2013/11/04

パステル画とコラージュ

  青年の集いでは月に2回位づつパステル画とコラージュの時間があります。

 パステル画は、写生でもいいし、何かを見て描いてもそのままでなく自分の色合いで自由に描いてもいいし、まったく具体的なものではなく、パステルの色を楽しむようなものでもいいし、また、自分の感情を表すようなものでもかまいません。「こういう気持を抱いているのだ」とはっとするものがあったり、様々な色で円を描きシャボン玉が飛んでいるような楽しい絵があったり、また緑色のグラデーション(水平に重ねていく)で、色々な草が生えている野原の広がりとも田んぼや森や遠い山波とも見えて、見る人が自由に感じていいものです。

 コラージュは雑誌の写真(すてきな服を着たモデルや雑貨や風景、植物や動物など)、とてもきれいですが、ありふれたもの、それを切り取って自由に白い紙に貼っていくのですが、その組み合わせは、楽しいものであったり、思いがけない、ハッとするものになったり、独特な雰囲気が、かもし出されます。ある女性は色々小さな物を買った時の箱や袋、シールなどを捨てがたく取ってあったのを大きな紙に貼りました。見ていても楽しいし、記念にもなります。

 パステル画もコラージュも、言葉にならないものを自由に表現するという自由さと、そして「一つのものができた」という達成感を感じられたらと思っています。

孤立無業について

 「孤立無業」という本を読みました。(玄田有史著 日本経済新聞出版社)

 仕事をしていない人で、他の人と交流がない人たちのことです。相談機関にも親の会にも来ない青年たちが何10万人もいると推定されてきましたが、そういう青年や親御さんたちはどういう気持ですごしているのだろうと、とても気になっていました。

 この本では総務局統計局が実施している「社会生活基本調査」とコンピューターによるアンケート調査からデーターを綿密に分析して、孤立無業の人たちの生活、その姿を写し出しています。

 「孤立無業」とは「20才以上60才未満の在学中を除く未婚無業のうち、ふだんずっと一人か、家族以外の人と交流もない人々」を指しており、その数は2011年には2000年の2倍、162万に達していると書かれています。そして60才未満未婚無業者の約6割を占めている。

 「家にいて誰とも交わらない生活を本人が選んでいるのだから認めて受け入れよう」とか「もう大人なんだから本人の問題だ。本人が決めるしかない」という親の言葉も聞きますが、本当にそうなのだろうか――と疑問に思って来ました。

 この本の分析によると孤立無業者はゲームに熱中しているわけではないし、ネットを通じた検索や情報収集を積極的にやっているわけではない――という姿です。

 そして「孤立無業になることも本人の選択もしくは自由ではないか」という第3者の疑問に対しては「孤立無業を好き好んで選んだ場合ばかりではなく、孤立していない無業者にくらべても精神的に不安定な場合が少なくないし、自由な時間を趣味や関心事に没頭しているということもあまりない」と答えています。

 「孤立無業を自由に選択した生き方とは、望んだものとはほど遠い」と思われます。私が電話で受けた相談では「子どもは、買い物など外に出るので、ひきこもりではない。だからひきこもりの居場所には行かない、と言っている」と言う親御さんもいました。「他人と交わっていないが外出はしているのでひきこもりではないと思い、そのうち働くだろうと思い、10年がすぎてしまった」と言う方も。

 道草の家に来る青年はしばらくはゲームなどして家にいましたが、仲間がほしい、仲間と話したい、悩みを聞いてほしい」などの想いで訪れます。「自分はひきこもりではない、だからそうした居場所には行かない」という青年の方がずっと対人恐怖が強いように思います。

 では、本人も親もなぜ積極的に支援を望まないのでしょうか。それは多分「普通の道、社会に出て働くという道からはずれてしまった。こうした人間を社会は受け入れないだろう」という自己否定感、そして諦めが強いのではないかと思います。

 そして、親ごさんもそうした気持と共に、「子どもを否定したくない。こどもが選んだものとして、このまま受け入れよう」という思いも起こるのではないかと思います。自分も子どもも責めたくない・・・

 ここで著者は「孤立無業は社会の病理なのだ」と言い切っています。体の病気などは、医者は病気になった患者本人を責めるのではなく、病気そのものを治そうと努めます。同じように「孤立無業」も社会の病理として社会全体で支援して行く必要がある――同感です。

 孤立化は日本の社会全体に広がっています。訪問支援(アウトリーチ)は非常に難しく専門的な知識や体験、関わり方の習得が必要です。そうした専門家の養成が急がれます。できれば、同じような体験をし、それを乗りこえた若者が、養成されるといいかもしれません。

社会の受け皿を

 アウトリーチの実践と同時に独立無業の人たちが「外へ出たい」と思った時に、意欲を持てるようにするには、社会はどういう受け皿を用意したらいいのでしょうか。

 道草の家はスタッフや仲間との交流の中で(心のことを話したり、楽しい活動もしたり)「人間信頼」を取り戻し、コミュニケーションの力をつけ、自分の生き方を考えられる、社会(職場、学校など)に出るためのワンステップの場として活動してきました。その中で、アルバイトを始めたり、就労に取り組む青年もいました。(直接、仕事を探してあげることはしませんでしたが)

 でも、新聞やNHKクローズアップ現代でとりあげられた秋田県の小さな町、藤里町の取り組みが、非常に印象的です。社会福祉協議会の綿密な調査によって現役世代(18才~54才)の8.7%がひきこもりかそれに近い状態と分かり、どうしたら、その人たちが外へ出るようになるか、を考えました。最初は「楽しいイベントだったら」と用意したのですが、誰も来ません。そして介護ヘルパーの研修会を開いたところ、大勢が参加しました。その後、役所の一角に居場所にもなり、働く場にもなる食堂を開き、自分達で運営するようになり、また、地域の特産物の通信販売も始めたとのことです。

 やはり、若者は、人は、何かの役に立ちたい、社会で仕事をしたい、という思いを持つことが多いのではないでしょうか。表面的な諦め(自分なんか社会に受け入れられない)の奥に「自分ができることがあればしたい」という気持があるのではないでしょうか。

 しばらく孤立無業であっても、社会は受け入れてくれる、自分が役に立つ場がある――という思いになるような「受け皿」働き易い職場やそれを探し易いシステムの充実が大切だと思います。

2013/10/01

虫の声、鳥の声

  9月も下旬まで猛暑が続きました。でも蝉の声に代わって夜は虫の声が賑やかになりました。昼間は鳥の声がよく聞こえます。青年が「鳥の声が聞こえますね」と言いました。「昼は鳥の声、夜は虫の声よ」と答えて、道草の家は季節の移ろいが感じられます。

 夏の蝉、初秋の虫・・・短い命ですが、次世代(来年)に受けつがれると思いました。でも、「いや、来年は大丈夫だと思うが、ずーっと、というわけには行かない」という疑問も起きました。

 地球の温暖化によって、猛暑も洪水も起きる、南の小さな島では海面が上昇して、人が住めないくらい小さくなっています。それは、人間があまりにも”熱”を使う生活をするようになったからだと思います。

――時間――

 先日、青年たち(男女)と画廊巡りで、青年の一人が選んだ「日本民藝館」に行きました。民芸品――名もなき人々が作った手作りのもの、素材は布、木、鉄、陶器、石など――様々なものが展示されていました。

 その中にこまかく織りこんだ、刺繍をした、大きな布がありました。小さな説明書を見ると「男性腰布○○民族、20世紀」とあります。(日本のものは、17、18世紀が多い)「あ、今も時間をかけて、何日も手で織ったり、刺繍をしているのだな。”早く”とか焦ることなく・・・」と思い、その光景が目に浮かびました。ゆったりとした時間の流れ・・・。

 一方日本ではリニア新幹線――東京名古屋間が40分――の着工計画が明確となり、途中の停車駅も決まり、20??年には竣工というニュースを見ました。そして、停車駅がある市の市長は「どんな経済効果があるか」と嬉しそうにコメントしてました。

 先月号でも新幹線の速さについて述べましたが、何のためにそんなに早く目的地につかなければならないのでしょうか。1964年のオリンピックに合わせて作られた新幹線が開通した時、「名古屋から東京に仕事に行っても日帰りできる」「でもかえって忙しくなる」というようなことを聞きました。完成まで20年(?)位かかるとのことですが、「オリンピックに間に合わせろ」という声も聞かれます。

――地球は一つの生命体――

 そんな時、「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の監督、龍村仁さんの講演を聴く機会がありました。独特の思想がこめられたオムニバスドキュメンタリー映画。第一章を見てとても感動しました。4章まで見た記憶がありますが、遠のいてしまって、もう第8章の撮影にとりかかっている、という話にはっとしました。

 あの時の感動をもう一度味わいたい、でも自主上映の映画、すぐにはかなわない。著者の本を読みました。「地球(ガイア)をつつむ風のように」という本ですが、最初のページに「ガイア理論」として次のように書かれていました。

 「太陽系の第三惑星である地球は、それ自体が一つの大きな生命体としての仕組みをもっており、我々人類はもちろんのこと、動物も虫も草も木も風も岩もすべてが有機的につながった大きな生命体として、35億年の歳月を生きつづけている」その一つの例として、地球の大気は、どの場所に行っても酸素の比率がおよそ20%に保たれていると述べられ、まさに地球が一つの生命体と考えられる証拠、納得しました。

――近代科学――

 でも、温暖化の影響は日増しに大きくなっているように感じます。それは、人間が科学の力で、自然をあまりにも操作したからだと思います。

 科学の力で(コンピューターで)綿密な計算で考え、作りあげる。新聞の記事に、ある科学者が、原発事故に関して、「1秒ごとのデーターは公開されているのに

1/100秒のデーターは公開されていない、おかしい」でもその後「1/100秒のデーターが公開されて、それを見てやはり○○○が破損されているのが分かった」という言葉が載っていました。

 1/100秒の変化も影響するような機械を作り、それをデーターに表す・・・私など想像もできない世界ですが、そうした科学の力は、地球を一つの生命体としてみる時、その生命体を破壊するもののように思います。

 また、近代科学の発展により精密な機械が作られ、大量の物質が生産され、また経済効力なども、科学的に計算されるなど、私たちは科学の力に魅了されてしまったようです。科学的というのは「普遍性」「論理性」「客観性」をもつことであり、それが最も大切なこととなりました。現実の生活世界、心の世界は、それは通用しないことを忘れてしまったかのようです。「こうすれば、こうなる」「こうなったのは、こうしたから」ということで全てが割り切れない。(「影響」はある程度考えられますが)色々と「相互性」がありますし。

 「働かないのは、学校へ行けないのは努力が足りないから、頑張らないから」と思う一般の人もまだまだ多いと思います。なかなか社会に出られない青年たちはひけ目を感じ「自分はダメな人間」と思ったり、「オリンピックに沸き立つ世界は別世界」と思ったり・・・ではないかと思います。

 繊細な人たち、真面目な人たちが科学の力を優先する現代社会の影響を受け、ついて行かれず、自己否定感が強くなったように思います。

 正社員で働く青年(大人)も過酷な労働を強いられている(長時間の残業、しかもその残業代を払ってもらえない)ことが多くなってきています。

 暗いニュースばかり目に付きますが、暗い気持で生きたくない。どう考えたらいいのだろう・・・

 ふっと、私が接する人たち、青年や親御さん、家族や友人などを大切に感じることかな、と思いました。そして、地球生命体の仲間、鳥や虫や動物(猫を飼っています)や草や木や、そして石ころや、風を大切に感じることかと思います。(行為を伴わないことが多いでしょうが)

2013/09/01

変わらない古里

  8月下旬、福島市で開かれている「若冲が来てくれたプライスコレクション江戸絵画と生命」を見に行きました。

 アメリカのコレクターが震災の被害が大きい東北3県だけで開く、ということで、また福島の実家にも寄れるということもあり、2日間でしたが、凝縮されたような旅を体験しました。

 まず、東北新幹線、車窓からは緑の田んぼが広がっているのが見え、ほっとした気分になりましたが、東京から福島まで1時間20分、「こんなに速いのでは旅を味わう余裕もない」と思いました。とは言え、私は一番短時間の列車を選んだのですが。昔、学生の頃、東京から名古屋に帰る時、急行券がもったいないと思い、鈍行に乗ったことを思い出しました。急行では7時間でしたが、途中、浜松で降りたりして10時間位かかったと思います。

 美術展は全部で100点。墨絵もありましたが、色鮮やかなものが多く、おおらかさを感じ、また、屏風絵(2対)はとても大きく、とりわけ若冲の「鳥獣花木図(花も木も動物もみんな生きている)」は圧倒されました。

 さて、福島の田舎の小さな町、9才まで過ごしたのですが、その時の思い出、記憶を確かめたいと思いました。森の中の神社、お祭りは夜で、両わきにローソクが灯っている石段を登って行った記憶、とても楽しかった――その神社を探しまわりましたが、見つかりませんでした。神社は沢山あったのですが。

 でも、私が通った小学校の空地を通った時、こんなに狭かったのか、と驚きました。コの字型に校舎と講堂が並び運動会をする運動場も広かったように思います。

 また、姪の車で、白河市近くの老人ホームにいる姉に会いに行く途中、私の生まれた村を通ってくれて、「ここら辺よ」と教えてくれました。周りは低い山並に囲まれて、緑の田んぼが広がる中に、小さな森と数軒の家がかたまっているのが何箇所かありました。「昔と今、変わってないかもね」と話し合ったことでした。

 姉は6才上ですが、子どもの頃のことはよく覚えていて、「みんなパンツ1枚で裏の川に泳ぎに行った」など話してくれました。私も、川でよく泳ぎ、川辺の砂で落とし穴を作ったことを思い出します。

 実家は福島県の南の方の山あいにあり、放射能の数値も低く、のどかな雰囲気で、子どもの頃とそんなに変わっていないことを感じた旅でした。

所属欲求、承認欲求

 でも、日本の社会は70年前と、いや4、50年前とも大きく変わりました。生き辛さを感じる人が非常に増えた、と思います。日々それを感じます。私が関わっている青年も、また情報として見聞する中でも。

 社会(学校や職場など)に出られない青年たち(居場所に来たり仲間と話せる青少年と、他の人とは話せず――買物など外出することもありますが――殆ど自室ですごす青年がいます)と関わりながら、「なぜそうなったのだろう」「どうしたらいいのだろう」といつも考えているのですが、先日、なの花会の講演「なぜ若者はひきこもるのか」を聞いて、「そうなんだ」と思いました。動物と人間の違い、昔と近代社会、現代社会の違いが、私たちに生き辛さを生じさせている、のだと感じたのです。

 類人猿と分かれて、狩猟時代になると、動物と違う文化が生まれ、人間の本質として「所属欲求」「承認欲求」「利他性」を持つようになりました。

 そして、狩猟時代、農耕時代は、親が働くのを手伝い、真似することで、自分で生きる力をつけて行く、――そこでは、家族や、まわりの人々、共同体によって所属欲求や承認欲求が満たされました。

 でも、近代社会、産業化社会になると、技術、知識を学ぶことが必要になり、学校教育が始まりました。また、社会も複雑になり、社会規範も覚えなければならない、学校では、色々個人の差があるのに同じスピードで、――ということについて行かれなかったり・・・。特に高度成長時期になると、”競争”させられ、そこでは、所属欲求も承認欲求も満たされにくくなりました。

 そして、中学高校ではクラスの中にグループが作られ、そのグループから承認されることで(ひたすら、グループの人たちに合わせることで)、承認欲求が満たされる、でも合わせられない子は、グループに入れない子は、辛くて不登校になってしまう・

・・ということになってしまったと思われます。職場でも、競争や効率主義に乗れない者は認められない・・・

 社会も親も数値の大小で評価する傾向になって来て、ゆったりとその子にあった育て方が出来ない、家族の中の所属欲求、承認欲求も満たされにくくなり、グループ、集団からの所属欲求、承認欲求を強く求める。でも、満たされない・・・そうしたことが私たち、青年たちを生き辛くさせている――と思います。



 では、どうしたらいいのか。一度不登校になったり、ひきこもったりすると、そういう自分を人は社会は、認めないだろう、という思いが強くなるわけですが、親や支援する人が、「認めているよ」というメッセージを常に送ることでしょうか。

 親自身も、(私もですが)人間不信にならないよう、自分を解放したり、癒したりする時をもつことも。動物にない人間の素晴らしさもあるはず。美を、芸術を生み出し、それを鑑賞する力が、歌う力があります。また、先に述べた、利他性――「人の役に立ちたい」という思いを持つことも。

 私もしばしば「失敗したかな」と落ちこむこともありますが、それも”心”を持つ人間だから――と思い直し、”できるだけのことをすればいい”と思ったりしています。

2013/07/02

  7月の上旬の猛暑、下旬の豪雨(全国各地で、また都会でも川が氾濫)、自然の厳しさを感じます。森が破壊され減少しているのも影響しているかもしれません。

 でもまた、道草の家の窓からは草や木、笹竹が緑に茂り(手入れしてないのですが)、黒揚羽蝶が飛んでいるのが見えたり、蝉の鳴き声もして、自然の営みを感じます。自然が月々に訪れて来てくれます。先日はもう赤とんぼを見ました。

 私は幼少時代を田舎で過ごし、蝉やとんぼをつかまえたり、蛍をつかまえてカヤの中に放ったり、自然を身近に感じてすごしたので、自然の移り変わりを懐かしむ気持がありますが、都会で育った今の若者はどう感じるのでしょう。

 窓の外、緑の中の黒揚羽蝶を見つけたのは青年でした。

「『助けて』と言えない、孤立する30代」を読んで

 この本は衝撃的でした。数年前にNHKのクローズアップ現代でアパートでの孤独死(餓死)やホームレスの30代の男性について取り上げたのを見た記憶はありますが、深く考えずに過ぎていました。

 この本の中の「助けて!」と言えない30代の人たち――今ひきこもりの状態にある青年たち(様々な状態があり、外にでたり、仲間と一緒に過ごしたりする場合もありますが、働いていない、学校に行ってないなど社会参加をしてない)のことを考えないではいられませんでした。重なる部分、つながる部分があるように感じるのです。

 アパートで「助けて」と一言書いた手紙を横に置いて餓死していた39才の男性――なぜ、実際に「助けて」と言えなかったのか、NHK北九州支社のディレクターたちが、その疑問を解きたいと思い、北九州市でホームレスの支援活動をしているNPO法人の代表と一緒に行動しながら取材した記録です。

 路上で寝ているホームレスの人たちの中で30代と思える若い男性に「寝る所はある、仕事も一緒に探そう」と声をかけるのですが、一回では応じない。テレフォンカードと支援者の電話番号を書いたものと1000円を入れた封筒を渡す――でも後で電話して来るのはほんのわずかだそうです。

 でも支援の言葉に応じた男性にその気持を聞くと「こうなったのは自分のせいだ、自分の努力が足りないからだ。働いていないことは親にもいえない」と言います。

 「助けて」と言えない世代。競争に勝ち、努力すれば、いい会社にはいれ、いい結婚ができる」と言われ、それができないのは、努力が足りないからだ――という“自己責任”を問われていると感じてきた世代。「助けて」と言えないのは、「助けて」と言わせない社会があるからだ――と著者(ディレクター)は言います。

 でもまた、親にも友だちにも、それが言えない――のは親子の関係も友人関係も、”困っている時には助け合う”という関係ではなくなった――のでは、と思われ胸が重くなります。

 プライドもあるのでしょう。「働いていない」とは親には言えない、食べ物も寝る所もなくなっても――

弱さを認め合えない社会

 さて、ひきこもっている青年の場合、親とよく話す場合もありますが、あまり話さない、全然話さない、そして、外へ全く出ない、買い物などには出る、居場所に行く、仲間で話したり、遊んだりする――など、様々な状態があります。親に暴言を吐く、親に自分の不安を訴える――なども。

 ある週刊誌には「働かない、家を出ない、そして親のカネをあてにしているわが子へ」という題で、働かずに家にいる40代の子どもをどうしたらいいか――について、色々な人が意見を述べています。親子の共依存、甘え、という言葉もありますが、私は、彼らが”働かない、働けない”のは、10代での不登校、大学を出たとしても、それが精一杯で働けなかった青年たちは、その時点で、「自分は学校にも行けない、働くこともできない、”自己責任”を果たしていない人間なのだ」と、はっきり意識してはいないが、深く感じ、傷ついているのだと思います。

 30代でホームレスになった青年は、20代は実家から出て他の都市に出て就職し、ともかく働けた。でも解雇などで職と住居を失ったまま、家に戻れないでいる。

 私が関わったり、親の方から聞く青年(勿論、男女)たちは、他人がこわい、働く場での人間関係は一層こわい、という面が強く”甘えている””怠けている”のとは違うと思います。やはり、失敗したり、困った時にそのことを言えず、「助けて」と言えない。

 学校でも、友だちは競争相手であり、助け合う仲間ではなく、いじめにあっても親に言えなくて、我慢に我慢を重ねた結果、登校できなくなった時は、深い心の傷になっています。

 中・高校ぐらいで不登校になった青年(来所する青年に多い)は、その時点で「社会は厳しい、自己責任を問う所、自分は社会からは認められない人間になってしまった、将来のことは考えられない」と漠然とでも思ってしまうのではないでしょうか。ある青年は、高校で不登校になった時、教師から「高校位出ないでは、人生も終わりだ」と言われた、と言ってました。

 また、中学で不登校になり、高校受験をしようと思ったが、とても辛くてできなかった、という女性はその頃から「窓が少しでも開いていると、外から何か恐ろしいものがはいって来るようで窓はちょっとでも開けていられない、カーテンも閉めたままだ」と言います。「でも、道草の家はすぐ近くに家や道路がなく、窓を開けていても緑の木や草しかみえないので落ちつく」とも。

 親の会での話しにも「自室の窓は雨戸もカーテンも閉め切ったままだ」ということをよく聞きます。外へ出られない青年にも、時々出られる青年にも、また仲間とは一緒にいられるようになった青年にも、「自分は社会から認められない人間だ」というような絶望感。諦めのようなものを感じます。

 一旦、一般社会のレールからはずれると、自己責任という言葉のもとに、自己否定間が強くなり、前に進めない青年たち。弱さを認めない、少数派を認めない社会とは何なのでしょう。生きるとは何なのでしょう。生きる意味とは?・・大きな課題です。

2013/07/01

緑の広がり

 今月の画廊巡りは佐倉市にある川村美術館に行きました。

 千葉駅から成田方面の電車に乗りかえると、車窓からは次第に緑の広がりが見えました。田んぼの苗が緑に輝き、風に小さく揺れ、遠くまで続いています。千葉にもこんな田んぼがあるのだと改めて思いました。青年たちも「わあ、きれい!」と思いがけない風景に感動したようです。佐倉駅から美術館に行くバスの中からも緑の田んぼが広がって、所々に濃い緑の森が見えました。

 館内はコレクションの展示と企画展(彫刻、立体)がありましたが、一つ一つの絵の前に立ち、作者はどんな思いで描き、何を表そうとしているのか、と(特に抽象画)思いました。縦3m横5m以上もあるカンパスに、殆ど赤一色で塗りこんだ絵、ただペンキを一色で塗ったものとは違う、微妙な色の変化、深みはありますが、作者は仕上げるまで何回も何回も色々重ねて「これが描きたいものだ」という思いに至ったのでしょう。そして達成感を感じたのでしょう。或いは「まだ十分ではない」と思いながら、一応の完成としたかもしれません。

 こうしたことから思うのは「描きたいものがある」「したいことがある」それに没頭できる。「これが自分が生きることだ」と思える「生」に羨ましさを感じます。勿論、自分の思いがなかなか表現できない苦悩はあるでしょうが。

 大多数の人はこうした芸術品を見て、感動して、何らかのエネルギーをもらう、或いは気持を解放する、ということなのでしょう。

美を求める

 でもまた、人間は動物と違って、何かを求めながら生きている。”美的なものを求める”のも人間の本質かもしれません。

 先日、テレビ番組で見たのですが、日本人がアフリカのある国を訪れた様子を映していたのですが、女性が数人並んで座り、色鮮やかな糸を組み合わせ、複雑な模様で、首のまわりにつける広い襟のようなものを編んでいました。そして、様々な模様の首飾り、頭飾り、ブレスレットなどを身につけていました。取材していた旅人に一人の女性が「編んであげる」と言って、すぐにブレスレットを編んで、手首にはめてあげていました。

 その楽しそうな表情、女性たちの幸せそうで満ちたりた笑顔が忘れられません。

生き辛さ

 同時に、関わっている青年たち、親ごさんたち(会ってはいないお子さんのことも)の苦悩を思い浮かべます。

 コンピューター機能が高まり、「ビッグデーター」とかで何でも(?)分かってしまう・・・便利ではありますが、怖さを感じてしまうのは私だけでしょうか。

 ついていかれない――文明がこんなに発達したのに貧富の格差は大きくなっています。そして、「働く場がない」という若者と「働くのがこわい」という若者が増えています。また不登校の小学生、中学生、高校生も増えています。

 私たちはどうしたらいいのでしょうか。

 細やかなことですが、道草の家で開いた訪問支援ボランティア養成講座を受けた青年が、不登校の小学生を訪問し、一緒に遊んだり話をしたりしています。

 これからも、訪問支援や傾聴ボランティアの養成講座を開き、少しずつでも活動を広げたいと思っています。また、一般的にも、「よりよい人間関係を形成する」ことと通じることだと思いますので、そうした講座を秋から開きたいと考えています。

気質について(親と子の気質)

 なかなか子どもの気持が分からない――という親の方も多いのでは、と思います。一生懸命愛情を注いで育てて来たのに、不登校になったり、ひきこもったりして、人の中に、社会に出られない――なぜだろう・・・と親子で思い悩む方もおられます。

 青年たちと、そして親の方たちと接する中で、この頃感じることがあります。育てる過程で、子どもが行き易いように、という思いで「こうしたらいい」とか「こうしなさい」とか「こういうことが、人との関係で大事」などと言ったりします。子どもは親に認められたいし、愛されたいし、守ってもらいたい気持で、親の期待にそうように努力します。

 でも、親と子とで気質が違えば、親にとって生き易い生き方、楽な人間関係も、子どもにとっては、生き辛さになったり人間関係に悩むことになったりします。

 たとえば、親が外交的な気質で不安気質があまりない場合、”人に合わせる”ことはそんなに負担でなく、人間関係もスムーズに行く――ということがあり、子どもにも「人に合わせた方がいい」と言ったり、そういう親を見て、子どもは親の期待にそいたいと思い、人に合わせることに努力します。でも繊細で完璧を求める気質であると、うまく合わせることが負担になり、家の方が居心地がよく、家にこもりがちになります。主体的に人と交わる力を培えなったり、合わせられない自分を否定的に感じたりします。

