやってるね」というような、その子を肯定するような言葉かけが、親や教師やまわりから少かったのでは?そして、子供の気持を大人の方からたずねることも少かったのでは、と思います。おとなしい子はおとなしいなりに、学力が遅れてる子はそれなりに、受けとめ、「一緒に遊ぼう」「一緒に学ぼう」という雰囲気がなかったのでは?経済成長重視と同じように、子どもたちにも「努力」「頑張る」「競争」「効果」を重視して来たように思います。
父親は“仕事一筋”が評価され、家族、子供と交わる余裕がなく、母親はそれを支えるのに精一杯、子どもの微妙な心、繊細さを理解できなかった――ということもあったのでは。
心豊かに過ごしたい
青年たちは、心の苦しさを抱え、波もありますが、青年の集いの時はなごやかに話をしています自分の悩みを聞いてほしい時もあり、嬉しかったことを話したり、好きな音楽を話したり。そして自分の好きな曲のMDなどを持って来てみんなで聴いています。
私など音楽にうとい方なので「こんな曲もあるのだ」と、世相を反映したり(社会の矛盾を訴えたり)、人生の不条理を訴えるような曲だったり…癒される感じのもの、元気づけられるもの、「共に生きよう」というメッセージを感じるもの…様々で、心が豊かになります。
そして、青年(今は女性ですが)たちに誘われて美術館や画廊めぐりをすることも楽しいひと時です。9月はディズニー映画の原画を描いたメアリーブレアの原画展を見に行きました。10月は銀座のポーラミュージアムで、世界の大画家の絵を見に行きました。(ゴッホ、ピカソ、モネ、セザンヌ、シャガールなど数は少ないですが、無料で見られ、得をした感じでした)そして銀座を歩いていた時に個展の看板があり、「面白そうね」と入ってみたものも、結構面白いものでした。
家にずーっといて、道草の家に来始めて2年位になる青年、映画館に行ったことも美術館に行ったこともなかったが、この頃、そういう所にも行きたい気持になった、――と言います。世の中には、面白いもの、楽しいもの、美しいものがあることに目覚める機会になれば、と思います。
和田ミトリ
2009/10/01
エコをめぐって
地球温暖化、CO2削減、そしてエコのひっぱく性が叫ばれています。
戦前に生まれ、70年も生きていると、身のまわり、日本社会が目まぐるしく変わり、こうなるのも当然という気がします。
貧しい終戦前後から、高度成長期に移り、生産性を高めGNPを高め、物質的豊かさ、便利さが唯一の目標かのように突っ走ってしまいました。でも、高度成長の初期も、公害の問題が指摘されていました。海が埋めたてられ、工場がどんどん立ち、煤煙がむくむくと上げていて、「豊かになって行くだろうな」という思いと、このまま進むとどうなるのだろうという思いがありました。
私の子供の頃(終戦前から昭和30年頃)は今の便利なもの、電化製品などは、何もなく、よく過ごせたな、と今は思いますが、当時は、別に不便だとは思いませんでした。井戸水をポンプでくんだり、つるべでくんだり、手伝いもしましたが、そんなに苦になりませんでした。(大人は大変だったかも)
そして、おもちゃなど、既製品は少なく、その分工夫して遊びました。紙で作った着せ替え人形や、おままごとも、びんやかんのふた、茶わんのかけら、木の葉などで遊びました。小学校高学年になるとおままごとはしなくなりましたが6年生までままごとの道具をとっていて、友だちに「まだとってあるの」と笑われたことを思い出します。小学生の頃は、学校から帰った後、晩ごはんまで、友だちの家に行ったり、思いっきり遊べたと思います。田舎にいた頃は、バナナは高価なものでしたが、野いちご、ぐみ、桑の実をつみとって、その場でたべました。
私の子供たちの子供の頃は、ままごとセットやリカちゃんなども出て来ており、有り合せでなくてもよくなりました。まだ学習塾もそんなになく、よく遊んでいたと思います。姉弟で、また友だちとままごとをしたり、外でも鬼ごっこや、崖すべりなどしたりまだゲームもそんなに普及してなかったので、友だちとよく遊んでました。今の子どもたちは外で何をして遊ぶのでしょう。
千葉に移ってから、都心に向かう電車から見える乱立した高いビル群、このビルは永久に堅固に立っているわけではなく、劣化し、弱体化して行く、その時、どうなるのだろう、と恐怖を感じる時があります(その実例がニューヨーク貿易センタービルの崩壊でしたが)。ITも高度になり(私はついて行かれませんが)、物が豊かになり、非常に便利になりましたが、私たちの心は豊かになったでしょうか、<青年の思い>の所でも書きましたが「ゆっくりがいい」という仕事はないものでしょうか。“競争”にあわないゆっくりとした人や、上手く人づき合いが出来ない人など、流れに乗れない人たちを残して、突っ走ったのが今の社会の状況ではないかと思います。
私にできることはすでに道草の家の屋根に太陽光発電パネルをとりつけてますし、新しいものを買わない、ということぐらいしかないように思います。でも、私の勝手な希望ですが、日本は森林の占める割合が大きい、でも、手入れされずに放ってある森林が多い、間伐材を取り除いたりして、新しい木を植えたりして森林をよみがえさせればCO2削減につながる、でもそれをする人がとても少ない。青年たち、若者たちが、森を守り、森を育てる働きをしてくれたら!と思います。
感動する・・・
茂木健一郎氏の「感動する脳PHP文庫)が目にとまりました。そう言えば私はこの頃、「感動したい!」と意識しなくなったな、と思いました。私は結構“感動”を求めてた人間だった…疲れた時、虚しい時など感動的な映画を見たい、と思ったり、様々な絵画、静かなものから激しいもの、オーストラリアやアメリカなどの原住民の素朴で力強い絵を見に行ったりします。そこから今の生活、仕事のために学ぶわけではなく、映画も癒されるような穏やかな美しいものばかりではなく、過酷な生活をしている、必死に生きている子供たちの映画も見たりします。そういう映画は一層疲れるのに――私は感動を求めていたんだ、と思いました。
美しい!きれい!なども感動の言葉ですが、そうした言葉にはならないものを胸に感じる時、生きていることを肯定できる感じがします。私はそれを求めていたんだ、生きてることを肯定的に感じたい、そしてエネルギーがほしいんだ、と思います。私も含め、旅をしたい!と思う人も、新しいもの、美しいもの雄大なものに感動を求めているのだと思います。
茂木氏も言っています。「意欲を引き出すためにも、エネルギーを生み出すためにも、『感動する』ということが重要なファクターになる」感動する対象は、何も映画や絵画などの芸術、或いは雄大な風景だけではありません。身のまわりに沢山あります。
市川房枝さんだったと思いますが、100才位になっても「毎日10こ感動するものを見つける」と言っていました。道を歩いていても、道端に「こんな花が咲いている」とか「あの緑のはっぱの色はすてき」「あの雲は面白い形をしている」など新しい発見も一つの感動です。そう思えば、毎日新しいことに出会います。そこにささやかかもしれませんが感動が生まれます。昨日と違った何かを発見して「あ、きれい」「あ、いいな」「あ、面白いな」など、意識することで生まれるようにおもいます。
「美しいものに触れて感動する。新しい経験や発見に出会って感動する。その一瞬一瞬の積み重ねが人生を豊かにする」わけです。そして脳のメカニズムから見ても感動は能を活性化します、また「感動する脳」とういうのは鍛えれば鍛えるほどグレートアップするそうです。(年をとっても
さらに、何かに感動した時、まわりの人がそれを素晴らしいことだと後押ししてくれるか、否定されるかで、(その反応で)脳の働きは全く変わって来るそうです。映画館で同じ場面で涙を流したり、友だちと観て「あの場所は感動したね」などお互いに言い合うことで感動回路が強化され感動は何倍にもなることでしょう。
どんな小さな感動でもかまいません。ぜひまわりの人と共有してみませんか。
道草の家でも最近月1回「お好み焼きを食べよう」という会を作ってスタッフや青年が自分流のお好み焼きを作って、みんなで食べています。食べながら「おいしいね」と言い合ったりする時、ほんのささやかなものですが感動を分かち合って、ほんのちょっと生きるエネルギーを高めているように思います。
和田ミトリ
戦前に生まれ、70年も生きていると、身のまわり、日本社会が目まぐるしく変わり、こうなるのも当然という気がします。
貧しい終戦前後から、高度成長期に移り、生産性を高めGNPを高め、物質的豊かさ、便利さが唯一の目標かのように突っ走ってしまいました。でも、高度成長の初期も、公害の問題が指摘されていました。海が埋めたてられ、工場がどんどん立ち、煤煙がむくむくと上げていて、「豊かになって行くだろうな」という思いと、このまま進むとどうなるのだろうという思いがありました。
私の子供の頃(終戦前から昭和30年頃)は今の便利なもの、電化製品などは、何もなく、よく過ごせたな、と今は思いますが、当時は、別に不便だとは思いませんでした。井戸水をポンプでくんだり、つるべでくんだり、手伝いもしましたが、そんなに苦になりませんでした。(大人は大変だったかも)
そして、おもちゃなど、既製品は少なく、その分工夫して遊びました。紙で作った着せ替え人形や、おままごとも、びんやかんのふた、茶わんのかけら、木の葉などで遊びました。小学校高学年になるとおままごとはしなくなりましたが6年生までままごとの道具をとっていて、友だちに「まだとってあるの」と笑われたことを思い出します。小学生の頃は、学校から帰った後、晩ごはんまで、友だちの家に行ったり、思いっきり遊べたと思います。田舎にいた頃は、バナナは高価なものでしたが、野いちご、ぐみ、桑の実をつみとって、その場でたべました。
私の子供たちの子供の頃は、ままごとセットやリカちゃんなども出て来ており、有り合せでなくてもよくなりました。まだ学習塾もそんなになく、よく遊んでいたと思います。姉弟で、また友だちとままごとをしたり、外でも鬼ごっこや、崖すべりなどしたりまだゲームもそんなに普及してなかったので、友だちとよく遊んでました。今の子どもたちは外で何をして遊ぶのでしょう。
千葉に移ってから、都心に向かう電車から見える乱立した高いビル群、このビルは永久に堅固に立っているわけではなく、劣化し、弱体化して行く、その時、どうなるのだろう、と恐怖を感じる時があります(その実例がニューヨーク貿易センタービルの崩壊でしたが)。ITも高度になり(私はついて行かれませんが)、物が豊かになり、非常に便利になりましたが、私たちの心は豊かになったでしょうか、<青年の思い>の所でも書きましたが「ゆっくりがいい」という仕事はないものでしょうか。“競争”にあわないゆっくりとした人や、上手く人づき合いが出来ない人など、流れに乗れない人たちを残して、突っ走ったのが今の社会の状況ではないかと思います。
私にできることはすでに道草の家の屋根に太陽光発電パネルをとりつけてますし、新しいものを買わない、ということぐらいしかないように思います。でも、私の勝手な希望ですが、日本は森林の占める割合が大きい、でも、手入れされずに放ってある森林が多い、間伐材を取り除いたりして、新しい木を植えたりして森林をよみがえさせればCO2削減につながる、でもそれをする人がとても少ない。青年たち、若者たちが、森を守り、森を育てる働きをしてくれたら!と思います。
感動する・・・
茂木健一郎氏の「感動する脳PHP文庫)が目にとまりました。そう言えば私はこの頃、「感動したい!」と意識しなくなったな、と思いました。私は結構“感動”を求めてた人間だった…疲れた時、虚しい時など感動的な映画を見たい、と思ったり、様々な絵画、静かなものから激しいもの、オーストラリアやアメリカなどの原住民の素朴で力強い絵を見に行ったりします。そこから今の生活、仕事のために学ぶわけではなく、映画も癒されるような穏やかな美しいものばかりではなく、過酷な生活をしている、必死に生きている子供たちの映画も見たりします。そういう映画は一層疲れるのに――私は感動を求めていたんだ、と思いました。
美しい!きれい!なども感動の言葉ですが、そうした言葉にはならないものを胸に感じる時、生きていることを肯定できる感じがします。私はそれを求めていたんだ、生きてることを肯定的に感じたい、そしてエネルギーがほしいんだ、と思います。私も含め、旅をしたい!と思う人も、新しいもの、美しいもの雄大なものに感動を求めているのだと思います。
茂木氏も言っています。「意欲を引き出すためにも、エネルギーを生み出すためにも、『感動する』ということが重要なファクターになる」感動する対象は、何も映画や絵画などの芸術、或いは雄大な風景だけではありません。身のまわりに沢山あります。
市川房枝さんだったと思いますが、100才位になっても「毎日10こ感動するものを見つける」と言っていました。道を歩いていても、道端に「こんな花が咲いている」とか「あの緑のはっぱの色はすてき」「あの雲は面白い形をしている」など新しい発見も一つの感動です。そう思えば、毎日新しいことに出会います。そこにささやかかもしれませんが感動が生まれます。昨日と違った何かを発見して「あ、きれい」「あ、いいな」「あ、面白いな」など、意識することで生まれるようにおもいます。
「美しいものに触れて感動する。新しい経験や発見に出会って感動する。その一瞬一瞬の積み重ねが人生を豊かにする」わけです。そして脳のメカニズムから見ても感動は能を活性化します、また「感動する脳」とういうのは鍛えれば鍛えるほどグレートアップするそうです。(年をとっても
さらに、何かに感動した時、まわりの人がそれを素晴らしいことだと後押ししてくれるか、否定されるかで、(その反応で)脳の働きは全く変わって来るそうです。映画館で同じ場面で涙を流したり、友だちと観て「あの場所は感動したね」などお互いに言い合うことで感動回路が強化され感動は何倍にもなることでしょう。
どんな小さな感動でもかまいません。ぜひまわりの人と共有してみませんか。
道草の家でも最近月1回「お好み焼きを食べよう」という会を作ってスタッフや青年が自分流のお好み焼きを作って、みんなで食べています。食べながら「おいしいね」と言い合ったりする時、ほんのささやかなものですが感動を分かち合って、ほんのちょっと生きるエネルギーを高めているように思います。
和田ミトリ
青年(彼、彼女)たち、それぞれ
最近、青年の集いも少しずつ賑やかになって来ました。
3年位青年の集いから遠のいていた青年が(連絡はとっていましたが)また参加するようになったり、仕事の方が大丈夫だから――ということで、会報も送らずに3年位過ぎた青年がひょっこり現れて、毎月「お好み焼きを食べよう会」に参加し、7月は自分でもんじゃ焼きを作ってくれたり(自分で様々な具、材料を用意し、4種類のもんじゃを焼いてくれて、皆「こんなおいしいもんじゃ焼きを初めて食べた」と口々に言ったものでした)、或いは、アルバイトを始めたり、専門学校に行ったりして時々しか来なかった青年もいて、他の青年とはすれ違いで、2、3年ぶりに会ったということで、「久しぶりだね」と挨拶しながら「変わったね」「成長したね」とお互いに言う場面もあり(私もそれを強く感じます)、道草の家の役割と青年たちの成長を感じ、嬉しくなります。
でも一方では一時青年の集いに参加していたのが精神的不安定さが強くなり、道草の家に来なくなった青年また親の方の相談だけで、本人とは直接会ってませんが、非常に難しさを感じる青年がいます。
暴言、暴力がひどくなって、疲れきったお母さんに、その辛さは感じるのですが、具体的なことは何も言えず、申し訳ない気持になったりします。(後で「お子さんとは少し距離をとって自分の生活を大切にする時間をとって下さい」というような手紙を書きました)また、そんなに不安定ではなく比較的静かに過ごしていても親としてどう関わっていいか分からないまま、時間が過ぎて行く・・・という親の方の相談も受けます。他の親の会の話し合いでも、このような悩みはよく聞きますし、こういう形のひきこもっている青年は結構多いのではないかと思います。親がだんだん理解して来て、何とか話し合いたいと思っても、避けられてしまい、手がかりがない。――非常に難しさを感じます。このような家庭では、家族の会話も少い場合が多いようで、私は「今は、子供の自立とか働く、ということは横においといて、親も自分の人生を楽しんだりしながら家族がもっと気楽に話ができるような雰囲気を作ることを心がけては?それが先ではないか?」と言ったりするのですが、これもまた難しいことかも知れません。
感情、優しさ、について
体が不自由になって介護が必要になった方が、自分がかねがね行ってみたいと思っていた所、旅行などに連れて行ってもらった時とても喜ぶと同時にその後リハビリにも熱心になり、笑顔も多くなった、とよく聞きます。それはきっと、行きたかった所へ行ってそこで見た風景などに感動するから、感動によって生きる意欲エネルギーが出たからだと思います。
先月にひき続き、感動、そして感情について、感動と感情の関係について考えたいと思います。(茂木健一郎著「感動する脳」にそいながら)
感動は、感情の高まりから生まれて来るものですが、喜怒哀楽などの一つだけで生まれてくるものではなく、様々な感情が複雑にからみ合い、それが再び集約されて生まれてくるものと言えます。「一言では表現できないような複雑な感情」なのです。そして、それは人間らしい心の動きであり、人生に意欲をもたらし、人生を豊かにするものと言えるでしょう。感動を生み出すためには様々な感情を意識して感じること、自分の心の多様な動きを意識することが大切だと思われます。
優しさは基本的には人と人との関係の中から生まれてくるものであり、一方通行だったり、押しつけになっては、生まれない、まずは相手の気持を理解することから始めることになります。勝手な思いこみでなく、相手のありのままを理解し、受けとめること、相手を思いやる気持、――相手がただ喜ぶだろうから、と勝手に押しつけるような気の使い方とは違います。
他の人の気持ちが分かる――人間は特性としてその能力を身につけており、それはまず、感情という共通回路を通して、感情が伝わることから始まります。
“感情”は、思考や感覚とは違って、人から人へ、脳という垣根をこえて、瞬時に伝わって行きます。相手が「悲しい」と言い、悲しい表情をすれば、「悲しいんだな」とすぐ感じます。人間はそうした感情の共感回路を脳の中に持っているわけです。自分の悲しい体験と照し合わせながら、瞬時に感じます。
でも、その共感回路がうまく動かないのはどうしてか・・
人間は、おうおうにして、心に抱いている感情と、表に出てくる顔の表情にくいちがいがある、ポーカーフェイスがある、ことで互いに気持ちが分かりあうことが難しくなる。分からないことによって誤解が生じたりします。まずこのポーカーフェイスの存在を認識し、他人の心というものは、見かけとは違うことを理解し、その心の状態を推測できる力を高めること。では、どうしたらそうした力を高めることができるか、そこには「感動する」こと、新しいものや美しいものに触れ感動することと同時に、人間関係の中での感動を味わうこと、人と心が通い合うことで、静かな感動を体験することが大切だと思います。
道草の家の青年の集いが、心の交流できること、分かり合える喜びを感じ、人の気持が分かる力をつけることが、少しでもできれば、と願っています。
和田ミトリ
3年位青年の集いから遠のいていた青年が(連絡はとっていましたが)また参加するようになったり、仕事の方が大丈夫だから――ということで、会報も送らずに3年位過ぎた青年がひょっこり現れて、毎月「お好み焼きを食べよう会」に参加し、7月は自分でもんじゃ焼きを作ってくれたり(自分で様々な具、材料を用意し、4種類のもんじゃを焼いてくれて、皆「こんなおいしいもんじゃ焼きを初めて食べた」と口々に言ったものでした)、或いは、アルバイトを始めたり、専門学校に行ったりして時々しか来なかった青年もいて、他の青年とはすれ違いで、2、3年ぶりに会ったということで、「久しぶりだね」と挨拶しながら「変わったね」「成長したね」とお互いに言う場面もあり(私もそれを強く感じます)、道草の家の役割と青年たちの成長を感じ、嬉しくなります。
でも一方では一時青年の集いに参加していたのが精神的不安定さが強くなり、道草の家に来なくなった青年また親の方の相談だけで、本人とは直接会ってませんが、非常に難しさを感じる青年がいます。
暴言、暴力がひどくなって、疲れきったお母さんに、その辛さは感じるのですが、具体的なことは何も言えず、申し訳ない気持になったりします。(後で「お子さんとは少し距離をとって自分の生活を大切にする時間をとって下さい」というような手紙を書きました)また、そんなに不安定ではなく比較的静かに過ごしていても親としてどう関わっていいか分からないまま、時間が過ぎて行く・・・という親の方の相談も受けます。他の親の会の話し合いでも、このような悩みはよく聞きますし、こういう形のひきこもっている青年は結構多いのではないかと思います。親がだんだん理解して来て、何とか話し合いたいと思っても、避けられてしまい、手がかりがない。――非常に難しさを感じます。このような家庭では、家族の会話も少い場合が多いようで、私は「今は、子供の自立とか働く、ということは横においといて、親も自分の人生を楽しんだりしながら家族がもっと気楽に話ができるような雰囲気を作ることを心がけては?それが先ではないか?」と言ったりするのですが、これもまた難しいことかも知れません。
感情、優しさ、について
体が不自由になって介護が必要になった方が、自分がかねがね行ってみたいと思っていた所、旅行などに連れて行ってもらった時とても喜ぶと同時にその後リハビリにも熱心になり、笑顔も多くなった、とよく聞きます。それはきっと、行きたかった所へ行ってそこで見た風景などに感動するから、感動によって生きる意欲エネルギーが出たからだと思います。
先月にひき続き、感動、そして感情について、感動と感情の関係について考えたいと思います。(茂木健一郎著「感動する脳」にそいながら)
感動は、感情の高まりから生まれて来るものですが、喜怒哀楽などの一つだけで生まれてくるものではなく、様々な感情が複雑にからみ合い、それが再び集約されて生まれてくるものと言えます。「一言では表現できないような複雑な感情」なのです。そして、それは人間らしい心の動きであり、人生に意欲をもたらし、人生を豊かにするものと言えるでしょう。感動を生み出すためには様々な感情を意識して感じること、自分の心の多様な動きを意識することが大切だと思われます。
優しさは基本的には人と人との関係の中から生まれてくるものであり、一方通行だったり、押しつけになっては、生まれない、まずは相手の気持を理解することから始めることになります。勝手な思いこみでなく、相手のありのままを理解し、受けとめること、相手を思いやる気持、――相手がただ喜ぶだろうから、と勝手に押しつけるような気の使い方とは違います。
他の人の気持ちが分かる――人間は特性としてその能力を身につけており、それはまず、感情という共通回路を通して、感情が伝わることから始まります。
“感情”は、思考や感覚とは違って、人から人へ、脳という垣根をこえて、瞬時に伝わって行きます。相手が「悲しい」と言い、悲しい表情をすれば、「悲しいんだな」とすぐ感じます。人間はそうした感情の共感回路を脳の中に持っているわけです。自分の悲しい体験と照し合わせながら、瞬時に感じます。
でも、その共感回路がうまく動かないのはどうしてか・・
人間は、おうおうにして、心に抱いている感情と、表に出てくる顔の表情にくいちがいがある、ポーカーフェイスがある、ことで互いに気持ちが分かりあうことが難しくなる。分からないことによって誤解が生じたりします。まずこのポーカーフェイスの存在を認識し、他人の心というものは、見かけとは違うことを理解し、その心の状態を推測できる力を高めること。では、どうしたらそうした力を高めることができるか、そこには「感動する」こと、新しいものや美しいものに触れ感動することと同時に、人間関係の中での感動を味わうこと、人と心が通い合うことで、静かな感動を体験することが大切だと思います。
道草の家の青年の集いが、心の交流できること、分かり合える喜びを感じ、人の気持が分かる力をつけることが、少しでもできれば、と願っています。
和田ミトリ
道草の家の青年(彼、彼女)たち
8月は総選挙や、芸能人の事件、そして将来の見通しの立たない社会状況が、連日報道され、私も何かしら気ぜわしさを感じて過ごしました。早や8月も終わりに近づき、会報のことが気になりながら、なかなかペンを取れずにおりました。気になり心に占めるものは何か…やはり青年たちのことです。
なぜ、そんなに悩み苦しまなければならないのか。
家を出られなくなった青年、人と交われなくなった青年――育つ過程の問題(家庭、学校、地域などの環境)や気質の問題(繊細、過敏、几帳面、完ぺき主義など)そして社会の問題が重なってのことでしょう。
社会がもっとゆるやかであったら!多様な個性、生き方が受け入れられるものであったら!と思わずにはいられません。不登校だったこと、長くひきこもっていたこと、長く無職であったことをどうしても引け目に感じて、なかなか社会に出るイメージが湧かない、勇気が出ない…それは“真面目に考えるから”――ということも大きいかと思います。
生きる価値、働く意味、人との交わり方、本当の自分、など考え、でも納得いく言葉が出ない…。
また、ここ数ヶ月、気分が落ちこんで外へ出る気力、道草の家へ行く意欲がなかなか湧かない、でも道草の家に来てしまうと、「色々話ができて楽しいし、自分のことを分かってくれて気が楽になる」と言う青年もいます。或いは、積極的に自分の悩み、問題をみんな(グループ)の前に出し、みんなで考えて、気づきを得ようとしている青年もいます。
道草の家の目標を改めて考えさせられます。それは「生きることの土台づくり」です。
仲間との交流、スタッフとの交わりの中でコミュニケーションの力を培う。また共通な部分で共感したり、違いを認め合ったりしながら、お互いに信頼できること、人間信頼を取り戻したり、また創造的なことをしたり、「自分らしく生きていいんだな」ということを感じたり、そして何より自分を表現したり、話し合うことに楽しさを感じる時間があって、生きる意欲が出て来ることを、願っています。
同時に、道草の家に来ている青年の多くは通院しており、またそうでない青年も皆、心に心理的葛藤があり、それを解きほぐすことも大切であり、心理療法的なことを青年の集いに取り入れています。(認知行動療法、アサーション、気質、アダルトチルドレンなど)心理療法も一対一でやる良さ、必要性もありますが、グループでやる良さもあります。他の人が発した悩みも、自分の中にも似たようなことがあるなと思ったり、一緒に考えることで、自分の問題についても考えたり、他の参加者の発言に気づきが得られる――という効果があります。雑談の中に悩みが出されて、皆で考えることもよくあります。
また自分の興味あることについても話題が出ます。先日は村上春樹が話題になりました。皆が加われるわけではありませんが村上春樹だったら加われる、という青年もいます。聞いているだけでも「こういう作家がいるんだな<ノルウェイの森>が映画化されるそうだが、見てみたい気もする」と思ったりするようです。
先日はインドカレーを食べに行って道草の家に戻って来て、好きな食べ物の話題になりました。それには皆が加われ、盛り上がりました。そして、一人の青年が、「健康診断で尿酸値が少し高めになったので、母親と一緒にヘルシーな料理を考えて作った、図書館で料理の本を借りたが、コピーしてもきれいな色が出ない。それで自分で色鉛筆で写した」と言い、ケータイに撮ったその絵を見せてくれました。小さい写真ですが、きれいに描かれているのが分かり、みんなで感心しました。
感情、感動について
7月号で「感情、感動、優しさ」について書きましたが、青年の集いで、「自分の感情についてどう思うか」尋ねました。
一人の青年は「自分の感情を余り意識したことがない。怒っている時とか不安な時、嬉しい時は、自分は怒ってる、不安だ、などと思うけど、それ以上に色々感情があることを意識してないし、言葉でも余り表現してない」と言いました。他の青年は「子供の頃から感情を余り表現してなかったように思う。思春期頃から辛くなって親にぶつけたけど、他の人とは感情を抑えたり、辛くなるので感じないようにした面もある」と話しました。スタッフも「子供の頃から、親は感情表現が豊かでなかったし、子供の気持、感情を聞いたりもしなかったので、自分も感情の表現が苦手になった」と言いました。
日本人は感情を率直に表現することを「はしたない」として抑えることを美徳とする伝統がありました。そして、男性は、職場(会社など)では、感情を入れないで、事柄だけで進めた方が、仕事がスムーズに行く――という時間を多く過ごしているため、感情を余り感じなくなってしまった、という面もあるように思います。父親が、母親よりずっと、子供の心の苦しさを共感できない、理解できない――という場面にしばしば出会いました。
心の問題、悩みなどは、「その通りだ」と事柄だけ同意されても自分の気持が出せて、その感情に共感して貰えないと、本当に解ってもらえたとは思えない(カウンセリングがそうですが)――という体験をしています。
意志とか簡単な決めること、そして決断も、思考、頭で理屈を考えるだけで、できるものではなく感情が伴ってはじめてできるものです。感情の病気、うつ病になると、意志が持てず、決めること(簡単なことでも)決断ができなくなります。
そして、青年たちに「感動することで、感情が豊かになるし、自分の中に起こる感情を意識し感じてゆくと、感動も豊かになる、そしてそれは生きるエネルギーになる」と話しました。
「小さな感動でもいいのですね」「今日は空がきれい、道端の小さな花がきれいだとか、風がさわやかだとか、カレーがおいしかったとか」
「映画を見て泣くのも?」「勿論!」
そんな話をしながら、5時になり集いの時間が終わる時に、「今の気持はどんなかしら。体の感じも、胸やお腹の辺りに注意を向けて、何か感じたら教えてください」という私の問いに「楽しい気持、胸の辺りが暖かな感じ」「話が出来て嬉しい気持、胸の辺りが軽くなった感じ」などの言葉が返ってきました。
和田ミトリ
なぜ、そんなに悩み苦しまなければならないのか。
家を出られなくなった青年、人と交われなくなった青年――育つ過程の問題(家庭、学校、地域などの環境)や気質の問題(繊細、過敏、几帳面、完ぺき主義など)そして社会の問題が重なってのことでしょう。
社会がもっとゆるやかであったら!多様な個性、生き方が受け入れられるものであったら!と思わずにはいられません。不登校だったこと、長くひきこもっていたこと、長く無職であったことをどうしても引け目に感じて、なかなか社会に出るイメージが湧かない、勇気が出ない…それは“真面目に考えるから”――ということも大きいかと思います。
生きる価値、働く意味、人との交わり方、本当の自分、など考え、でも納得いく言葉が出ない…。
また、ここ数ヶ月、気分が落ちこんで外へ出る気力、道草の家へ行く意欲がなかなか湧かない、でも道草の家に来てしまうと、「色々話ができて楽しいし、自分のことを分かってくれて気が楽になる」と言う青年もいます。或いは、積極的に自分の悩み、問題をみんな(グループ)の前に出し、みんなで考えて、気づきを得ようとしている青年もいます。
道草の家の目標を改めて考えさせられます。それは「生きることの土台づくり」です。
仲間との交流、スタッフとの交わりの中でコミュニケーションの力を培う。また共通な部分で共感したり、違いを認め合ったりしながら、お互いに信頼できること、人間信頼を取り戻したり、また創造的なことをしたり、「自分らしく生きていいんだな」ということを感じたり、そして何より自分を表現したり、話し合うことに楽しさを感じる時間があって、生きる意欲が出て来ることを、願っています。
同時に、道草の家に来ている青年の多くは通院しており、またそうでない青年も皆、心に心理的葛藤があり、それを解きほぐすことも大切であり、心理療法的なことを青年の集いに取り入れています。(認知行動療法、アサーション、気質、アダルトチルドレンなど)心理療法も一対一でやる良さ、必要性もありますが、グループでやる良さもあります。他の人が発した悩みも、自分の中にも似たようなことがあるなと思ったり、一緒に考えることで、自分の問題についても考えたり、他の参加者の発言に気づきが得られる――という効果があります。雑談の中に悩みが出されて、皆で考えることもよくあります。
また自分の興味あることについても話題が出ます。先日は村上春樹が話題になりました。皆が加われるわけではありませんが村上春樹だったら加われる、という青年もいます。聞いているだけでも「こういう作家がいるんだな<ノルウェイの森>が映画化されるそうだが、見てみたい気もする」と思ったりするようです。
先日はインドカレーを食べに行って道草の家に戻って来て、好きな食べ物の話題になりました。それには皆が加われ、盛り上がりました。そして、一人の青年が、「健康診断で尿酸値が少し高めになったので、母親と一緒にヘルシーな料理を考えて作った、図書館で料理の本を借りたが、コピーしてもきれいな色が出ない。それで自分で色鉛筆で写した」と言い、ケータイに撮ったその絵を見せてくれました。小さい写真ですが、きれいに描かれているのが分かり、みんなで感心しました。
感情、感動について
7月号で「感情、感動、優しさ」について書きましたが、青年の集いで、「自分の感情についてどう思うか」尋ねました。
一人の青年は「自分の感情を余り意識したことがない。怒っている時とか不安な時、嬉しい時は、自分は怒ってる、不安だ、などと思うけど、それ以上に色々感情があることを意識してないし、言葉でも余り表現してない」と言いました。他の青年は「子供の頃から感情を余り表現してなかったように思う。思春期頃から辛くなって親にぶつけたけど、他の人とは感情を抑えたり、辛くなるので感じないようにした面もある」と話しました。スタッフも「子供の頃から、親は感情表現が豊かでなかったし、子供の気持、感情を聞いたりもしなかったので、自分も感情の表現が苦手になった」と言いました。
日本人は感情を率直に表現することを「はしたない」として抑えることを美徳とする伝統がありました。そして、男性は、職場(会社など)では、感情を入れないで、事柄だけで進めた方が、仕事がスムーズに行く――という時間を多く過ごしているため、感情を余り感じなくなってしまった、という面もあるように思います。父親が、母親よりずっと、子供の心の苦しさを共感できない、理解できない――という場面にしばしば出会いました。
心の問題、悩みなどは、「その通りだ」と事柄だけ同意されても自分の気持が出せて、その感情に共感して貰えないと、本当に解ってもらえたとは思えない(カウンセリングがそうですが)――という体験をしています。
意志とか簡単な決めること、そして決断も、思考、頭で理屈を考えるだけで、できるものではなく感情が伴ってはじめてできるものです。感情の病気、うつ病になると、意志が持てず、決めること(簡単なことでも)決断ができなくなります。
そして、青年たちに「感動することで、感情が豊かになるし、自分の中に起こる感情を意識し感じてゆくと、感動も豊かになる、そしてそれは生きるエネルギーになる」と話しました。
「小さな感動でもいいのですね」「今日は空がきれい、道端の小さな花がきれいだとか、風がさわやかだとか、カレーがおいしかったとか」
「映画を見て泣くのも?」「勿論!」
そんな話をしながら、5時になり集いの時間が終わる時に、「今の気持はどんなかしら。体の感じも、胸やお腹の辺りに注意を向けて、何か感じたら教えてください」という私の問いに「楽しい気持、胸の辺りが暖かな感じ」「話が出来て嬉しい気持、胸の辺りが軽くなった感じ」などの言葉が返ってきました。
和田ミトリ
“ひきこもり”のイメージは?