 或いは、子どもが繊細で感受性が強く、色々なことを感じてしまう――に対し、親がおおらかで、細かいことをさほど気にしなかったり、また”頑張る”強さを持っていたりすると、「何で頑張れないのか」とか「そんなことで」など言いがちです。子どもの気持をなかなか理解できない。子どもは子どもなりに頑張ってもできなかったのであり、傷ついているということが分かりにくい。

 親が分からずや、とか、子どもが頑張らない、とかではなく、親と子の気質の違いが、すれ違いを起こしていることが多いのではと思います。

 道草の家に来る青年にも「気質のチェック」をしたりしますが、自分の気質の特性を知ることで、自覚することで、その辛さの一つの要因、例えば完璧主義にはまらないように少しずつできるようになっています。

 親の方も、自分の気質を知り、子どもの気質を想像して、双方を理解ができるようになってもらえれば、と思います。(親の会などで気質を調べたいと思います)

2013/06/04

森と農業

 森の中で働く――男だったら――ことを夢見ます。

 なぜ?・・・幼い時過ごした福島県の田舎で友だちとよく森の中で遊んだことを思い出すからかも知れません。杉などの茂った森へ友だちと遊びに行き、こわい話(天狗の)をしたり、少し離れた所にある(所有地の)林に姉や母と枯木を取りに行ったり(風呂を炊くため)、蚕にやる桑の葉を採りに行ったことを思いだします。その時食べた赤く実った桑の実のおいしさ!甘さ!――その頃は戦時中、お菓子などありませんでしたから。

 そして、そこから眺めた下方の町並みの向こうの低い山並・・・山並の向こう側には何があるのだろう。自分たちの町と同じような町があるのだろうか、自分たちと同じような人々が暮らしているのだろうか――と思ったことを覚えています。日本という国のことも、他の国々のことも、地球のことも知らずに。広い世界があることも知らずに。

 でも、そうした幼い頃は、「人が悩む」ということも知らずに無邪気に遊ぶ楽しい日々でした。

 9才で名古屋に来てからは、大家族から養父母と3人の生活になり、さびしさを感じましたが、夢に出るのは兄弟など大勢で過ごした広い家の様子や友だちと遊んだ野原や森や林でした。

 さて、私にとっては懐かしい森や林が、日本国土からも、世界(地球)からもどんどん減って行っていること、このままでは生物は生存できなくなることを宮脇昭先生の著書「森の力」を読みながら(うすうすは知っていましたが)、その切実さを改めて知りました。

 そして、森と同じように農業も、地球の自然環境にとって重要であることも知りました。(「農から環境を考える――21世紀の地球のために」) 

 食料の自給率が30~40%だということも聞き、輸入ができなくなったらどうなるのだろうか、と心配でなりません。

 私たち生命あるものを支える自然環境、それはきれいな空気と水と土であり、それを保つのは森林であり、農業生産であること・・・宮脇先生は、沢山のポット苗(広葉樹の実を埋めて苗を作る)で世界中に森を作っているそうですが、今は行動できませんが、いつかそうしたことがしたい、と夢見ています。

国民性と心の苦しみ

 今の社会状況、そして思うように生きられず、悩み苦しむ青年たちと親の方たちのことを考えると、様々なことが押し寄せてくる感じで、整理できず、方向性も定かでない・・・

 親にも心を閉ざし、殆んど自室にいる場合、「どうしたいのか」「どうしてほしいのか」も分からぬまま、「本人がこれを望んでいるなら、それを受け入れてあげるべきでは?」と思い悩む親の方も、また「子どもを愛情こめて一生懸命育てたはずなのに」と思う方もおられます。

 生来の気質や、育つ環境(人間関係)、様々なことが重なって、今の状態になるわけですが、イギリス人と日本人について書かれた本を読んで、日本人の国民性もあるのでは、と思いました。日本人の心は複雑です。シンプルに生きられない。シンプルに生きられたら、ひきこもることも、悩み苦しむこともないと思われます。

 日本人の国民性(みんなが、というわけではありませんが)、真面目、完ぺき主義、協調性、我慢強い、頑張る――などがあげられると思います。

 農業が中心の生活だった時代は、お互いに助け合わなければならず(例えば、田んぼの水を上から順番に流していく)、また、文化が緩やかだった頃はこれらの気質が生かされたと思います。でも高度成長の時期にはこれらに”競争心”が加わって「みんなに遅れてはいけない」さらに、頑張ることが要求され、優しく繊細な子はその波に乗れずに、不登校やひきこもることになって行きます。

 でも、”人並みにならなければ”という思い、人並みになれない自分を責める・・・人並みに働いて仕事を持って安定した収入がある生活・・・でも、長く社会から離れていると、ほど遠い・・・友だちは医者になったりしているのに・・・

協調性、完璧主義

 親は子どもに幸せになってほしい、と願います。「いい学校」「いい就職」「いい生活」を願ったり・・・

 人から「いい子」「いい人」だと思われることを、そのような生き方をして来た親は、子供がそうなることを求めたりします。子どもは親に認められたいし、優しく、守ってくれる居心地のよさに、親の求める”いい子”になろうとし、他の人の中でも、そうなることを努力します。親は外向的な性格で、”いい人”であることが、そんなに無理でなくても、子どもは内向的で、繊細な場合、無理しなければならず、人に合わせる生活に生き辛さを感じるようになる。そして、自分にひきこもりがちになったり、そういう自分(人とうまく交われない)を責めたり・・・に陥る。

 真面目で完璧主義――も、社会に出ていないことのコンプレックスから必死に「完璧にやらなくては」「常識をわきまえていなくては」という思いが強くなり、そうできない自分を責める、ということも。

頑張ること・・・

 不登校になったり、ひきこもったり(働かない)することは、頑張りが足りないからでしょうか。私はむしろ真面目で頑張ったから、無理したから、不登校になったり、外(社会)に出られなくなったのだと思います。また、頑張る目標が以前のようにはっきりしなくなった、ということがあるかもしれません。これ以上、経済成長をし、生産性を上げることは、地球環境の悪化につながることを、青年たちは(ひきこもっていない青年も)無意識に感じてるかもしれません。

他と違ってもいい、自立

 イギリス人と日本人との大きな違い、イギリスでは人と”違う”ことを当たり前と思い、むしろ”違う”ことが評価されます。そして子育ての目標は”自立”させることだとはっきりしています。

 日本では、真面目がいい、頑張ることがいい、人にいやな思いをさせてはいけない、迷惑をかけてはいけない――などを、繊細で感受性が強い青年は、敏感に感じとってしまい、今の社会では生き辛くなってしまうのだろうと思います。

 感性も知性も豊かなのに、社会からは、はずされている、という思いになり、社会に出る意欲を失くしている面があると思います。

 生きる力、自立の力をどうつけて行ったらいいのでしょうか。まず第一に「自己肯定感」が持てることだと思いますが、それにはどうしたらいいのでしょう。「高い目標」に向けて頑張るのではなく、今できることを精一杯やることだと思います。それを続けて行く。親もまわりも、そういう思いで接することではないでしょうか。

2013/05/01

季節の巡り

  街路樹もすっかり黄緑の若葉におおわれ、また低いつつじの生垣も黄緑の中に鮮やかなピンクの花を咲かせています、家々の庭も様々な色の花が心地よさそうで、晴れた日は外を歩くと軽やかな気分になります。東北の被災地も津波にもめげず生き残った桜の木がうす桃色の花を見事に咲かせているのをテレビに映されていました。(また原発事故の福島でも)。そうした自然の営み、自然は生きているのだ!と元気づけられる感じです。

 一方では靖国神社の参拝のため、国会議員がぞろぞろぞろぞろ歩いている姿をテレビで見ると「一体なんだろう」と心が重くなります。太平洋戦争は一方的に日本が始めた戦争であり、韓国、中国を巻きこみ、東南アジアの島国を日本とアメリカの戦場としたことは責任は大きいと思うのですが、これを”侵略”とすることは”自虐的”だからよくない――と今の政権は言っています。また「主権回復の日」式典も行われ、沖縄の人々のことはまったく考えないのか、と不思議でなりません。

 そして原発についての対応を見るにつけ、現政権の人たちは、思考力、想像力が乏しいと思えてなりません。目先のことしか考えられない。「原発がなければ停電が起きて困るではないか」と閣僚がテレビで言ってましたが、原発の廃棄物の処理は何百年、何千年とかかる(それ以上かも)そうで、それを想像したら未来の人のために、原発はやめるべきだと思わないのでしょうか。

スローシティ

 先月、青年たち(女性3人男性1人)と画廊巡りに行きましたが、その時、集合時間が来ても来ない青年から携帯に電話があり、「今から用意して行くので1時間位遅れる」と言って来ました。私は1時間も遅れるなら、先に行ってもいいと思い、集まっている青年たちにそう言ったのですが、青年たちは「1時間待ってもいい」と口々に言います。私は「そうなんだ、時間の決まっている所に行くわけではないのだから、待ってもいいはず」と思い、青年たちの優しさを改めて思いました。

 私は友だちと待ち合わせる時、5分、10分の遅れもいらいらしたり、「時間を間違えたのでは」と思ったり、”時間”に捕われた生活をして来たな――と思いました。待つのも、話したり、考えたり、感じたりしていれば無駄な時間ではないはず。

 そんな時、「スローシティ」という本に出会いました。スローフード、スローライフ、という言葉は聞いていましたが、それほど関心はなく過ぎており、「世界の均質化と闘うイタリアの小さな町」という副題に魅かれました。先月号にテレビの「小さな村イタリア」がとても好きだ、と書きましたが、それに通じるものがあるのでは、と思い、買い求めて読みました。イタリアには「スローシティ連合」(人間サイズの、人間らしい暮らしのリズムが残る町のネットワーク)がある。それは「グローバル化社会の中で、人が幸福に暮らす場とは何かを問い続け、町のアイデンティティをかけての闘い、挑戦」そして「美しい村の風景とは何か――大地とつながっている、という感覚を暮らしや町づくりに浸透させていくこと」と書かれています。

 私たちは、あまりにも進歩、発展をお求め、大地から離れた生活を近代的だと思い、高いビルが立ち並ぶ街を造って来ました。今も高いビルがどんどん建てられています。

それを豊かさの象徴のように思ってきました。

 いつも言っていることですが、物がいっぱいあり便利で効率的な生活環境となって、私たちの心も豊かになったでしょうか。

 先にのべたように、国民のことも、周辺の国々の人々のことも、そして未来の人のことも考えられない、想像できない人たちによって政治が進められていること、そして生き辛さを(精神的、経済的に)感じる、多くの人たち!(子どもも青年も中年も老人も) スローシティに憧れます。

学力と自己肯定感

 今、「脱ゆとり」という言葉が広まっています。世界の国々が参加する経済協力機構(OECD)が行う学習到達調査(PISA)の最近の調査で、前回より順位がかなり落ちた、ということで、それは”ゆとり教育”のせい、だから”ゆとり教育”をやめよう、ということです。

 学校教育は何のためにあるのでしょう。何を目標にしているのでしょう。基礎的な学力と共に人と関わり、心の成長(主体性など)など、大人になって社会生活を送れる力をつける、その人なりに生きる力をつける、ことかと思います。

 日々関わっている青年は、感受性や思考力は高いのに、自己否定感が強く、なかなか前向きに進めない。不登校になったり、ひきこもったりすると「自分は社会参加していないダメな人間」という思いが強くなり、それを取り除くのは大変難しい。日々そういう思いの青年たちと共に闘っていると言えるかもしれません。(大げさな表現ですが)

 子どもの頃から自己肯定感を持つにはどうしたらいいでしょうか。

 北欧、デンマークの学校教育が(テレビで見ましたが)とても参考になります。PISAでも上位の学力を持っている、デンマークの教室の様子。まず、子供たちが、自分がやりたい学科を選び、主体的に勉強する。分からない所は、教師やボランティアの母親や先に理解した子供が教える、納得できるまで勉強しているようです。それでもその学年の勉強について行けない児童は下の学年のクラスに行って勉強する。自分で選んで、であり、コンプレックスは感じないし、まわりもこだわらない。むしろ理解できないまま進級してしまう方がおかしい、という考え。ゆっくりだったら理解できるタイプの子どももいるはずですから。

 こういう学校教育の中で主体性と自己肯定感は育つと思います。競争ということはないわけですから、他と比較することがなく、お互いに助け合うこと、それぞれの特性を認め合うことが培われるように思います。

 日本では競争心で勉強させる、ということが多く、お互いに助け合う仲間ではない、心を許して合えなくて、まわりに合わせることが無難だ、と思いがちになる、そんな中でいらいら感もつのり、いじめにつながる――ということもあるように思います。

 これだけの問題ではないかもしれません。大人、日本人の多くは自己肯定感が低いように思います。心穏やかにゆったりと過ごせたら!人と比較しないで自分ができることを精一杯やること、かな、と思います。 

2013/04/02

3月

  3月は何かあわただしく過ぎたように感じます。

 冬のような寒い日も結構あって、いつ春になるだろうと思いましたが、初夏のような日が来て一挙に桜の花がほころびました。梅も桃も木蓮も。道草の家に降りる階段の横の雪柳も、白い小さな蕾があるな、と思った翌日、もう白い雪をかぶった柳の枝々になりました。

 でも、3月は2年前に東北大震災があった月、11日の前後にはテレビも新聞も、まだ殆ど復興とは言えない被災地を写し出していました。また原発についての報道も、見通しのたたない難しさばかりを感じさせるものでした。どう考えたらいいか、疑問ばかりですが、意思表示したり、行動したりする力のないまま、気が重く、つきつめないで過ぎていきます。

 今朝、うぐいすの小さな鳴き声を聴きました。いつもは4月か5月頃に聴くのですが。

イタリアの小さな村の人々

 前にもこの欄で書きましたが、テレビの「小さな村の物語 イタリア」は本当に心を癒してくれます。毎回2人の初老の男女を中心にその生活(仕事も含めて)を追ったドキュメンタリーです。一度は他の地域で暮らしたり、出稼ぎに出たものの、父親から「戻って来て、一緒に仕事を手伝ってほしい」と言われ、「やっぱり、自分が育った故郷がいい」と言って戻ってきた――という場合が多いです。

 子どもたちの兄弟も、殆ど近くに住んでいて、すぐに集まって一緒に食事をしながらおしゃべりがはずみます。「父親を尊敬している」という言葉が出たりします。また、老人になっても、友だち同志でしょっちゅう集まって、居酒屋の場合もありますが、木陰のベンチに腰かけながら楽しそうに話し合っています。「沢山の思い出があるから話はつきないんだ」と言ってます。

 勿論、イタリアの中には生活が厳しくすさんでいる所もあるかと思いますし、この村は気候が穏やかで小さな村、ということもありますが、穏やかに過ぎて行く日々に憧れさえ感じます。

 私たちの生活とどこが違うのでしょう。そこでは、子どもは親の仕事を一緒に手伝いながら、或いは見ながら育つ。特に親が意識して「いい子に育てよう」とか、勉強ができる子」にとか「仕事は厳しいから頑張れる子に」とは思っていないように思います。日本では少し前までは「親の背中を見て子は育つ」と言われてきましたが、イタリアでは、国民性もあるのでしょうが、おしゃべりが好きで、親子、家族がおしゃべりしながら向き合って過ごしているように思われます。

「いい子」「いい人」

 相談を受けているお母さんたちから、人と交わらず殆ど家から出ない状態からなかなか抜け出せないお子さんについて、「いい子だったのに」とか「いい子に育てようと思うことのどこが悪いのでしょう」と聞かれたりします。2月、3月号で”普通”についての疑問を述べましたが、”いい子””いい人”についても考えさせられます。

 「いい子」とはどんなイメージでしょう。「素直で協調性のある子」「まじめで頑張る子」というような、そして「勉強ができる子」がつけ加えられたりします。「いい子」「いい人」と思われるのは心地いいものです。でもそれはあくまでも”相手にとって””親にとって”の「いい子」ということになります。本人にとっては親に認められることは嬉しく、親の期待にそうようになって行き、自分の気持を抑えたり、自分の本当の気持を自覚しないままに大きくなります。

 でも、学校などで様々な子と出会えば、だんだんといつでも「いい子」でいることは、みんなに合わせることはしんどくなって来ます。自己主張ができない、けんかもできない・・・。

 イタリアの小さな村では(これは一部の村?でもこの番組は毎週ずーっと続いています)ゆるやかな時の流れの生活、また気質のせいかもしれませんが、どんどん自己表現して、相手と違っていてもそんなに気にしないようです。また人より立派にならなくては、人より成功しなければ、という思いもあまりないようです。日本のような経済原理が優先して「より多く」「より早く」「より高く」を目指すことがなく、日常的な家族や友人との交流を楽しんでいるように見えます。

 日本が経済的に豊かになった今、でも格差は大きくなり、ひきこもる青年(成人)やニート、家族関係が切れてホームレスになる若者や老人が増えているのはなぜでしょう。そして悩み苦しむ青年たち。

 いつも思うことですが、道草の家で関わる青年(男女)たちは皆、感性も知性も豊かなのですが、自己否定感が強く自信がないため、社会に出られない―もっと自己肯定感が持てれば、社会に出られるのに――と強く感じます。

 青年の集いでは「自分の言った言葉が相手にいやな思いをさせたのでは?」とか、「相手の言葉で辛い思いになった」などが話されます。過去に傷ついた体験があるので、とても気になるのでしょうが、「人にいやな思いをさせることはよくないことだ」「いい人であるべき」という日本人の価値観の影響もあるかと思います。

 そしてある青年は、「誰にも合わせられる会話をしたい。それができないと社会にでられない」と思い、人の中に出て訓練しようとしましたが、無理だったようです。それは自分の本当の気持を無視することであり、かえって精神的辛さが増してしまったのだと思います。

 その後、「”誰とでも”ということではなく、興味が同じだったりして、話が会う人とだけ話せばいいんだ」という気持になった、と言っています。本当にそうだと思います。私も興味が同じような話が合う人が少ない友だちになっています。

 もう一つ「我慢強さが美徳」という日本の価値観も生き辛さを増していると思います。いじめやグループにはいれないなどで学校に行きたくない気持になあっても「学校は行くべき所、我慢しないと!」と言われ、我慢して登校したため、どうしても登校できなくなった後、なかなか回復はできず、ひきこもる生活へ、―となる場合が多く見られます。また「転職したい」と言っても親から「石の上に3年、我慢しないと!」と言われ、我慢したために打つになってしまった、ということもあります。

 青年の集いの中で、或いはメールのやりとりなどで、自分が理想が高かったり、無理していることに気づき、価値観や生き方を少しづつ変えて生きたい、という気持になった、という青年もいます。

 自分の気持を大切にして、自分ができることを細やかなっことでも、精一杯やることに意味があるのかな、という気もしています。

2013/03/03

人間、いつも同じではない

 頭で考える時「これが正しく、これは正しくない」とか「これは良いことで、こちらは悪いこと」と決めつけ、それがずーっと続くものだと思いがちです。

 でも人間関係を考える時、心も体も変化し、一定ではないのを感じます。昨日の自分と今日の自分は違う、さっきの自分と今の自分は違う、或いは、あの人の前とこの人の前では違う、と感じるのはしばしばです。(前に「分人」ということで書きましたが)

 それは人間も自然の一部ですし、生きているからです。

 そして、私たちは同じ人間でも、同じ空間にいても、相手と自分とでは違うことを感じたり考えたりします。「自分の思いを相手は分かるはずだ」と思っても、そうでないことがしばしばです。

 お互いの違いを認め、できるだけ理解しようとしながら、十分理解できなくても「相手はそう思うんだな」「そう感じるのだな」と思うことができたら、人間関係がもう少し楽になり、生き辛さも弱まるのではないか、と思います。

 でも、私がとても心が痛むのは、心を閉ざし、親とも殆ど話をしなくなった青年たちのことです。会話があれば少しづつ理解を深める可能性はありますが、ない時、親は「本人が望んでいるのなら」とそっとしておくか、でも「このままでは」と思いながらも、「どう向き合うか」――解答が見つからなく、苦悩する親の方たちの思い―に心が痛みます。

 そうした中でも親はどう生きるか、「親の生き方」が問われる、とおっしゃった方もいます。

2013/03/02

心と体は一体――その声を聴こう――

  2月号で、「普通や理想を求めると、それができない自分を責めて精神的病を引き起こしたり、体も不調になり、そしてそれからの回復を遅らせる」ということを述べましたが、なぜなのか考えてみたいと思います。

 普通になりたい、とか理想を求めることは頭で考えることで、本当に心から思っていることではない、それ故に矛盾があり、葛藤があり、心を苦しめる、そして我慢し頑張れば、頑張るほど、精神的に苦しめ、痛いとひき起こすのだと思います。

 1月号の青年の思いの中の言葉「普通になりたい。理想を求めてきた。自分の本当の気持を抑えて、相手の気持ばかりを優先して考えて来た。我慢し、頑張って来た。心の調子も体の調子も悪い。心が悲鳴をあげているのを無視していた・・・」は、悲痛です。

 その“心”はどこで感じるのでしょう。

「心が痛む」時、胸のあたりがちくちくします。精神的なストレスがあると、胸のあたりに、圧迫感を感じ、ストレスがたまると、体もピンピン、というわけには行きません



心は体で感じるもの、心と体は一身同体だと、考えてよいと思います。

 ですから、「何かをしなければ」と思う時、「本当の自分の気持はどうなのか」を自分の“体に聴く”ということをした方がいいと思います。体の中心、胸のあたりやお腹の辺りに注意を向けて、「自分は本当にこれをしたいのか、本当に求めているのか」を尋ねてみた時、息苦しさや圧迫感を感じれば、それは本当の気持でないという事です。

 「~しなければ」「~であるべき」と考えるのは頭でです。頭と、心身の不一致が行き辛さや病いをひき起こすわけです。

 文化が進み、都市化が進み「皆に遅れないように」とか「~でなければ」という価値観が多くなり、物質的には豊かになりながら、生き辛さを感じる人が多くなりました。(多数のひきこもる青年や不登校児、そして自殺者!)

2013/03/01

ひろがる、つながる――地域の人々と――

  家から出られない、人と交われない、不登校やひきこもる青少年を訪問し、話し相手になり、少しでも人と交わる楽しさを感じてほしい――という目的で始めた「訪問支援ボランティア養成講座」が、道草の家に来ている青年(男、女)、現・元ボランティアスタッフ、母親など8人が参加しましたが、一応終了し、2月からは継続研修を行っています。

 そして、「お年寄りの話なら聴けそうだ」と言った青年もおり、独居老人など話し相手がいない方を訪問し、話相手になることも、青年の優しさを生かすことができると思います。

 近所の民生委員の方に相談しましたら、お弁当を月1回届けるお年寄りもいたり、「ふれあいサロン」と言って、年令を問わず集まって話をしたり、歌を歌ったり(2月は折り紙でお雛様を折る)――など楽しむ集まりがあることを聞き、参加しました。

 “身近な所から進める活動の大切さ”を改めて気づきました。“ひきこもる青年の居場所”を12年前に始めた時は、他県からも来たりして、広く呼びかけなければ、と思ったのですが、そんなに大勢のケアをする容量はある訳ではなく、身近な検見川町(1丁目から5丁目もあり)の中で、不登校やひきこもる青年に対し少人数でも、「話し相手になったり、居場所がある」ことを伝えられたら、と思います。

 花見川区の社会福祉協議会にも相談しましたが、ボランティアとして登録し、また民生委員の方たちを通して、一緒に地域に加わったら、――というアドバイスを受けました。

 また、船橋市に、障害者のための社会訓練の場として「ひなたぼっこ」という喫茶店があることを、そこで音楽で交流している、シンガーソングライターの古田さんから聞き、訪ねてみました。中心になっている理事の方と話す中で、かねがね、道草の家に来ている青年の作品(パステル画やコラージュなど、青年の集いでのカリキュラムにあります)を発表する機会がないかと思っていたのですが、喫茶店の壁面に展示することを考えて貰えることになりました。

 道草の家の活動を少しでも多くの人に知って貰う機会になれば、と思います。理事の方とお互いに「広がりますよね」と話し合ったことでした。

 道草の家を始めた原点、パンフレットを作る時にみんなで考えた「道草の家からのメッセージ」の最後の言葉に戻り、細やかでも活動を続けられたら、と思います。

小さなお子さんからそのお母さんや青年から中高年の方まで、世代を超えて自分を大切にし、そして人を大切にする心が育まれることを願っています。

2013/02/14

雪の日に思う

 1月14日、関東に久しぶりの大雪が降りました。朝、窓の外を見ていると、雪が降ってるのが見え、そして「みぞれみたい」と思う間もなく、白い雪に変わって来ました。その日は外出の予定もなく、雪を見て過ごしましたが、鉄道もストップ。一旦、鉄道で外出した人は、帰るのが大変でした。
 北陸や北日本はこれどころではなく、屋根の雪降ろしなど、外の仕事をどうしてもしなければならずまた、バスなども走らない時もあり、雪に閉ざされた生活になります。私などは外へ出るのも寒くて、億劫、――でも子どもの頃は大雪が降ると嬉しく思いました。兄が雪のトンネルや雪の階段を作ってくれましたし、祖父が作ってくれた簡単なそりで坂をすべり降りたり、楽しい遊びができました。
 初めて中学の教師をした冬、かなりの雪が降り、授業をやめて生徒たちと雪合戦をしたことが思い出されました。もう何10年も前のこと、「若かったな」と思います。
 何10年の前のことも、昨日のことのように思い出され、その後今まで色々なことがあり、色々なことを体験し、色々なことを感じながら生きて来て、今がある。今の活動がある・・・それを思うと、私は何を楽しみ、何を苦しんで来たのか、という思いも浮かびます。今、青年や親の方と関わりながら、重なる部分もあり、重ならない部分もある、時代も大きく変わりましたし、私の個性や個人的体験もありますから。でもやはり青年たちの心の苦しみ、生き辛さは身近に感じます。

無邪気さからコンプレックスへ
 まず、小学生までは遊ぶことが楽しく、友だちと無邪気に遊んでいたな、と思います。一人で本を読んだり、絵を描いたりするのも好きで、それは、中学、高校と続き、今も読書や絵を見るのが好きです。
 でも、中学の終わりから高校にかけては、反抗期にもなり(養女になり一人っ子ということもあり)親の過保護、過干渉が、とても苦痛になりました。でもそれをはっきり言えず、悶々としました。もともとおしゃべりな方ではなかったのですが、言葉の表現や、喜怒哀楽の感情の表現もあまりできず、「しゃべれない」というコンプレックスになりました。親しい友だちとは話せますが、特に大勢の中だとか、社交的な場での言葉が出ない、言葉を知らない、それはその場、その場での的確な判断力もない――ということにもなり、今もだいぶ薄らいではいますが、感じます。
 よく、親の方たち、特にお父さんが、「自分は頑張って仕事をして来た。頑張ればできるはず、働けるはず」と言いますが、私は「こうなりたい」と思ってもできないことがある――と実感しています。
 結婚して社宅生活をしている時も、社交性がないこと、気がきかないことは居辛い感じがしました。「何か足りないのかな」という思い・・・やはり家庭の主婦、子育てだけでは満たされない思い。そして「常識で」で囲まれてる感じもし、圧迫感も感じました。それが、家庭の外に出て勉強したり、活動したり、仕事をしたい、という思いにさせたのかもしれません。

“普通”をめぐって
 会報1月号の「青年の思い」に、「『普通になりたい』と思って、理想を求めてきた。でもそれ自体が生き辛さになることに気づいた」と書いた青年がいます。青年の言葉に改めて日本人の多くの人が持つ“普通”という価値観を考えました。
 日本は古来から農耕で成り立っていたムラ社会で共同体意識が強く、「みんなと同じように」「他の人に合わせて」という価値観を持っていました。村の人々が同じような生活をしていれば、助け合いながら“同じように”ということも必要であり、そんなに難しいことではなかったかもしれません。でも近代化が、都市化が進み、様々な生活がなされるようになりました。そして文化も多様になり、様々な芸術(音楽や衣装も実に様々)、趣味も多様になりました。
 でも「みんなと一緒に」という価値観は残り、また、「人それぞれでいい」と思う余裕がなく、多くの人は「みんなと一緒に」に安心感を覚えるようです。多数の人の歩く道が“普通”であり、それが“幸せ”なこと――というような価値観が根強いように思います。でも、人はそれぞれ個性があり、育つ環境も違い感じ方も違います。感性豊かで感受性が強い人ほど、そうした価値観に違和感を覚える、それを無理に合わせようとしたり、自分の方を否定すれば、精神的な不調をもたらすことになります。
 青年たちに“普通”に対する思いを聞いたのを青年の思いの所にまとめましたが、“普通”や“理想”を求めると、それができない自分を責めて、精神的な病いを引き起こし、それからの回復がなかなかできない、と言っています。また、“普通”という価値観を意識からなくし、或いは、“普通でない自分”を認めると、こだわりがなくなり、気持も楽になり動き易くなる、と言う青年もいます。
 私は、「常識がない」「しゃべれない」というコンプレックスを感じながら生きて来ましたが“普通でない”ことを認めていたようで、むしろ“普通”に反発を感じていたとも言えます。それが、失敗しながらも、色々と活動をして来た、起因になったかもしれません。沢山の失敗をして来た、これからもすると思いますが、人生そのものは失敗とは思わないでしょう。これから何10年も生きる青年たち、“普通”にこだわらないで、自分の心身が求める生を生きてほしい、と思います。
 自分にとって意味ある価値観は何でしょうか。

2013/01/11

明けましておめでとうございます                     

 新しい年を迎える時、幼い頃のお正月を思い出します。
 元旦の朝、兄や友だちと一緒に低い山の上にある八幡様にお参りに行き、鈴を鳴らし、手を合わせて拝みました。何を願ったかは覚えていませんが、空気の冷たさと共に清々しい感じになりました。
 新しい年にはっきりした希望は持てませんが、何か新しい変化がありそうな、胸がファっとするような感じがします。まわりの人たちと共に、自分のできることを精一杯行いながら、ささやかなことでも変化のある年にしたいと思います。
 どうかよろしくお願いします。

 
 つながりを求めて・・・
 元旦、特に神社に信仰があるわけではありませんが、毎年神社にお参りし、手を合せています。何となくの習慣です。お正月には有名な神社には大ぜいの人が訪れます。1年に1回お祈りし、お願いするだけでも、気持が休まるのでしょう。私は「この1年、みんな無事で過ごせますように」という漠然とした言葉が浮かびます。人間と動物の違いは、宗教を持つことかと思います。
 人間は昔からそういうものを求めて来たように思います。何か、目に見えないものに守られている、先祖が見守っている、そして、そのもとに、今生きている人もつながっている・・・。つながりを求めている、つながりの中心になるのが、先祖とか神社にまつられている神・・・。
 今、世界中に、沢山の国、沢山の人種が存在していますが、もとをただせば、もとをたどれば、類人猿から分かれた一人の人間だったのではないでしょうか。
 まわりの自然の中に、一つ一つ(一人一人)神が宿る、という思い・・・その神々のもとに、人々がつながっているのを感じるのは人間のみであり、それ故、人間は生きのびてきたのだと思います。でも、その謙虚さが失われた時、自然の造反が襲ってくるのではないでしょうか。


  学校教育(つながりは・・・?)
 道草の家で関わっている青年(彼、彼女)、10代の少年少女(親の相談も含めて)の悩みを聴き、彼らの心の苦しみを感じる時、なぜ、そんなに生き辛さを抱えるようになったのか――を考えてしまいます。主として共通することは、中学、高校(入学してすぐ)で不登校となり、その時の心の傷をひきずり、その時、学校時代に刻みこまれた価値観が、今も大きく影響しているように思います。要因は一つだけではありませんが、感受性が強く、また真面目で、あるだけに、学校教育の問題をもろに、受けたのだと思います。そうした折、「子どもの声を社会へ」という本に出会い
非常に共感しました。子どもオンブズパーソンの著者の言葉を参考に考えて行きたいと思います。
 私が子ども時代、また50年前私が中学校の教師をした頃は、いじめも、不登校もなく、のんびりしていました。でも、私の子どもが小、中学生の頃は、競争意識が出始め、不登校になる子も出るようになりました。それは、経済の高度成長を平行して、高まって行ったように思います。誰でも高校にはいれる機会ができた――ということで機会は“平等”なのだから、あとは本人の“努力”だ、ということになりました。そして学力があれば、いい高校にはいれ、いい大学にはいれる、そして、いい就職ができる、という路線ができ、学校教育の最大の目的は「学力を高める」こと――だという方向に教師も親も進みました。「学力」を高めること、そのための「努力」のみが、子どもへの激励となって来た。それは、日本の経済力を高めることになる、社会全体の価値観と同じです。
 日本は経済成長を続けました。(今は限界になり、成長神話をやめさせねば、という時に来ていると思いますが)

 それで私たちは心豊かな日々、幸せ感を抱いて過ごせるようになったでしょうか?
 不登校の子どもたち、社会に出られない、ひきこもる青年たちの生き辛さ、苦しみを思うと、「学力を高める努力」、に問題があったと、思われてなりません。
 努力すれば、高められる、それができないのは努力しないから、という「自己責任」となってしまい、「努力しようとしてもできない状態にある」或いは「努力しても学力は高まらない」という「弱い状態にあること」「弱いままでいられる自由」を無視することになってしまいました。
 子どもは同じ能力を持って生まれてはいない、ある面では高く、ある面では低くそれぞれの能力、素質を持って生まれています。
 「競争」「努力」「自己責任」には何が抜けているのでしょうか。一人で頑張る―
―というイメージであってそれは他の人を排除すること人とつながることを拒否することになると思います。
 不登校の子、ひきこもる青年の苦しみは、人とつながれない苦しみ、辛さだと思います。 中学校で不登校になった少女の話を聞くとグループに入れないことが辛くて・・・と言います。グループの人たちが話してる、趣味とか、アイドルのことなどに合せられなくて、仲間に入れなかった。また高校入学して、心新たにして、と思っても自分から仲間に入れなくて、数日で不登校。
 それは、本人の問題というより、不登校をしない生徒たちにも本当のつながりを感じなくなり、本当のつながりを求めなくなったのだ、と思います。仲間グループができても「仲間に違う考えを言っても仲間でいられる」という安心感がないし、一人ぼっちの子に声をかける余裕もない・・・

 私たちは、教育を、生き方をどう考えたらいいのでしょう。学校教育は集団の中で人間関係の体験をし、自立に向けてお互いに成長していく――そのために様々な関係性を持ち、分かち合う場であると思います。競争による緊張感はゆるめるべきことでしょう。
 社会生活は競争だけでは生きていかれない。どんな強い人でも、一人では生きていかれない。一人で完結できるものではないと思います。力、知恵のある人は、”それを分かちあうこと”たと思います。(分かち合うために能力を持っている)
 弱い人は弱いままでいられる――助けを求められる、受け皿があるという社会。昔はしゃべれない(苦手な)人はしゃべれないままで、それに合った仕事がありました
。 「学校は仲間に会えて楽しい所」というイメージが取り戻せたら!!(私はそうだった)
 子どもオンブズパーソンの著者は、相談してくる子どもの声を聞いて、それを社会につなげたい――と言っています。
 今苦しんでる子どもの声は、大人になりつつあったり、大人になった(かつて不登校だった)青年たちの声でもあります。 今もなお、不登校やその後のひきこもりに自己否定感を強く持ち、苦しんでいる青少年(彼女、彼)が、それを乗り越え、むしろその体験を生かして生きることができたら、と新年を迎えて改めて願います。
(『子どもの声を社会へ』桜井智恵子著 岩波新書)

2012/12/03

年の瀬に思うこと -活動を振り返って-

 今年もあとひと月、いつもながら月日のたつ速さを痛感します。大きな問題がなかったから、そう感じるのかもしれません。また青年の集いを中心に精一杯やったつもりですが、目に見えた成果はなかった、と言えるかもしれません。主なことをまとめてみたいと思います。

【訪問支援ボランティア養成講座】新しい試みとして、10月より月2回、計8回まで始まりました。現、元ボランティアスタッフ、親、青年たち(道草の家の)が、10人ほど熱心に学んでいます。親の方は自分の子どもの関わり方を学びたい、と必死のようですし、青年たちも自分の体験を生かしたい、という気持もあり、感性も豊かで、2人組んで訪問できるのでは、と思います。

 自分から、人と交わらない、家から、殆ど出ない、青年や不登校児や青少年に「訪問していいですよ」ということをどうやって伝えて行かれるか――をこれから考え公的機関にも交渉に行かなければ、と考えています。

【親の方たち】親の会に来る方も、相談に来る方も、様々な経過をたどり、「何とか回復してほしい、社会に出てほしい」と強い思いを持ちながら、様々な経過で今になっており、お互いに“難しさ!”を感じます。

【青年たち】アルバイトをしている青年が時々来たり、フルタイムで働いている青年が転職の合間に訪ねて来てますが、新しい青年があまり増えず、その日によって少い場合がありますが、個人的な対応が十分できる、という良さもあるようです。

【不登校クラス】現在17才、18才の生徒が来て、青年の集いに加わっています。パステル画などで言葉では表現できないものを描いたり、創像の喜びを、みんなで(青年もスタッフ)味わっています。中学生の年令のお子さんの相談もあり、実際に来るようであれば、別個に不登校クラスを設けたいと思ってます。

【ミニライブ】古田君のライブは3回目ですが、今回は私の友人の横笛も加わって楽しさも増えました。道草の家の3階の広間も10名以上でいっぱいになりました。横笛では日本の古くからの歌、童謡や子守唄などが演奏され、その後、古田君の絶唱に聴き入りました。



「分人」ということ

 私自身も色々なことで動揺したり、うつ的になったりもしますので、確固たる信念や信仰があれば生き易いかな、と思わないでもありませんが、青年たちの心はあまりにも繊細であり、また自分の思いを追求したり、責めたり、考え深いところもあり、非常に微妙であるため、多様な関わりが必要です。心が楽になり、自分を肯定できるよう、カウンセリングの基本、「受容、共感」でもって関わるように心がけていますが、それだけでは足りないように思えて、「人間」とか「社会」、「生きるとは?」をどうとらえたらいいか、――などをも模索しています。

 このところ来所はないが、電話で時々話す青年が「最近読んだ本が面白かった」と言い、その題名を教えてくれました。「私とは何か――個人から分人へ」という本ですが、買い求めて読みました。「そうだ!」と思いました。

 一つの本当の自分があるわけではなく、相手との関係によって、相手との相互作用によって様々な自分になる。相手によって違う人格を見せているのを見て「本当の自分はどっち?」などと問いつめがちですが、どれも「自分」であり、それを著者は「分人」と名づけました。そして「私たちは日常生活の中で複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている」と言うのです。

 それから「他人について知りうるのは、相手の自分向けの分人だけであり相手の全てを知るわけにはいかない。相手との関係の中で、ネガティブな分人を感じるのは半分は相手のせい、またポジティブな分人を感じるとしたら他者のおかげ」とも言っています。

 また、「死にたい」とか自分を消したいのは、複数ある分人の中の「一つの不幸な分人」――と思った方がいいようです。自傷行為は、自己そのものを殺したいわけではなく一つの分人のイメージを殺そうとしているのであって、その他の分人は生きたいのであり、死にたい願望ではなく、生きたい願望の表われだ――というのも納得できます。

 人が変わる、成長するのは新しい他者との出会いを通して、自分の分人が変わっていく――親との分人をベースに対人関係を増やしていくことで様々な人との分人を形成されていく・・・

 自分のことが嫌いな人、「ダメだ」と思う時など、自分の分人を一つずつ考えてみて、誰といる時の自分が好きか、を考えてみれば、好きな自分の分人がいるはず――「好きな分人が一つでも二つでもあれば、それを足がかりに生きていけばいい」との言葉!(生きた人間でなくても、書物の中の人物、言葉なども自分を肯定するための入口になるとも言ってます)「自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だ――分人主義の最も重要な点」という著者の言葉は考えさせられます。

 青年たちに自己肯定感を持ってほしい、といつも願っているのですが、青年たちはある人との関係の中でマイナスを感じたとき。「自分はダメだ」と自分を全否定しがちですが、それはその人との関係の分人にすぎず、肯定できる分人もいるはず――そう思うことができたら、と思っています。好きな分人、肯定できる分人を一つずつ増やしていけたら!

 他者との出会いで分人が増え、分人も変わる――というのは他者との出会い、相互作用でその人の分人が変わる、その人も変わる。他者との出会いでその人の分人が変わる、その人も変わる。成長するということで、自分が変わるには他者との関わりが必要(それは書物でも)ということになり、ひきこもって他者との関わりがない場合、その人だけで変わって、社会に出る、というのは非常に難しいように思います。

2012/11/11

宮沢賢治の生地を訪ねて

 10月の初旬、岩手県の花巻、宮澤賢治の故郷を訪ねました。宮澤賢治の童話は大好きで、以前から賢治が生まれ、生きた故郷を訪ねたいと思ってました。
 花巻は内陸なので地震の影響もなく、のどかでした。小高い山の上にある賢治記念館からは、北上川や森や田畑が眺められ、こういう所で賢治は過ごしたのだ、北上川が水が少くなったとき、現れる泥岩を見て名づけた「イギリス海岸」の辺りを農学校の生徒と歩いた様子が目に浮かび、懐かしさを感じました。
 賢治は去年、地震の後賢治の「雨ニモマケズ」の詩がネット上で誤解されたりもしましたが、「雨ニモマケズ」は、晩年手帳に書き、死後発見されたものです。公表したいと思ったわけではなく、自分自身の理想的生き方を書いたものと思います。また地層や星空などにも興味を抱き、農村の貧しさに心を痛め、田畑の作物がよく育つよう肥料の研究もし、村人にも指導しました(死の間際まで)。 多様なものへの関心をあまりにも急いで行動に移したためか、37才で早世しました。
 何と言っても賢治の魅力は童話だと思います。賢治は仏教(法華経)の信仰も強かったようですが、童話はそうした宗教くささ(説教的)は全然なく、ファンタジックでユーモアに満ちていて、穏やかな自然の営みを感じさせられるものが多いです。動物も植物も森も山も、心があるかのように、会話をしている様子が描かれています。人間と動物が会話したり、森が会話したり(どんぐりと山猫)、鉄道のレールの側にある信号機や電柱も会話します(シグナルとシグナレス)。
 なぜ、賢治に魅かれるのか――今の社会、あまりにも「自然」と離れてしまってギスギスしている、物質的なものにとらわれているように感じるからかもしれません。「自然」にも心があると思えた時代。「自然」には神が宿ると感じられた時代!
 「自然」と会話できる、賢治、それを童話や詩に表現し、残してくれた!
ふと、私も「自然」と会話できるのではないか、近くにある草や木に、雲や月や夕日に、虫や鳥に私の方から声をかけたら、答えてくれそうな。そうすれば「みんな一緒に生きている」と思えるのではないか、とふと今、思いました。


発達障害

 「訪問支援ボランティア養成講座」が始まり、現、元ボランティアスタッフ、親、青年達が参加しました。2回目は「発達障害」(生まれた時から脳に微細な障害があてアンバランスな発達になる)についてですが、(6頁にも載せてあります)身近にいる発達障害を持っている青年・少年のことも話され、具体的な難しい問題も出されました。
 ある中学生の場合、本人も他の人と違った面、自分でもどうしようもない面があることを気づいていても「障害」という語がはいっているため、受け入れられない。そして触れたくないため、「支援してほしい」とも言えない・・・親子で悩みながらも、「生き易さ」の方に進めない。
 また、ある青年は、就職したが、上司からの指示をうまくとらえられず、仕事ができないことで、うつ病になり休職した後、「アスペルガー症候群」であることが分かり、職場復帰後は、指示の仕方をくわしくするなどの配慮で、仕事をすることができた――というケースもあります。
 言葉にないことも、読みとる、他の人の気持を想像することができない――という
「アスペルガー症候群」は、自分もまわりも理解し、意識することで補うことができると思います。 そして、ケアをしないまま大人になると二次障害のうつ病などを起こすこともあります。
「個性だ」と言って、ケアをしないのも、「障害」ということで偏見を持たれるのも
、本人を生き辛くさせます。「自分にもあてはまる」という発言もあり、「誰でも多かれ少なかれそういうものを持っている、グレーゾーンがある」ということにまとまりました。
 人は完璧ではなく、色々な欠けてるものを持っているわけで、そういう相手も自分も許しあえるようになりたいものです。

居場所

 数年前にはよく来ていましたが、仕事を始めてからあまり来なくなった青年が、久しぶりに、3年ぶりぐらいに訪れました。仕事をやめて一人暮らしですし、人恋しさもあるのでしょう。以前にくらべ落ちついた話しぶり。介護関係の仕事をしていたので、もう一人集いに参加していた青年も介護関係の仕事をしており、話がはずみました。また、10代の女の子にも優しく話しかけていました。以前は、自分の心の悩み、苦しみを訴えていましたが。
 そして、時々来所する青年、精神的に落ちて、働くことはできませんが、知的障害者の作業所(喫茶店)で音楽活動をしている青年が言っていました。彼の友だち、働いているのですが、「ぼくは働くひきこもりだ」と言っている、とのこと。職場ではある程度話はするけど、帰宅すると、一人暮らしで、まったく人と話をしない。人との関わりがない、時々彼と楽器の演奏などをすることが唯一私生活での人と関わり、そして「なんで生きているのか、君の方が生きているよ」と言うそうです。
 道草の家では数年ぶりに訪れたり、電話がかかって来たりします。話し合いが中心で、就職先を探してあげるような活発な活動は特にしてませんが、思い出してくれるようです。
 でもまた、テレビなどで見聞きするのですが、若者のホームレスが増えている、ということには心が痛みます。ある青年は数年前に地方から東京に出て、寮のある職場に就職したのですが、解雇され住む所も失いました。その数年間家族とは連絡とっておらず、実家に戻るわけには行かないようです。アパートを借りるお金もなく、住所不定では、アルバイトでもなかなか雇ってもらえず、時々日雇いをする程度。炊き出しの列に並んだり、路上などでダンボールの中で寝る――という姿が放映されていました。
 どうしてこうなったのでしょう。家族関係も薄くなったし、悩みを話せる友達関係も作れないし、孤立していく若者。そして働く場を見つけられない。経済的には豊かだと言える日本ですが、全体として、助け合う、支え合う、という人間関係がなくなってしまった。居場所、誰にとっても、いつでも訪ねられる居場所が方々に必要なのでは、と思います。

2012/10/03

遊び、いじめ

  子どもの頃、自由に遊ぶとは楽しいし、友だちと遊べばけんかもするけど、人間関係を学べる。そして何よりも「生きることは楽しい、楽しいことがあるんだ」という思いを無意識にも植えつけられると思います。大人になって、辛いこと、しんどいことも多くなりますが、「楽しいことをしよう」「楽しみたい」という思いが浮かび、何らかの形でそれができるのではないでしょうか。

 子どもの頃、9才までは田舎に住んでいて、自然の中で思いっきり遊んだ思い出。友だちとれんげをつんで首飾りにしたり、れんげ畑ででんぐり返しをしたり、栗の実を拾ったり、いなご取りや落ち葉拾いは授業中にやりました。小高い山の中腹の大きな石の上でままごとをしたり・・・今でもそういう遊びをしたいと思いますが、そうはいかず、時々旅行をしたり、木々が繁る公園に行ったり、青年たちと紅葉狩りに行ったりしています。そしてそういう場面が出る映画やテレビを見たり、絵本を見たりしています。絵などの展覧会などに行くのもそのつながりかと思います。私にはそのような解放感を感じる場が必要なのですが、それぞれにそれぞれのものがあるかと思います。

 最近、「いじめから自殺」という痛ましいことが続いています。

 いじめの暴力を“犯罪”として厳しく扱う―という意見も出ていて、それは必要だと思います。いじめる側の子どもの心はどんなのだろう、と考えます。(いじめを受けた子どもが、すぐに相談できる体制ができること、いじめから逃げられる―ということも大切だと思いますが)

 多分、彼らは、満たされないもの、鬱積したものを持っているのだろうと思いますが、学校教育の中で、競争によって学力を高めようという競争主義が(経済発展の競争主義)学校の仲間を支え合う、助け合う仲間としてでなく、競争相手になってしまい、心を許せる友だちとは見ない、ということがあると思います。

 そして子どもたちに自由な時間がなくなった。帰宅後も塾やお稽古事にとられ、携帯を見ている時間が長く自由に友だちと心身を思い切り使って遊ぶという時間と空間が少なくなった(殆どない?)ことが大きく影響していると思います。

 遊びは自分の意志で行動する、その中で自分自身の主人公になる、自分が自分の主人公であることは楽しいことですし、主体性と自己肯定感を持つことができ、自立の力をつけることになると思います。

2012/10/02

自己否定感、自己肯定感について

  先月と今月、青年(20~30代男女)たちに自己否定感、自己肯定感について尋ねました。(会報に載せてないものも)。中学生の時にいじめに会って不登校になったり、摂食障害になったり、そして高校も登校できず、次第に自己否定感が強くなったと思われます。

 その後親の理解を得られるようになっても、なかなか自己否定感から抜け出せない。それは競争主義が学校にも根強く、どうしても人と比較してしまう。また、ひきこもっていた時期が長いと、「ふつう以上にならないと社会の人から認められない」という思いにもなります。

 日本は「個人個人を大切にしよう」という社会、教育ではなく、「努力すればできる、頑張ればできる」と言う。でもいくらそう言われても、それぞれ、能力や性格に違いがあります。「何のために頑張るの?」自由な時間、楽しみ、遊びも犠牲にして――と私は思ってしまいます。

 そして、中学生ぐらいが特にあると思いますが、仲間グループにはいれない子は教室に居づらくなる、同じ興味を持たないとグループにはいれない、また「空気が読めない」ということも非難の対象になったりします。

2012/10/01

思春期

 道草の家で青年たち(主に女性ですが)と話をすると、自分の思春期、青年期を思い出し、重ねるところがあるようで、ふっと懐かしさを感じます。20代の青年は私にとって孫ぐらいになりますが、私の子ども(今、40代半ば)の思春期を思い起こし出しますし、三世代の思春期、青年期、20数年づつの差の中で、共通なところと社会、学校などの変化の影響も強く感じます。

 子どもから大人になる過程の思春期、私自身も、自我に目覚めて思い悩む時期でした。でもそれを話す友だちがいました。

 今、道草の家に来ている女性は、中学で不登校になった人が多く高校も登校できず、20代初め(或いは半ば)まで強い屈折の中にいたり、高校に行った人も心の悩みを話す友だちはいなかったようです。

 道草の家が、そうしたことを話す場、機会になれば、と思います。思春期は親から自立して行く時期ですが、不登校などであることの苦しみ(自分を責めて)が強く、親は守ってあげなければならないということもあり、親ばなれは遅くなります。依存関係になってしまうと、それから抜け出すのも容易ではなくなります。

2012/09/07

こころ

 文明が発達するにつれ、本能のままに生きられないことが多くなりました。こころが複雑になって、また微妙、あいまいでもあります。心の問題は数式のように「2+2=4」というようなすっきりした解答があるわけではなく、難しさを感じます。

 青年たち(10代~40代の男女)も親の方も、そうした明確な解答がないだけに、モヤモヤした不全感をいつも感じているのではないでしょうか。はっきりした道筋、方法があれば、それに向かって努力したい、と思わない方はいないでしょう。

 今の社会(日本)に生きている、という運命かもしれません。他の国より複雑で、悩み苦しむ人が多いような気がします(ひきこもりの青少年が多い)。ある青年が「自分は社会に合わないように生まれた」と言いました。子どもの頃からグループで一緒に行動することが苦手だったし、社会に出ても(アルバイトをした)流れに乗れない、積極的に動けない、職探しもすごく難しかった、と言います。「親としてもどう答えたらいいのだろう」と、親も悩みます。

 私は、今の社会に合わないだけであって、他の時代、他の国だったら自分の特性を生かしながら生きられるはず、と思います。そして、青年たち、知性、感性など能力は豊かなのに自信が持てません。自信、自己肯定感が持てれば能力を発揮できるのに、と思います。(「青年の思い」の所で、自己肯定感について尋ねました)

 父親は、年齢的に大人になっても、働けない、自立できない子どもの事があまり理解できないのでしょう。伝統的にも働いて経済的に支えることが父親の役割というのがありましたし、自分は頑張って、仕事をやり抜いて来たのだから、我が子も頑張ればできる筈――との思いになる・・・

 男にとっては私的なことより公けの方が大切だ――という思いも昔からあって、会社優先の生活、(この頃の若い人は変わったようですが)子育て、家族のことにもそんなに関わらなくてもいいような錯覚があったように思います。自分もそう育ってきた(父親との関わりは薄い)のだし。