皆さんは“ひきこもり”という言葉にどんなイメージを持つでしょうか。私は“ひきこもりの青年”という言葉より“ひきこもる青年”と言う言葉を使います。“ひきこもり”はひとくくりにしてしまいますが“ひきこもる”は状態を示すので、少しは巾があるように思うのです。でも一般には“ひきこもり”という言葉が使われており、そうした青年を身近かに知らない一般の方は一つの病名のように、一つの症状を持っている人をイメージしたり、家の中に、自分の中に閉じこもって、暗い顔をしているイメージを浮かべるのでは、と思います。
社会(学校、職場、地域)に出られない、という状態は同じですが、様々な生活状態、様々な精神状態がありますし、その苦しさ、生き辛さもそれぞれであり、複雑です。道草の家のような居場所に来れる青年、或いは街に出られる青年は、見かけは何も変わっていないので、働かないのは「甘えている」「勇気が足りない」とか「自分だって、誰だって働くのはしんどい。いやなことが多いけど頑張って働いている」と思われがちです。
好意的に見ている人も「自分も子どもの頃から悩みながら、生き辛さを感じながら社会生活を送って来た。ひきこもりの青年とは紙一重の違いだけ、だからひけ目を感じないで社会に出てほしい」と思ったりするようです。
家の中から殆んど出ないで、家族とも殆んど話さない状態の青年と、居場所に出て来て人と交われる青年、その間に、外に出るが人と接しない青年など、様々な状態の青年がいるわけです。そして、その親も悩み苦しんでいます。
青年たちの苦しみ
道草の家に来ている青年たちのことを私自身も十分に理解しているとは思いませんが、もっと理解し、青年たちが少しでも自信を持って自分を肯定できて、生き生き生きるようになってほしいと思いながら一緒に過ごしております。
<青年の思い>にも載せているように「道草の家に求めるもの」「落ちつく時」「きつい、辛い時」「コンプレックス」などについて自分を見つめながら、仲間のことも考えながら、自分の思いを表現豊かに語っています。そして明るい会話です。家にいる時も、音楽を聴いたり、本を読んだり、イラストを描いたり、或いは映画を見たり、美術館に行ったりなど一人でも趣味を持って過ごしています。でも多くの青年が落ちこみ不安定になって外へ出る意欲がなくなる時があり、波があります。
先月号でも書きましたが、精神的な病いを多くの青年が抱え、なかなか回復しない、という面もあります。なぜ、症状がでるようになったのでしょう。
子どもの頃から――小学生の頃からの場合もありますが、多くは中学生の頃から――生き辛さを感じて来たように思われます。気質的には繊細でまじめ、完璧主義なところがあり、家庭ではいい子であった場合が多く、中学生の頃、いじめなどに会い不登校になり、高校入学で心機一転、と思いながら、やはり同級生になじめず、すぐ不登校になってしまった、そしてそういう自分を責めることが、精神的な不安定さをもたらしたように思われます。「自分の人生は終わった」と思った青年もいます。でも多くの青年は、その後、通信制高校に行ったり、大検を取ったりして高卒の資格はあるわけですが、それだけ頑張ったにもかかわらずひけ目を、コンプレックスを強く感じています。そうした経過から、また他の経過をたどる場合も、色々重なり合い、他人の評価を気にしたり、失敗を怖れたり、傷つき易さ、対人恐怖などの心の苦しさが生じたのではないかと思います。
そうした中でも、少しずつ元気が出て来たり、コミュニケーションの力もついて来てアルバイトを考えるようになったり、少しずつ始める青年もいます。また、仲間との交流の中で、相手を思いやる気持も膨らみ、自己表現もでき成長して行くのを感じます。
精一杯生きており、知性も感性も豊かな青年たち、何とか社会に出られるようになりたいとの思いをどうしたらかなえられるか…能力はありながら…何が足りないのだろう…ひとつにまとめれば、「自分は自分でいいのだ」という「自己肯定感」が低いのではないか、と思います。では「自己肯定感」をどうしたら高められるのでしょう。それが、課題かと思います。青年たちと一緒に探って行くことなのでしょう。
心を閉ざす青年たち
一方では、心を閉ざし、親をも拒否している青年、そうした子供どもを持った親の方の苦しみを思うと、心が痛みます。親だけで相談に来られる方や他の勉強会などで聞いたりするのですが、私もどう答えたらいいか、非常に難しさを感じます。
親の接触を避けていて、たまに声をかけても「干渉するな」と言われ、メモを書いても「メモをするな」というメモが置かれたりして、取り付く島もない、こうなるのに何があったのかも教えてくれない。親も何が何だか分からない、という状態・・・という場合もあります。
お父さんの相談を受けて私が「話を聞くと、お子さんは大人しい方だから学校で何も言えずいじめに合ったのかも知れない」と言うと「ぼくの頃もいじめがあった、ぼくも大人しい方だったのでいじめられた。でも学校へは行った。何とか学校は続けたし、働いて来た。いったい何が違うのだろう」との言葉が返って来ます。「子供時代のまわりの環境、前は兄弟も多く、近所づき合い、親戚づき合いもあり、色々な人との交流があり、そこで人間関係や色々な生き方を学べた。でも今は、親子だけの関係になって、父親も家で過ごす時間が少く、社会性が身につけられなくなった」と言いますと、「それは大体分かる。でも、親はどうしたらいいのだろう、何をしてあげられたのだろう、まだ10代の終わりだけど、何もしなければ、このまま部屋に閉じこもったまま何年もたってしまうのではないか。何かしなければ、と思ってもどうしたら言いか分からない」と切実な言葉が。子どもから暴言暴力を受ける親も辛いけど、何も言ってくれない親もどんなに辛いことでしょう。
私も十分な答えはなく、「親は心配している」「親も理解してあげられなくて悪かった」「親がしてあげられることはないか、教えてほしい」などと伝え続けることでは?たとい返事がなくても、と言うしかなかったのですが・・・・
和田ミトリ
社会(学校、職場、地域)に出られない、という状態は同じですが、様々な生活状態、様々な精神状態がありますし、その苦しさ、生き辛さもそれぞれであり、複雑です。道草の家のような居場所に来れる青年、或いは街に出られる青年は、見かけは何も変わっていないので、働かないのは「甘えている」「勇気が足りない」とか「自分だって、誰だって働くのはしんどい。いやなことが多いけど頑張って働いている」と思われがちです。
好意的に見ている人も「自分も子どもの頃から悩みながら、生き辛さを感じながら社会生活を送って来た。ひきこもりの青年とは紙一重の違いだけ、だからひけ目を感じないで社会に出てほしい」と思ったりするようです。
家の中から殆んど出ないで、家族とも殆んど話さない状態の青年と、居場所に出て来て人と交われる青年、その間に、外に出るが人と接しない青年など、様々な状態の青年がいるわけです。そして、その親も悩み苦しんでいます。
青年たちの苦しみ
道草の家に来ている青年たちのことを私自身も十分に理解しているとは思いませんが、もっと理解し、青年たちが少しでも自信を持って自分を肯定できて、生き生き生きるようになってほしいと思いながら一緒に過ごしております。
<青年の思い>にも載せているように「道草の家に求めるもの」「落ちつく時」「きつい、辛い時」「コンプレックス」などについて自分を見つめながら、仲間のことも考えながら、自分の思いを表現豊かに語っています。そして明るい会話です。家にいる時も、音楽を聴いたり、本を読んだり、イラストを描いたり、或いは映画を見たり、美術館に行ったりなど一人でも趣味を持って過ごしています。でも多くの青年が落ちこみ不安定になって外へ出る意欲がなくなる時があり、波があります。
先月号でも書きましたが、精神的な病いを多くの青年が抱え、なかなか回復しない、という面もあります。なぜ、症状がでるようになったのでしょう。
子どもの頃から――小学生の頃からの場合もありますが、多くは中学生の頃から――生き辛さを感じて来たように思われます。気質的には繊細でまじめ、完璧主義なところがあり、家庭ではいい子であった場合が多く、中学生の頃、いじめなどに会い不登校になり、高校入学で心機一転、と思いながら、やはり同級生になじめず、すぐ不登校になってしまった、そしてそういう自分を責めることが、精神的な不安定さをもたらしたように思われます。「自分の人生は終わった」と思った青年もいます。でも多くの青年は、その後、通信制高校に行ったり、大検を取ったりして高卒の資格はあるわけですが、それだけ頑張ったにもかかわらずひけ目を、コンプレックスを強く感じています。そうした経過から、また他の経過をたどる場合も、色々重なり合い、他人の評価を気にしたり、失敗を怖れたり、傷つき易さ、対人恐怖などの心の苦しさが生じたのではないかと思います。
そうした中でも、少しずつ元気が出て来たり、コミュニケーションの力もついて来てアルバイトを考えるようになったり、少しずつ始める青年もいます。また、仲間との交流の中で、相手を思いやる気持も膨らみ、自己表現もでき成長して行くのを感じます。
精一杯生きており、知性も感性も豊かな青年たち、何とか社会に出られるようになりたいとの思いをどうしたらかなえられるか…能力はありながら…何が足りないのだろう…ひとつにまとめれば、「自分は自分でいいのだ」という「自己肯定感」が低いのではないか、と思います。では「自己肯定感」をどうしたら高められるのでしょう。それが、課題かと思います。青年たちと一緒に探って行くことなのでしょう。
心を閉ざす青年たち
一方では、心を閉ざし、親をも拒否している青年、そうした子供どもを持った親の方の苦しみを思うと、心が痛みます。親だけで相談に来られる方や他の勉強会などで聞いたりするのですが、私もどう答えたらいいか、非常に難しさを感じます。
親の接触を避けていて、たまに声をかけても「干渉するな」と言われ、メモを書いても「メモをするな」というメモが置かれたりして、取り付く島もない、こうなるのに何があったのかも教えてくれない。親も何が何だか分からない、という状態・・・という場合もあります。
お父さんの相談を受けて私が「話を聞くと、お子さんは大人しい方だから学校で何も言えずいじめに合ったのかも知れない」と言うと「ぼくの頃もいじめがあった、ぼくも大人しい方だったのでいじめられた。でも学校へは行った。何とか学校は続けたし、働いて来た。いったい何が違うのだろう」との言葉が返って来ます。「子供時代のまわりの環境、前は兄弟も多く、近所づき合い、親戚づき合いもあり、色々な人との交流があり、そこで人間関係や色々な生き方を学べた。でも今は、親子だけの関係になって、父親も家で過ごす時間が少く、社会性が身につけられなくなった」と言いますと、「それは大体分かる。でも、親はどうしたらいいのだろう、何をしてあげられたのだろう、まだ10代の終わりだけど、何もしなければ、このまま部屋に閉じこもったまま何年もたってしまうのではないか。何かしなければ、と思ってもどうしたら言いか分からない」と切実な言葉が。子どもから暴言暴力を受ける親も辛いけど、何も言ってくれない親もどんなに辛いことでしょう。
私も十分な答えはなく、「親は心配している」「親も理解してあげられなくて悪かった」「親がしてあげられることはないか、教えてほしい」などと伝え続けることでは?たとい返事がなくても、と言うしかなかったのですが・・・・
和田ミトリ
2009/06/01
緑の木々に思う。
6月は、緑が一段と鮮やかです。うすい緑から濃い緑まで、街路樹や家々の庭の木々。
緑が少なくなったとは言え、千葉は、歩けば緑が目にはいります。
でもまた、テレビで見る棚田の緑はとりわけ美しく感じます。
そして、森の木々も様々な緑の葉をしげらせています。そんな中で、若者が働いている姿が、また若い女性も楽しそうに田植えを手伝っている情景が映されています。
でも道草の家で関わっている青年たち(彼、彼女――いつも両方を言ってます)何人かはとても苦しい辛い日々を送っています。
大きな波の底の方に行ってしまったようでなかなか浮かび上がれず、苦しんでいる。・・・・
一方では自分のやりたい事を生き生きとしてやっている若者がいるのに、一方では悶々と苦しんでいる青年がいる・・・どこで方向が変わってしまったのでしょう。
私が出会っている青年たちは、本当に知性も感性も豊かなものを持っているのに
いつも感じていることなのですが「何で?」と思います。
色々なことが重なったのだろうとは思いますが。
生まれつきの気質(とても繊細で感受性が強い、深く考える)もあるのでしょう。 家庭や学校の環境もあるでしょう。(それはまた時代の影響を大きく受けています)
子育てと社会
「ちちんぷいぷい、痛い痛い飛んで行け!」という言葉は皆さんも聞いていることでしょう。
小さい子が転んだりして、ひざをすりむいたり手足を打った時、母親が自分のつばをつけたり、さすったりしながら、「ちちんぷいぷい…」と言った時、痛さも消えたように感じる――という情景を何かで見たり聞いたりします。