 でも社会の環境は変わっています。昔は、農業、漁業、そして街中の商店街など、親の働く姿や、近所の大人たちの働く姿や生活をいつも見て育っていました。

 子どもは、親の(他の大人の)生き方、生活の仕方を見て、学び取り入れて成長します(同一化)。そして、社会で生きるための社会性も身につけて行きます(社会化)。それが、今の、青年が育つ過程には余りなく、特に男子は、大人として、男性として、社会人として、父親から学べず、自信が持てないまま、成人したのでは、と思います。それが、ひきこもる青年が圧倒的に男子が多い大きな理由ではないか、と思います。(将来の期待が女の子より男の子に対して大きく、男の子の方がプレッシャーを感じる、ということもありますが)

2012/09/06

小さな自然と大きな自然

  8月は、蝉や小鳥の大合唱に起こされる毎朝でした。あんな小さな体であんな大きな音を出すなんて・・・7日間の全生命をかけるのでしょうか。また新聞を取りに外に出たついでに階段を上って、空を見上げるのが楽しみです。一回転しながら、ぐるっと見渡すと、白い雲が、実に様々な形で空に浮かび、芸術作品を見るようです。雲のない青空は、本当の青色でないような気がして、余り楽しくありません。

 8月の画廊巡りは、千葉市科学館のプラネタリウムに行きました。千葉の星空を映していて、久しぶりに星空を見ました。千葉の夜空も本当はこんなに沢山の星があるのだ!千葉で夜の空を眺めても「星がきれいだ」と思った記憶はありません。月はきれいだと思いますが。

 子供の頃は名古屋の住宅街に住んでいましたが、星空がはっきり見え、きれいだったことを思い出します。夜、お風呂をもらいに知り合いの家に行く道は北に向かった広い坂道で、北斗七星がよく見えました。夏には天の川が見え、流れ星も度々見ました。

 青年たちは、天の川も流れ星も見たことがない、と言います。星空を眺めると宇宙が出来てからの350億以上の年月、そして、地球が出来、人間が現れ、原始人から、今の私たちまでの何億年の遠い年月を感じます。現在の私たち――って何なのだろう・・・

2012/07/02

ゆるやかな架け橋

 先日、なの花会の講演会で、放送大学教授の宮本みち子さんの話を聞きました。ドイツ、デンマーク、オーストラリアなどでは、義務教育を修了できなかったり、高校中退した若者に対し、「学校に行かないなら働くこと」ではなく、就労までの「ゆるやかな、長い架け橋がある、とのこと、考えさせられました。

 ワークショップという形で自分の好きなことをやりながら、ゆるやかに地域社会とつながる体験をする。例えば音楽が好きな子数人を集め、楽器の練習だけでなく、地域のイベントを計画し参加したり、洋裁、手作りが好きな子たちは、地域から仕事をとってコスチュームを作ったり、動物が好きな若者たちは、牧場で馬や牛などの飼育を手伝うなど。そして、ワークショップの期間も手当て9万円ほどつき、親に負担をかけない、ということで誇り、自信もつく。

 日本では、学校に行かないなら仕事―ということで、どちらにも行かれない若者への配慮がなされていません。不登校になったり、ひきこもったりした時、こういう場があったら、エネルギーのあるうちに早期に手を差しのべる手だてがあったら、と思います。学校に行かれなくなったり、働けない自分を責めることが長く続いたために精神的不安定がひどくなり、通院、服薬が必要になった青年が殆どです。

 こうした青年たち、居場所に来たり、仲間との交流の中でエネルギーが出て来た者も多くいますが、すぐ「就労」を考えるのではなく、楽しみながらゆるやかな社会体験の場があれば、と思います。

 KHJひきこもり親の会関連の活動ですが、青森の果樹園で就労への過程(かけ橋)として、自由にいつでも参加してりんごを育てる――という活動が計画されています。なの花会の一人の青年が準備から参加する、と言っています。青森は遠いので千葉にもあれば、そして色々な内容のものがあれば、と思います。宮本さんの言葉のように、学校とは違った成長の場、学校と社会の間の、人間発達の多様な場が必要だと思います。

対人恐怖

 道草の家で関わる青年たち、表現力も豊かで社会に出ている人と何ら変わらないように感じますが、就労の方にはなかなか進めない状態――落ちこんで外に出られない時もあり、また一時働いても続かなかったり――何が主な原因なのだろうか、を考えると、「対人恐怖」が最も大きく共通するような気がしました。

 日本でひきこもる青年が多いのは、日本人の傾向として「対人恐怖」が強いからではないかと思います。私自身もなかなか対人恐怖から抜け切れず、未だに電話をかける時、非常に緊張します。(親しい人はいいのですが)

 対人恐怖――外国では殆どなく、英語ではその言葉はなく、日本語「Taijinkyofu」と書くそうです。人と自分の考え、感じ方が違う場合、すぐに「自分が間違ってるのでは」と思い、「自分はダメだ」という思いが浮かぶ。自分を否定的に感じるのは辛い、それを予想するために人と会ったり話をする時、非常に緊張するわけです。青年たちはいじめなどで傷ついた体験がある場合が多く、傷つき易く、また相手を傷つけないよう気を使ったり、まわりと違う行動をとることを怖れたりしがちです。

 相手から、自分とは違う考えや思いを言われると、全否定されたように思ってしまう。でも外国では、人と考えや思いが違うのは当たり前、その部分だけ否定したにすぎない、人間として否定したわけではない、という自覚があるのでしょう。オーストラリアや欧米に行って、「その国の人とつき合うのは、気が楽、裏表がなくて」という話もよく聞きます。「傷ついた」とか「傷つけた」ことによる心の痛みのない世界―に解放されたいものです。

 また、日本では「失敗」への責任が重い―ということもあるように思います。日常的には勘違い、ということもあり、失敗も色々とあります、そして、不登校やひきこもること(働かない)を、多数派からはずれることを「失敗」とみなしてしまう。ある青年が、高校生の時、不登校になった時に教師から「高校ぐらい卒業できないのは人生を失敗したことだ」と言われた、と話したことがありました。10代のうちに「人生の失敗だ」と決めつけられる!・・・

 失敗(本当に失敗かどうか分かりませんが)に気がついた時、やり直しができる、「やり直そう」という気持をまわりも認め、応援する、という社会風土であれば、と思います。日本は「自己責任」ということに厳しすぎるのではないでしょうか。

 これは、いろいろな考えがある、色々な生き方がある、――とはなかなか思えない、青年たち(親も)の生き辛さにつながっているように思います。

 自己表現ができたり、仲間と交流するエネルギーもあるのに、なかなか社会に(就労の方に)出られない、青年たちの几帳面な性格もありますが、「失敗は許されない」という思いも強いのかもしれません。

2012/07/01

小さな大自然

 先月号ではイタリアの小さな村のことを書きましたが、その後テレビのドキュメンタリー番組を何となく見ていると、ドイツから来た青年がかやぶき屋根の古い民家とまわりの自然に魅せられ、その民家を修復して、日本の女性と結婚し、農業をやりながら住んでいる様子が映されていました。ヨーロッパの青年が日本の田舎に魅せられるのだ、と思いました。その番組の題は「小さな大自然」でした。

 それから日本のあちこちにかやぶき屋根の民家が映されているのを見て、皆が大事に考えている様子を感じました。近くでは筑波山の麓に数軒、かやぶき屋根の民家があり、是非訪ねてみたいと思っています。

 私が子どもの頃、叔母の家、大きなかやぶき屋根の家に遊びに行った時のことが思い出されます。広い土間の一角には馬がいました。裏には、上の方から引いて来た湧き水が、竹筒からいつも水が流れていました。裏山には小学校の分校があり、学生の頃行った時も、木造の小さな校舎はそのままあり、運動場の端に腰をおろして眺めると、村の家々、そしてまわりには山なみが幾重にも広がっており、心も広がる思いになったことを思い出します。

2012/06/05

心の豊かさ

  必死に働いて来た男性(父親)、否定するわけではないのですが――「頑張った」という肯定感はあるのでしょうが、――生きていることを、生まれてよかった、という肯実感はあるのでしょうか。物質的には豊かになりましたが、心に豊かさを感じるでしょうか。家族とのつながり、まわりとのつながり、自然とのつながりを感じ、心が満たされること―は?(勿論、いつも、というわけではありませんが)・・・

 外国で暮らした方の外国の生活について書いた本を読むにつけ、外国では、働くことだけに時間を費やすのではなく、自由な時間を大切にするとの事――ある程度の物質的、経済的ゆとりも必要ですが、時間のゆとりが大切だと思います。

 家族や地域の人々と過ごす時間一人で過ごす時間、自由な時間を楽しむ時間がないがしろにして来たことが、現在の生き辛さを感じる一つの要因ではないかと思います。

 そして殆ど部屋にひきこもっている青年、ネットでゲームなどして過ごしているようですが、どんな気持なのでしょう。

2012/06/04

施設と家庭

 社会に出られない、ひきこもる青年たちと関わっていると、様々な要因はありますが、社会の影響も大きいし、その影響を受けた家庭の問題も感じます。35年前から10年ほど関わった、児童養護施設から社会へ出た青少年のことについて、やはり社会適応が難しいのは、それは、施設という集団生活の中で育ったことが大きい、その時思ったのですが、今は家庭で育っても難しい――という課題を改めて感じます。

 私がそうした青少年に興味を持ったのは、(財)青少年福祉センターが中心になって、養護施設から社会に出た人達の追跡調査をしたものをまとめた本「絆なき者たち」を読んだからですが、そこでは、「親子という絆、家族という絆がないために、社会に出た後、心の支えになるものがなく、そのために『もうちょっと頑張ろう』とか、ドロップアウトの方に向かう気持を抑える意識が弱い」というようなことが書かれていました。

 その青少年福祉センターは、その頃は養護施設(親の死亡、離婚、虐待などで、家庭では育てられない子どもを集団で育てる)で育った少年少女が中卒で働かなければならず(今は高校卒業までいられますが)「仕事が続かない」「ドロップアウトしていく」などの場合が多いため、そういう青少年のアフターケアをする所で、生活寮もあり、その活動を手伝いました。

 なぜそんなに社会適応が難しいか、を青少年たちと話したり、養護施設を訪問したりして、考えたのですが、集団生活であり、指導員や保母が交代で面倒をみるので、親密な関係が作れない、人間関係を作る能力が育たない、ということがあり、また集団生活なので大体の日課によって生活するので、主体性が育たない、など、大人になるための社会化がなかなかできない、というようなことを感じました以前は施設に育ったから社会適応力がないと思ったのですが、家庭に育った場合も、社会適応力が低いことも多いという現在・・・。

 どこが共通でどこが違うのか。養護施設で育ち、中卒でやむおえず社会に出る。けれど、今のひきこもる青年は社会が怖くて出られない、でも共通するのは人間関係が築けない、人間関係が怖いということだと思います。それは人間関係の体験が少い、希薄な人間関係の中で育った――からではないかと思います。

 高度成長期から現在まで、男性(父親)は仕事、会社中心で、厳しい、残業が多い職場でもそれをやり抜くことが、生きる目的のように頑張った。それ故、家庭で過ごす時間も少くなり、エネルギーもなくなり、自由な時間もなく夫婦や、親子の会話も少くなったり、殆どない状態、それは家庭の中でも人間関係が希薄になった、と言えるのではないでしょうか。特に父親から男の子に伝わる。社会性(社会で生きる力)が伝わらなかった、と言えるかと思います。

2012/06/03

木賃アパートのこと

  道草の家の海側の窓からは、高層マンションが林立しているのが見えます。都市は40年、50年前と大きく変わりました。

 約40年前、広島市の木賃アパートを調査した時の事が思い出されます。

 5年ほど勤めた中学校の教師を、自分に合わないと思い、長女の出産を機にやめた後、好きだった建築設計を学びたく、工学部の建築科に編入学したのですが、戦前に建てられた(小高い丘の陰にあるため原爆を免れた)木造アパートの調査をすることになりました。薄暗い6畳間に親子5人が住んでいたり、3畳にも、2人3人とすんでいる人達を見て、「こんな環境に住んでいる人達がいるのに、お金の余裕のある人のために建築設計をしていいのだろうか」という思いが浮かび、社会に対する意識が目覚めました。

 地域社会が、崩壊し始めた頃ですが、アパートとアパートの間の狭い空き地で子供たちが遊んでいる姿もあり、お互いの接触もあるように感じました。

2012/06/02

小さな村の物語

  5月は金環日食やスカイツリー開業など賑やかな話題がありましたが、一方、夜行バス事故やホテル火災、トンネル爆発など多数の死傷者を出す事故が相次ぎました。

 新検見川駅から道草の家までの道筋に高層マンションが次々と建っています。こんな大きな多世帯のマンションにはいる人々がいるのだろうか、全部埋まるだろうか、疑問でなりません。

 でも、BSで毎週放映される「小さな村の物語、イタリア」を見るとホッとします。低い山々の尾根に数10軒の家々が建ち並ぶのが見え、ゆったりとした音楽(歌)をバックに村人の生活描かれています。そんなに山奥というわけではなく、家の中の様子は、私たち都会の生活と変わりません。むしろ、ゆったりとした台所、食堂、居間などが柔らかい色合いで使いやすそうで、羨ましいほどです。台所のテーブルで昼食のためのパスタを粉でこねることから始めて作っている姿もあります。毎週2,3組の家族の生活が紹介されています。息子が都会から戻って来て父親と一緒にぶどうの木を育てる、とか、母親と息子たちが、馬、牛、羊などの牧畜をやっている、とか、初老の男性がカフェを開き、そこに村人が集まり、コーヒーや酒を飲みながら談笑したり、音楽に合わせてダンスをしたりしている様子が描かれています。イタリアという明るく暖かい気候もあるのでしょうか、必死に働いている、という姿ではなく、楽しみながら働いており、また村人同士の交流も楽しんでいる、都会から戻った青年は「自分の家族も村も好きだから」と言っています。こんな生活をしてみたい、と思います。

2012/05/07

働けない子への思い

 精神的に不安定になり、外へ出ない、人と交わらない、働かない―という自分の子どもを何とか理解し、自分なりの生き方を見つけることを信じ、日々関わる、寄りそうことに必死な親の方もいれば、「何で働かないのか、何で頑張らないのか」と、どうしても理解できない親の方(主に父親)もいます。以前働いていた心理研究所で開いていた父親の勉強会に私も参加していた時のお父さんの言葉を思い出します。「子どもが働かないことを認めることは自分に”死ね”ということと同じだ」、それほどまでに「働くことは絶対的価値観、頑張るべき、頑張ればできるはず」と思えてしまうことは何なのでしょうか。私などは、子どもが働かないのは、「何らかの理由があって働かないのだ」と思ってしまいます。私の息子は、数ヶ月働かない時期がありましたが、「私自身、不完全で、葛藤の多い人間、それが一番繊細な子どもに影響しないはずがない」と思いました。

 高度成長期に男性は「生産性をあげること、それには頑張って働くこと、だれでも努力すればできる」―という思いで必死に働いてきたのでしょう。企業戦士とも言われた。自分の子どもが働けないことが受け入れない位に、絶対的価値観だったのでしょう。そして、感情を持ったら仕事はできない―と感情を感じないようにしてしまった。感情がなければ、辛い思いをしている人の気持もわからない。

 でも、その結果の今の社会、住み易いでしょうか。物が豊かで効率的で便利になって来ました。でも、リスクの多い原発を作り、また便利な車がスピードを出し走り回っている街中―とてもとても悲しい子どもの死をひき起こす事故が度々あります。

 そういう社会に適応できない青年たち。青年たちが弱いのでしょうか。がんばらないからでしょうか。怠けているのでしょうか。

2012/05/06

春が広がって・・・

  5月を迎えて、若葉の黄緑が街路を明るくさせ、垣根のつつじも咲き始めました。

 早朝、窓の外に小鳥の声がするようになりました。

 また、先月青年の集いでパステル画を描いている時、カラスの鳴き声がしたので窓の外を見ると、からすがたくさん電柱の上や電線にとまっているのが見えました。そして、しばらくすると、30羽以上のように思われるカラスが鳴きながら一斉に飛び立って行きました。何か打ち合わせをしているように鳴きながら。

 静かになりました。「子どもの声も聞こえないなー」とお互いに話したのですが、

いつ頃から子どもの遊ぶ声が聞こえなくなったのでしょう。

 道草の家も少し変化がありました。以前、しばらく通って来てた青年、大勢で元気な青年が多い、他の居場所の方で過ごしていたのですが、仕事を頑張ったせいか、急激に落ちこみ、しばらく外へ出ない生活、でもだいぶよくなったものの、大勢の中にははいれない、ということで少人数で穏やかな道草の家に来ました。それからホームページを見て、雰囲気がよさそうなので来てみた、という青年も続きました。

 青年の集いに参加する青年はそう多くはなく、間をあけたり社会参加(働く)も、波があったりしてます。なかなか安定して動ける青年は少ないです。私も落ちこんだりしてしまいます。でも、会報をお送りしていて、読んで下さってる方から、心温まる励ましのお手紙を頂きました。「・・・青年たちは成長してよい結果を出しているようですが、すぐに結果の出ない難しいお仕事で月日を要し大変なお仕事ですね。

2012/04/03

春・・・?

  4月になってようやく春の暖かさが訪れましたが、桜の花が街路を飾ることはまだまだ先のようです。でも道を歩くと家の庭に咲いた水仙がフェンスの間から何本も顔を出しておじぎをしています。

 これから沢山の花が咲き出すことを思うと、胸がふくらむ思いになりますが、東北にはまだまだ春はやって来ない、課題は山積みされたままです。

 道草の家で関わっている青年たちにも「春はまだ・・・」と思われる青年が何人もいて、心が痛みます。なぜ悩み苦しまなければならないのか、なぜ自己否定感がそんなに強いのか、と考えてしまいます。他の時代、他の土地に生まれたら、こんなに苦しまなくてもいいのに!とも思います。

 今の日本社会、混沌とした文明社会、繊細な心を持つ青年たちが、その影響を大きく受けたのではないか、と思います。

「文明とは何か」―宇宙からの視点で

  「これまでと同じ速度で人間圏を営み続ければ、もはや我々の人間圏は100年も存在できないかもしれない」という言葉を本の中で読んで、私たちはそんなに悠長にしてはいられない、と思いました。『我関わる、ゆえに我あり―地球システム論と文明』(松井孝典著、集英社新書)という本ですが、「私たち人類、地球の緊急課題は宇宙からの視点、地球を俯瞰することで解明される」と述べています。「人間とは何か」「文明とは何か」を問い直しています。

 地球システム論で文明を定義しており、地球に生命ができ、生物圏に人類が生まれた時から現在までを4つの図で描いているのを紹介します。

図1―人間圏が他の圏と一緒に地球システムの中に収まっていいる、狩猟採取時代

図2―人類が生物圏をとび出し、新たに人間圏を作った、初期の農耕牧畜時代。調和的で構成要素が円に収まっている。

図3―「文明の惑星」は産業革命以降のストック依存型(石炭石油を使う)の文明の

時代、現代。地球システムを大きくはみ出す

ことによって地球システムに大きな乱れが生じて来る。

図4―21世紀の地球システム。これまでの人間圏の発展をそのまま延長した場合の圏。人間圏と地球システムの関係は非常に不安定になる。

 現在の状況は図3から図4の状態への過渡期、様々な問題を招いているわけです。

 そして、今回の大震災を機に(被災地の復興は当然だが)、「復元」ではなく、地球システムと調和した新たな人間圏の「創造」、新たな文明の「創造」を考えるべきだ――と述べています。

 未来の人たちのことを考えれば――考えなければ、今の自分たちのことだけでいい、と思えば、別ですが――今の文明をどう考えるか、どう変えて行くか、どう「創造」するか、を考えるべきでしょう。今の文明にどっぷり浸かっている私たちには非常に難しいことですが。「このままの経済政策では他の国に負けてしまう」と言う人もいますが、他の国に勝つ、負けるの問題ではなく、人類、地球の存亡の問題だと思います。

 でも、著者は、「人間は、他との関わりの中で問うていく存在」だと述べています。地球システムの中の他の圏と関わりながら考えることができる存在、それは人間が存在する意味である、と言うのですが・・・

アイヌの人たちの生き方

 新しい文明の「創造」――なかなか見当がつきませんし、狩猟採集の時代に戻るわけにも行きません。でもその要素を持っている人たちの暮らしはあります。



 先日はテレビでブータンの生活が放映さえていましたが、道路を作る時に山にトンネルを作れば短距離になるのに、それをしない。なぜなら「自然を傷つけたくない。そのまま大切にしたい」と言ってました。

 そして、千葉県君津市の山奥に、アイヌ民族の長老が暮らしており、カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)という施設がある―という新聞記事を読みました。その長老の浦川治造さんの生活、生き方を追ったドキュメンタリー映画が上映されているのを知り、観に行きました。北海道に住む先住民族アイヌのことは多少興味を持っていましたが、改めて、現在もその伝統を守り、それを伝え続けていることを知りました。

 北海道のアイヌの村は、内地から多くの人が移住して来たり、国の政策によって、だんだんと、浸食されて行き、”先住”なのに偏見も受けました。治造さんも生活のため東京に出て様々な仕事をして来ましたが、同時に、出身地の北海道や千葉県のカムイミンタラの他、全国各地に、アイヌ民族の伝統を伝える施設を作りました。

 アイヌとして生まれ、育ち、今もアイヌとして生きる治造さんの暮らしに常に自然と共にあり、先人から受けついだ知恵、生き方が描かれ、自然を敬い、自然への感謝を忘れない・・・動植物や自然現象などに「カムイ」が宿っているという”自然に生かされ、自然と共に生きる”姿が現実にある、ということを知り、感動しました。

 そうした生活を、私たちがすぐ出来るわけではありませんが、それを実際に見たり接することは、何かを感じるのではないか、と思います。私の幼い頃は薪でご飯を炊き、風呂をわかし、暖炉裏がありましたが、今の青年たちには想像もつかないでしょう。でもカムイミンタラでしばし過ごすことは、心が癒され、生きるヒントがわずかでも得られるのでは、と思います。



カムイと生きる(パンフレットより)
天から役割なしに 降ろされたものは ひとつもない
それは アイヌに伝わる言い伝え
この大地に生きるものすべて
空や大地や水との関わりなしに
生きることはできない
人間より”力”のあるものが
カムイである
火のカムイ 山のカムイ 川のカムイ 風のカムイ
 (以下略)

2012/03/07

3月を迎えて

  談話室で青年たちと話し合ってる時、鳥の鳴き声が間近かに聞こえ、窓の方を見ると、少し大きめの小鳥が手すりに止まっているのが、くもりガラスごしに見えました。頭を動かしているのが私たちに挨拶しているような仕草に見え思わず顔がほころびました。こんなことは始めて。春になったからかな、と思いました。

 2月は千葉も小雪が降ったり、例年にない寒い冬でしたが、3月、ようやく春が近づいたようです。でも3月は、去年、東日本大震災が起こった月、もう1年になります。親戚や身近かな人が被害に合ったわけではなく、具体的な行動もしないまま、距離をおいた感じで過ごしていることに申し訳なさを感じます。ただ一向に復興の兆しが見られず、被災地のガレキがそのままであることは心が痛みます。ガレキを受け入れる県はごくわずかです。

 そして、原発事故、放射能の問題は今もなお大きな不安です。納得行くような方向は定まらず、「脱原発」の声は多く聞こえ、その理由を述べる本も多く出ていますが、政府の方にはなかなか届かないようです。高レベルの放射性廃棄物の処理もできない状態ですのに。そして子どもたちのために道路や校庭の除染も少しずつ行われていますが、その中の放射能はどこに流れて行くのでしょう。

 福島の小学生が世界中から来た励ましのメッセージに対し、感謝の気持ちを絵や言葉で書いて送ろうとしている様子がテレビで放映されていましたが、痛々しい感じがします。

 子どもたちは放射能の問題に安心したわけではなく、また世界の人々も、日本の、原発事故の取り組みを安心して見ている訳ではないと思います。このような大問題をひき起こした日本人としてどう考えたらいいのでしょう。

 多くの人は、放射能は怖い、原発はない方がいいと思うだろうと思いますが、国民の総意にはならない、決心できない。それは根本的な価値観を変えない限り難しいのではないか、と思います。

 私たちは、経済的豊かさ、物の豊かさ便利さを求め、それが幸せだと思う価値観のもとに、高度な科学技術を駆使して自然の営みにそぐわないやり方で、物(電気も)を作り出した、自然を支配し、自然を奪い取ってもいい、という思い上がった思い、価値観で。その結果、原発を作り出し、事故が起きたのではないでしょうか。「想定外」という言い訳はできない、と思います。人間が自然に対し優位に立つ訳ではなく、自然の一員、宇宙ができて、生物が生まれて、人間が生まれて・・・長い長い期間の中に、人間が現れたに過ぎないと思います。

 経済的、物質的豊かさが幸せだ、という価値観ではなく、そして、自然に対して畏敬の念を持ち、自然の営みに沿って生きる、という価値観を持ちたいものと思います。

ひきこもる青年の多さ

 ひきこもる青年の居場所を開き、青年や親の方と関わる日々、適切な関わりができてるだろうか、役に立ってるのだろうか、とよく考えます。自分の生き方、考え方が問われます。

 私は高校生頃からコンプレックスが強く、思い悩むことが多く過ごして来たので、青年たちや悩んでる人、生き辛さを感じる人とは重なる部分があるのを感じます。憂鬱感を感じることがよくあるし、対人恐怖もあり、特に電話をかけるのに緊張して延ばし延ばしにしたりします。自分がしたいことを思うようにできない辛さ、自己否定感、そういう人の辛さ苦しさが割と分かります(勿論それぞれですので「よく分かる」とは言えませんが)。親の方や一般の方が「頑張って働こうと思えば働けるはずだ」とよく言いますが、私はそう思いません。「やらなくては」と思いながら、意欲や自身が出なくてなかなかできない、大げさに言えば、「自分との闘いかな」と思う時があります。

 ひきこもりの問題は前ほどメディアに取り上げられなくなりましたが、100万人とか150万人とも言われ、その数は非常に多いし、やはり個人の問題というより社会の問題が大きいと思います。社会の縮図かもしれません。

 60代の両親と30代の息子が餓死したニュース、民生委員は「30代の息子がいるから大丈夫だと思ったと」と言っていますが、多分、息子は、“働けない”、外へ出られない、ひきこもりの状態だったのではないかと思います。

 全国で150万人という数から判断すると、親や本人が居場所や親の会、相談機関に行かない場合が非常に多い(2/3以上?)と思われます。(居場所や親の会の数は、非常に多い、とは言えませんので)

 目立たないようにひっそりと暮らしているのでしょうか。働いていない、ひきこもっていることを恥ずかしい、と思って相談にも行かない、「人に相談したいと思うような人」に対する信頼がない、人間関係がないのでは、と思います。親自身もひきこもりの心の状態では、と思います。また親子の関係も、「子どもの問題なのだから、子どもの責任」と思ったり、親子のコミュニケーションもなく「どうしようもない」と諦めてしまう―という場合が多いのでは、と思います。

 家庭の中でも、近隣でも人間関係が希薄になっているように思います。

 戦後、民主主義のもとに「個人の自由」が大切だと言いながら、本当には自由ではなく、まわりを気にし、まわりと違うことを言ったり、したりすることを怖れる・・・そして人に合わせたり、比較する・・・。

 私たちは一体”どう生きたい”のでしょうか。

生きること、とは

  「どう生きたいか」を青年たちに問う前に「今、自分にとって生きるってどんなことか、どんな感じか」を尋ねてみました。「青年の思い」の所に載せましたが、「難しい」と言いながらも多くの青年が答えてくれました。簡潔に、また気持ちのことを表現しながら。

 本当にそれぞれです。悩み苦しんで来た青年の言葉だな、と思います。そんなに意識しなくても、生きることに必死だったと思います。自分の辛さに向き合ったり、耐えたり、そして少しずつ乗り越えたり。マイナス(と思われるだけですが)の自分を肯定しようとしたり。感性が豊かであり、繊細である故と思います。

 青年たち(とは限らず誰でも)はそれぞれの能力、個性を持っています。人とくらべないで、自分の持てる力を発揮しながら自分自身を生きてほしいと思います。

2012/02/02

夕日

 道草の家の2階の窓から夕焼が見えます。高いビルが建つまでは富士山シルエットで見えたのですが。
先日は夕焼の名残り、少し黒ずんだ茜色の空に墨ではいたような雲が浮かび、こんな美しさもあるのだな、と思いながら眺めました。一昨年は青年たちと夕日を見に検見川海岸まで歩いて行きました。橙色の夕日が空を茜色に染め、海に沈んで行くのをじっと眺めた時の感動を思い出します。

 夕日と言えば先日、映画「Always三丁目の夕日’64」を見ました。ちょうど私が若い頃の東京の下町、商店街の人間模様が描かれています。ただ、私は名古屋の住宅街に住んでいたので、雰囲気がかなり違います。映画の中で近所の人たちが、他の家のことをお互いに自分の家族のように、喜んだり、怒ったり、心配している様子に、複雑な思いと羨ましさを感じました。ありのままの自分の感情を出してつき合える―という人間関係があるのだ―と。

 今は、外で遊ぶ子どもたちの声も聞こえませんし、道を歩いていて顔なじみになる子もいません。近所の人のことも殆ど知りません。

 今の日本は特に、近所づき合いがないように思います。テレビなどで、ヨーロッパや中国の田舎や小さな町がよく放映されますが、私は自分はなかなか旅行できないので、旅番組が好きでよく見ます。 懐かしく、ほっとする場面・・・。

 中国などの田舎(下町)で路地にテーブルといすを出して老夫婦がお茶を飲んでいる様子には、(通る人も寄って一緒にお茶を飲んだり・・・)あんなふうにゆったりと過ごせたらいいな、と思います。イギリスの田舎では、村人がパブに集まって、酒を飲み、歌い、踊っている。またイタリアなど、複雑に建てこんだ(何階だて?)家の窓からカメラに向かって「家の中へどうぞ」と言い、屋上まで案内する場面など。

 このような所で過ごせば、自室にひきこもって人と接しない、交わらない、そしてそれを親子で悩み、苦しむ―というようなことは起きないのでは、と思ったりします。

青年(男、女)たちに学ぶ

 青年の集いの活動としては特別なこともなく過ぎた1月でしたが、個々の青年から色々なことを学び、考えさせられました。それぞれに歩む過程は違いますが、自分の課題に真剣に取り組んでいる様子を感じます。

 まずTさんがホームページをリニューアルしてくれました。道草の家の特色をよりよく伝えるため、写真を豊富に使い、色もパステル調に随所に使ったり、言葉も適切なものに変えたり、つけ加えたり。他の同じような居場所のホームページなどを参考にして、色々模索しながら作成してくれました。こうしたものを綿密に考える豊かな感性―をこれから生かせないものか、と思います。(まだ外で働いたことはないのですが)(ホームページを見てください)

 また2年続けたパートの仕事をやめた青年、やめる決心をするにはどんなに悩んだことかと思います。でも、混乱しながらも、今自分ができること(家事など)をやって、できた自分を認めてあげる、そして、できないことは許してあげる、自分を励ましてあげる―ことを続けてるうち、少しずつ落ちついて来ました。「仕事をやめてよかった、と思える時が来る」と信じながら―と言っています。一つずつ体験しながら、失敗の体験を乗りこえながら、決断力、回復力を高めて行くのだと思います。

 もう一人、仕事をやめた、という青年は、もっと積極的です。積極的になりました。青年の思いの所で「思っていることを言えた」として述べていますが、「いい体験も悪い体験もいっぱいしたい」と言ってます。失敗を怖れて動けなかった自分がある時、はじけた―というのです。

 今は嬉しいことばかりでなく、怒りや憎しみを感じる自分に驚き、これからも多様な自分を感じることに期待があるようです。ずっと”いい子”で来たとのことです。

 そして、「生きる意味」を模索して来た青年。(「働かないでそんなことばかり考えてるなんて!」と思う方もいるでしょう)10代から人間関係に緊張するようになり、20代でアルバイトをいくつかするのですが、どうしても続けられなくなって、家にいるようになりました。「働けない自分」を考え続けてもどうしたらいいか分からない。抜け出せない、苦しいだけ、それで、考えるのをやめた。では、そういう自分にも「生きる意味」があるのだろうか・・・。 ロシア文学や日本の古典、平家物語、仏典などを読みました。(無常、そして死への親近感を感じた―そうです)

 そして、最近は荘子(紀元前の中国の思想家。仏教伝来より先、仏教にも影響した)の本を読んだ。共感することが多い、と言います。 その主な思想は、

 ○「無為自然」(宇宙に存在するもののすべてをありのままに認め、これにいかなる作為も施さない、という思想)

 ○「万物一斉」(ものごとは、ちがうという視点からすればみんなちがう、しかし、おなじという視点からすれば万物はみなおなじなのだ)

具体的に行動するわけではないが、心の中では、少しづつ安定したと言います。

 私も前に、同じ「道家」としての「老子」を読んで共感しましたが、荘子の言葉も私にかなり合いそうです。

 みなそれぞれ、宇宙の中で(遠く、目に見えないものも)存在し、地球に存在している。遠い遠い昔に宇宙が作られた時から。それには、人間が価値がある、とか、ない、とか勝手に決めるものではない。人間は動物より偉いとか、草木よりも価値がある―とは言えない、そして”絶対的な正、絶対的な誤もなく、絶対的な善悪も決められない。違った視点で見れば様々な見方ができる。バリバリ働ける人がいい(善)とは限らず、ゆっくりしたペースの人が悪いわけでもないと思います。それぞれ”できること””できないこと”がありますが(それも変化します)いい悪いで判断することではないように思います。

自縛からの解放

 子どものことで長い間苦しんできた方が「ふっ切れた」ことを話され感動しました。

 自分で自分を苦しめていた、期待通りにならない子どもに不満を感じ、まわりにもひけ目を感じ、みじめだ、と思ってしまう自分、それは、自分で自分を縛っていたことに気づき、「自分が子どもから逃げる、離れればいい」のだときづいたのです。”自分の方が”―それは自分の気持ちを楽にし、それは、表情や態度にあらわれ、子どもの気持ちを楽にすることでしょう。楽になれば動きたい気持になれる。

 働けなくなったのにはそれぞれが葛藤、苦しみがあったわけですし、それぞれが回復していく過程もありますし、「みんなと同じように」とはならないこともあると思います。

 子どもたち青年たちが悩み苦しんでいることを(それを表現できない場合も多いでしょう)を分かってあげて、それが分からないまわりの人からは自分から離れる。

距離を置く。(全てを断つ、という意味ではなく)働く働かない、を人間の良し悪しの基準にしない。荘子の言うように人間として万物の一人として同じ価値がある―のだと思いたいです。

2012/01/08

明けましておめでとうございます

  明けましておめでとうございます。
  昨年は過酷な自然と不尊な人工がぶつかりあった年だったように思われます。人工優位にはならないことを思い知らされました。
 未来の人たちのことを考えながら、自分たちの生活も考えていかなければ・・・生き方が問われていると思います。生き辛さを抱えた人たちが(子どもも青年も大人も)少しでも心が解きほぐれるような生き方はないでしょうか。 
 それぞれが生まれていてよかった、生きていて良かったと思えるような”生きる”ことに対する観方・・・を探りたいと思います。皆様のご支援ご指導のもとに。

幼き頃のお正月と遊び
 幼い頃のお正月を思い出します。
 9才まで過ごした福島県の田舎町での元旦は、朝起きるとすぐ八幡さまにお参りします。友だちと行ったり兄と行ったり。裏の川の向こうの、こんもりした森、きちんとした石段は少なく、大まかに作られた段々をくねくねと登ると普段の遊び場でもある境内は、何か新鮮な感じ、鈴についた紐をゆすると鈴が鳴ります。手を合わせて拝みますが、何を祈ったかは覚えてません。
 9才で移った名古屋は、都市ではありますが、終戦後間もない頃で、つるべ式の井戸も使っていました。元旦の朝、一人で顔を洗いに行き(その水は暖かかった)、そして、すぐそばの少し高くなった所に登り、初日の出を拝みました。
 田舎でのお盆も懐かしく思い出されます。朝方、暗いうちに起き、家族でお墓にお迎えに行きます。それぞれが提灯を持ち、私も子ども用の小さい提灯に灯りをともして歩くのがとても楽しみでした。道を行きかう人は大体顔見知りで挨拶をしながら歩いて行きます。お墓でお参りし、帰る頃はほの明るくなっています。
 そして、学校の授業で、育った稲の中をいなご取りをしたり、稲が刈られた後には落穂拾いをしました。また、近所のお兄さんに連れられて、栗拾いに行き、生のまま栗を食べたり。そして母がお風呂の薪を集めに、少し離れた林まで行く時リヤカーを押す手伝いもしました。遊びも手伝いも、自然の移り変わりの中で、自然と共にゆったりと(大人はそれほどではないでしょうが)過ごしたように思います。
 名古屋でも、授業の合間に縄跳びしたり、ゴム跳びしたり、帰宅後も友たちの家に行き、かくれんぼしたり、(私はお寺に間借りしていたので)お寺の境内で鞠つきをしたり、小学校時代は、「よく遊んだ」「楽しかった」という思い出ばかりです。
 でも、道草の家に来る青年たちは、子どもの頃、「楽しく遊んだ」という青年はいないようです。私の子どもの頃と、青年たちが子どもの頃とはどこが変わったのでしょう。

ぐうたらと「勤勉」
 そんな時、古本屋で「ぐうたら学入門」(2005年発行)という本を見つけました。「ぐうたら」―という言葉、私も、片づけ、掃除が嫌いなぐうたら、面白そうだと思い、買い求めました。
 著者は全国の村々の昔話を聞き取り調査をしたのですが、有名な桃太郎、そして二宮尊徳は、ぐうたらな怠け者だったそうです。明治になって、学校制度ができた時、教科書ができ、そこに勤勉な二宮尊徳として載せた、ということです。また「三年寝太郎」という昔話などに関連して、「ぐうたら」なことも村の中で受け入れられ、他と違った面を持ってい排除されることなく、どんな人間でも、そこにいる意味がある社会―が本来の村の姿だ、と述べています。それは、田に水を入れるのは、共通の水源からひいた水を近い所から順番に田に入れて行く、自分勝手に入れる訳にはいかない、自分の田はみんなの田であるということを基本に、お互いに田植えや稲刈りを手伝い合ったり、暮らし全体を助け合うという、みんなに守られている村社会だったのです。
 今の私たちの生活はどうでしょうか。明治以降の学校教育の中で、「勤勉」こそ「善」であり、「ぐうたら」は「悪」だと刷り込まれました。そして戦後の近代化、さらに高度成長の流れの中で、社会に認められるように未来に向かっての努力と意志の強さが要求され続けました。それが出来る人が評価される―他者とのしっかりした人間関係、信頼関係の形成よりも。
 道草の家で関わる青年たちや親の会(他の会でも)など話される悩みを考えるにつけ、このことが大きく影響していると思います。社会全体の大量生産、大量消費のもとに、学校では、社会全体の大量生産、大量消費のもとに、競争主義、効率主義が浸透し、勉強、成績が第一になり、友達や教師との人間関係は軽視されました。
 そして、子どもたちは、「いま」を失って行きました。子どもたちは、本来、「いま」を生きるものです。遊びはそれ自体が目的ですから、「未来のため」にではなく、
「いま」に集中すること、それが楽しいのだと思います。青年たちの子どもの頃、楽しく遊んだ思い出がない、というのは頷けます。また、いじめが起きてしまうのも、子どもたちに「いま」を楽しめてないからでしょう。たえず未来、将来のことが気になるのでは?(スポーツも”勝つ”ことばかりを目的にしてます)

ひきこもる青年と親の苦しみ 
青年たちが社会が求める大人になるためのレールに乗れなかった、競争主義に耐えられなかったのは、能力が低いのではなく、繊細であり、人間本来の心、感受性が強いからだと思います。でも、不登校になり、ひきこもってしまった自分は社会から認められない人間だ、と思ってしまい、「ダメな人間」として強い自己否定感を持つ。それが、精神的不安定さをもたらし、社会に出ることを難しくしていると思います。
 そうした子どもを持つ親の方は、社会人として高度成長真っ只中で働いて来ただけに、「一生懸命頑張って来た、働いて来た」との思いが強く、「なぜ、自分の子どもが学校へ行かないのか」「なぜ働かないのか」と理解に苦しみます。自分の生き方を否定されたようになり、子どものことを受け入れがたい・・・その苦しさを、私もだんだん分かって来ました。さらに、社会のレールから外れてしまったことは、世間の人々からは「落ちこぼれ」と見なされ、根性がない、意志が弱いというレッテルを貼られてしまう。まわりからも、親戚や友人からもそういう目で見られて肩身が狭い、「友人や親戚付き合いも減ってしまった」と言います。
 それでは、「勤勉」をモットウに頑張って来た、今の日本社会はみんなにとって、より生き易くなってるでしょうか。お互いに支え合える関係が社会全体にあり、将来にも安心感があるでしょうか。「生きていることはいいことだ」と思えるでしょうか。
 東北大震災は、過酷でしたが、自然の偶然が幾重にも重なり合って起こった自然現象として受け入れ易く、みんなで助け合おう、支え合おう、という気持ちになりました。しかし、原発事故は大きな不安をもたらしました。
 「勤勉」「勤勉」のもとに推し進められた経済成長、そして成長神話―いつまでも成長できるわけではないのに―より豊かに、より便利に、より新しいものを、それには電気が必要だ、ということで原発が作られました。しかし、事故は、自然を限界以上に操作した結果であり、経済成長の神話に警鐘を鳴らしたものと思います。(前にも「ひきこもりは社会への警鐘」と書いたことがあります)物質的な豊かさはあっても、精神的豊かさをもたらしていない、格差も広がり、将来への不安はさらに大きくなりました。「お互いに支え合える、何とかなる」とは思えなく・・・
 「勤勉」は必ずしも「善」ではなく、「ぐうたら」は必ずしも「悪」ではない、自然の営みにそって、それぞれがそれぞれの生き方をしていいんだ―という思いが、自分に対する否定的な思いを少しでも肯定にさせられれば、と思います。
(参考文献:「ぐうたら学入門」名本光男著 中公新書ラクレ)

2011/12/01

北東北の秋

 11月初旬、親戚の法事の後、足を伸ばして、青森県の十和田湖とそれから流れ出る奥入瀬渓流に行って来ました。流れに沿って遊歩道があり、小石が見える、すきとおった水を間近に見たり、川岸に茂る木々も半分落葉となり、鮮やかでない紅、黄色の葉がかえって穏やかな色合いとなって、その間を歩くのは、とても心が安らぎ落ちつきました。渓流はゆるやかな流れと、岩にぶつかる激流をくり返しながら流れており、また、両側にそそり立つ岩山から様々な滝が流れ落ちていました。穏やかな流れにほっとし、激流や滝の激しいしぶきや音には自然のエネルギーを感じました。心が沸き立つような・・・。どちらも心を豊かにしてくれる。自然は穏やかなもの(時)もあり激しいもの(時)があります。そうした自然と共に生きているのだと改めて思いました。(東日本大震災はあまりにも激しいものでしたが)
 もう12月、あと1ヵ月、いつものことながら何と早く過ぎることでしょう。特に3月11日の大震災と原発事故、復興の目処もはっきりしないまま、月日が過ぎてしまいました。私自身も具体的には何もしてない、できない・・・申し訳ない気持ちです。
 道草の家も、そんなに大きな問題もなく過ぎて来ましたが、余り活発ではないようです。もう少し活性化できないものかと思います。6頁でもお願いしましたが、親の方たち、支援者の方たち、読者の方たち、道草の家の活性化のためにご協力を是非お願いします。

育つ過程
 生きづらさを抱える青年たち、精神的な不安がありなかなか人と交われない、働けない、人とも(親とも)殆ど話をしない青年たち、そしてそういう子どもを持った親の方たち、そうした青年や親の方の話を聞き、関わるとき、生きづらさ(ひきこもったり)は生まれた時から今までの過程があったはず、どういう育ち方、子ども時代だったのだろう、親や家族学校や近隣の人などの関わりはどうだっただろうという思いが浮かびます。生まれつきの気質もありますが、環境、関わる人たちの影響も大きいと思います。
 色々と絡み合い、積み重なっていますが、子どもは生まれた時から順々に成長するものだと思います。体が少しづつ大きくなり、体の動きもできることが順々に増えていくように。一足跳びということはなく。心も体も順調に成長と言う場合も少なく、滞ったりゆっくりだったり、バランスを崩すこともあります。
 私自身はどうだろう、どういう育ち方子ども時代だったろう、また私の子どもたちはどういう子ども時代をおくり、生まれてから大人になるまでどんな育て方をしたのだろうと考えたりしています。

愛着障害
 そんな折「愛着障害」という本に出会いました。
 「愛着」は心理学の用語として知っていました。戦災孤児が施設で育てられると、一人の養育者ではなく複数の養育者に育てられるため、人と親密に信頼を持って関わる「愛着」が育たないということでしたが、この本ではそうした特殊な子ども達の問題ではなく、一般の子どもにも当てはまるし(発達障害と思われる中にも)大人にも広く見られる問題だというのです。
 「愛着」は、人と人の絆を結ぶ能力、その人の人間関係の基礎となるものです。生き辛さを抱えている人、うつや不安障害、アルコールや薬物の依存症やパーソナリティ障害など、そして、対人恐怖が強く、人と交われない、社会に出られないひきこもる青年たち(家から殆ど出られない人から居場所にこられる人、様々ですが)にとっても、大きな影響を与えていると思われます。
 愛着の基礎は、まず、生まれた後、3才くらいまでに、母親(養育者)との親密な関係で形成されます。泣けばすぐ来てくれる。お乳を飲ませてくれる、自分を守ってく人として母親の顔を覚えます。そうして育った愛着を基地としてだんだん他の人に関心が向かう訳ですが、その前に「人見しり」という状態が出ます。それは、母親と、その他の人の顔がはっきり見分けられるからで自然な育ち方です。ただ母親と子どもの間に安定した愛着が育つためには、母親が安定した気持ちでいること、それには、父親との関係、家族との関係などが安定しており、母親を支えることが必要です。
 母親が不安定だったり、養育者が変わったりすると安定した愛着が育ちにくくなりますが、養育者が変わっても十分な愛着と親密さで育てれば、愛着は形成されます。放任や過保護だったり、勿論虐待があれば、育ちにくいといえます。
 安定した愛着が形成されている人は「安全基地」となる人がいる。自分が愛着し信頼している人が自分をいつまで愛し続けてくれることを確信しており、愛情を失ってしまうこととか嫌われてしまうなどとは思わない。そして、人の反応を肯定的に捉え自分を否定しているとか軽蔑しているなどと誤解することはない。また自分の意見や気持ちを率直に表現できる、それは相手を否定することではなく相手を信頼し尊重しているからこそ本音で話す・・・ということなのです。
 私は親友に率直に話せますが、いつもそれができるわけではなく、思ったことが言えないことが良くあります。それは9歳のとき養女になったため、養母との安定した愛着が形成されなかったからかと思います。道草の家に来ている青年も自分の言葉が相手を傷つけたのではないか、嫌われてるのではないかとしばしば思う
と言っています。
 自分を信頼し、相手を信頼する安定した愛着が十分に育ってない人は多いと思います。それは今からでも育てられる。取り戻せると著者は言っています。(紙面の関係で詳しくは述べられませんが)
◎「安全基地になる存在」があること―親との関係を改善することがもっとも望ましいが、家族、友人、恋人、パートナー、教師、カウンセラーなどがその存在になり得ます。
◎「愛着の傷を修復する」こと―一つは幼い頃の不足を取り戻す。それには「子どもの頃からやり直す(退行も大事です)。幼い頃の状態や問題を順次再現しながら、幼児期、児童期、思春期、青年期の段階と成長していくことが可能です。そして子どもの遊びが子どもの心の回復につながり、子どもの遊びを十分すれば、児童期の段階を過ごせ思春期に進むということも可能になります。(私は子どもの頃、楽しく遊んだ思い出が沢山ありますが、青年たちはあまりないようです。今からでもいっぱい遊んだらいいと思います。
 もう一つは「傷ついた体験を語りつくす」こと―傷ついた体験と向き合い封印してきた過去を整理し、統合し直す作業に立会い、媒介する人が必要。専門家の役割になるかと思います。
 著者は、多くの例をひきながら、くわしく述べています。「愛着障害」という視点は考えるべきことですが、余り深刻に考えすぎてもいけないと思います。(「愛着障害」岡田尊司著、光文社新書―多く引用させて頂きました)

2011/11/01

フクシマにて

 実母の法事で久し振りに訪れた故郷のお寺と墓地は、とても静かで、穏やかで、幼い頃と殆ど変わりません。福島県の真ん中にあるとは思えない。燈篭や墓石の上の部分が落ちて壊れているのだけが地震の名残を見せているだけです。
 福島県は広いので、浜通り、中通り、会津地方と分けて天気予報などは伝えたれていますが(地震情報も)、故郷の石川町は中通りにあり、低い山と山の間に流れる川沿いにある小さな町です。原発事故で発散した放射性物質は、風に乗って山の上を吹き抜けて行き、石川町には余り落ちないとのことで、セシウムのレベルは低く、避難者を受け入れています。
 でも福島県庁に勤める甥、姪、兄妹などの話は、風評被害のことで、「フクシマ」というだけで拒否、敬遠されてしまう。会津地方などもセシウムのレベルは非常に低いのですが、「フクシマ」とひとくくりにされて農産物も拒否されます
 地震、東北大震災に対しては、全国から、「頑張ろう」「応援してる」「絆」などの言葉から寄せられ、多くのボランティアが訪れ、痛みを分かちあっている感じですが、原発事故に対しては、ただただ放射性物質に対する拒否、恐怖感になっています。福島県や近県でもセシウムのレベルが低いところでも、0ではなく、でも全員が避難するわけには行かない、福島県の中の低いレベル中に住んでる人たちは、静かに痛みを分かち合っているように感じます。京都の「大文字焼き」の場合など、長時間、何日も燃やすわけではないし放射性物質の不安を分かち合ってもいいように思うのですが、・・・
いのちと原発
 新聞の一つの記事(10月26日朝日新聞)を読み、怒りと共に悲しい気持ちになりました。それは、福井県敦賀市町の言葉です。「原発には確かにリスクがある。けど、我々は一定のリスクを背負った分、経済的メリットを受けるという選択をしています」「他の都市でも工場がなくなったら、別の工場を誘致してくるでしょう。私たちは原発という『地域産業』を誘致しているのです。」確かに生活するにはお金が必要です。でも、こんなに多大な影響をその市町村以外にも、日本中に世界中に恐怖を与えていることを認識しないのでしょうか。そして未来の人たち、何10年、何100年の先のことを考えないのでしょうか。放射性物質は簡単に消えないのですから。
 一方、茨城県東海村村長は「『原発がなくなったら住民の雇用はどうするか』『村の財政はどうするか』という論議も村内にあります。しかし原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を一基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円のカネがはいる。それがなくなると、また『原子炉を誘致せよ』という話になる」「福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢にすぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです」と言っています。
 敦賀市長の考えも、個人の問題というより、そう思わせる日本の社会なのだ、ということでしょう。
 原発事故が起きても「それをやめたら今の生活、電力を使った生活はできなくなる」「地域温暖化を防ぐためのクリーンなエネルギー」とも言われ、きっぱり「脱原発」と言えない人もまだ多いようです。ということを知ったら、どう考えたら、国民皆が「脱原発」と思えるでしょうか。それに関する本は沢山出てますが、生命科学者柳沢桂子さんの「いのちと環境」(ちくまプリマー新書)が分かりやすく、根本的なことが書かれていると思います。※生命の誕生から人間の存在と環境、成長の限界、人間と気候変動、人類は生き残れるか、―というテーマで書き進められています。
 まず「放射能が怖いのは、放射線がDNAを傷つけるからです」「放射線は、植物にも昆虫にも細菌にも、すべての生物のDNAに影響を及ぼす、直接的にも間接的にもその影響はおそらく私たちにとって甚大なものになるでしょう」と書かれ、
 「私たちは地球を壊してしまいました。その原因は人口の増加と産業が盛んになりすぎたことです。温室効果ガスも増えています。いずれにしても私たちは今の生き方を考え直さなければなりません。」そして最後に「私の人生の終わりに際して、これから生まれてくるものたちに幸せに暮らしてほしいと祈らずにはいられません。まして私たちが木を切り倒し、地面を砂漠化し、沢山の高レベル放射性物質を残してこの世を去るなどということはとても悲しいことです。私は病気でほとんど寝たきりですので、病床で本を書くことしかできません。元気な皆さん、どうか力を貸してください。」と結ばれています。