青年たちの心の痛みが、こんな感じで消えたらどんなにいいことでしょう。私自身は、親に「ちちんぷいぷい…」をしてもらった記憶はないし、自分の子どもにそうしたこともありません。いつの時代にそういうことがあったのでしょう。
人間社会が余りにも複雑になった――ことが、人々に精神的苦しみをもたらしたのではないかと思います。
先日、テレビで見たのですが、類人猿と人間の一番の違いは、親は子供が“自分で生きられる”まで子育てに専念する、(楽しみながら――のようです)それしか親(大人)の役割がないようで、特にそれ以外の文化はなく、それ以外の楽しみはない――という単純な生き方のようです。
私は子育て以外に自分のやりたいことをやって来ましたし、類人猿のような生活に戻ったらいいとは勿論思ってません。
ただ、親が子どもが本当に自立できるまで育て切ることが難しい社会になってしまった!――ということに心が痛みます。
親御さんからの相談も受けていますが、可愛くて、愛情こめて育てたつもりなのに、思春期頃から、或いは20代から精神的に不安定になってしまって、30才すぎても不安定さが消えない。
そして、「人がこわい、人とうまく交われない。自分はダメな人間だ」と悶々として、そこからなかなか抜け出せない、ということを聞き、親も子どもも苦しんでいる姿に私がどう手助けできるか、思い悩んでいます。
幼いころのイメージ
青年の思い」(会報)でまとめたように、青年たちに幼い頃の自分のイメージ最初に浮かぶものを聞きました。
大部分の青年が、みんなから離れて一人でいる姿を浮かべています。
(一人で楽しく遊んでいるイメージ、友達と楽しく遊んでいるイメージを浮かべる青年もいますが)
子供の頃から、みんなとなじめず、そういう自分を否定的に感じていた、それが大人になっても人と交わることが苦手、不安を感じてしまうことにつながるようにも思います。
気質的に「自閉気質」は「自分の世界を大切にする」ものですが、それはそれでいい悪いの問題ではなく、そういう気質を受け入れる寛容さがない社会になっていることが問題かと思います。
その子の特性である気質が生かされず、周りからの疎外感を感じ、否定感を感じてコンプレックスになってしまうのではないかと思います。
一人で遊ぶことを楽しめればいいのですが、楽しかった思い出はない、という青年もいます。
幼い頃のイメージが、さびしそうだ、辛いようだと思うのは、幼い自分(インナーチャイルド)が傷ついて、それが癒されないままになっているからだと思われます。
先月号でも延べましたが、本来幼い子どもは、自分の興味のまま、自分の気持のまま、好きなことに集中し、楽しむことができるのですから。
インナーチャイルドの癒し方、育て方をまだ十分勉強してないので、もっと勉強して青年たちが少しでも生き易くなるよう、一緒に考えて行きたいと思います。
和田ミトリ
緑が少なくなったとは言え、千葉は、歩けば緑が目にはいります。
でもまた、テレビで見る棚田の緑はとりわけ美しく感じます。
そして、森の木々も様々な緑の葉をしげらせています。そんな中で、若者が働いている姿が、また若い女性も楽しそうに田植えを手伝っている情景が映されています。
でも道草の家で関わっている青年たち(彼、彼女――いつも両方を言ってます)何人かはとても苦しい辛い日々を送っています。
大きな波の底の方に行ってしまったようでなかなか浮かび上がれず、苦しんでいる。・・・・
一方では自分のやりたい事を生き生きとしてやっている若者がいるのに、一方では悶々と苦しんでいる青年がいる・・・どこで方向が変わってしまったのでしょう。
私が出会っている青年たちは、本当に知性も感性も豊かなものを持っているのに
いつも感じていることなのですが「何で?」と思います。
色々なことが重なったのだろうとは思いますが。
生まれつきの気質(とても繊細で感受性が強い、深く考える)もあるのでしょう。 家庭や学校の環境もあるでしょう。(それはまた時代の影響を大きく受けています)
子育てと社会
「ちちんぷいぷい、痛い痛い飛んで行け!」という言葉は皆さんも聞いていることでしょう。
小さい子が転んだりして、ひざをすりむいたり手足を打った時、母親が自分のつばをつけたり、さすったりしながら、「ちちんぷいぷい…」と言った時、痛さも消えたように感じる――という情景を何かで見たり聞いたりします。
青年たちの心の痛みが、こんな感じで消えたらどんなにいいことでしょう。私自身は、親に「ちちんぷいぷい…」をしてもらった記憶はないし、自分の子どもにそうしたこともありません。いつの時代にそういうことがあったのでしょう。
人間社会が余りにも複雑になった――ことが、人々に精神的苦しみをもたらしたのではないかと思います。
先日、テレビで見たのですが、類人猿と人間の一番の違いは、親は子供が“自分で生きられる”まで子育てに専念する、(楽しみながら――のようです)それしか親(大人)の役割がないようで、特にそれ以外の文化はなく、それ以外の楽しみはない――という単純な生き方のようです。
私は子育て以外に自分のやりたいことをやって来ましたし、類人猿のような生活に戻ったらいいとは勿論思ってません。
ただ、親が子どもが本当に自立できるまで育て切ることが難しい社会になってしまった!――ということに心が痛みます。
親御さんからの相談も受けていますが、可愛くて、愛情こめて育てたつもりなのに、思春期頃から、或いは20代から精神的に不安定になってしまって、30才すぎても不安定さが消えない。
そして、「人がこわい、人とうまく交われない。自分はダメな人間だ」と悶々として、そこからなかなか抜け出せない、ということを聞き、親も子どもも苦しんでいる姿に私がどう手助けできるか、思い悩んでいます。
幼いころのイメージ
青年の思い」(会報)でまとめたように、青年たちに幼い頃の自分のイメージ最初に浮かぶものを聞きました。
大部分の青年が、みんなから離れて一人でいる姿を浮かべています。
(一人で楽しく遊んでいるイメージ、友達と楽しく遊んでいるイメージを浮かべる青年もいますが)
子供の頃から、みんなとなじめず、そういう自分を否定的に感じていた、それが大人になっても人と交わることが苦手、不安を感じてしまうことにつながるようにも思います。
気質的に「自閉気質」は「自分の世界を大切にする」ものですが、それはそれでいい悪いの問題ではなく、そういう気質を受け入れる寛容さがない社会になっていることが問題かと思います。
その子の特性である気質が生かされず、周りからの疎外感を感じ、否定感を感じてコンプレックスになってしまうのではないかと思います。
一人で遊ぶことを楽しめればいいのですが、楽しかった思い出はない、という青年もいます。
幼い頃のイメージが、さびしそうだ、辛いようだと思うのは、幼い自分(インナーチャイルド)が傷ついて、それが癒されないままになっているからだと思われます。
先月号でも延べましたが、本来幼い子どもは、自分の興味のまま、自分の気持のまま、好きなことに集中し、楽しむことができるのですから。
インナーチャイルドの癒し方、育て方をまだ十分勉強してないので、もっと勉強して青年たちが少しでも生き易くなるよう、一緒に考えて行きたいと思います。
和田ミトリ
2009/05/01
生きづらさについて(2)
生きづらさについて(2)
年会費ありがとうございました――これからも!
4月に年会費をお願いしたところ、多くの方から送金して頂き、本当にありがとうございました。
ただ、郵送費としてはまだ不十分ですし、充実した活動、運営のためにも、これからでも結構ですので送金して頂ければ大変助かります。
読者の皆さまよろしくお願い致します。
アダルトチルドレン
先月から、青年たちの生きづらさを考えているのですが、「人間関係がうまく行かない、しんどい」「気を使いすぎ、傷つき易い」などが多く、これは、、機能不全な家族で育った、いわゆるアダルトチルドレンの行きづらさでもあるようです。
機能不全とまででなくても、いつも“いい子”でなければならなかった、素直な自分を出せなかった、――親の価値観や育て方で――ということが、大人になっても人間関係がしんどく、自信がない(ありのままの自分を信じられない)につながるようです。
「アダルトチルドレンの癒し」について書かれた本のチェックリストには40ほどの項目がありますが、青年たちと関連のがあるものをあげると
•自分に自信がない
•自分に対して過酷な批判をする
•自分は生きている価値がないと思う
•人生を楽しむことが下手である
•他人から認められたいという気持が強い
•摂食障害を起こしている
•他人の目が気になる、被害妄想に陥りやすい
•抑うつ状態に陥る
私自身も生きづらさを感じて来ましたが、両親が仲が悪いというわけではなく、半分自分の意志で9才で養女になり、養父母との信頼関係が出来ないまま、思春期になり、大人になってしまった。
大家族から3人になり、寂しさを感じながら、それを素直に出せず、「帰りたい」とも言えず、子供心に諦めを感じてしまった。
大人になってもなかなか自己表現、自己主張ができず、自信がなく強い言葉にはひいてしまうような…そして時々うつ的になったり。
でも、私の子ども時代は、勉強はそんなに重視されず、時間もあって、よく遊んだこと、友だちと楽しく遊ぶことができて大人になっても楽しむことができます。好奇心もあり、好きなこと、したいこともあります。
ですが、青年たちの中には、子供の頃、楽しかった思い出がなかったり、今も好きなことも特になく、したいことも分からない、と言う青年もいます。
そして、青年たちは「他人から認められたい」という気持が強く、「人と同じようにできない自分」――「働いていない自分」とか、「年齢相応の社会性がない自分」を“ダメだ”と思ってしまう。人それぞれだから“ありのままの自分でいい”とは思えない。
「ありのままの自分では人に受け入れられない」(親にも人にも)という思いが心にしみついていると思われます。
そこには、親が自分の思い価値観通りに子どもを育てたい気持が強く、子どもの気質に合わせたり、子どもの気質を尊重することに気づかなかったりして(親と子の気質とか時代環境も違う)、愛情がなかったわけではないのに…ということもあります。
親が人に合わせること、協調することが苦にならないため、(性格的に外向的で、自己表現もできて)子どもにそれを求めるとか、母親が父親や祖父母に非常に気を使ってるのをみたり、聞いたりして、或いは両親の仲がとても悪く、中をとりもったりして、「母親のことが心配、支えなくては」との思いも起こり、我がままも言えず、「いやだ」とも言えない…そんな子ども時代を過ごしたことが想像されます。
インナーチャイルド
皆さんは自分の子どもの頃、小さかった頃を思い浮かべるとき、どんなイメージ、姿が思い浮かぶでしょうか。
笑っている小さい子、泣いてる子、怒ってる子、何か訴えてる子、或いは何も浮かばない方もいるかもしれません。
私は、笑ってる小さな子が浮かぶのですが、それを浮かべるとき、悲しい気持になります。小さな頃の悲しさがまだ癒されないのかもしれません。
多くのアダルトチルドレンは、子どもの時心に傷つき、その癒し方が分からなかったため、その傷あとが残ったまま大人になってしまったと言えます。
自分の心の中には、大きな傷のため成長が止まってしまっている子ども――それをインナーチャイルド(内なる子ども)と言います――が誰にも(大人になった本人にも)理解されず、認められず、愛されず、小さくなっておどおどしながら心の中にうずくまっているのです。
インナーチャイルドは本来はその人の気質、性格と、子どもとしての普遍的な天性を持ったもので、本当の自分と言えます。
生まれて間もない赤ちゃんから、育って行く赤ちゃんのイメージはどうでしょうか。
あどけなさでいっぱい!自分の興味のまま動き、自分の気持のまま泣いたり笑ったり、そして新しいことに挑戦し、学ぶ力、好きなことに集中する力があります。
でも、人と一緒に過ごす時、自分が好きなことだけを言ったり、したりして生きて行くわけには行かないのをだんだんと知って行きます。そして大人に近づくにつれ、様々な人と出会い、社会のルールに従うことも必要になって来ます。自分のインナーチャイルドと、大人として自制する部分とを折り合いをつけて生きて行くことになります。
ですが、アダルトチルドレンは、インナーチャイルドが傷つき、抑えられて、成長しないため、ありのままの自分を認められず、ありのままの自分を出せず、(自制することも言葉を選ぶことも必要ですが)自発性や個性が出せずにいつも本来の自分を生きていない不全感を感じている、それが生きづらさの主な要因ではないかと思います。そして青年たちだけでなくその親の方も、私も、多かれ少なかれアダルトチルドレンではないかと思われるのですが。
アダルトチルドレンから抜け出し、本来の自分をとり戻すには、インナーチャイルドを癒やし育てていく必要があると思います。どうしたらインナーチャイルドを癒し育てて行かれるか、関心のある方がいらしたら、一緒に学んでいきたいと思います。
(参考文献 「アダルトチルドレン癒しのワーク」
西尾和美著 学陽書店)
和田ミトリ
年会費ありがとうございました――これからも!
4月に年会費をお願いしたところ、多くの方から送金して頂き、本当にありがとうございました。
ただ、郵送費としてはまだ不十分ですし、充実した活動、運営のためにも、これからでも結構ですので送金して頂ければ大変助かります。
読者の皆さまよろしくお願い致します。
アダルトチルドレン
先月から、青年たちの生きづらさを考えているのですが、「人間関係がうまく行かない、しんどい」「気を使いすぎ、傷つき易い」などが多く、これは、、機能不全な家族で育った、いわゆるアダルトチルドレンの行きづらさでもあるようです。
機能不全とまででなくても、いつも“いい子”でなければならなかった、素直な自分を出せなかった、――親の価値観や育て方で――ということが、大人になっても人間関係がしんどく、自信がない(ありのままの自分を信じられない)につながるようです。
「アダルトチルドレンの癒し」について書かれた本のチェックリストには40ほどの項目がありますが、青年たちと関連のがあるものをあげると
•自分に自信がない
•自分に対して過酷な批判をする
•自分は生きている価値がないと思う
•人生を楽しむことが下手である
•他人から認められたいという気持が強い
•摂食障害を起こしている
•他人の目が気になる、被害妄想に陥りやすい
•抑うつ状態に陥る
私自身も生きづらさを感じて来ましたが、両親が仲が悪いというわけではなく、半分自分の意志で9才で養女になり、養父母との信頼関係が出来ないまま、思春期になり、大人になってしまった。
大家族から3人になり、寂しさを感じながら、それを素直に出せず、「帰りたい」とも言えず、子供心に諦めを感じてしまった。
大人になってもなかなか自己表現、自己主張ができず、自信がなく強い言葉にはひいてしまうような…そして時々うつ的になったり。
でも、私の子ども時代は、勉強はそんなに重視されず、時間もあって、よく遊んだこと、友だちと楽しく遊ぶことができて大人になっても楽しむことができます。好奇心もあり、好きなこと、したいこともあります。
ですが、青年たちの中には、子供の頃、楽しかった思い出がなかったり、今も好きなことも特になく、したいことも分からない、と言う青年もいます。
そして、青年たちは「他人から認められたい」という気持が強く、「人と同じようにできない自分」――「働いていない自分」とか、「年齢相応の社会性がない自分」を“ダメだ”と思ってしまう。人それぞれだから“ありのままの自分でいい”とは思えない。
「ありのままの自分では人に受け入れられない」(親にも人にも)という思いが心にしみついていると思われます。
そこには、親が自分の思い価値観通りに子どもを育てたい気持が強く、子どもの気質に合わせたり、子どもの気質を尊重することに気づかなかったりして(親と子の気質とか時代環境も違う)、愛情がなかったわけではないのに…ということもあります。
親が人に合わせること、協調することが苦にならないため、(性格的に外向的で、自己表現もできて)子どもにそれを求めるとか、母親が父親や祖父母に非常に気を使ってるのをみたり、聞いたりして、或いは両親の仲がとても悪く、中をとりもったりして、「母親のことが心配、支えなくては」との思いも起こり、我がままも言えず、「いやだ」とも言えない…そんな子ども時代を過ごしたことが想像されます。
インナーチャイルド
皆さんは自分の子どもの頃、小さかった頃を思い浮かべるとき、どんなイメージ、姿が思い浮かぶでしょうか。
笑っている小さい子、泣いてる子、怒ってる子、何か訴えてる子、或いは何も浮かばない方もいるかもしれません。
私は、笑ってる小さな子が浮かぶのですが、それを浮かべるとき、悲しい気持になります。小さな頃の悲しさがまだ癒されないのかもしれません。
多くのアダルトチルドレンは、子どもの時心に傷つき、その癒し方が分からなかったため、その傷あとが残ったまま大人になってしまったと言えます。
自分の心の中には、大きな傷のため成長が止まってしまっている子ども――それをインナーチャイルド(内なる子ども)と言います――が誰にも(大人になった本人にも)理解されず、認められず、愛されず、小さくなっておどおどしながら心の中にうずくまっているのです。
インナーチャイルドは本来はその人の気質、性格と、子どもとしての普遍的な天性を持ったもので、本当の自分と言えます。
生まれて間もない赤ちゃんから、育って行く赤ちゃんのイメージはどうでしょうか。
あどけなさでいっぱい!自分の興味のまま動き、自分の気持のまま泣いたり笑ったり、そして新しいことに挑戦し、学ぶ力、好きなことに集中する力があります。
でも、人と一緒に過ごす時、自分が好きなことだけを言ったり、したりして生きて行くわけには行かないのをだんだんと知って行きます。そして大人に近づくにつれ、様々な人と出会い、社会のルールに従うことも必要になって来ます。自分のインナーチャイルドと、大人として自制する部分とを折り合いをつけて生きて行くことになります。
ですが、アダルトチルドレンは、インナーチャイルドが傷つき、抑えられて、成長しないため、ありのままの自分を認められず、ありのままの自分を出せず、(自制することも言葉を選ぶことも必要ですが)自発性や個性が出せずにいつも本来の自分を生きていない不全感を感じている、それが生きづらさの主な要因ではないかと思います。そして青年たちだけでなくその親の方も、私も、多かれ少なかれアダルトチルドレンではないかと思われるのですが。
アダルトチルドレンから抜け出し、本来の自分をとり戻すには、インナーチャイルドを癒やし育てていく必要があると思います。どうしたらインナーチャイルドを癒し育てて行かれるか、関心のある方がいらしたら、一緒に学んでいきたいと思います。
(参考文献 「アダルトチルドレン癒しのワーク」
西尾和美著 学陽書店)
和田ミトリ
2009/04/01
生きづらさ
冬に逆戻りのような日々はありましたが、春は確実にやって来るのを感じます。桜の開花は早いのに満開は遅い、自然は一直線には移って行かない、人間の思い通りには進まない。でも、日本は四季の変化が豊かで、自然を身近に感じられます。
月末が近づくと会報を書かねばならないことを考え、「できるかな」という不安がよぎります。でもこうして1ヶ月を振り返りながら、感じることに集中してまとめて行くことは、私にとっていい機会が与えられている、“恵まれている”のを改めて感じます。そういう機会がないと1ヶ月、2ヵ月、漠然と過ごしてしまいます。
青年の集いに参加している青年、訪問や電話で関わっている青年たちのことを思うと、青年たちは非常に生きづらさを感じており、心が痛みます。社会に出ている人も勿論生きづらさを感じている人は多いですが、青年たちは、そのため、なかなか前に進めない、そして、それぞれ生きづらさは少しずつ違うわけで、それを少しでも和らげていくのが道草の家の役目かなと思います。
私自身、どちらかと言うと、生きづらさを感じて来ました。思春期頃からコンプレックスが強く、話すことが苦手、不全感を感じて、でも――だからでしょうか――社会と関わることをしたい、充実感を感じるようなことをして、身心を精一杯動かすようなことをしたいと思い、性格的に(てきぱき活動的でないので)合わないのにリーダーシップをとるようなこともしたりして、生きづらさを感じる日々を送って来ました。でもそうしたことを何もしないのも生きづらいのかもしれません。人間は単純ではなく相反する性格や思いを持つものでしょう。文明が発達し、社会が複雑になればなるほど、一層そうなって、生きづらくなるように思います。
生きづらさと人間関係
青年たちの生きづらさの多くは人間関係の問題のようです。「人間関係がきつい」「人間関係の作り方がわからない」「自信がない」「緊張する」など。
「相手はどう思うだろうか。自分の言葉で相手が不快に思ったり、傷つくのではないか」「自分はこういう場(職場、人がいる場)で適切な言葉を発しているだろうか、年齢相応の話、言葉使いをしているだろうか」などとても気を使っています。気を使えないのではなく気を使いすぎています。(私は、ぼーっとした性格で母に「気が利かない」とよく言われました)。でもあまりにも、相手のことを考え、自分の気持を素直に出せないでいる、それがもやもやしたり、苦しかったりします。
「相手を傷つけることは非常に悪いこと」という観念が強いように思います。それは自分が傷ついた体験を持ち、その辛さが分かるからでしょう。(繊細だったり、いじめを受けたりして)。人間はそれぞれ違うように、その人その人の思いがあって、傷つけるつもりでないことにも傷ついてしまうこともある、(単に考え方が違うだけでも)ということを子供の頃から認識する体験がなかったからかもしれません。その人の問題で傷ついてしまったのに、傷つけるほうが悪い――と一方的に思う人もいるわけで、傷つけたり、不快にさせることを全く避けては人間関係は築けないでしょうが、あまりに繊細だったり非常に辛い体験をしているとなかなかそうは思えないようです。また日本人は体質的に傷つきやすいということも聞いています。
自己肯定感を得るには
どうしたら、「少々人を傷つけるのは仕方がない」と思える、或いは深く傷つかないような自己肯定感、自己信頼感が得られるでしょうか。
一つには「人の役に立っている」感謝され「ありがとう」と言われる体験を多く持つことかと思います。家庭の中で親や家族から「ありがとう」と言われる体験やボランティア体験をすることなど。
そして、自分も意識して「ありがとう」と言う体験も大事では、と思います。昔から、ごはんを食べる時、「いただきます」と言いますが、稲を育てたお百姓さん、精米して、お店まで運ぶ人、お店で売るお米屋さん、そしてそれを買って来てごはんを炊いたお母さん(そのために必要なおかまやお茶わんを作った人も)…など沢山の人、八十八の手を経て食べられるようになったことを感謝する意味があって、「いただきます」「ごちそうさま」を言うのだと教わりました。
その他、お金で色々物を買ってますが、そこには沢山の手が加えられているのですね。(お金さえあれば、好きな物が買える、好きなことができる、と思いがちですが、目の前には見えない沢山の人の手があってこそ、可能になるのだと思います。)
心の不自由さを外したい?
「心の自由、不自由」をもう一度考えてみますと、「したいことができない不自由さ」を第一の不自由とし、第二の不自由として「できるはずなのに」「誰でもできることを、できない自分はだめ」と自分を責めることなのですが、この第二の不自由さを感じなければ、心はそんなに不自由にならない、楽になると思います。
つまり「うまくいかないこともある」「失敗したとしても、失敗することは本当に悪いことではない、完璧などありえない」「失敗するから何もしない――よりも、失敗するかもしれないけど、行動する方がいい」とは思えないでしょうか。
日本人の風潮として「失敗は悪いこと」と言われ、(私の母もそう言ってました)自己責任ばかり追及されがちですが、もっと寛容になってほしいと思います。契約社会と言われ、責任も重視されるアメリカですが、失敗してもそれを回復しようと努力する人には応援支援する国民性があると聞きました。
それから人間には先のことを考える想像力があって、先のことをマイナスに想像してしまう心の不自由さもあるわけですが、また先のことをプラスに想像する力もあるわけです。
「自分はこういうことをしたい。こういうことをしたら自分はこうなるだろう」とか、「こういう自分になりたい」「こういう自分になりたいからこんなことをしたい」など、プラスのこと明るいイメージを抱く、それは脳を活性化させ、また脳の記憶の場所にそういうイメージが記憶されます。(SAT療法でよく言われます)。そしてエネルギーが出ます。そして明るいイメージの方に近づくことができる…可能性があります。
人の心は不自由な面がありますが、視点を変えれば自由になることもあるのではないでしょうか。
和田ミトリ
月末が近づくと会報を書かねばならないことを考え、「できるかな」という不安がよぎります。でもこうして1ヶ月を振り返りながら、感じることに集中してまとめて行くことは、私にとっていい機会が与えられている、“恵まれている”のを改めて感じます。そういう機会がないと1ヶ月、2ヵ月、漠然と過ごしてしまいます。
青年の集いに参加している青年、訪問や電話で関わっている青年たちのことを思うと、青年たちは非常に生きづらさを感じており、心が痛みます。社会に出ている人も勿論生きづらさを感じている人は多いですが、青年たちは、そのため、なかなか前に進めない、そして、それぞれ生きづらさは少しずつ違うわけで、それを少しでも和らげていくのが道草の家の役目かなと思います。
私自身、どちらかと言うと、生きづらさを感じて来ました。思春期頃からコンプレックスが強く、話すことが苦手、不全感を感じて、でも――だからでしょうか――社会と関わることをしたい、充実感を感じるようなことをして、身心を精一杯動かすようなことをしたいと思い、性格的に(てきぱき活動的でないので)合わないのにリーダーシップをとるようなこともしたりして、生きづらさを感じる日々を送って来ました。でもそうしたことを何もしないのも生きづらいのかもしれません。人間は単純ではなく相反する性格や思いを持つものでしょう。文明が発達し、社会が複雑になればなるほど、一層そうなって、生きづらくなるように思います。
生きづらさと人間関係
青年たちの生きづらさの多くは人間関係の問題のようです。「人間関係がきつい」「人間関係の作り方がわからない」「自信がない」「緊張する」など。
「相手はどう思うだろうか。自分の言葉で相手が不快に思ったり、傷つくのではないか」「自分はこういう場(職場、人がいる場)で適切な言葉を発しているだろうか、年齢相応の話、言葉使いをしているだろうか」などとても気を使っています。気を使えないのではなく気を使いすぎています。(私は、ぼーっとした性格で母に「気が利かない」とよく言われました)。でもあまりにも、相手のことを考え、自分の気持を素直に出せないでいる、それがもやもやしたり、苦しかったりします。
「相手を傷つけることは非常に悪いこと」という観念が強いように思います。それは自分が傷ついた体験を持ち、その辛さが分かるからでしょう。(繊細だったり、いじめを受けたりして)。人間はそれぞれ違うように、その人その人の思いがあって、傷つけるつもりでないことにも傷ついてしまうこともある、(単に考え方が違うだけでも)ということを子供の頃から認識する体験がなかったからかもしれません。その人の問題で傷ついてしまったのに、傷つけるほうが悪い――と一方的に思う人もいるわけで、傷つけたり、不快にさせることを全く避けては人間関係は築けないでしょうが、あまりに繊細だったり非常に辛い体験をしているとなかなかそうは思えないようです。また日本人は体質的に傷つきやすいということも聞いています。
自己肯定感を得るには
どうしたら、「少々人を傷つけるのは仕方がない」と思える、或いは深く傷つかないような自己肯定感、自己信頼感が得られるでしょうか。
一つには「人の役に立っている」感謝され「ありがとう」と言われる体験を多く持つことかと思います。家庭の中で親や家族から「ありがとう」と言われる体験やボランティア体験をすることなど。
そして、自分も意識して「ありがとう」と言う体験も大事では、と思います。昔から、ごはんを食べる時、「いただきます」と言いますが、稲を育てたお百姓さん、精米して、お店まで運ぶ人、お店で売るお米屋さん、そしてそれを買って来てごはんを炊いたお母さん(そのために必要なおかまやお茶わんを作った人も)…など沢山の人、八十八の手を経て食べられるようになったことを感謝する意味があって、「いただきます」「ごちそうさま」を言うのだと教わりました。
その他、お金で色々物を買ってますが、そこには沢山の手が加えられているのですね。(お金さえあれば、好きな物が買える、好きなことができる、と思いがちですが、目の前には見えない沢山の人の手があってこそ、可能になるのだと思います。)
心の不自由さを外したい?
「心の自由、不自由」をもう一度考えてみますと、「したいことができない不自由さ」を第一の不自由とし、第二の不自由として「できるはずなのに」「誰でもできることを、できない自分はだめ」と自分を責めることなのですが、この第二の不自由さを感じなければ、心はそんなに不自由にならない、楽になると思います。
つまり「うまくいかないこともある」「失敗したとしても、失敗することは本当に悪いことではない、完璧などありえない」「失敗するから何もしない――よりも、失敗するかもしれないけど、行動する方がいい」とは思えないでしょうか。
日本人の風潮として「失敗は悪いこと」と言われ、(私の母もそう言ってました)自己責任ばかり追及されがちですが、もっと寛容になってほしいと思います。契約社会と言われ、責任も重視されるアメリカですが、失敗してもそれを回復しようと努力する人には応援支援する国民性があると聞きました。
それから人間には先のことを考える想像力があって、先のことをマイナスに想像してしまう心の不自由さもあるわけですが、また先のことをプラスに想像する力もあるわけです。
「自分はこういうことをしたい。こういうことをしたら自分はこうなるだろう」とか、「こういう自分になりたい」「こういう自分になりたいからこんなことをしたい」など、プラスのこと明るいイメージを抱く、それは脳を活性化させ、また脳の記憶の場所にそういうイメージが記憶されます。(SAT療法でよく言われます)。そしてエネルギーが出ます。そして明るいイメージの方に近づくことができる…可能性があります。
人の心は不自由な面がありますが、視点を変えれば自由になることもあるのではないでしょうか。
和田ミトリ
2009/03/01
ひとりごと
人と関わる私を見て「優しいだけでなく、強さも必要だ」という言葉を受けることがある。私は強い人、強い言葉にたじろぐ弱さを持っている。人に対し強いことは言えない。でも人と関わることが好きで、心の交流を求めてカウンセラーの道を選んだ(色々な活動、仕事を経て 私の心の根本にある感情は何だろう。10年位前は「悲しい」という言葉がよく浮かんだ。今は殆んど意識されないが、今、ふと心の奥にある感情をみつめると、“悲しい”という言葉も浮かぶ。でも多くを占めているわけではない。
そう、少し悲しく、少し不安で(時には大きくなるが)、少しユウウツで(時には大きくなるが)、少しさびしく、少し明るく、少し暖かく、そして少し諦めの気持があり、すこし何か未来への期待があり…それが“自分”なんだという気持ちがある。若い頃は非常に自信がなく、悲観主義が強かった。今は「人間って、みにくい存在だ」と思う面もあるが、「人間ってやっぱりいいもんだ」との思いもあり、それが自分を支えて来たのだろう。
また気質的に完ぺき主義ではなく、思いつめないところがあり悲観的な気持、ユウウツ感にとらわれることがあっても、好きなこと楽しいことをしたい気持も残っており、(映画、読書、テレビドラマ、美術館めぐりなど)、話ができる友だちがいた――ということが、今まで何とか活動を続けられた理由かもしれない。
カウンセリングだけの仕事であれば、私のカウンセリングに合う人が続けて行くことでいいけれど、「道草の家」という所で大勢の青年や親の方、支援者などと関わる場合、できるだけ多くの人が、参加することで得るものがある――ことの考慮も!