青年たち
 道草の家の活動の中で関わる青年(彼、彼女)たちのことがいつも気になります。いい方向に進んでる青年もいますが、生きることの辛さがなかなか弱まらない青年がいて、どう考えたら、どう関わったらいいか、思い悩むことの多い日々です。
 自分の精神的な不安定さ、辛さ(通院している)の上に経済的不安がさし迫っている青年・・・母子家庭で母親は心身がかなり弱って来て、その世話をしなければならないし、自分が働かなければならない。でも、同僚や客とも話ができず、コミュニケーションを身につけていないことで落ち込む日々。個人経営で時給は安いし、いつ首になるか分からない。と言って他の仕事につける当てはない。せめて障害者年金を貰えたらいいが、余裕がなく年金を払ってないために貰えない・・・どうしても仕事をするのが辛くなって、一週間休み、それ以上休むと首になるので「頑張って行きます。頑張ります」という言葉で終わる電話。
 具体的な方策もなく、聴くしかありません。「生活保護も考えられる」という私の言葉で市役所に聞きに行ったこともありますが、受給額は今のアルバイトの収入よりも低く生活できない、それに「働かないことには後ろめたさを感じ自分を責めてしまい、楽な気持ちにはならない」と言います。何かいい知恵はないでしょうか。
 また、「青年の思い」に「道草の家への期待」として書いてくれた青年、精神的な苦しさを抱え数年前に訪れ、間をあけながらも来所しています。最初の頃にくらべれば、落ちついて来て、他の青年ともなごやかに話をしています。でも家では激し感情が揺れどうしても自分を責めてしまうとのことで、親も私も「そんなに責めなくていい」「もっと自信を持ってもいいのに」と言うのですが。
 間をあけて来る青年でも、電話やメールのやりとり、などで何とか関われるのですが、親の方たちの相談の中で親と話をしない、顔を合わせない青年たちに対しては、どう考えたらいいか、どういう術があるのか、考えあぐねます。なぜ人と関わろうとしないのか。強い人間不信と絶望感があるのだろうと思います。私たちが手助けするキッカケをつかめないまま時間が過ぎていきます。その難しさを痛感します。私たちの思いをどのようにして伝えたらいいか・・・親御さんには根気よくメモで「心配してるよ、大切に思ってるよ」ということを伝えては?と言ってるのですが。

2011/10/22

すべてをなくしても未来は残る 太陽がまた、幸せを連れてくる

 この言葉は東北の子ども達に海外の同世代から送られた激励の言葉です。(ユネスコが募った「KIZUNAメッセージ」としてブータンとフィジーから送られたもの)
 こういう言葉が発せられる国!感動と共に考えさせられます。
 「未来を信じられる」ということを、日本の若者の中でどのくらいが信じられるでしょう。勿論、震災で家が壊され、流された人たちは、もとの生活ができるようになるか、不安でいっぱいのことと思います。思いがけない災害に逢った場合、未来のことはなかなか考えられない。でも、ひきこもる青年たちに目を向けると、一度”ふつう”からはずれると、「未来はない」と思ってしまう青年が多い現実、どう考えたらいいのでしょう。
 「自分はダメな人間」「社会がそう見る」と思ってしまう。「そんなことはない!」と大声で叫びたくなります。それぞれすてきなところを持っているのに。ある青年は高校を中退した時、教師から「高校くらい卒業できないと、人生は終わりだ」と言われた、と話しました。そして、中学生くらいから不登校になったり、高校に行かれなくなって家にひきこもる-「それはふつうでない、ダメなこと」と自分を責めることは、精神的に不安定になり、病いとなって行くことが多い。
 何とか少しずつよくなり、家から外へ出られるようになっても、”空白”の期間として、ひけ目を感じて、やはり”自分はふつうではない”と強いコンプレックスから抜けられません。ふつうの人の仲間にはなれない「自分の未来を考えるのは辛い」と言ったりします。また、20代半ばすぎると、「同級生はみな、大学も出てたりして、働いている」と思い、自分を知る人に出会うのを怖れて、外へ全く出ない青年もいます。
 日本人の傾向として、”みんなと同じに””ふつう”ということを第一に考えがちです。それが、ストレスになって病気からの回復を遅らせているように思います。道草の家に来る青年たちも、その悪循環からなかなか抜け出せず、調子に波がある青年が多いです。
 先月号で、アメリカインディアンの生き方を書きましたが、未来を担う子どもを大切にし、未来を考えられる若者に育てている-とのことですし、アメリカインディアンと同じように太陽に生きるエネルギーを感じるフィジー(東南アジアの小さな国)の子どもたちは”幸せ”を感じながら生きている-。私たちは、未来を感じられる子どもに、若者に、育てようとしているでしょうか。大切にしているでしょうか。

和田ミトリ

2011/09/10

あしたが消える・・・

 昼間は蝉の声、夜は虫の声、秋が近づいています。でも、原発の影響は深刻さがますます明らかになって来たように思います。いつ収束するのか・・・。管(元)首相は”脱原発”を宣言しながら、他国への原発輸出は容認しています。そして経済界や世論の中にも「脱原発は無理だ」という声を聞きます。一挙に失くすというのは無理でも方向だけは”脱”に一致しないものか、と思います。新聞の中に「問題は『不合理な原発をどうするか』より『不合理が自明な原発をどうにもできない社会をどうするか』なのだ」という言葉を読み、まったくそうだ、と思いました。

 先日、「原発と被災地を支える会」主催の映画会で、20年前に作られた映画「あしたが消える、どうして原発?」を見ましたが、20年前にすでに今回の福島原発事故を予想し、その影響を訴えているのです。日本のあちこちの原子力発電所の建設にたずさわった父親がガンにかかり、半年ほどで亡くなった、という女性が「なぜ?」という疑問を持ち福島原子力発電所を訪ねたり、専門家に疑問をぶつけたり、ということを中心にしたドキュメンタリーです。その少し前にチェルノブイリ事故があり、それらを合わせながら、原発問題を追及したものです。

 その中で、福島原発が地震などで破壊された場合、チェルノブイリの事故と同等の影響を世界に与えると言っていました。そして女性の言葉がとても印象的です。(要旨は)「原発によって多くの電力が作られて、生活がとても便利になり豊かになったけれど、その背後には原発の建設や修繕に関わった人たちがいる。その人たちの犠牲の上になりたっていることを考えてほしい」

 科学の発展、進歩により作られた今の便利な生活を不便な生活に戻すことには、なかなか心が決まらない人が多いでしょう。科学によって何でもできる、自然を支配できる、不快感を取り除き、痛みを弱め、快適な生活・・・そうした傲慢さが今回の原発事故につながったのではないでしょうか。地球は人間だけのものではないし、現在生きている人の為だけではないはずなのに・・・

 生活が便利に快適になりましたが、精神的にも楽に豊かになったのでしょうか。最近のニュースでは、国民の五大疾患として、精神的疾患が付け加えられました。

 なぜ精神的疾患が増えているのでしょう。
太陽と大地 (アメリカインディアンの生き方)

 そうしたことを考えていた時「『野生哲学』アメリカインディアンから学ぶ」(管哲次郎著、講談社現代新書)という本に出会いました。

 その中で最も印象的な言葉は――インディアンの部族では、物事を取り決める会議をする時、「何事も取り決めるにあたっても、我々の決定が以後7世代にわたって及ぼすことになる影響をよく考えなくてはならない」――というものです。

 私たちは何年先のことを考えているのでしょうか。何年先に生きる人々のことを考えているのでしょうか。

 そして、インディアンの人々にとって「人生の意味はゆるぎない。それは土地を共有するすべての生命のために祈ること、生きた土地を励ますこと」なのです。動物も植物も人間と同じように太陽と大地から生まれたものであり、“隣人”なのです。

 先月号で(人の)私たちの承認欲求は3つの段階、「親和的承認欲求」「集団的承認欲求」「一般的承認欲求」があると述べました。

 インディアンの部族の人々は、「一般的承認欲求」を満たすものとして、ゆるぎない共通の「人生の意味」を持っています。それは、家族もまわりの人も、皆同じものであり、お互いに皆、承認されている感覚を持ち、自己肯定感に満ちていると思われます。共に祈り行動することができます。その祈りとは、

 植物を育てることが祈り
動物を狩ることが祈り
太陽や月を見あげることが祈り
水を汲むことが祈り
風を感じることが祈り
なのです。

 著者は言っています。「生物も無生物も含めて、ある土地を織りなすすべてのものは、互いに関係をもち、働きかけあっている。その中で、ヒトの占める位置はごく小さく、ヒトに力はなく、ヒトはつねに助けを必要としている」。動物も植物も無生物もなければ、人間は生きていけない、私たちはそれを忘れてしまったのではないでしょうか。

 日本でも、かつては、山や森、そしてあらゆる自然に神が宿るという、自然信仰、マニミズムがありました。私も山に登りたい、森の中を歩きたい、川や海を船で渡りたい、花や木を育てたい、という憧れがあります。祖先の血が引きつがれているのでしょうか。でも、昔は、山を登るのも森の中にいるのも、川や海にいるのも、生活そのもの、生活の糧を得るものであり、私たちがそうした所で余暇を過ごしたい、と思うのとは違います。

 日本では精神疾患が増えている、なぜなのか。社会に出られない生き辛い青年たちが増えています。悩み苦しんでいる青年たち、関わっている青年たちも、親の会などで話される青年たちも、なかなか回復の方に向かわない、なぜなのか、どうしたらいいのか、いつも頭に浮かびます。(少しづつ人との交わりが増え、少しづつ働き出す青年もいますが)

 働いていても、やっとの思いで働いており、休日を楽しむ余裕のない青年もいます。仲間と交わることも(話をしたり、一緒に楽しむ)、一人で楽しむことも出来ない青年。或いはなかなか働くことができない、また人の役に立たない自分を責めて、精神的な苦しさから抜け出せない青年たち・・・なぜ?抽象的な言葉で言えば、私たちは、太陽と大地から離れてしまったからでしょうか。

 インドの詩人タゴールの詩に共感を覚えます。

『いのちの物語のつづれ織りが織られる

いのちの結び目のある糸をつかって

絶えずつながったりとぎれたりしながら、

枯葉は 土にまみれて消えるとき、

森のいのちに参加する』

2011/08/02

窓の外、希望

 8月号の文章を書き始めようとしていたら、鴬の鳴き声がしました。夏に鳴き声を聴いた記憶はないので、少々驚きです。いつも目覚めの頃、まくらもとの窓の外で鳴き声がすると、「今日は天気がいい、雨ではないな」と思います。
 蝉の鳴き声もし始めました。鳥と蝉の声がするので、空が見える窓の方に行くと、鳥が蝉を追いかけてるのが見え、蝉が方向を変えると、鳥はそのまま飛んで行きました。鳥は食料として蝉を追いかけたのでしょうが、鳥と蝉が遊んでるように思われ、人間や動物と同じように遊び心があるのでは、とふと思いました。
 7月もあっという間に過ぎ、会報の打ち込みをしてくれる青年(女性)と「すぐ会報の打ち込みの日が来るわね」と話をかわします。会報は切羽つまらないと取りかかれないので、いつも「うまくできるだろうか」と不安も感じますが、同時に新たに出来上がる喜びも想像します。原稿が打ち終わり、8ページに何とか収まると、「今月もできた!」という思いで、3人で笑顔をかわす。そして、青年(今は女性)が描いてくれたカットを各頁に配置できた時の嬉しさ!
 心理的に或いは経済的にも難しい課題を抱えた青年たちの対応を(通院しながら働き、親の世話をしている青年もいます)、考えると胸が重くなりますが、会報作りなど変化があることで救われるのかな、とも思います。
 「問題を解決しなければ」とそればかり考えたからと言って、解決できるわけではない場合もあります。「今を大切に」とよく言われますが、少し先のことに期待し、希望、楽しみを考えることは、心を軽くし、エネルギーを生み出すと思います。(頑張る、のとは違いますね)
 「青年の思い」の中でも「希望」という言葉が出ました。
 そして、もっと先の未来に夢を持つことも大事かと思います。道草の家の将来を若い人がスタッフやボランティアとして、活発に継続してくれることを夢みています。
 今勉強会に来ている青年や青年の集いに参加している青年たちが後輩の青年、不登校の生徒の話し合い手や相談相手になる―ことが考えられます。
「認められたい」欲求
 人は本質的に人から認められたい欲求があるのでは、と「『認められたい』の正体」
(山竹伸二著、講談社)を読みながら思いました。人の精神的な苦しみは、「認められたい」欲求が満たされなかったり、歪んだりしたことによる場合が多いのではないか、こういう視点から考えてみたいと思います。他から承認が得られることは自分の存在価値が認められることにつながると思われます。(山竹氏によれば)それは「親和的承認欲求」
「集団的承認欲求」「一般的承認欲求」の三つの形があり、またそれは相補的な関係にあり、人はそのバランスの中で生きている―というわけです。
 まず、生まれたばかりの赤ちゃんは母親から授乳や世話を受け、何もしなくても自分の欲求を無条件に満たしてくれる、という母親や家族からの「認められている」という親和的承認欲求が満たされます。でも、だんだん育つ中で動き出したり、自分で食べ出したりすれば、全て思うようにはさせてもらえない、でも母親や家族に十分認められていれば、我慢することを覚え、自分の思いと人の思いの違いも感じて来ます。
 そして幼稚園にはいり、集団活動をするようになると、集団に合わせることも出て来ますが、母親の愛情を信じている安心感があれば、「集団的承認」の獲得にとりくむことができます。でも学校にはいるにつれ、その集団の嗜好や価値観と余りに違う時、無理に合わせようとすると精神的負担が大きくなり、合わせられないと集団から認められず、「集団的承認欲求」が満たされず、それも大きな苦痛になります。不登校になるきっかけは、このことが最も多いと思われます。
 職場においても「集団的承認欲求」が満たされるかどうかが、そこに居易いか、意欲が持てるかに大きく影響するでしょう。
 さらに、集団を超えた、一般的な視点から認められるかどうかも、生きる上で重要になります。キリスト教のように神が頂点にいて、神を信じ、神の教えを守っていれば、神に認められている、「自分の存在価値」が認められているという思いがあれば、精神的な安定が得られ、集団的承認をそんない求めなくてもいい、と思われます。
 でも、そういうものがなく、多様な価値観のある、日本の現代社会では、集団的承認欲求が満たされないと精神的不安定になり、生き辛くなります。
「一般的他者の視点」が弱く、自分で公正な判断ができない時、誰かに賛同を得なければ自信が持てない。それが、中、高生のグループから離れられない、そしてグループから疎外されれば、不登校にならざるを得ないということになるでしょう。
 私自身のことを考えると、子供の頃から母との葛藤が強く(養女ということもあった)、親から認められないとの思いが大きく、親からの「親和的欲求」は満たされなかった。でも、親友はできて高校、大学、社宅時代も親友はできました。(親友も「親和的承認」にはいります)。職場やボランティア活動では認められない思いがよくありました。個人的に親しくなる人はいましたが。
 自分で自分を認められるようになりたい、受容できるようになりたい、という思いでカウンセリングを勉強しましたが、今だに、「失敗して人から認められなくなるのでは」というような不安がよぎり、或いは人になかなか反論できない、人に対する怖さが抜け切れないようです。
 でも、私はある程度補い合えているのかなと思います。「役に立つことをしたい」と思い、色々活動してきたのも、親和的承認欲求が満たされなかったことの補いかもしれません。
 青年たちは「嫌われてるのではないか」と思ったり、また、とても傷つき易い。それは子供の頃から、他者からの承認欲求が満たされず、自己肯定感が低いためでしょう。どこでつまづいたのか、親からの親和的承認欲求が満たされない場合もあり、(母親が不安定で、自分が母親を守ってあげなければ、と思ってた青年)、また学校でいじめに合ったり、グループにはいれず疎外感を感じたり。そして「不登校だった」とか「ひきこもっていた」「働いていない」という一般的他者からの承認も感じられない、満たされない、という青年たち。今は仲間のいる「道草の家」という集団の中で、少しずつ集団的承認欲求がみたされるようになり、だいぶ元気になった青年もいますが、まだまだ難しさを感じます。
 ところで、最近の新聞で気になる記事があるました。日本の青少年研究所が行った「高校生の心と体の健康に関する調査報告」(韓国、中国、米国、の4カ国)によると、「自分を価値のある人間だと思うか」との質問に、日本は、6割強が「全然そうではない」「あまりそうではない」と答え、米中韓では、「そうだ」「まあそうだ」が7割強~9割強でした。
 なぜそうなのか、「承認欲求」と関連あるかもしれません。私たちの「承認欲求」について、もっと考えたいと思います。

2011/06/29

紫陽花に思う

 6月はあじさいがとてもきれいです。通り道の家々の庭に、様々な色合いで咲いています。紫陽花という字が当てはめられているように、紫のイメージが強いですが、それは、うすいピンクから濃いピンクに、また薄い青から濃い青に、どちらの系統も紫がまじっていて、私の好きな色、心がはずみます。
 紫陽花の色はピンク系、青系の種類があるわけではなく、土壌が酸性、アルカリ性の度合いによって変わるとのことで、とても不思議です。根を張っている土によって色が変わる―そしてそれぞれが美しい。花びらは同じ形で。
 人も育った環境、生活している環境で変わる面も多い。勿論、親からの遺伝もあり、様々な違いがあります。親と子は、時代も違うし、環境も違うのに、親は自分の思いから期待、理想を求めがち。それが親子の葛藤、生き辛さにつながる場合が多いように思います。
 子どもが親と同じだと、親の方が安心するのかもしれません。でも、自分をコピーしたような人間がいたら、出会ったら、何か怖いような、落ちつかないような気にならないでしょうか。私の場合も、子どもは私とそっくりでないので安心感があります。でもまた余り違うと、身近な人と思えないかも。
 親子でも、同じでないことに安心感や不安感がある。親の勝手なのか、そのバランスを持てればいいのか。でも、親子でも育った環境と、今生活している環境は違います。ですから、その違いを理解しがたい。十分理解できなくても、“違い”があることをまず受け入れる―ことができたら…。また、親子でも違うのに、社会の人々の間も環境がさらに違う。一層違いがあります。
 勿論、社会生活を送るのに共通なもの、共通な理解も必要。でも、それが余り、きっちりと多くを求めると、生き辛さがつのります。
 いじめなども、自分と同じでないものへの反発が原因の場合が多いと思います。もっとゆるやかに、それぞれの違いが受け入れられる社会、学校であったら、と思います。
チエを持つ存在故の苦しみ
 先月号では「人間は一つの有機体」だと述べました。でも、他の有機体と違って、言葉があり、思考力、創造力、抽象化する力があります。
 それによって科学が発達し、文明はどんどん発展しました。
 言葉――知ともチエとも言われますが、高史明氏の言葉を借りれば、「人間は“いのち”の論理の他にもう一つ、言葉のチエによって生きる存在」だと言えます。
 他の動植物のように、いのち、有機体の論理のみで生きられれば、精神的な苦しみもなく、人が人を殺すのを良しとする戦争などもなく生きられるでしょう。
 原始時代は少数の家族の集まりであり、その助け合いの生活から、多くの家族が集まって来るにつれ、支配者が現れ、欲望も大きくなり、争い、戦争が起こり絶え間なく続きました。科学の発達とともに武器も高度となり、悲惨さは増幅して来ました。
 一方、科学が発達するにつれ、効率的に仕事ができるようになり、物も豊富になり、様々な遊び、様々な楽しみも増え、外国へも宇宙にも行かれる、となり、努力すれば出来る、頑張れば社会的地位も高くなる…というような。何でも誰でも、頑張れば出来る――というような錯覚に陥った。そして、出来るはずなのに、それが出来ない自分はダメ、自分でも人からも認められない!――という苦悩が生じて来ました。
 科学が急速に発達し、社会が複雑になれば、皆が皆、そのペースに合わせ、その中でどんどん伸びて行くわけには行かない。生まれつき、内向的、繊細な人は、競争について行かれない。クラスの友だちは“仲良く”“助け合う”というよりも競争相手であり、そうしたことが受け入れられない子供は不登校になったり、人間不信になって行くでしょう。
 また、日本人はもともとは農耕社会であり、協力が必要なため、“和”を尊び、皆と同じように、という社会風土があります。多数の人がやっていることに合わせられないことに従って、“みんなに認められない”ことに、自分を否定的に感じてしまいます。無理をしてうつ病になったり、ひきこもったり、或いは虐待する親もやはり他と比較して「何でみんなができることができないのか」と怒りになってしまうのではないかと思います。

つながりを持ちたい
 一方、物が豊かになると、お互いの関係も“一緒に”“お互いに助け合う”ということが少なくなり、物に頼ることが多くなって来たように思います。昔は子どもも家の手伝いをしたし、(食事も大勢で一緒にしました。)ゲームもなかったので家族、兄弟が一緒に遊んだり、大人も子どももカルタやトランプをし、テレビも一台でした…。コンビニもなかったので、おしょう油など隣に借りに行ったり…。
 今は一人でも生活できる体制が整っています。わずらわしさがない代わりに、関係を持つ機会がなくなった、と言えるかもしれません。
 そんな中で、お互いに必要とする、必要とされる関係も感じられなくなり、“ひきこもり”の状態になって行く青年も多いかも知れません。“特別にできることがあるから”、必要とされる、というのではなく、それぞれがささやかなことでも、できることをして、また、“一緒にいるだけでもいい”、人の暖かさを感じられたら、と思います。
 今回の東日本大震災でも、被災者が避難所生活を穏やかに過ごしている情景を外国の人たちが見て驚いている、というニュースを見聞きしたが、日本人は(人間には)困った時はお互いに助け合おう、という気持がもともとあったのだと思います。が日帰りでも支援活動に行っているボランティア、自分が今持ってる力を、少しでも使いたい、必要なことをしたい―という思いがあるからでしょう。“絆”という大げさな言葉でなくて、関係、つながりを持ちたい気持は、本来人間にはあるのでは、と思います。

2011/06/06

一日の鴬

 5月半ば、朝方、窓の外の鴬の声に目覚めました。他の鳥の鳴声は区別がつかないことが多いのですが、「ホーホケキョ」という声は、はっきりと分かりました。今年も来たんだ、毎年、遅い春に、一日か二日鴬の声がします。どこから来てどこへ行くのか分かりませんが。青年の集いでその話をしたら、ある青年も、4月頃、父親の畑で(千葉市の外れ、借りている農園)うぐいすが鳴いた、と言いました。早春の鳥と思われますが、千葉では晩春のようです。
 うぐいすの声は子どもの頃から聴いてますし、懐かしさを感じます。毎年来てくれるんだ――という思い。小平の家に週末帰ると、猫が待ってくれてます。膝に乗ったり、布団にはいったりします。
 動物はほっとしますね。
 東北大震災で犬や猫を残して、避難せざるを得なかった人が多かったのですが、そういう方たちはどんな思いだったでしょう。残された犬や猫たちはどんな思いで過ごしたでしょう。後からペットとめぐり会ったり、新しい飼い主が決まったりしているニュースを見ると胸がなごみます。
 でも、原発の事故のため、酪農家が、急いで避難したために多くの乳牛をそのまま残して避難し、1ヶ月(?)位して戻ってみると、放した牛は、そこここに何とか生き延びた姿を見せたが、放さなかった牛は、重なるようにして死んでいた、というニュースを見て、胸がつまるような思いがしました。人間の勝手?で無残な死に至らせてしまった。
 自然の状態から、余りにもかけ離れたものを作り出す、人為的な過度な操作をしたものに、事故が起きた場合、人間の力でなかなか修復できない――ことを見せつけられたように思います。
人間は一つの有機体
 青年の集いで青年が言った言葉、「体に心地いいことを少しずつやって行けば元気が出る」ということ、自分の体験を通して感じたこの言葉は、カウンセリングの創始者ロジャースの著書「人間論」に書かれていることを思い出させます。「人間はいろいろの有機体の中の一つの種である」。動物、植物が、類、種に分かれていますが、同じ有機体の中の、人間という種だというわけです。(燃やせば、動物も植物も人間も、C、O、Hという元素になります)
 松の木が、枝を切っても伸びて行くように、もやしや草が明るい方に伸びていくように、人間も元来、明るい方、いい方向に進む方向性をもっている。ただし、それは、人間特有の頭脳だけで考えるのではなく(意識的思考だけでなく)、全身(有機体)で感じるものだ、というのです。
 ですから、頭だけで意識的思考だけで考え、行動しようとしても、有機体が求めているもの、経験していることと一致しないならば、矛盾が生じ、葛藤が起こり、神経症などの症状が出る。「~すべき」と頭で考え、「頑張らないと」と無理をすると、精神的病にひき起こすことにもなります。
 人間特有の能力として言葉やイメージ、抽象化の能力があります。私たちの生活に効果的に役立つこともありますが、自分自身を欺くのにも役立ち、経験していることを否定し、歪んだ自覚にもなります。
 また、それは創造性と密接に関係があり、意識的思考にだけ頼るのではなく、全体的、有機体的反応を信頼して進めることで、創造性が発揮できる。例えばアインシュタインが相対性理論に至ったのも、有機体的反応、感情(「言葉では表現するのは難しい」と言っています)が示す方向に従ったからで、理論を後から考察したそうです。

できることをする
 先月号「青年の思い」の中で、精神科医フランクルの言葉「…むしろ人生が何を我々に期待しているかが問題だ」という言葉が書きましたが、それも、全身で有機体として感じられる、身近な、無理しないで“できること”をして行くことが大切だと思います。
 今回の震災では多くのボランティアが様々な形の支援をしています。人間には「何か、自分のできることをしたい」という自己実現欲求があります。あまり無理でなく、自分のできることを考え、行ったのだと思います。(一日のことでも)
 「働くのは当然」「働けないのはおかしい」―と親や一般の方は思いがちですが、“社会で働くこと”を目標にし過ぎると、とても遠くて、とても無理だと思ってしまい、「何もできないんだ」「働けない自分はダメだ」と思い、何もしないで、できることもしないで過ぎてしまうことが多いのではないかと思います。
 SAT療法(筑波大学教授、宗像恒次先生らが開発)に「行動目化支援カウンセリング法」があります。
 辛い思い、怒りとか、不安、悲しみなどの感情があった時、その感情を、「何か期待通りに行かない時の感情」「見通しが立たない時の感情」として見つめて行きながら、「本当はどうしたいのか」「どうなりたいのか」を考えます。そして具体的にどのような行動ができるか、直感で考えます。実行自身度が80%以上になるような、できそうな行動を考えて行きます。始める時には思いつかなかったことが思いつき、浮かんで来たりします。
 「自分が本当に求めているのは何か」「何がしたいのか、何ができるのか」有機体である全身で感じながら、感情を大切にしながら、できることをして生きたいものです。