「私でいいのかな」とふと思うこともあるけど、スタッフに支えられ、青年たちから元気をもらいながら、(青年たちと話すのも好き)できるだけのことをやるしかない――よね、とひとりごと。自分の弱さを自覚しているからこそ、弱い人の気持になっている人、弱い立場の人、辛い気持になっている人の気持を理解し易い――ということもあるだろうし。でも十分に理解し、十分な対応ができないことも勿論あって、「許してほしい」と言う気持も・・・・
心の自由・不自由
自分の気持ちはいつも自由だ――と思える人は少ないでしょう。生活が豊かになったのに、なぜこんなに悩むことが多いのか――と思う人が多いのでは。
人間以外の生物、ある昆虫などは土の中、木(幹)の中に何年もじっとしていても悩まない。人間は知恵が発達し、明日のこと、さらにその先のことを考えるようになり、植物を育てたりして先の備えもできるようになった、でも一方、飢饉で食べられなくなるのではないか、という先のことを考えての不安の感情も生じて来ます。(以下、「心はなぜ不自由か」(PHP新書)を読んで共感したところをまとめてみます。)
昔の人の生活は自然に支配されることが多く、選択肢が少ない一生でした。でも文明が進むにつれ多様になり、選択肢が多くなって来ます。目の前の対象を手に入れる自由が多くなればなるほど、手に入れられない不自由も多くなります。この自由とは「しようとしてできること」で、不自由とは「しようとしてできないこと」と言えますが、それを第一の不自由とすれば、できないと分かった上で、当初したいと思った、その思いそのものを、自分でコントロールできない――という第二の不自由が起こって来ます。
多くの人がやっていることだから「できるはず」「かんばればできるはず」・・・でもがんばってもうまくいかないこと(第二の不自由)そして悩み苦しむ――ということは非常に多いのではないでしょうか。
青年たちや親の方、今の日本社会を見るにつけ(自分も含めて)、第二の不自由に振りまわされ、辛い思いをしてる人が多いのを感じます。「多くの人が働いているように、なぜ自分は(子どもは)働けないのだろう」「なぜ、普通の、社会一般の人と同じようにコミュニケーションができないのだろう」「自分と同じくらいの年の人は結婚しているのに、自分はできない…」など、特に日本人は「他人からどう見られているか」「普通が大事」という観念があるので、多くの人(普通)からはみ出たことを恥しいと思いがちです。
でも、しようとしてできないことは誰でもあると思います。素質、気質、それまでの辛い体験、そして体験不足などで。
はっきりした障害があれば、それを自然の壁(人為ではどうしようもない)として、断念して、ありのままをひき受けて、それなりの生き方を考えて行こう、という思いに、切り変えられます。でも長くひきこもっている青年やいじめ、不登校を経験している青少年は、自立の力がついていないこと、目に見えない力不足もありますし、対人恐怖が強かったり、それ以上に強いコンプレックスという“第二の不自由”で自分を縛ってしまい、動きをとれなくしていると思います。目に見えた障害があるわけではないので、人は「がんばればできるはず」と思っているに違いない――という思いにとらわれて苦しんでいます。
東南アジアの子どもたち
<青年の思い>の方でも語られていますが、フィリピンなど東南アジアの貧しい生活をしている子どもたちが、生き生きした目をしている――というのはなぜでしょう。一つには、今述べた心の不自由を感じていないからでは、と思います。一日一日を精一杯生きることで、他の選択肢がないことは、「もっと他のことをしたいのにできない」とか「できない自分はダメだ」と思うこともないからだと思います。できること(マンゴを売ったり、ゴミの山から売れるものを探したり)をやっているし、家族や友達と助け合って生きている実感があるからではないでしょうか。人とくらべることがなく意識しないでしょうが、お互いに認め認められ自己肯定があるでしょう。
若いお母さんなど子育てに不安を感じ、神経過敏になっているのを聞きます。砂場で遊ばせるのも、猫や犬のふんがあるから不潔で病気になっては困るの――と言って遊ばせない――とかなど
そして、他の子に遅れをとらないよう、1才から塾につれて行ったり、先の先のことを考えているようです。自分も人も信頼できなし、先のことを考え、不安になる、まわりとくらべて遅れないか、ふつうでないとどう思われるだろう。――と他を気にするから不安になる。親自身が不安であれば子どもが不安になる、日本の子どもたちは他の国にくらべ自己肯定感を持てない子どもが多い。そのままの自分を受け入れられない不自由を感じているし、それには、自分を肯定できない気持もあるでしょう。
私たちが万葉の時代、万葉集の歌・防人の歌などに憧れ癒されるのも選択肢のない中で他とくらべることなく素直な自分の思いを、ひたむきな思いを歌っているからではないか、と思います。
和田ミトリ
そう、少し悲しく、少し不安で(時には大きくなるが)、少しユウウツで(時には大きくなるが)、少しさびしく、少し明るく、少し暖かく、そして少し諦めの気持があり、すこし何か未来への期待があり…それが“自分”なんだという気持ちがある。若い頃は非常に自信がなく、悲観主義が強かった。今は「人間って、みにくい存在だ」と思う面もあるが、「人間ってやっぱりいいもんだ」との思いもあり、それが自分を支えて来たのだろう。
また気質的に完ぺき主義ではなく、思いつめないところがあり悲観的な気持、ユウウツ感にとらわれることがあっても、好きなこと楽しいことをしたい気持も残っており、(映画、読書、テレビドラマ、美術館めぐりなど)、話ができる友だちがいた――ということが、今まで何とか活動を続けられた理由かもしれない。
カウンセリングだけの仕事であれば、私のカウンセリングに合う人が続けて行くことでいいけれど、「道草の家」という所で大勢の青年や親の方、支援者などと関わる場合、できるだけ多くの人が、参加することで得るものがある――ことの考慮も!
「私でいいのかな」とふと思うこともあるけど、スタッフに支えられ、青年たちから元気をもらいながら、(青年たちと話すのも好き)できるだけのことをやるしかない――よね、とひとりごと。自分の弱さを自覚しているからこそ、弱い人の気持になっている人、弱い立場の人、辛い気持になっている人の気持を理解し易い――ということもあるだろうし。でも十分に理解し、十分な対応ができないことも勿論あって、「許してほしい」と言う気持も・・・・
心の自由・不自由
自分の気持ちはいつも自由だ――と思える人は少ないでしょう。生活が豊かになったのに、なぜこんなに悩むことが多いのか――と思う人が多いのでは。
人間以外の生物、ある昆虫などは土の中、木(幹)の中に何年もじっとしていても悩まない。人間は知恵が発達し、明日のこと、さらにその先のことを考えるようになり、植物を育てたりして先の備えもできるようになった、でも一方、飢饉で食べられなくなるのではないか、という先のことを考えての不安の感情も生じて来ます。(以下、「心はなぜ不自由か」(PHP新書)を読んで共感したところをまとめてみます。)
昔の人の生活は自然に支配されることが多く、選択肢が少ない一生でした。でも文明が進むにつれ多様になり、選択肢が多くなって来ます。目の前の対象を手に入れる自由が多くなればなるほど、手に入れられない不自由も多くなります。この自由とは「しようとしてできること」で、不自由とは「しようとしてできないこと」と言えますが、それを第一の不自由とすれば、できないと分かった上で、当初したいと思った、その思いそのものを、自分でコントロールできない――という第二の不自由が起こって来ます。
多くの人がやっていることだから「できるはず」「かんばればできるはず」・・・でもがんばってもうまくいかないこと(第二の不自由)そして悩み苦しむ――ということは非常に多いのではないでしょうか。
青年たちや親の方、今の日本社会を見るにつけ(自分も含めて)、第二の不自由に振りまわされ、辛い思いをしてる人が多いのを感じます。「多くの人が働いているように、なぜ自分は(子どもは)働けないのだろう」「なぜ、普通の、社会一般の人と同じようにコミュニケーションができないのだろう」「自分と同じくらいの年の人は結婚しているのに、自分はできない…」など、特に日本人は「他人からどう見られているか」「普通が大事」という観念があるので、多くの人(普通)からはみ出たことを恥しいと思いがちです。
でも、しようとしてできないことは誰でもあると思います。素質、気質、それまでの辛い体験、そして体験不足などで。
はっきりした障害があれば、それを自然の壁(人為ではどうしようもない)として、断念して、ありのままをひき受けて、それなりの生き方を考えて行こう、という思いに、切り変えられます。でも長くひきこもっている青年やいじめ、不登校を経験している青少年は、自立の力がついていないこと、目に見えない力不足もありますし、対人恐怖が強かったり、それ以上に強いコンプレックスという“第二の不自由”で自分を縛ってしまい、動きをとれなくしていると思います。目に見えた障害があるわけではないので、人は「がんばればできるはず」と思っているに違いない――という思いにとらわれて苦しんでいます。
東南アジアの子どもたち
<青年の思い>の方でも語られていますが、フィリピンなど東南アジアの貧しい生活をしている子どもたちが、生き生きした目をしている――というのはなぜでしょう。一つには、今述べた心の不自由を感じていないからでは、と思います。一日一日を精一杯生きることで、他の選択肢がないことは、「もっと他のことをしたいのにできない」とか「できない自分はダメだ」と思うこともないからだと思います。できること(マンゴを売ったり、ゴミの山から売れるものを探したり)をやっているし、家族や友達と助け合って生きている実感があるからではないでしょうか。人とくらべることがなく意識しないでしょうが、お互いに認め認められ自己肯定があるでしょう。
若いお母さんなど子育てに不安を感じ、神経過敏になっているのを聞きます。砂場で遊ばせるのも、猫や犬のふんがあるから不潔で病気になっては困るの――と言って遊ばせない――とかなど
そして、他の子に遅れをとらないよう、1才から塾につれて行ったり、先の先のことを考えているようです。自分も人も信頼できなし、先のことを考え、不安になる、まわりとくらべて遅れないか、ふつうでないとどう思われるだろう。――と他を気にするから不安になる。親自身が不安であれば子どもが不安になる、日本の子どもたちは他の国にくらべ自己肯定感を持てない子どもが多い。そのままの自分を受け入れられない不自由を感じているし、それには、自分を肯定できない気持もあるでしょう。
私たちが万葉の時代、万葉集の歌・防人の歌などに憧れ癒されるのも選択肢のない中で他とくらべることなく素直な自分の思いを、ひたむきな思いを歌っているからではないか、と思います。
和田ミトリ
2009/02/01
気になること
会報を作る時期、自分の文を書き上げる日が迫っているのに、はっきりしたテーマ、「これを皆さんに伝えたい」「皆さんと一緒に考えたい」というものが浮かびません。
胸とお腹のあたりに気持を集中して「何が気になっているのだろう」と問いかけてみる。しばらくの間。…「早く家の中を整理しないと」という言葉が浮かぶ。母が亡くなった後、母のものも、自分のものも整理して…それは分かっている。他のこと――やはり道草の家の青年たちのことが浮かぶ。いい方向に変化があった人、調子が悪くなった人、変化がなかなかない人…それから、NPO法人として活動をもっと充実したものにしたい…。
青年たち
やはり青年たちができるだけ自分を肯定でき、自分らしく生きいき生きられる方向に歩んでほしい――ということが一番思うことです。最近一歩、二歩と踏み出した青年がいて嬉しく思います。それは急に――という感じです。
ある青年は1年以上通って来て青年の集いに参加していましたが、自分からはまったく話さず、質問に簡単に答えるだけの日々――が、急に自分から質問したり、答える時も色々と話すようになりました。それは、自分から話さなくても、他の人の会話を聞いているだけでも、言葉のやりとりが、体の中にはいっていたのでしょう。その2週間位までは、私の質問「この集いで話をすることは、来ている人と話し合い親しくなって、色々話せる仲間がほしいからか、それとも、アルバイトをするためにコミュニケーションの力をつけていからか」に対して、「仲間がほしいからではない、アルバイトのためのコミュニケーションができるようになりたいから」と答えていたのが、急に自分から質問したり声かけたり、自分の考えを言うようになりました。不登校になってから10年近く家族以外の人と話したことがなかったのですが、他の人に関心を持ち、仲間との会話を楽しむようになりました。青年たちが自分の悩みを話している場でも、適格な質問をしたり自分の考えを述べたり目を見張る変化です。
もう一人の青年は1年近く集いに参加していましたが(間が1ヶ月以上もあいたり、ポツポツという感じで通ってました)、自分からは話さないし、質問にもなかなか答えられない時があったりしていたのが、先日「相手のことを知りたい、とか、興味のあることを質問してみる」ことを順番にやってみることにして、彼に「質問してみて」と言ったら、彼は隣の青年に質問しました。そして、相手の答に自分のことを話したり、また質問したり、言葉のキャッチボールができ、会話が続きました。場面を設定して話易くすれば、きっかけを与えれば、できるんだ!――と嬉しく思いました。
また、「青年の思い」の中でも紹介しましたが、青年たちがグループで話し合うことの効果も感じます。今までも「アサーション(自己主張)」とか「認知行動療法」の時間を設け、お互いに悩みを話し合いながら、解決の方向を探る――ということをやって来ましたが、特にそういう時間を設けなくても、自然にそういう話し合いがなされることがあります。
ただ、こういう話し合いに参加できない、他の人と交わる(特に同世代)ことができない青年もいて心が痛みます。
中学や高校でいじめに合ったり、集団にはいれず疎外感を感じたりして、アルバイトをしても人間関係がうまくいかず、辛い思いをし、他人にも自分にも強い不信感を持ってしまった…青年たち。
ある青年は高校時代、集団行動に苦痛を感じ、自分はサラリーマンにはなれない、と思ったと言います。と言って他の職業のことは何も知らず、高卒後いくつかアルバイトをしたが、人間関係が難しく続かなかった。その後も、必死に応募しても採用まで行かず、一人で絶望的になったまま、「自分は働けない」という思いから抜け出せずにいます。「卒業までに色々な職業があり、自分にはどんな職業が合うか、を知りたかった。その機会があればよかった」とも言います。
またある青年は高校でいじめられ、それに親や教師が十分な対応ができず、何年もそれをひきずっています。自己肯定感が持てず、傷つき易く、しばしば怒りになります。他の青年とも共通するのですが、高校生に出会うのが非常に苦痛です。
相談される方のお子さんは、他の人に会えない、同世代のグループにはいれないという場合が多く、心のことは触れたくない青年がいます。(訪問などで私と話しながら、グループには参加しないで、働き出した青年もいるので、必ずしもグループ参加が必要ではないと思いますが)
人と会うのも苦痛、働くことを考えるのも苦痛、働くことは恐怖、という青年に、親や私たちはどう関わったらいいか。不安や恐怖をとり除く努力をするか、「働かなくてもいいよ」と言って上げれば苦痛はなくなるのか、その子にとって何が幸せなのか――
啓蒙活動について
NPO法人としての道草の家の活動を広く知ってもらいたい、と同時に地域の人、一般の人にも役に立ちたい(道草の家の人材を生かして)という意味で啓蒙活動を積極的に行いたいと考えています。
その一つとしてコミュニケーションワークを公民館で行いましたが、前回は道草の家の青年やスタッフなど関係者が多かったので、(充実したワークで「継続してほしい」という声がありました)、次回は主として一般の方を対象に8回シリーズで4月から行う予定です。
もう一つは内部向けに(主として青年や親の方対象、どなたでも)ミニ講演会を開こうと考えています。まず理事の方たち、ユニークで豊富な仕事や活動をされてますので、その体験を話して頂くことにしました。(隔月に)
まず最初に3月15日(日)に帝京平成大学教授(生体情報学)の溝手宗昭先生に「興奮と抑制」というテーマで話して頂きます。(くわしくは3月号で)
過去のこと…