2011/04/06

東日本大震災に思う

 何と表現したらいいのでしょうか。津波の後の被災地の画面!信じられない!バーチャルの世界を見ているようです。実感が湧かない。でも、見続けていると気が重くなる。でも見続けないと!という気持も起こる。子どもたちに携帯のメールをすると返事がすぐ来て、無事を知る。福島県の親戚に電話をして2日目に通じて、無事を知る。「よかった」と言い、喜び合う…でも、「無事でない多くの人がいるのだ」という思いが頭をよぎる。やはり、身近でない人でないと実感が湧かないのか…。
 皆さんも、この大震災で、様々な思い、心痛を感じたことでしょう。震度6強の地震は、初めての経験、本当にびっくりしました。11日は「青年の集い」の中で、青年とボランティアスタッフの3人でしたが、テーブルの下に潜りました。そしてテレビをつけると、震源地は宮城沖、…マグニチュードは時間を追って高くなります。津波の情報、岩手県の海岸沿いに親戚があるM君、「大丈夫かしら」と言うと、「海岸に近いけど高台に家があるから大丈夫」との答でした。
 でも、次の「青年の集い」(14日)では、M君は、「親戚は、津波の被害が大きくて、テレビに地名も出ている陸前高田、連絡が取れなくて、無事だったら連絡してくるはずなのに、連絡をくれないのは、ダメだったかもしれない。」と涙ぐんでいます。どういう言葉が、彼の気持を受けとめることになるのか、言葉が見つかりません。
 その3日後に彼からメールが来て、「親戚が連絡して来て、全員無事だった」とのこと、私もほっとし嬉しく思いました。
 でも、親戚や友人が亡くなったり、行方不明になっている人は、実に多いと思いますし、避難所(自宅も)に過ごしている方たちも家族が亡くなったり行方不明になっている場合が多い、不安と寒さに耐えながら、どんな気持でしょう。
 支援がなかなか届かない、というニュースを見て、(自分も何もできないのですが)もどかしさを感じていましたが、少しづつ届くようになって来たようです。
 国中で、「少しでも支援したい」と思う人々が、大勢物資や行動で支援をしています。一方では、食料など買しめする人もいます。「みんなで助け合いたい。助け合えば何とかなる」という気持と、「人は当てにならない。自分のこと、自分の家族は自分で守るしかない」という気持と、二つの気持が複層しているのを感じます。
 「人は当てにならない」と思う人は、人との関係に不安を感じ、「助け合える」という感覚がないのでしょう。また、豊かな生活に慣れて、物がなくなった時、「どうしたらいいか」という不安が強いのかと思います。私は戦前の生まれで、終戦前後の貧しい生活を体験をしているので、「物がなくなる、少なくなる」―ということには「その時はその時」と思えます。また、自分だけがお腹いっぱいごはんを食べていて、隣の人が食べるものがない―ということには平気でいられないように感じます。と言って、現在も、私の身近にいないだけで、食べるものがほとんどない人は大勢いるわけで、そういう人のために、何かしているわけではないのですが。
 私にできることは何だろう―と考えます。今、できることをしたいと思います。青年たちを支えること、悩み苦しみ、生き辛さを抱えている青年たちを支えること―それによって私も支えられている―だと思います。
 青年たちが、(少数でも)元気になることが、この社会のエネルギーをほんの少しでも高めることになると思います。やっとの思いで働いている青年(道草の家で関わっている)もこの地震で仕事が縮小されたり、待機ということが起こっています。経済的にはなかなか支えられませんが、(必要な青年もいますが)、少しでも心の支えになりたい、道草の家として支えられたらと思います。
 そして私自身の心身の健康をできるだけ保って、被災地の復興の足をひっぱらないようにしたい。また、原発事故の問題も不安がつのっていますが、これからの日本社会をどう再生するか、考えなければならないと思います。今までの物質的豊かさは求められない。質素な生活の中にも心の豊かさが感じられるような…。
青年たちへ
必死に生きている青年たちに呼びかけたい気持でいっぱいです。
Nさんへ
 「今は生きている、という実感がある」と元気に話すNさん。1年前と見違えるようです。自分の感情を大事に、自分の感情をもとに考えたり、話したり、動いたりしているのですね。
 去年、家を出て、パートナーと住むようになって、自分の足で自分の気持で生きるようになったのですね。それまでは、外での人間関係に辛くなると、家にひきこもって、親に当たり、親も「よしよし」してくれた。――共依存だったと、今は思う。子どもの頃から親の期待に応えることで守られているような…でも外で相手の期待に応えるように合わせても、人は守ってはくれないし、違和感を感じ辛くなる。たえきれなくて、不登校、ひきこもりをくり返して来た。でもどん底に落ちこんだ時、親との共依存に気がついた。親に反発しながらも親に依存している自分。親から離れよう!親にも言いたいこと、本当の気持を言おう。――と、実行しているNさん。
 親を乗り越えて、一段と大きくなって、自分の道を歩んで下さい。
Cさんへ
 「こころのサプリメント」に参加して、感想を述べてくれたCさん。「トラウマによって心の傷も大きいけど、トラウマによって成長したのもある」と聞いて、「そうかもしれない」と思った、とのこと。子どもの頃から、友だちと積極的に楽しく遊ぶということがなく、気を使って過ごして来た、クラスのいじめ、からかいから不登校になり、ひきこもり状態になった約10年、でも「これではいけない」と思い、少しづつ外へ出たが、そこでも傷ついてしまう。――をくり返しながら、でも最近は人と関わることの楽しさも感じるようになった。けれど「人と関わることは傷つくこともある。」ことを受け入れるには苦しい…やはり、ひきこもりのブランクがある自分はダメなのか――という思いも起きたりする。…
 “ひきこもり”はただの空白か、無駄な時間なのでしょうか、そうは思いません。その中で考え苦しんだことは、感じる力、考える力を豊かにしたと思うし、また、そこから人の中にはいって行く過程に感じたことは、同じような体験をした人の心の痛みに共感する力を育てている、と思います。
 実際、青年の集いで話すCさんは、人の話に共感したり考えたりする力を感じ、私も一緒に話し合うことが充実するのを感じます。これからも、落ち込むことがあるかと思いますが、それが自分を豊かにすることを信じて下さい。一緒に信頼し合い支え合う、仲間(スタッフも)がいるのですから。

2011/03/09

命のつながり

 先日、東京国立博物館で開かれていた「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」を見に行きました。平山郁夫の絵は何度か見て、興味を持ってましたが、薬師寺の大ふすま絵が展示されているというので、是非、という思いで出かけました。
 まず入り口近くにあった「天堂苑樹」群青の中に淡い緑の林に囲まれた釈迦と弟子たちがうすい黄茶色にぼんやりと描かれている絵、群青の色の美しさ、深く透明な、やわらかく包み込まれるような色に魅かれました。
 薬師寺のふすまに描かれた、「大唐西域壁画」は玄奘三蔵がたどったシルクロードを平山氏自身たどりながら描いたという、非常に雄大な絵。砂漠の中に同じ色の、寺院の後と思われるものがそびえている、或いは砂漠に埋れかけている。何枚かの絵の後に「西方浄土、須弥山」という絵、ヒマラヤ、カラコラムを描いたものですが、雪を被ったけわしい山の頂、峰々。その後に、アフガニスタンの内戦で壊された、バーミアン石窟。
 こうした絵や壊れて頭だけになった仏頭や、平山氏が保存のために引き取った数々の仏像などを見ながら、2500年前に釈迦が開いた仏教、教えが、人々に伝わり、千数百年前には、玄奘三蔵が、17年かけて、インドまで仏典を求めた、という、シルクロード、そこには仏教を信頼した人々がいて、寺院を建て、仏教を造った、でも破壊されたり、朽ちて行い、でもまた今も、それらを大事に思う人々がいる、信仰は受けつながれている。日本にも伝わりました。
 なぜ人は苦しむのか、「老、病、死」のある人間の生、過酷の環境にある人々は、その答や生きる意味を救いを求めた、そこに信仰があったのでしょう。
 そうしたことを、展覧会を見ながら感じました。何千年も前の人々、とつながり、遠く離れた人々とのつながりを実感しました。
 さらに、オアシスにいこう人々の絵や、宵闇の濃い郡の空や木々、池の絵、空には月が輝いている――そのような絵を見ながら、「人間は人間だけで生きているのではないのだ」とふと思いました。木々や草や花があり、鳥や虫がいて、ラクダや馬など動物もいて、土や水があってこそ人間は生きられるのだと思いました。そして、空気や空、太陽や月があってこそ…
 人間社会の苦しみ、人間同士のいさかい、私自身の苦しみ、は一体何なのでしょう。文明を発達させて来た人間は自分は“偉い”と思う、不遜な気持があることが、かえって、現在の私たちの苦しみを生み出しているのかな――とも思えて来ました。

対人恐怖
 青年の集いで、ある青年が「対人恐怖がなかったらどんなに行き易いだろう」と言いましたが、「ひきこもる」青年、ひきこもる傾向の人の最も多く、最も強い症状は“対人恐怖”ではないかと思います。
 私も未だに対人恐怖の傾向があります。知らない人、大勢の中では非常に緊張して、思ったことが言えません。
 対人恐怖―人がこわい、緊張する―日本特有の病気と言えます。アメリカの精神障害マニュアルには、それに当る英語はなく、日本語のローマ字で「Taijinkyofu」となってるくらいです。
 日本特有なものとして、私たちを苦しめる対人恐怖がなぜ起こるのでしょう。
 外国との違いを考えると、外国映画を見た時に、欧米でも中国でも、親と子が、激しい議論、けんかのように言い合いをしている場面によく出会います。両方ともが負けてはいない、というような自己主張をします。でも日本では、口答をすること自体を封じる、子どもの言い分を聞こうとしないことがしばしばのように思います。子どもに自分の思い、気持を表現するようには育てない、自己主張、自己表現の力の大切さを感じない、大人になれば、きちんと自己表現をしなければならない場に出会うわけなのに。
 それは、親自身も自己主張する、自分の意見をきちんと言うようには育てられてない。まわりと違う考えを持っていても、まわりと合わせるように、育てられた、まわりに合わせる、協調すること(そうでないと嫌われる…)「和の文化」が続いて来たのです。
 「人はそれぞれ違う考え、気持ちを持ってよい」というより、子どもをまわりから評価されるよう“いい子”に育てようと、まじめな親は思いがちです。
 道草の家に来ている青年、訪問している青年は、相手、人、まわりのことをとても気にします。相手は、人は、自分をどう思うか、嫌ってはいないか、そして自分の言動が人を傷つけはしないか…自分の思いをそのまま言えない。本当の思いを抑えている自分と、表面に出ている自分、2人の自分――それが辛くなって、人を避ける…人と交わりたいと思い、居場所などに出て来ても、二人の自分に耐えられず、またひきこもる――ということもあります。
 そうした青年が外国に行くと、気持が楽になるそうです。外国の人はいつも本音を言ってるので、「内心はどうなのか」と思う必要はないし、意見などが違っても、不快な感情にならない。違っても当たり前と思える…自由に物が言える、親子関係――自分の言ったことが受け止めてくれる、(全部親が子どもの言うことを、叶えるというのではなく)、親は信頼できる、それは「人は信頼できる」ことにつながりますが、親が信頼できない時、他人は信頼できない「怖い人」となります。
 人が信用できないという思いに、いじめが加わると、強いトラウマとなり、非常に対人恐怖が強くなります。また対人恐怖には両面があります。自分は人に、嫌な人間だと思われているのではないか、というのと、自分は人を嫌な思いにさせてるのではないかというもの。…それに苦しんでいる青年たち。そして、実際に出会ってない社会の人々、世間に対しても「働かない」自分を否定的に見ているのだろう、という思いも、苦しめます。普通の生活ができない苦しみ、をも抱きます。
 どうしたらそれから脱することができるでしょう。
 親との関係、「いい子」でなくてもいい、自分の気持、感情を素直に出せる親子関係になることが、理想ですが、それだけでは時間がかかり難しいでしょう。それには、一つはカウンセラーや、仲間との交流の中で、自分をそのまま出しても大丈夫だ受け止めてもらえる、という体験を重ねて、自分と他者への信頼感を築くことだと思います。
 もう一つは、自分にマイナスの言動があった時、「気づかなかった、失敗した」など、自分を責め否定するのではなく「完璧でなくてもいいんだ」と、努めて思うようにすることだと思います。それには自分を自分の気持、感情を大切にすること、「青年の思い」にもあるように無理をしたり、感情を無視するのではなく、できるだけ心地よい時間を持つことだと思います。

2011/02/16

じぶん、わたし

 青年たちと話をしたり関わる時、私の生き方も問われているように感じます。青年たちの悩みは、私の悩み(程度は違いますが)でもあります。かなり生き易くなり、自分のやりたい方向に進んではいますが、日々、迷い葛藤があり、自分を否定したり、気分が沈んだり・・「これだ」「これでいいんだ」というすっきりした気持で過ごせません。勿論、「楽しい」「嬉しい」と思うこともよくありますが。
 初期仏教の長老、スマナサーラは釈迦の言葉として「生きることは苦」と述べていますが、青年たちやカウンセリングで出合った人との関わりの中でしばしば思います。
 どんな時に私は気持が沈んだり不安になったり、「私はダメだ」と思いが起こるのだろう。考えてみると、「わたしはできるはずだ」「こんなはずじゃなかった」と思う時と、計画したものが実現できなかった時、人との関わり、青年との関わりがうまく行かず、怒らせたり落ち込ませたりした時。もっと色々やりたいのに体力、気力が衰えて思うように行動できない時…
 一体何にとらわれているのでしょう。
「生きる勉強」(1)、「じぶん――この不思議な存在」(2)、「この<私>はどこにいるのか」(3)を読みましたが、<じぶん><わたし>にこだわっているからではないか――と感じました。
 青年たち、悩み苦しむ人たち、過去の自分を恥しく思ったり、ひけ目を感じたり、そして今の「働けない自分」「人とうまく交われない自分」にこだわってしまう。気質や心身の力そして今までの体験もあるわけで、できることもできないこともあるはず、なのに人と比較してしまう…さまざまな概念や基準に縛られている…
 また今の自分が<決まった自分>ではなく、変わって行くものですし、できる時もあるし、できない時もある…自然の流れ(他からの支援があったりして)もあるのではと思います。「私の人生、何だったか」とか「このさきもどうせ」ではなく今を、この今を、この瞬間を「しっかり生きよう」という、仏教の言葉を心に刻みたいものです。
他者への関心―つながり
 「他の人にない固有な自分がいる」はず、という自我意識は実体のない概念だ(1)とも思われますし、また<じぶん>とは何か―を考える時、それは<他者>との関わりの中でしか見えて来ない、他者こそがわたしたちの第一の鏡だ(3)とも思います。そして、他者に関心をもってもらうことが、「自分を支える力」「生きる力」になると。でも、それは待つのではなく、自分の方から関心をもつことを始めることによって、他者に関心を持ってもらえる、見守られる、支えられる、或いは自分が他人にとって意味のある存在になる(3)というわけです。
 「自分は人から必要とされないから生きる意味がない」という青年がいますが、まだ若いし、人とあまり関わらないで来てるし、特に人と共に何かをしたわけではないのに、必要とされるのを望んでる―と思います。まず自分が積極的に人と関わる、人を求める、ということが、先ではないかと改めて感じました。
 私たちは、受け身になりがちです。積極的に関わることが、相手に拒否されたら―という不安があって、身をひいてしまう、私はそうなりがちです。でも、相手を追求したり批判するような関心ではなく、自分にとっても、自分を豊かにしてもらえるような気持で関わる―ことであれば、相手も私に関心を持ってくれるだろうと思います。それが私の支えにもなるわけです。
 そうしたことが人と人とのつながりになるのではないでしょうか。
 家に、自室に、殆んどひきこもって親とも話しをしない青年にとっては、一時は、しばらくは自分を守るために心を閉ざしていても、他者の関心が心を開くのでは、と思います。暖かい関心、受容的な関心―そっとしておくだけでなく―を持ちそれを示すことが大事ではないかと思います。(文献「生き方の勉強」アルボムッレ・スマナサーラ、香山リカ対談、サンガ新書「じぶん…この不思議な存在」鷲田清一、講談社新書「この<私>はどこにいるのか」鷲田清一、非売品)
今年の計画、希望
 1月号に今年の計画、希望を書きそびれてしまいました。
 去年はいくつかの計画を立てました。まず「生き生き生きるカウンセリング講座」は共同募金の助成を受けて、開くことができました。市民会館で5回シリーズ(1回4時間)で、充実した内容、学び合いだった、と思います。「パソコン修理室」については、指導してくれるボランティアの方を探しましたが、適切な人が見つからず、また、“修理”というのは難しい仕事だ、ということで断念しました。
 不登校クラスについては問い合わせは数件ありましたが、残念ながら参加希望者はおらず、開くことはできませんでした。でも不登校の児童生徒は大勢いると思いますし、場所もありますし、ひきこもりの問題と密接につながってますし、是非開設したいと思います。どういう要望があるか(開設日や費用)もっとよく調べ検討したいと思います。一緒に子どもたちと関わって下さる方、また御意見、アイディアをお寄せ下さるよう、お願い致します。
 もう一つ、心に関する講座を今年も開ければ、と思っていたところボランティアスタッフをして下さっている小林さんから「DVなどで心に傷を受けた人のための、自分で自分をケアできるような講座をファシリティター(案内役)として勉強したので、そういう講座を開きたい」との要望がありました。青年たちの多くは過去に心の傷を受け、なかなか癒されたり、回復できずに、今も傷つき易かったりしており、また一般の方にもいると思うので、道草の家で開くことにしました。
 また青年の集いも青年たち(20~30代男女)が心の悩み、生きることの根本的な問題を話して、それを他の人たちが一緒に考える、という充実した時間があるのですが、青年の参加が少く、残念にも、また勿体なくも思います。もう少し参加者が増えるよう、工夫したいと思いますので、アイディアをお寄せ下さい。
 青年の集いには青年に限らず、年齢に限らず、生き辛さを感じたり、心のことに関心のある方の参加(一緒に話し合う)も歓迎しますので、利用して頂ければ、と思います。
 最後に運営費について、助成金などを含めて、捻出についてのアイディアや実際に動いて下さるボランティアをよろしくお願いします。

2011/01/24

明けましておめでとうございます

 昨年は無縁社会の問題が様々な形で表面化し、人と人とのつながりが非常に薄れてしまったことを痛感した年でした。
 道草の家ではパンフレットの表紙に「人と人とのつながりが心を育む」と書いて来ました。
 人となかなかつながれない青年たち、そして子どもも大人も、道草の家での出会いによって、つながるチャンスが持てればと願ってきました。
 仲間との交流、スタッフやボランティアなど大人との交流によってその楽しさと、自分と人に対する人間信頼が育まれ、社会に出る自信を持つことを願っています。
 今年も人と人とのつながりを大切にして行きたいと思います。
                                        和田ミトリ

人と人のつながり
 全国的には南から北まで大雪に見舞われ、大変な思いでお正月を過ごした方が多いと思われますが、関東地方は天候に恵まれ、穏やかなお正月を迎えることができました。
 娘の夫の実家(茨城のK市)に呼ばれ、初めて一緒にお正月を過ごしたのですが、彼の祖母や兄弟、いとことその子ども達など親戚の人々に会い、新しいつながりが増えたことを感じました。幼い子の、楽しくてたまらないようなはしゃぎ声、そして90才の祖母、東北から嫁いで来たいきさつも話してくれ、また、父母の兄弟が多く、いとこたちも大勢、その噂など行き来の多さ、つながりの豊かさに、心が暖かくなりました。
 でも昨年は若い人から高齢者まで孤独に死に、そして長い期間その亡骸が見つからなかった、という人もいて、そして若い人が餓死したり、自殺したり、という場合もあり、さらに、虐待による幼い子どもの死、痛ましいニュースを度々聞きました。
 そうした人々のことを取材した報告を読むと、支援してくれる人が周りにいない、人とつながりが薄く、「助けて!」といえない状況にあり、家族とのつながりも断えてしまって民間や公的な支援も最終的には届かずに終わってしまう…
 家族とのつながりが弱く、だんだん切れてしまう…そこには人に対する信頼感も失せ「どうせダメだろう。助けてなんてくれない」という心の叫びを感じます。
 なぜ、人と人のつながりがこんなに弱くなってしまったのでしょう。
 人は生まれた時、親或いは養育者によって育てられ、まずそこにつながりが生じます。そして、兄弟とつながったり、また近所の大人、子どもと関わり遊ぶことで、つながりが増えます。そこでつながる力が育ちます。次に学校で大勢の仲間、集団の中で過ごします。そこでつながりが広くなり、つながる力も育つはずですが…でも不登校児、生徒が増え、ひきこもる青年が増えている現在、学校ではつながる力が余り育っていないように思います。
 高度成長を進めるための競争主義、成績第一主義では、学校ではクラスメートは競争相手であり、助け合う仲間ではなくなりました。
 家庭では、兄弟が少なく、また多くの父親は、会社での仕事が生活の殆んど全部を占め、子どもと接する時間も少なく、関わる(関心を持つ)ことが少なくなってしまった。父親が家族とつながることが少なくなったことは、それだけ家族のつながりが弱くなった、と言えるのではないでしょうか。親の力を補ってくれた近所づき合いも少なくなり、色々な人と関わる力、つながる力を育てる力もさらに弱まった、と思います。
 繊細なために競争主義の雰囲気に耐えられず、自分を守るために不登校になったり、ひきこもったり、ということも多いでしょう。“人がこわい”…人間関係に敏感、つながりたいのにつながれない…故に苦しい、つながりを持てない自分をダメだ、と思って自分を責めてしまう…なかなか社会に出られない青年たちに感じます。

人に迷惑をかけてはいけない…?
 もう一つ、無縁社会と言われるようになって来た原因として、多くの日本人が「人に迷惑をかけてはいけない」という価値観を持っていることがあげられるのではないかと思います。
 几帳面でまじめな人ほどそう思い、子どもにもしつけとして「人に迷惑をかけてはいけない」と言ったりします。“迷惑をかけない”ようにするには、「人にいやな思いをさせない、負担をかけない」ように気をつけるわけで、人に頼むこと、助けを求めることは負担をかけることになるから、やってはいけないと思ってしまう。そして、「自分をいやな奴だと思うだろう」とも。
 でも、負担をかける、と意識しなくても負担をかけてしまうことはあるし、うまく行くと思っていても失敗することがあります。それはお互い様ではないでしょうか。そして“迷惑をかけない”というのは積極的に相手に関わった時、相手の思いとずれていた場合、いやな思いにさせるから、積極的に関わらない方がいい、――ということになります。「困っている人を助ける、親切にする、というような関わり」、でない方、「何もしない」方を選びます。孤独死した人のこと、前から気になっていても、とことん関わるまではいかない――ということもあります。
 ひきこもる青年、道草の家に来書する青年から、親に「迷惑をかけてはいけない」と言われた、とよく聞きますが、自分に自信がない場合一層、人の思いが気になり、積極的な関わりができなくなるでしょう。
 生きるか死ぬか、――という時にさえ、「人に迷惑をかけてはいけない」という思いが死を選んでしまう――それでいいのでしょうか。

生きていて、いいんだ!!
「自分は生きていてもいい存在、どんな時でも」と思えたら、助けを求めながらも、生きようとするでしょう。でもなかなかそうは思えない。
 親として「世間的に認められないのは、ふつうでないのは、恥しい」と思いがちですが、子どもの存在そのものは認められないのでしょうか。親、家族だったら、どんな状態でも生きてほしい。もっと広げて、その人を知る人もそう思うでしょう。知らない人でも、その人の死を知ったら、何とかならなかったか、と悲しくなるでしょう。
 基本は家族の中で、そして生活が、人との関わりが広がる中でお互いに認め合えれば、“つながり”を感じられれば、「生きていい、いいんだ」と思える。今まで、“つながり”を感じられなくても、つながりを感じるようになることはできるだろうと思います。「存在そのものが大切だ」という思いが通じれば、道草の家がそういう場になるように心から願っています。
 皆、生まれて今まで一生懸命生きて来たのですから。

2010/12/03

代表の言葉(2010/12)

  競争社会から共生社会、多様性を認める社会へ

 11月の親の会は青年の要望で、青年と親が一緒に話し合う会にしました。お互いの問いかけと答が活発になされましたが、その時一人の親の方からの「親や社会に対する要望は?」という問いに、青年は「アルバイトをしようとする時、ひきこもっていて働いていない時期のことを、そのまま言えなくてごまかさないといけないけど、それをそのまま言っても働ける社会であってほしい」と言いました。

 今は一層、働くことが厳しくなりましたが、ひきこもりのことがテレビや新聞などでとり上げられるようになった10数年以上前(私が関わり出した)から「ひきこもっている、働けない」ことの理解はなかなか得られず、働き出すことは、とても難しいものでした。ひきこもる青年は、不登校から続いている人、一度働いてから、ひきこもってしまった人が増え、増加し続けて、社会でも問題になって来ましたが、不登校は「誰にでもなりうる」という認識になって来たものの、「ひきこもり」は甘え、怠け、と見られがちです。

 私が所属している日本精神保健社会学会で、「競争社会から共生社会、多様性を認める社会へ」というテーマで話し合われました。今の社会の矛盾、人々は“心豊かに”ではなく“追いつめられた”感じになっている、また環境問題もあり、「社会の方向を変えなくては」と前から言われて来ましたが、どのくらいの人々が自覚しているのか、疑問です。

 男性は、父親は「競争によって頑張って、頑張って働いて来た。それによって社会は発展した。子どもとは余り関われなかった。そのために子どもがひきこもるようになった、と言われても困る」と思う方が多いと思います。繊細で真面目で優しい子ども、青年が、競争について行かれないことを、なかなか理解できないようです。

 でも、様々な人がおり、親子でも気質や育った環境が違います。親の世代は子供の頃まだ、兄弟も多く、近所付き合い、親戚付き合いもあり、多様な人々の生活、生き方を見ることができました。でも、それがなく、多様な人、大人の人、働いている人を見ることなく、過した子供は、“大人のイメージ”、自立した、働いている大人のイメージを描けない、ある青年は「子供の頃“サラリーマン”というのは何となく分かる、でも自分にそれは合わないと思うけど、他の職業のイメージが持てない、将来のことが考えられず非常に不安だった」と言ってます。

 多様性の問題は、「動植物の多様性が非常に大事だ」ということも、最近よく言われています。絶滅する品種が多くなり、少い品種、単一の品種になると、それも弱って行き、自然環境としても大きく損なわれて行きます。

 また「1/4の奇跡――「強者」を救う「弱者」話」(マキノ出版)という本を読んだのですが、アフリカのある村での伝染病(マラリア)の発生のことから科学者や医者が調査し、生き残った人、マラリアに強く、障害のない遺伝子をもった人は、障害のある人(1/4は必ず生まれる)がいてこそ、生まれる、ということが分かりました。これは私たちの生活にも当てはまり、私たちが元気でいられるのは、過去や現在、病気や障害を持ち苦しんでいるから、その人たちが引き受けてくれるからだ――ということを知りました。

 学会で「でも、共生、多様性を自覚している人は少い、どうやって広めていけばいいのか」という疑問も出されました。

 それは「自分のまわりの人、家族や職場、学校、地域、コミュニティ(ネットでも)の人たちに伝え、その人たちがまわりの人に伝えることで広がって行くのではないか」とのことで、私は、道草の家の活動を通して、そしてこうして会報に書くことにより、少しでも実行できるのではないか、と思いました。

心の叫び

 自分の生き辛さは子どもの頃からの親との関係によるものだ、と気づいた青年(女性Tさん)が、他の親の方からも話しを聞きたい、ということで一緒に話し合ったわけですが(後の方に掲載)、その中で印象に残ったことは、「子どもは黙っていても、反抗的な言葉、態度をとっても、親から認められることを望んでいる」という言葉です。そして、親から認められているか、混乱して“生きるか死ぬか”を考えてしまう時は「“見捨てられる恐怖”が強い」ということです。

 「見捨てられてはいないか、疑心暗鬼、『見捨てられない』と思えるまでは長くかかるが、諦めないでほしい」とも言ってます。

 親と話さない、心のことは話さない、或いは顔も見合わせない、という場合でも「親は自分を見捨てないでほしい」という気持を抱いているのではないでしょうか。「親は見捨てないよ」ということをどうやって伝えたらいいか、分からない、難しい、という方が多いかと思います。

 でもTさんの言葉、「諦めないでほしい」、そして「親のせいでこうなった」など子どもに責められた時、「親だって一生懸命そだてたのに」と言って、責め合うのではなく、これをきっかけに「向き合ってほしい」というのも分かります。それはとても難しいことでしょう。親自身も自分と向き合うことですから、しんどい―でもできれば、これをきっかけに、自分と向き合い自分の生き方、子どもの生き方を考えるチャンスにしてほしいですし、自分らしく生き生き生きられる生き方を見つけてほしいと思います。

2010/11/05

代表の言葉(2010/11)

東北の旅 

 2泊3日の小さな旅をしました。久し振り。2年前の夏、信州を旅して以来です。去年から、旅をしたい!と思っていたのが、やっと実現しました。

 やはり仕事(活動)の中で重い話を聴いたり、青年たち(男女)と関わり、”ひきこもり“に関連する社会問題を考えるのは、疲れる面もあり、リフレッシュしたい、そして、人間の生き方に何か新しい視点、心の持ち方がつかめたら、という思いもありました。仙台にいる友人や、福島にいる姉兄に会い東北の自然に触れることで。

 まず驚いたのは、上野から仙台まで1時間半もかからない、ということ。30数年前に山形へ行った時は夜行で行ったことを覚えております。

 仙台は、都心を少し離れると、森の中の道にはいり、“森の都”と言われる所似だと感じました。そして歌にあるように両岸を木々で覆われた“広瀬川”、ゴミゴミした千葉や東京近辺とは違うな!爽やかな気分になりました。

 翌日は山形の蔵王、山寺を廻るバスに乗りましたが、11月の気温になったため、蔵王の頂上に行くエコーラインは凍結してしまい、頂上には行かれず、雄大な山々は望められなくて、残念でした。でも小雪が降り出して、紅葉した葉に積もって、紅葉と雪が同時に見られ、バスの中から歓声が上がりました。雪の積もったゲレンデ(まだすべれませんが)の方に行くと、その向こうの森が雪に煙り、墨絵のようでした。

 芭蕉の句「静けさや岩にしみいる蝉の声」で有名な山寺、行ってみたいとかねがね思っていました。1000段以上の石段を登り切れるか少々不安もありましたが、何とか登れました。

 切り立った岩の間に木々が生え、何10段か石段を登ると、小さな寺があり、また登ってを繰り返し、一番上の寺(本堂)に着きました。その近くの岩の上に、はみ出したように建つ見晴し台、その上に立つと、遠くの山々が見え、胸が広がりました。帰りは、ゆっくりと、所々にある石仏、お地蔵さんに手を合わせたりしながら、降りました。

“生きもの感覚で生きる”

 仙台での夜、ホテルでの一人の夜長を、何か本を読みたいと思い、駅の近くにあった本屋に行き、「人間、金子兜太のざっくばらん(人間は自然そのもの、だからこそ“生きもの感覚”で生きよ)」という本を見つけました。兜太さんは「俳句に季語がなくてもいい」と言っている俳人ということで興味はありました。“生き物感覚”って何だろう?買いもの求めてホテルのベットの上で読んだのですが、兜太さんは芭蕉を尊敬していますが、一茶の俳句に、その生き方にぞっこん惚れ込んでいます。私も一茶が好きで、2年前の信州のたびで、一茶の故郷を訪ねました。

 以前、ほんの、ほんの少しだけ俳句をかじったことがあり、旅の途中で、こうした本に出会ったのも、何かの巡り合わせのように思いました。

 一茶の句は、「人間と自然の共存」というより人間も動物、同等の生き物、ということを詠んでいます。

「蚤どもがさぞ夜永だろさびしかろう」

という句を作ってますが、一茶も蚤も同じ気持で生きているわけです。

 芭蕉の頃は“人と自然”、その親密感を詠んでいますが、一茶になって“人間は自然だ”というところまで変わって来ました。私もそう思いたいのですが、余りにも文明、文化の発展した現在の社会で生きていて、それとどう折り合いをつけるか、まだ私には消化しきれません。

 今の私たちの心の悩み―複雑な文化に比例して深く、重くなって来ているように思います。

 一茶も兜太さんも「愚」のままで生きる、生きものとして「生々しく生きる」と言っているわけですが、自分が「愚」であることを認めれば、そんなに悩まなくてもいいかもしれません。そして、「生きもの」として、人間同志、人間・動物同志、尊重し合う、信頼し合う―ことができればどんなにいいでしょう。

 今の日本では人々は「頑張って、人と同じように、人よりも抜きんでて」ということを目指す―風潮が強い。ひとたび“ふつう”からはずれ、ひきこもる状態を過したりすると、「頑張っていない」と言われがちです。そして、そういう自分に青年たちは自己否定感を持ってしまいます。

置いてきぼり

 東京から仙台まで1時間半で行ってしまう…旅を味わう暇もなく…芭蕉は何日もかけて旅をして名句を作った、どちらが豊かでしょう。文明が発展するほど格差が大きくなり―みんなが同じように出来るわけではありません―苦悩も増加するように思います。“生きもの”としての共感も失われ、競争相手になったり、ひけ目をかんじたり…。

 小学6年の女の子が自ら死を果たしてしまった。教室で昼食をいつも一人ぼっちで食べていた、とのこと、誰も気にしなかったのだろうか、誰も声をかけなかった、どんなにかさびしかったことでしょう。耐えられなかったその思い!!

 人間も生きもの、魂を持った同じ生き物同志―という感覚が本当に失われてしまったのだと思います。

 虐待により幼児が死に至ることが多くなっています。また、子供の頃親に虐待を受け、非常な生き辛さを必死に生きて来た中年の方のカウンセリングをしてますが、子どもを育て、仕事や近所付き合いの社会生活の中で精神的な不安定さを抱え、今も生き辛さに苦しんでいます。でもまた、虐待をした親も、その親からの育てられ方によって、環境によって、荒んだ精神状態になり、子どもに当ってしまった、と思われます。

 交通機関の時間短縮を始め、短時間で様々なことができる便利さがどんどん進んでいる(私もそれを受けている)わけですが、何かを置いてきぼりにしているように思います。

2010/10/21

10年間良く続いた!

  9月も下旬になり、会報の打ち込みの日が近づいて来ても、テーマが浮かびません。自然と浮かぶ時もあれば、何を強く感じているのか、伝えたいことは何か、を自分の心に問いかけることで、テーマを決めて行くこともあります。そして最初の書き出しの言葉が浮かぶと、割と書けて行きます。
 今回も4日前に「何を感じ、何が気になり、何を伝えたいか――」をよくよく自分に問いかけて、やっと会報を読んで下さった方の「10年よく続きましたね」という言葉が浮かびました。私から見れば、先号でも言いましたが、「いつの間に10年たった」という感じで、特に感慨はないのですが、でも、振り返れば、同じ仕事や活動が(中学教師やいのちの電話など)10年続いたことはなく、10ヶ月から5年位でした。道草の家の活動(仕事)は、10年続き、そして、これからもやって行きたいことですから、自分に合った自分が求めていたものだから、かと改めて思いました。
 それまでたずさわった仕事(活動)は、それぞれ色々と葛藤があり、「自分に合わない」と思ったり、やめる時は強い挫折を感じたものでした。
 高校頃から――親との葛藤から――強いコンプレックスと、憂鬱感があり、それが却って何もしないではおられず、結婚してからも、仕事や活動をして来ました。自己表現が下手、自己主張ができない、でも指示されたことのみやることもいやだし、と言ってもリーダー的にもなれず、それが挫折の大きな原因だったかと思います。
 そんな中で、カウンセリングに行き当り、「ひきこもる青年の居場所」を開きました。道草の家の活動を主体的にできますし、小規模ですので、私でもある程度リーダーの役割ができるようです。

気質に合う活動、仕事、生き方
 今でも、軽いゆううつ感がありますし自信のない面もあります。十分な活動ができていないのではないか、青年や親に方と適切な関わりができていないのではないか―など、色々と思い悩むことも多くあります。そして、カウンセラーの仲間の活動や学会発表などを開くと「バリバリ働いている!」と少し揺らぎます。
 でも以前にくらべれば、憂鬱感も弱くなりましたし、前よりしゃべれるようになりました。
 そして今考えてみればSAT療法(筑波大学教授、宗像恒次氏、開発)で学んだ「気質」(後の頁を参照)に照らし合わせてみると、今の仕事は私の気質に合っているのだと思われます。
 私の気質は「自閉気質」がメインで「循環気質」がサブにあります。「自閉気質」は「マイペース」「社交性はない」が「自分の世界がある」「話をじっくり聞ける」という面があり「循環気質」は「人としゃべりたい」「人に愛されたい、認められたい」という欲求がありますので、青年の集いで青年たちと話し合う場があることは私の「話を聴きたい」のと「しゃべりたい」という気持を満たし私に合っているのでしょう。
 また強くはありませんが「不安気質」もあり憂鬱感、コンプレックスもあることは全くない人よりは心悩む人の気持も想像し易いし、共感し易いと思います。そして
“しゃべれない”悩みを持つ人の気持も分かり易い。“思ったことができない。思っても思うようにできない“人の気持も分かる感じがします。(人前で落ちついて話すことが今だに出来ないし、挫折感を何度も味わいました。)「自分が頑張って、困難を乗り越えて来た、だから誰でも頑張ればできるはず」という言葉をしばしば聞きますが、そうは思えません。
 でもまた、執着気質が低いのでそんなに完璧を求めないで、活動を続けられるだろうと思います。
 じぶんの気質を否定しないで理解して、自分の気質に沿った、気質を生かした生き方、仕事をすることだ、と今頃になって分かりました。余り、世間一般の理想を求めないで、人と比べないで自分の気質の特性を知って、ネガティブな方向に向かうことを抑え、ポジティブの方向に向かうことを意識することが大切だと思います。
 例えば、執着気質の特性、完璧主義の人は、120%を求めて頑張り、無理し、達せられないと「自分はダメだ」とストレスが強くなり、がんやうつ病の原因にもなりますが、その自分の気質を自覚し、「50%、30%でいいんだ」と意識することで、ストレスが避けられます。(きっちりとした仕事など信頼を必要なところでは完璧さが生かされます)
 不安気質の強い人は、意識して自分の不安の半分位で抑えれば、先の様々な状況が想像でき、リスクを避けられます…。(参考文献:宗像恒次著「自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる」)

2010/09/03

10年、経ちました

『10年、経ちました』
道草の家の活動を始めてから、この9月でちょうど10年経ちました。

あっという間に、もう10年経ってしまったのか、という思いです。
よくも悪くも大きな問題がなかったから、そう思えるのかもしれません。
勿論、色々と困難はありましたが、何とか1日1日が過ぎて行き、1ヶ月が過ぎて行き(会報発行がそのけじめでしょう)、そして1年が過ぎて行くという積み重ねだったかと思います。
暗中模索の中で始めた頃の青年たちの顔が浮かびます。
そして、遠ざかったり、また現れたり、だんだんと遠ざかったままの青年、望んだ方向に行かれた青年も多くないけどいるな(仕事に、或いは学校に)、でも、精神的な不安定さが強くなって来られなくなった青年、対応が適切でなかったのでは、と思われる青年には心が痛みます。
今どうしているだろう、電話をかけたい気持も時々起こるけど、元気になっていればいいですが、不安定なまま、或いは、より不安定になっているのを知るのは辛い、受話器に手が伸びません。
また、青年の集いに来なくなり、道草の家が必要でなくなった、それは精神的に自立していくことであり、嬉しいことですが、少しさびしい感じもします。
みんなが道草の家の青年の集いの雰囲気に合うわけではなく、1回とか2~3回で来なくなる青年もやむをえない、と思いながら、残念に思ったり、また学校のような義務があるわけではない、自由な気持で集う場、でも人と人と心の触れ合いが中心の居場所、出会いと別離があり、喜びもありますが、さびしさを伴うのは仕方がないことでしょう。
ひきこもる青年をとりまく社会も変わってきました。
就労の格差、収入の格差、そして貧困の問題も多くなってきました。
ひきこもりの問題も、解決の方向に行くのではなく、長期化、高年齢化が進み、社会に出る、自立する、ということは『難しい!』――と親も支援する人も、感じるこの頃です。
また人と人とのつながりが一層弱くなり、支え合う感覚が鈍くなっている感じがします。
自分の欲得で人を殺したり、自分の鬱積をはらすために(自分も死にたい気持で)見ず知らずの人を殺したり、子どもの虐待、死に至るものも多く起こっています。

『支援は、理解する、理解しようとすることから』
 若い母親が幼い姉妹を放置し、死に至しめた事件、「母性に欠けている」とか頼る人(親、兄弟、友人)がいなかった、と思われがちですが、「経済的な援助があったら」というよりも「理解者、自分を理解して受けとめてくれる人」がいなかった、ということが大きいように思います。SAT療法によれば、「情緒的理解者」がいない時、自信がなく依存心が強くなり、自分に快を与えてくれる人、物に依存し、のめりこんでしまう――と言われます。彼女は夜の商売にのめりこみ、子どものことを考えられなくなったのでは、と思われます。大人になるまで、自分を理解してくれる人、安心できる人、そういう存在があることを体験していなかったのでしょう。
 ひきこもる青年の、「社会に出られない」「働けない」という心の葛藤をなかなか理解できず、社会の多くの人は「甘えている」と思うようです。親でも、子どもが心の中のことを話してくれないと、理解できず、「甘えているのでは」という思いに傾きがちです。
 殆んど話してくれない青年、話してくれてもなかなか理解できない場合もよくあります。そして、本人も言葉になかなか表現できないこともあります。人それぞれ、体験も違うし、心の中も違います。表面的には似ている場合も多いですが。
 そして、親と子どもは、気質も違うし、育った環境、時代も違います。「親として子どもを大切に思って育てた」「愛情をもって育てた」「子どもを束縛しないで、子どもの気持を尊重した」――「それなのになぜ?」と思う親の方も多い。勿論完璧な親はいないので、親を責める気持は毛頭ありませんが、ただ、人間の心は複雑であり、「こうすればこうなる」「善意で育てたのだから、よく育つはずだ」と言えないところがあります。(科学万能的な考えでは)
 また、「親が変われば子どもも変わる」と、ひきこもりの問題の勉強会ではよく言われます。でも「どう変わればいいのか分からない」と親の方からよく聞きます。私は100%は理解できない、でも理解しようという気持があることが、「理解しようとしてくれてるのだな」という安心感を与えると思います。また、理解することは(部分的であっても)親の考え方、感じ方を変えるわけで、それは子どもにとって、「親が大いに変わった」ということになると思います。

『心の支援の場に』
 来所する青年が増えず、収入、運営費の不安がつきまとう今の状況、道草の家の方向性は、今のままでいいのか――という思いも浮かびます。
 長く続けるには財政的基盤が重要、それには行政の中に組み込まれた、障害者支援センターやひきこもり支援センターのような形をとれば、行政からの人件費、運営費がもらえます。でもそれには多様な状態の人を受け入れ、多様な相談に応じ、また、他の機関との連携、書類提出など雑務も増えることになり、個々の青年との心の関わりや、辛い心の人のカウンセリングをする時間、余裕が少くなるだろうという危惧を感じます。
 私の力の限界もあり、自分がしたいこと、できることを考えると、今の方向性を少しづつでも充実していくことかと思います。先に述べた「情緒的支援」の場となること、「道草の家に行けば、理解してくれる人、受けとめてくれる人たちがいる」という場になること――だと考えます。勿論それは私一人ではできないことですので、多くの方の応援をお願いしたいと思います。
 私にとっても、精神的な支援が必要ですし、勿論経済的支援も、私の思いに共感して下さる方、具体的にボランティアとして参加して下さったり、できれば後継者になって下さる方がいつか現れたら――と願っています。
不登校クラスも、まだ希望者がいなく、開設してませんが、何時からでも開設し、充実した活動をしたいと思っていますのでよろしくお願い致します。

2010/08/11

人間は自然の一部

  こんもりとした、濃い緑の森がいくつか連なっている風景、少し上の方から映されている――映画「地球交響曲第7部」の中で――のを見た時、「こういう世界もある」「世界は広いんだ」という言葉が浮かびました。そして胸に風が通ったように感じました。
 日頃、辛さを抱えている人と関わったり、道草の家の課題を考えたり、そして、今の社会の厳しく見通しのつかない問題を目にし、耳にしていると、“生きる”ということが辛く厳しいものに感じがちですが、そればかりではない、との思いも浮かんで来ました。
 映画では3人の方の生き方、人間と自然との関係などが映像と共に語られ、そして、神社とそれを囲む森、神社で行う行事が映されていました。
 その中で「大自然の目に見えない力に生かされていることを思い出す時、人は素直になり、元気をとり戻すことができるのではないでしょうか」という言葉が胸に響きました。「生かされている」という確信までには思えないのですが、でも「そうかもしれない」という思いはあります。
 人間も自然の一部だと思います。動物や植物と同じように。そしてこうも言ってます。「我々一人ひとりは、皆地球の大きな生命が進化する過程で生まれた、ひとときの姿なのです」
 でも人間は科学を発達させ、どんどん人工化が進んでいます。「人間も自然の一部」ということを忘れ、科学によって何でもできる、という思い上がりが、かえって生き辛さを作り出している面が大きいと思います。
 科学によって縛られていることはないでしょうか。
 ちょっとでも体に臭いがあってはならない、家の中もちょとでも臭いや菌があってはならない――など。昔(そんな遠い昔ではなく)は賞味期限など記載されることはなく、においや味で(ちょっとだけ食べてみて)食べられるかどうか判断したものでした。
 コンピューターが発達し、何でも計算し、予想し、追跡できるようになったのに、それを“格差”を縮めるために、弱い立場の人のために使えないのか――単純に不思議に思います。
自然に癒される
 私が自然に惹かれ、自然に癒されるのは、幼い頃、自然に囲まれて育ったからだと思います。
 山(子どもでも登れる低い山)や川(泳いだものでした)そして田んぼや森があったから、そこで遊んだからだと思います。広々とした明るいイメージの田んぼ、深く暗い森、山の中腹にある大きな石もおままごとの家でした。森に囲まれた神社も遊び場、社(やしろ)の前にしかれたきれいな砂で、蟻地獄を作り、蟻をいれたり…また田んぼになる前、れんげの花が一面に咲いた中で、冠を作ったり、でんぐり返しをして遊んだこと、秋に稲が稔った時はいなご取りをし、刈った後は落穂拾いをしたこと――などが思い出されます。今はもうそんな遊びはないでしょうね。
 さて、青年の集いで青年がいみじくも言った「子どもの頃から家族の葛藤が強く、心の触れ合いがなかったせいか、外(自然)への関心がなかった。関心があったら“自然”からエネルギーをもらい“自然”に癒されたであろうに」という言葉にはっとしました。青年たち、人間関係に傷つくことが多いわけですが、それを癒すのにそんなに強く“自然”を求めていないようにも思います。勿論、「人間関係で傷ついたものは人間関係で癒す」という面もありますが。また、育つ時に、まわりにそうした自然が少なく、家族や友だちと自然の中で過ごすことが少なかった――ということもあるでしょう。
 青年たちが自然からもエネルギーをもらい、楽な気持になって、自分を肯定し、生き生き生きられる時間が少しでも多くなることを願っています。

出会いの場
 新たなことをする、新しい行動をする時、予想したようには行かない、そして「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔の念が起きます。初めて開く「生き生き生きるカウンセリング講座」も定員が少ないし、参加費も共同募金からの助成を受けて安いのですぐ集まるだろうと安易に考えていたのですが、申込み者がわずかで「もっと早くから、もっと広くPRすればよかった」と後悔、そして憂鬱感がふっと浮かんできます。それは私の気質、育ち方によるのでしょうが、カウンセリングを学んでだいぶよくなって来ましたが「行動しなければこんな気持にならないだろうに」と私の弱さが出てきます。
 青年の集いの参加者も(暑さのせいもありますが)少ない日が続き「どうして行ったらいいのだろう」と思うと気持が沈みます。でも「このままのことがずーっと続くとは限らない、色々と工夫して行けば、もっと増えるだろう」「カウンセリング講座も初めてなのだから、次回はもっとよく考えて行えば、参加者も増えるだろう」と思い直しました。
 そして“数の問題ではない”ということにも気づきました。「青年の思い」の中でもあるように、2人の青年の出会いがお互いに心が通じ合い、充実した時間を過ごせた、という思いにさせ、肯定感、生きるエネルギーにもなったと思う時、2人だけでもそういう思いになること、そういう出会いを道草の家で作れたことは居場所を続けて来た意味がある、という思いにさせてくれました。

2010/07/10

引越し奮闘記

  6月末の引越しのため、会報の発送が遅くなりました。
 引越しの準備を心がけていたものの、やっぱり細々したものが間に合わず、引越し屋さんが来てから、バタバタと追われながら箱につめたり、トラックに載らない、ということで多くの小さな家具を残して処分することになったり、2日にわたって奮闘し、何とか終わりました。(箱から出して整理するのはまだです)
 色々なものを処分したものの、「とっておけばよかった」「早くから予想し、準備すればよかった」と後悔しきり!でも娘はそんなこともないので救われました。そして、こんな時でないと思い切りができないわけで。(母の残した寝具や、布きれや食器などが後から後から出て来て、大事にとっておく母の時代の生活がしのばれます)
 そして約1日心を痛めたのは、猫を小平の家に連れて行ったものの、夜中に少し開けておいた窓から出て行ってしまい、朝気がついて家のまわりだけは名前を呼びましたが、応答がなく、そのまま今までの家に掃除に行きました。「新しい家の臭いも覚えないまま出て行ったから戻れないかもしれない。そういう縁なのだろうか。縁があったら戻ってくるだろう」と話し合いました。ところが夜遅く帰ってみるとドアのそばにいるではありませんか。「縁があったのだ」と3人で大喜び!
 さて、1階の私の部屋を少し整理し、朝、雪見障子から外を見てみようと、障子を上げたのですが、少しの草木と前の家の壁ばかり。船橋の家とは大違いです。船橋の家は23年住み、木々が育って、窓からは緑ばかりが見えて、それに慣れていたのですが。小平の家も草木を植えたら育って緑いっぱいになるだろう、どのくらいで?私が生きて、住んでる間に…?
生きる意味(2)
 皆さんは「生きる意味」をどんなふうに考えていらっしゃるでしょうか、「余り意識していない」「分からない」という方も多いかもしれません。或いはそういうことを考えなくてすむほど満たされて過ごしている方もいることでしょう。
私は若い頃、「生きる意味などない、生まれたから生きているだけ」と思ったり、「人生は不条理だ」と思ったり、否定的な思いがありました。でも好きなことをして、充実感を感じて生きたい、とも思いました。そんな中でいくつかの挫折をしながら今の仕事、活動に至ったわけですが、今も難しい課題を抱えて過ごしている中で、ふっと「ヒマラヤが見える山の中腹で、一日中、ヒマラヤが、日の光で変化して行くのを(朝、夕は茜に映えたり)眺めていたい」思ったりします。悠久の中にいる自分の存在を味わえるかなと思います。
 また私も高齢になってきて「後何年生きられるだろうか」と思う時「死は無になること」という思いもあり、怖さを感じたりしますが、宇宙の始まりから今まで原子、分子が生命となってぼう大な時間の中で進化し、人間が生まれ、私が生まれた、そうしたつながりの中の一つの輪に自分がいて、死は宇宙の原子、分子に戻るのだから無ではない、とも思ったりします。
 或いは仕事などに精一杯頑張っている自分に、逆にゆっくりと自分の体を、呼吸を味わい、聞こえてくる島の声を感じる時、“生”の実感を味わえるかもしれません(座禅がそんな感じでしょうか)
 おいしいものを食べた時、好きな音楽を聴いている時、庭の花を眺めている時などささいなことに幸せ感を味わい、生きる意味を感じるということもあります。
 あるお母さんに生きる意味を尋ねたら、「生きていてよかった」と思えること、「楽しし」と感じること、を大切に生きたい、との答でした。「こう思う前は、他の人の目、評価を気にして心の安らぎもなく過ごしていたが、子どもがひきこもるようになって、気づかされた」とのことです。
 高度成長期は、成功、沢山働いて、沢山収入を得ること、そして社会から認められることが、生きる意味のように思われていましたが、それには適応できない人が多く出て来て、少しは見直されて来ているようですが、まだまだ、根強くあります。
 働いていない、働けない青年は「自分は社会から認められない、それは自分には生きる意味がないことなのだ」と思ってしまう場合が多い、と思います。「どんな人も生きる意味はあるのだ」と言っても簡単には同意できないでしょう。
 自分の存在を肯定的に感じることが根本にあることが必要かもしれません。でもどうしたら、存在を肯定できるのか。人は社会一般的ではない人を否定しがちです。でも、存在そのものを誰が否定できるのでしょう。否定する権利はないように思います。
 まわりの人がその人の存在を肯定する――状態全部を受け入れられなくても――ことはできないでしょうか。
 そして、小さな楽しさを感じることの積み重ねが、自分を肯定し、生きる意味を感じさせるのかもしれません。青年の思いでのT.Nさんも言ってるように、しばしの間でも瞬間でも、楽しさや心地良さや嬉しさを感じることを大切にして。