今の家に住んで22年(その前は2~7年毎に5回転居)、なんと沢山の使わないもの、いらないものがたまってしまったことでしょう。
捨てるもの、とっておくものを判断しながら…若い頃書いた日記や読んだ本、そして友だちと作った文集など、50年のものがたまっています。老後にもう一度読む時間があるかもしれない、過ぎ来し年月を、後悔を伴わないで味わうことができる時が来るような――気がして捨て切れずにいます。
最近まで後悔ばかりしてましたが、少しずつ、ひきずる時間が少なくなって来ました。難しさも感じますが、自分に合った仕事と思いますし、青年たちから元気を貰ったり、多くの方に支えられているのを感じるからかもしれません。
和田ミトリ
胸とお腹のあたりに気持を集中して「何が気になっているのだろう」と問いかけてみる。しばらくの間。…「早く家の中を整理しないと」という言葉が浮かぶ。母が亡くなった後、母のものも、自分のものも整理して…それは分かっている。他のこと――やはり道草の家の青年たちのことが浮かぶ。いい方向に変化があった人、調子が悪くなった人、変化がなかなかない人…それから、NPO法人として活動をもっと充実したものにしたい…。
青年たち
やはり青年たちができるだけ自分を肯定でき、自分らしく生きいき生きられる方向に歩んでほしい――ということが一番思うことです。最近一歩、二歩と踏み出した青年がいて嬉しく思います。それは急に――という感じです。
ある青年は1年以上通って来て青年の集いに参加していましたが、自分からはまったく話さず、質問に簡単に答えるだけの日々――が、急に自分から質問したり、答える時も色々と話すようになりました。それは、自分から話さなくても、他の人の会話を聞いているだけでも、言葉のやりとりが、体の中にはいっていたのでしょう。その2週間位までは、私の質問「この集いで話をすることは、来ている人と話し合い親しくなって、色々話せる仲間がほしいからか、それとも、アルバイトをするためにコミュニケーションの力をつけていからか」に対して、「仲間がほしいからではない、アルバイトのためのコミュニケーションができるようになりたいから」と答えていたのが、急に自分から質問したり声かけたり、自分の考えを言うようになりました。不登校になってから10年近く家族以外の人と話したことがなかったのですが、他の人に関心を持ち、仲間との会話を楽しむようになりました。青年たちが自分の悩みを話している場でも、適格な質問をしたり自分の考えを述べたり目を見張る変化です。
もう一人の青年は1年近く集いに参加していましたが(間が1ヶ月以上もあいたり、ポツポツという感じで通ってました)、自分からは話さないし、質問にもなかなか答えられない時があったりしていたのが、先日「相手のことを知りたい、とか、興味のあることを質問してみる」ことを順番にやってみることにして、彼に「質問してみて」と言ったら、彼は隣の青年に質問しました。そして、相手の答に自分のことを話したり、また質問したり、言葉のキャッチボールができ、会話が続きました。場面を設定して話易くすれば、きっかけを与えれば、できるんだ!――と嬉しく思いました。
また、「青年の思い」の中でも紹介しましたが、青年たちがグループで話し合うことの効果も感じます。今までも「アサーション(自己主張)」とか「認知行動療法」の時間を設け、お互いに悩みを話し合いながら、解決の方向を探る――ということをやって来ましたが、特にそういう時間を設けなくても、自然にそういう話し合いがなされることがあります。
ただ、こういう話し合いに参加できない、他の人と交わる(特に同世代)ことができない青年もいて心が痛みます。
中学や高校でいじめに合ったり、集団にはいれず疎外感を感じたりして、アルバイトをしても人間関係がうまくいかず、辛い思いをし、他人にも自分にも強い不信感を持ってしまった…青年たち。
ある青年は高校時代、集団行動に苦痛を感じ、自分はサラリーマンにはなれない、と思ったと言います。と言って他の職業のことは何も知らず、高卒後いくつかアルバイトをしたが、人間関係が難しく続かなかった。その後も、必死に応募しても採用まで行かず、一人で絶望的になったまま、「自分は働けない」という思いから抜け出せずにいます。「卒業までに色々な職業があり、自分にはどんな職業が合うか、を知りたかった。その機会があればよかった」とも言います。
またある青年は高校でいじめられ、それに親や教師が十分な対応ができず、何年もそれをひきずっています。自己肯定感が持てず、傷つき易く、しばしば怒りになります。他の青年とも共通するのですが、高校生に出会うのが非常に苦痛です。
相談される方のお子さんは、他の人に会えない、同世代のグループにはいれないという場合が多く、心のことは触れたくない青年がいます。(訪問などで私と話しながら、グループには参加しないで、働き出した青年もいるので、必ずしもグループ参加が必要ではないと思いますが)
人と会うのも苦痛、働くことを考えるのも苦痛、働くことは恐怖、という青年に、親や私たちはどう関わったらいいか。不安や恐怖をとり除く努力をするか、「働かなくてもいいよ」と言って上げれば苦痛はなくなるのか、その子にとって何が幸せなのか――
啓蒙活動について
NPO法人としての道草の家の活動を広く知ってもらいたい、と同時に地域の人、一般の人にも役に立ちたい(道草の家の人材を生かして)という意味で啓蒙活動を積極的に行いたいと考えています。
その一つとしてコミュニケーションワークを公民館で行いましたが、前回は道草の家の青年やスタッフなど関係者が多かったので、(充実したワークで「継続してほしい」という声がありました)、次回は主として一般の方を対象に8回シリーズで4月から行う予定です。
もう一つは内部向けに(主として青年や親の方対象、どなたでも)ミニ講演会を開こうと考えています。まず理事の方たち、ユニークで豊富な仕事や活動をされてますので、その体験を話して頂くことにしました。(隔月に)
まず最初に3月15日(日)に帝京平成大学教授(生体情報学)の溝手宗昭先生に「興奮と抑制」というテーマで話して頂きます。(くわしくは3月号で)
過去のこと…
今の家に住んで22年(その前は2~7年毎に5回転居)、なんと沢山の使わないもの、いらないものがたまってしまったことでしょう。
捨てるもの、とっておくものを判断しながら…若い頃書いた日記や読んだ本、そして友だちと作った文集など、50年のものがたまっています。老後にもう一度読む時間があるかもしれない、過ぎ来し年月を、後悔を伴わないで味わうことができる時が来るような――気がして捨て切れずにいます。
最近まで後悔ばかりしてましたが、少しずつ、ひきずる時間が少なくなって来ました。難しさも感じますが、自分に合った仕事と思いますし、青年たちから元気を貰ったり、多くの方に支えられているのを感じるからかもしれません。
和田ミトリ
2009/01/01
新しい年への思い
新しい年が明けました。
昨年は多くの人が、ますます生き辛さを、先に対する不安を感じる年でした。
若者にとっては一層、先に見通しがつかない不安を強く感じることでしょう。
でも社会がそうであっても、自分自身が新鮮な体験をし、好きなもの(人)に出合ったり、開ける感じが得られる――という可能性と、そういう自分を少しでも信じられれば、その何分の一かは実現できるように思います。
自分への可能性、期待を持ちたいものです。
平成21年 元旦
スタッフ一同
昨年は多くの人が、ますます生き辛さを、先に対する不安を感じる年でした。
若者にとっては一層、先に見通しがつかない不安を強く感じることでしょう。
でも社会がそうであっても、自分自身が新鮮な体験をし、好きなもの(人)に出合ったり、開ける感じが得られる――という可能性と、そういう自分を少しでも信じられれば、その何分の一かは実現できるように思います。
自分への可能性、期待を持ちたいものです。
平成21年 元旦
スタッフ一同
元旦の思い出
新しい年になりました。皆さんはどんな気持ちでしょうか。
新しい年だからと言って、何も変わらない、いいことも起きそうもない、という人と、何かしら新しいことが起きて、いいこともありそうな…という人もいるでしょう。
そして、お正月というと、どういうことを思い出すでしょうか。
大人になって、主婦になると、結構お正月もあれやこれやと忙しく、新年、元旦をゆっくり味わうこともあまりできなくなりましたが、私は、福島県の田舎での子供の頃の元旦が最初に浮かびます。朝早く、日が指す前、友だちと八幡様にお参りに行った時のこと、冷たい空気の中、雪の残る不規則な段々を登り、拝殿の前で手を合わせる…何か新鮮な気持ちを感じました。(何を祈ったかは全然思い出せませんが)
新しい年だからと言って、何も変わらない、いいことも起きそうもない、という人と、何かしら新しいことが起きて、いいこともありそうな…という人もいるでしょう。
そして、お正月というと、どういうことを思い出すでしょうか。
大人になって、主婦になると、結構お正月もあれやこれやと忙しく、新年、元旦をゆっくり味わうこともあまりできなくなりましたが、私は、福島県の田舎での子供の頃の元旦が最初に浮かびます。朝早く、日が指す前、友だちと八幡様にお参りに行った時のこと、冷たい空気の中、雪の残る不規則な段々を登り、拝殿の前で手を合わせる…何か新鮮な気持ちを感じました。(何を祈ったかは全然思い出せませんが)
今の日本社会
そんな頃からもう60年がたちました。色々なことがありました。自分のことだけを考えて過ごしてもいい、好きなことに熱中できる無邪気な子供時代は終わり、自分の家族のこと、子どものこと、そして道草の家の青年たちのこと、社会のことなど、考えざるを得なくなりました。
去年の暮れから国民の経済的問題は一層厳しくなり、職を奪われ、住む家、寝る所も奪われた人々が寒空に放り出される状況が起き、胸が痛みます。
戦後の上昇期、高度経済成長期からバブルがはじけ、そして米国から始まって世界に
広まった、グローバル化、新自由主義の影響を受け、日本は、規制緩和を強行しました。それは、社会全体の人々のためというより、企業の利益追求を、競争主義を押し進めるだけでそれに加われなかった人は、「自己責任」として無視されて行きました。
そして、昨年後半に世界をおそった金融危機は日本にとっても戦後最大の危機とも言われます。それは資本主義、新自由主義、ひたすら成長を優先した、その矛盾の行き着いた所、来るべきものが来たとも言えると思います。
私は、ひきこもる青年が増えていることは、社会の矛盾、高度成長を押し進めた競争主義、効率主義の矛盾を“警鐘”するものだと思い、述べて来ましたが、今や、現実になりました。繊細でまじめである故、学校や職場での競争主義、効率主義について行かれず、社会に出ることに不安や恐怖を感じる、ひきこもる青年という一部の問題ではなく多くの人々の問題になりました。格差は大きくなるばかりで、お互いに助け合う、思いやる――と言うことを忘れた結果だと思います。
私が関わっている青年の中にも、不況の波で、仕事が続けられるか、収入も少なくなるのではないか――親が殆んど収入がなく、安定剤などを飲みながらやっとの思い働いている――と一層不安に陥っている青年もいます。経済的な不安がなければ、もっと楽な気持で働けると思いますし、経済的援助を必要ですが、私ができることは彼の思いを、電話で聴くことだけで、どう他の援助に呼びかけていいか、考えあぐんでいます。
去年の暮れから国民の経済的問題は一層厳しくなり、職を奪われ、住む家、寝る所も奪われた人々が寒空に放り出される状況が起き、胸が痛みます。
戦後の上昇期、高度経済成長期からバブルがはじけ、そして米国から始まって世界に
広まった、グローバル化、新自由主義の影響を受け、日本は、規制緩和を強行しました。それは、社会全体の人々のためというより、企業の利益追求を、競争主義を押し進めるだけでそれに加われなかった人は、「自己責任」として無視されて行きました。
そして、昨年後半に世界をおそった金融危機は日本にとっても戦後最大の危機とも言われます。それは資本主義、新自由主義、ひたすら成長を優先した、その矛盾の行き着いた所、来るべきものが来たとも言えると思います。
私は、ひきこもる青年が増えていることは、社会の矛盾、高度成長を押し進めた競争主義、効率主義の矛盾を“警鐘”するものだと思い、述べて来ましたが、今や、現実になりました。繊細でまじめである故、学校や職場での競争主義、効率主義について行かれず、社会に出ることに不安や恐怖を感じる、ひきこもる青年という一部の問題ではなく多くの人々の問題になりました。格差は大きくなるばかりで、お互いに助け合う、思いやる――と言うことを忘れた結果だと思います。
私が関わっている青年の中にも、不況の波で、仕事が続けられるか、収入も少なくなるのではないか――親が殆んど収入がなく、安定剤などを飲みながらやっとの思い働いている――と一層不安に陥っている青年もいます。経済的な不安がなければ、もっと楽な気持で働けると思いますし、経済的援助を必要ですが、私ができることは彼の思いを、電話で聴くことだけで、どう他の援助に呼びかけていいか、考えあぐんでいます。
新しい年への望み
でも、このような社会ですが、一方では日々の中にささやかな楽しみを見つけたり、新しいことが起こりそうな期待を感じることはできます。
道草の家では昨年NPO法人になって、新たな活動として啓蒙活動「コミュニケーションワーク」を近くの公民館で行いましたが、これを更に続けるか、違った活動をするか、理事会でも話し合いを持つ予定です。
また、青年たちと一緒の活動にも新しい転回が起こりそうな…昨年、新しい青年たち(男女)が加わり、何か新しいアイディアを出してくれそうです。また、男性ボランティアスタッフ(様々な仕事の経験を持っている)も加わりましたので行動的な、或いは仕事につながるような体験ができるかもしれません。そんな中で青年たちが自分の好きなことを見い出せたら、と思っています。
そして後の「青年の思い」の中で述べているように青年たちは前向きに新しい年に自分のやりたいことを考えています。「資格をとりたい」とか「コミュニケーションをとれるようになりたい」「もっと人と交わりたい」など、人間関係を作る能力を高め、それを楽しみたい欲求を持っています。
就労状況が厳しい今、空白のある青年にとっては一層厳しいでしょう。ここは開き直って“じっくりと力をつけ、力をためる時間”だと思ってはどうでしょうか。この時期、焦らずに自分の特性を見つけ、それを生かす道を探すことを第一にしてはどうでしょうか。
親の方たちも、まわりの方も、青年たちを見守り応援して上げて頂きたいと思います。そして道草の家の活動に新しいアイディアを寄せて頂けたら、と思います。
私自身、個人的なことでも道草の家のことでも、先のことをマイナスに考えると、不安とユウウツさが起こり暗い気持ちになります。先のことは分からない――だったらプラスに考えよう、そうすると胸がふわっとなり、明るい気持ちになります。うまく行かなくてももともと、楽観的に、いい方の夢を持ちたいと思います。楽観的でないと脳の回路がうまく働かないそうです。“できそうだ”と思うだけでも脳の回路がよく働いて、エネルギーも出て来て、実現する可能性も高まると思うのです。
道草の家では昨年NPO法人になって、新たな活動として啓蒙活動「コミュニケーションワーク」を近くの公民館で行いましたが、これを更に続けるか、違った活動をするか、理事会でも話し合いを持つ予定です。
また、青年たちと一緒の活動にも新しい転回が起こりそうな…昨年、新しい青年たち(男女)が加わり、何か新しいアイディアを出してくれそうです。また、男性ボランティアスタッフ(様々な仕事の経験を持っている)も加わりましたので行動的な、或いは仕事につながるような体験ができるかもしれません。そんな中で青年たちが自分の好きなことを見い出せたら、と思っています。
そして後の「青年の思い」の中で述べているように青年たちは前向きに新しい年に自分のやりたいことを考えています。「資格をとりたい」とか「コミュニケーションをとれるようになりたい」「もっと人と交わりたい」など、人間関係を作る能力を高め、それを楽しみたい欲求を持っています。
就労状況が厳しい今、空白のある青年にとっては一層厳しいでしょう。ここは開き直って“じっくりと力をつけ、力をためる時間”だと思ってはどうでしょうか。この時期、焦らずに自分の特性を見つけ、それを生かす道を探すことを第一にしてはどうでしょうか。
親の方たちも、まわりの方も、青年たちを見守り応援して上げて頂きたいと思います。そして道草の家の活動に新しいアイディアを寄せて頂けたら、と思います。
私自身、個人的なことでも道草の家のことでも、先のことをマイナスに考えると、不安とユウウツさが起こり暗い気持ちになります。先のことは分からない――だったらプラスに考えよう、そうすると胸がふわっとなり、明るい気持ちになります。うまく行かなくてももともと、楽観的に、いい方の夢を持ちたいと思います。楽観的でないと脳の回路がうまく働かないそうです。“できそうだ”と思うだけでも脳の回路がよく働いて、エネルギーも出て来て、実現する可能性も高まると思うのです。
2008/12/01
母の一生と時代の流れ
今年も、もう12月を迎えました。この会報を何とか毎月欠かさず発行できてほっとしているところです。毎月、ぎりぎりになるまで、私が書く文のテーマが決まらず、発行するのが、どうしても4日、5日頃になってしまいます。でも、切羽つまると、何らかのテーマ、書きたいことが浮かんで来るのは不思議です。
12月は?――と思った時、特に皆さんにお伝えしたことは浮かばなかったのですが、ふと母が亡くなったことは、私にとって大きなことではなかったか、と思いました。個人的なことではありますが、11月に97才で亡くなった母は、明治、大正、昭和、平成と生きて、時代の流れと共に生きたとも言えるし、私も母によって大きく影響された面もありますし、そうしたことをたどり、考えるのもよいかと思いました。
母は明治の終わり近く(43年)に生まれ、大正の終わりから昭和にかけて女学校で優等生として過ごしました。学校制度が充実して来た頃で、福島県の田舎町にも女学校ができて、その一期生でした。でも母は「町に女学校ができなかったら都会の女学校に行けたのに(その能力はあったのに)」と高齢になっても言い、田舎の女学校を出たことにコンプレックスを感じていました。
明治から大正にかけて、日本を欧米なみにするために学校教育の充実を急速に行い、学校、勉強を重視した面もあり、母もその影響を受けたものと思われます。
また、明治、大正と昭和の終戦まで家族制度があり、親、年長者を敬うべき、という社会風土がありました。母は大ぜいの兄弟の長女であり、親に認められるためには、親の言うことを聞き、親を助けることだ、と思ったようで、「親は絶対だ」という価値観を持ちました。
でも、戦後民主主義となり、私は民主主義の教育を受けました。私は「親は絶対だ」とは思えないし、親思いの親の言うことを素直に聞けない(と言ってもはっきり言葉で自己表現もできない)、母にとって「いい子」にはなれませんでした。母は性格的に完ぺき主義のところがあって、私はのんびりして、ぼーっとしたところがあり、私と合わなかった。厳しくしつけるというより、過保護、過干渉でそれが私には圧迫感であり、いつも「ダメだ、ダメだ」と言われてるようで、思春期頃から強いコンプレックスを持つようになりました。
そして昭和から平成にかけて、時代の流れは変わって行きましたが、母は余り影響を受けなかったと思います。(例えば、男性が赤やピンクの服を着るのはおかしい――というような)
20年ほど前に同居しましたが、“親は絶対”という価値観、期待に私は応えられず、母の不満は大きく、葛藤がありました。また母は向学心があり茶道の先生にっていて人に認められたい気持ちが強かったのが、老いて来て、お茶も教えられなくなり、そういう面でも満たされず、私に当ったかもしれません。
でも父が寝たきりになった後は、献身的に介護しました。亡くなった後、「お父さんを十分みて上げられなかった。それはミドリが、家事の方を全部やってくれなかったからだ」と一時期私を責めましたが、間もなく「教会に行く」と言い(「仏教の信仰はそのままでいい」と牧師さんに言われました)、介護保険制度ができてからは、「デイサービスに行く」と自分から言いました。そして2年前には「老人ホームにはいる」と言い、父の死後、私にばかり求めない、賢明な選択をしてくれました。
老人ホーム(グループホーム)にはいってからは少しずつ思考力も衰えて行き、私やまわりに対する不満も少なくなって行きました。(物理的にも遠くなり、接する時間も少なくなり、私にとって、少しずつ、離れた存在になりました)ホームの生活を“楽しむ”というほどではありませんでしたが、なじんで行き、穏やかな生活になったようです。
そして9月末に肺炎になって入院し、すぐ、呼吸困難になり、危篤、と言われましたが、一時持ち直し、簡単な話ができるようになりました。でも医者の言うように、じわじわと弱って行き、呼びかけや手を握った時の反応が少なくなり、そして全くなくなり41日目に静かに息をひきとりました。
最後の方に「今までの人生をどう思う?」というような話はできませんでしたが、母はそういうことは考えなくなっていたでしょう。ただ、亡くなる20日前に娘が父(夫)と母の母の写真を見せた時、何も言いませんでしたが、(言えなくなっていた)目尻に涙が一粒浮かんだように見えました。父の死後「早くお父さんの所に行きたい」と言っていましたので、父のもとにもうすぐ行くことを感じていたかもしれません。
このように母の一生を簡単にたどりましたが、人の一生はもっともっと大きく、短く語れるものではないでしょう。
私にとって母はどういう存在だったのか…
良くも悪くも大きな存在、大きな影響を与えたものと思います。父とともに好奇心、向学心があり、伝統芸術に関心があったことは、私にも興味の広がりを与えてくれたと思います。
でもまた、ある時友だちが「母はいつも私の味方になってくれる」と言ったのですが、私は「責められる相手」だと思いました。身近に暮らしていた時は圧迫感がありました。でも最後の方は、母は明晰でなくなっただけ、穏やかになり、私も穏やかに接することができ、静かな気持ちで母を見送ることができました。
母は母なりに自分の価値観を通しながら一生懸命生きたと思います。
時代のずれ(27年間ずれて)や性格の違いなどが、私たちの間に葛藤をもたらしたと思いますが、同じ故郷に生まれ育ちました。母がこの世を去る時、そこへ戻る夢を見たのではと思われるように、私も何年か先にそんな時、故郷の夢を見ながら…という時が訪れるかと思います。
こんなふうに母のことを書いて来て、目の奥が痛み、涙がにじみます。
和田 ミトリ
12月は?――と思った時、特に皆さんにお伝えしたことは浮かばなかったのですが、ふと母が亡くなったことは、私にとって大きなことではなかったか、と思いました。個人的なことではありますが、11月に97才で亡くなった母は、明治、大正、昭和、平成と生きて、時代の流れと共に生きたとも言えるし、私も母によって大きく影響された面もありますし、そうしたことをたどり、考えるのもよいかと思いました。
母は明治の終わり近く(43年)に生まれ、大正の終わりから昭和にかけて女学校で優等生として過ごしました。学校制度が充実して来た頃で、福島県の田舎町にも女学校ができて、その一期生でした。でも母は「町に女学校ができなかったら都会の女学校に行けたのに(その能力はあったのに)」と高齢になっても言い、田舎の女学校を出たことにコンプレックスを感じていました。
明治から大正にかけて、日本を欧米なみにするために学校教育の充実を急速に行い、学校、勉強を重視した面もあり、母もその影響を受けたものと思われます。
また、明治、大正と昭和の終戦まで家族制度があり、親、年長者を敬うべき、という社会風土がありました。母は大ぜいの兄弟の長女であり、親に認められるためには、親の言うことを聞き、親を助けることだ、と思ったようで、「親は絶対だ」という価値観を持ちました。
でも、戦後民主主義となり、私は民主主義の教育を受けました。私は「親は絶対だ」とは思えないし、親思いの親の言うことを素直に聞けない(と言ってもはっきり言葉で自己表現もできない)、母にとって「いい子」にはなれませんでした。母は性格的に完ぺき主義のところがあって、私はのんびりして、ぼーっとしたところがあり、私と合わなかった。厳しくしつけるというより、過保護、過干渉でそれが私には圧迫感であり、いつも「ダメだ、ダメだ」と言われてるようで、思春期頃から強いコンプレックスを持つようになりました。
そして昭和から平成にかけて、時代の流れは変わって行きましたが、母は余り影響を受けなかったと思います。(例えば、男性が赤やピンクの服を着るのはおかしい――というような)
20年ほど前に同居しましたが、“親は絶対”という価値観、期待に私は応えられず、母の不満は大きく、葛藤がありました。また母は向学心があり茶道の先生にっていて人に認められたい気持ちが強かったのが、老いて来て、お茶も教えられなくなり、そういう面でも満たされず、私に当ったかもしれません。
でも父が寝たきりになった後は、献身的に介護しました。亡くなった後、「お父さんを十分みて上げられなかった。それはミドリが、家事の方を全部やってくれなかったからだ」と一時期私を責めましたが、間もなく「教会に行く」と言い(「仏教の信仰はそのままでいい」と牧師さんに言われました)、介護保険制度ができてからは、「デイサービスに行く」と自分から言いました。そして2年前には「老人ホームにはいる」と言い、父の死後、私にばかり求めない、賢明な選択をしてくれました。
老人ホーム(グループホーム)にはいってからは少しずつ思考力も衰えて行き、私やまわりに対する不満も少なくなって行きました。(物理的にも遠くなり、接する時間も少なくなり、私にとって、少しずつ、離れた存在になりました)ホームの生活を“楽しむ”というほどではありませんでしたが、なじんで行き、穏やかな生活になったようです。
そして9月末に肺炎になって入院し、すぐ、呼吸困難になり、危篤、と言われましたが、一時持ち直し、簡単な話ができるようになりました。でも医者の言うように、じわじわと弱って行き、呼びかけや手を握った時の反応が少なくなり、そして全くなくなり41日目に静かに息をひきとりました。
最後の方に「今までの人生をどう思う?」というような話はできませんでしたが、母はそういうことは考えなくなっていたでしょう。ただ、亡くなる20日前に娘が父(夫)と母の母の写真を見せた時、何も言いませんでしたが、(言えなくなっていた)目尻に涙が一粒浮かんだように見えました。父の死後「早くお父さんの所に行きたい」と言っていましたので、父のもとにもうすぐ行くことを感じていたかもしれません。
このように母の一生を簡単にたどりましたが、人の一生はもっともっと大きく、短く語れるものではないでしょう。
私にとって母はどういう存在だったのか…
良くも悪くも大きな存在、大きな影響を与えたものと思います。父とともに好奇心、向学心があり、伝統芸術に関心があったことは、私にも興味の広がりを与えてくれたと思います。
でもまた、ある時友だちが「母はいつも私の味方になってくれる」と言ったのですが、私は「責められる相手」だと思いました。身近に暮らしていた時は圧迫感がありました。でも最後の方は、母は明晰でなくなっただけ、穏やかになり、私も穏やかに接することができ、静かな気持ちで母を見送ることができました。
母は母なりに自分の価値観を通しながら一生懸命生きたと思います。
時代のずれ(27年間ずれて)や性格の違いなどが、私たちの間に葛藤をもたらしたと思いますが、同じ故郷に生まれ育ちました。母がこの世を去る時、そこへ戻る夢を見たのではと思われるように、私も何年か先にそんな時、故郷の夢を見ながら…という時が訪れるかと思います。
こんなふうに母のことを書いて来て、目の奥が痛み、涙がにじみます。
和田 ミトリ
2008/11/01
理解する――ということ
「人間って理解できたことに基づいて生きるんじゃなくて、実は理解できないことを中心に生きているのだと思う」という言葉に出会い、はっとしました。(これは人に対してというより物事に対して言ってるのですが)
私たちは相手に対し「分かって!分かって!」と言うことが多い。親しい間柄――親子、夫婦、恋人、友だちなどの間で、お互いに全部を理解し理解されることを求めてしまう。
全部を「分かって!」と思えば思うほど、がっかりして相手に失望し、相手への怒りにもなってしまう…こともあるのではないでしょうか。
人それぞれ性格も気質も違うし、それまでの体験も違うわけですから、全部理解できる筈はない。親子、夫婦、恋人、友だち、そしてクライエントとカウンセラーの間でも全部は理解できない、ほんの一部しか理解し合えない――という前提にした時、「分かって貰えない」不満よりも「分かってくれた」という喜びを感じるのではないでしょうか。
自分は、人は一つではない
そして、人はお互いに理解できないことが多い――というのは、人は多面性を持っている、ということであり、また、たえず変わる、変わるのが自然だ(以前、“無常”ということを書きました)ということでもあると言えます。
人には、色々な面があり、性格も一つではない、考え方も一つではない。割と親しい人の中に「あれ?」と思うような面を見ることはないでしょうか。その場に合わせて違う面が出せた方がいいとも思いますし一貫性を求めすぎない方がいいかも知れません。余りにその人に一つのものを求めた時、失望したり、裏切られた、と思うことになるでしょう。
親の虐待や学校でのいじめにあったりすると、そうされないように完ぺきにやらなければと頑張り、完ぺき主義になりがちです。そして相手にも完ぺきを求めたり、黒白はっきりさせたい、となりがちです。それはとてもしんどいことではないでしょうか。
人は、人生は黒白はっきりできないことが多い、グレーゾーンの部分が多いし、曖昧なことが多いと思います。
自分も人も一つではなく、色々な面があり、曖昧なものが多く、お互いに全てを理解することはできない、そして自分も人も失敗をよくする、生きることは不条理なことが多い――ということを受け入れて、もう少し気持ちを楽に生きられたらと思います。
でもまた、ひと時でも人とのつながりを感じ、人と通じ合うことを体験し、少しの時間でも安らぎとか喜び、感動を感じる(それは求めなければ得られないでしょう)、生きることはそんなに悪いことばかりではない――と思いながら日々過ごせたら、と思うこの頃です。(参考文献、「14才の子を持つ親たちへ」内田樹、名越康文著、新潮新書)
和田 ミトリ
私たちは相手に対し「分かって!分かって!」と言うことが多い。親しい間柄――親子、夫婦、恋人、友だちなどの間で、お互いに全部を理解し理解されることを求めてしまう。
全部を「分かって!」と思えば思うほど、がっかりして相手に失望し、相手への怒りにもなってしまう…こともあるのではないでしょうか。
人それぞれ性格も気質も違うし、それまでの体験も違うわけですから、全部理解できる筈はない。親子、夫婦、恋人、友だち、そしてクライエントとカウンセラーの間でも全部は理解できない、ほんの一部しか理解し合えない――という前提にした時、「分かって貰えない」不満よりも「分かってくれた」という喜びを感じるのではないでしょうか。
自分は、人は一つではない
そして、人はお互いに理解できないことが多い――というのは、人は多面性を持っている、ということであり、また、たえず変わる、変わるのが自然だ(以前、“無常”ということを書きました)ということでもあると言えます。
人には、色々な面があり、性格も一つではない、考え方も一つではない。割と親しい人の中に「あれ?」と思うような面を見ることはないでしょうか。その場に合わせて違う面が出せた方がいいとも思いますし一貫性を求めすぎない方がいいかも知れません。余りにその人に一つのものを求めた時、失望したり、裏切られた、と思うことになるでしょう。
親の虐待や学校でのいじめにあったりすると、そうされないように完ぺきにやらなければと頑張り、完ぺき主義になりがちです。そして相手にも完ぺきを求めたり、黒白はっきりさせたい、となりがちです。それはとてもしんどいことではないでしょうか。
人は、人生は黒白はっきりできないことが多い、グレーゾーンの部分が多いし、曖昧なことが多いと思います。
自分も人も一つではなく、色々な面があり、曖昧なものが多く、お互いに全てを理解することはできない、そして自分も人も失敗をよくする、生きることは不条理なことが多い――ということを受け入れて、もう少し気持ちを楽に生きられたらと思います。
でもまた、ひと時でも人とのつながりを感じ、人と通じ合うことを体験し、少しの時間でも安らぎとか喜び、感動を感じる(それは求めなければ得られないでしょう)、生きることはそんなに悪いことばかりではない――と思いながら日々過ごせたら、と思うこの頃です。(参考文献、「14才の子を持つ親たちへ」内田樹、名越康文著、新潮新書)
和田 ミトリ